・小松大夫はさすがに底力を発揮して、聞かせ所仕所の多い杉酒屋一段、丸まるやってのけたといっていいだろう。
さすが越路の一の弟子。(「杉酒屋」『妹背山婦女庭訓』平成六年四月公演)
・小松大夫の声を云々するのはどうにもならないこと。あの声でもちゃんと聞けるのはそれがまさしく浄瑠璃の格を捉えているから。
小松の浄瑠璃が耳障りという人はいわばSPレコードの雑音が邪魔で名人の浄瑠璃は聞けない、聞きたくない、
果ては名人だとは聞こえないと語る人と同じこと。(「明石船別れ」『生写朝顔話』平成六年七・八月公演)
・小松はさすがにやってのける。若狭助も本蔵も。(「松切り」『仮名手本忠臣蔵』平成六年十一月公演)
・ここのところ立端場できっちりと筋立てを語り聴かせる役場が多い小松。
今回も前半の女中の立ち話と真ん中のお初と岩藤の駆け引き、
そして後半の弾正岩藤の悪巧みとを聴衆の胸にしっかりと入れおおせ、
切場長局へと連絡させているのは、さすがに職人芸である。いい仕事をしている。(「廊下」『加賀見山旧錦絵』平成七年四月公演)
・とくにどこがどうとの指摘はない。事程左様にすっくりとこちらの胃の腑に落ちつくように語った小松。
紋下切場の端場としてきちんとやるべきことをやっている。(「松右衛門内・中」『ひらかな盛衰記』平成七年七・八月公演)
・さすがは小松。マクラの「今は妻のみ生き残り」の語り方から始まって、長五郎の述懐から「俎や…欠椀」と続く眼目の所まで、
紋下格切場の端場として文句の付けよう無し。病なくば既に切場をも任せられように、
それでも与えられた役場をきっちり語りこなすのは、さすがに越路の一番弟子。(「欠け椀」『双蝶々曲輪日記』平成七年十一月公演)
・端場の小松は今回も感嘆させられる。
「恩と弟を思ひの余り望みあるとはしらにぎで神ならぬ身ぞ是非無けれ」がもう完璧だから、ここだけでまず端場の役目を果たしている。
陰陽表裏内外遅速深浅、心と詞とすばらしく、紋下格の切場へと見事に手渡したのである
・やはりこの段はベテランの経験修業がものをいうのは小松・団七。
ここまでの大時代とはぐわらりと変わっての世話場、焦らず弛まず持ち場の仕事をやってのけた。
それでいて細かいところも見逃さないのはさすがである。(「茶筅酒」『菅原伝授手習鑑』平成八年十一月公演)
・小松は人物の語り分けよく、徳兵衛が鮮やかでその分団七お梶らの大人ぶりが引き立った。
・「武士の意気地は是非もなし」の詞章通りの若狭助の描写、わがままな子供をなだめすかしてあやすかの如き家老本蔵の見事さ。
眼前手に取るようでさすがは年功である。(「松切り」『仮名手本忠臣蔵』平成十年十一月公演)
・小松も越路師匠の教えを良く守り「行戻り五六里を助つた徳庵堤」の掛詞もできた。
詞語りの年季はさすが小松である。
小松も眼目のあいたし小助の部分とその前と後ときっちり様子を変えての語り分け弾き分けに満足のいく出来であった。
劇評は、もちろん「その時その場」における義太夫浄瑠璃を材料としたものですが、
ここには、過去から未来を貫く「真実」が、図らずも記されておりました。
それはまさに、小松大夫の語る浄瑠璃こそが、「真正」であったことを意味します。
名人の浄瑠璃とはどういうものか。
年功を積んだ自然な語りとはどういうものか。
そして、「義太夫」の本質とは何であるか。
公演記録映画会、
ぜひご覧いただきたいものです。
平成の世の切語り・紋下格として、
多次元的平行世界が易々と現出いたします。
「美声家」と書いた某全国紙の訃報欄を、
師匠とともに笑ってお許しになられることでしょう。
追贈五世
百年の根に生ひ出でし小松には越路の風ぞ吹き渡るらん
最後に。
NPO法人文楽座の事務局長という要職を務められ、
ユネスコによる世界無形遺産登録という、
人形浄瑠璃の歴史に残る一大成果を達成されたこと。
ここにその立場から書かれたメッセージがあります。
人形浄瑠璃文楽の「未来」を、
いつも心に思い描いておられたのでした。
「日本の伝統芸能である文楽人形浄瑠璃を、ぜひ学生生活の内必ず鑑賞して下さい。
今年には世界遺産に登録されます文楽を、この機会に親しんで下さる事を望んでおります。」
平成15年7月2日
人形浄瑠璃文楽座専務理事兼事務局長
豊竹小松大夫
合掌