・想像以上の出来であった。立三味線団六の一段丸まるの出座で統一がとれ、それぞれの見所聞き所が堪能できたのである。(平成十年十一月公演「茶屋場」)
・完全版で制作担当者の意気込みが感じられるし、三業もまたそれによく応えている。ともかく何はさておいてシンの団六、ツレの清介、三曲の喜一朗とそれぞれの格で望みうる最高の取り合わせ。それがまた見事で厚みも幅も感じられ、文字通り「音あるものの司」として十分な演奏。人形阿古屋の遣い方捌き方に集中せずとも、重忠同様目を閉じて床に耳を傾ければよいのである。聴く者の心を晴らす音曲はまさしく奏者の心にやましさのない証拠。これを聴いた観客の裁定もおそらく無罪にちがいない。(平成十一年正月公演「琴責」)
・今回の「楼門」で特筆すべきは寛治の三味線である。前述の感動も寛治の三味線によって導き出されたものであることは、錦祥女が老一官のほくろを確認した後、「便りを聞かん導べもなく東の果てと聞くからに」の三味線が、それはもうきらきらと輝き出でるが如き、音が五色の玉となって飛び散るが如き流麗華麗さで、この体験はSPレコード鑑賞会で豊澤仙糸の三味線(七色の玉)を聞いて以来である。もちろん両者とも彦六(近松)系の三味線、団平直系の三味線である。そして「小国なれども日本は男も女も義は捨てず」の全一音上がる前後からはますます冴え渡り、「心を付けてご覧ぜよさらばさらば」に至っては、もう心身ともに三味線に掬い取られて快感に宙を漂うような至高の喜びに包まれたのである。(平成十四年一月公演「楼門」)
・奥は伊達大夫に寛治師で、襲名披露時の名演がよみがえる。おとくの訴訟、将監の厳しさとりわけ「土佐の名字を惜しむにあらずや」の強さ、又平の無念、狂わんばかりの必死の訴え、誠実・真実心、「名は石塊に留まれ」の全身全霊、そして「直つた直つた」の歓声には感涙を催したのであった。マクラからの河内地と女房の言葉は絶妙な三味線に感服。(平成十七年四月公演「土佐将監閑居」)
・二上りで始まり、宮薗節のサハリ、そしてフシオクリと、この魅惑的な道行は、寛治師の三味線とシンの津駒によって心地良く奏演された。(平成十七年七・八月公演「道行朧の桂川」)
・太閤記物の一つ、戦前まではとりわけ人気曲として、「とは云ひながら情けない」のクドキなど人口に膾炙していたものである。初演が麓太夫という、高音から低音まで、声量・腹力とも剛強にしてかつ上品だったという太夫の語り口(「風」)が、一段をまとめ上げている作品で、それだけに相応の力量がなければ、面白くも手応えもない結果に終わってしまう。登場人物も厳父で胸に一物ある五郎助、慈悲一遍の老母に、その出から覚悟しの酔態を見せるお政に、悩める二枚目茂助、そして狂言回しの立場にして華麗な捌きを見せる木下藤吉に、怪力の倅竹松は後の正清で、段切には敵の間者との絡みまである。加えて大落シで決めてこそ十全となる東風の三段目、この恐ろしい一段を寛治師の三味線で津駒が体当たりで勤めあげる。(平成二十年四月公演「駒木山城中」)
明治期の偉大にして唯一無二の三味線豊沢団平、近代の浄瑠璃義太夫節を完成し、「風」という、浄瑠璃義太夫節の音曲的骨髄にして芸術的価値そのもの、かつ倫理とも称される黄金律を、人形浄瑠璃の核として奏演の中心に置いた人物。その衣鉢を父である六世寛治から継承し舞台上で表現した現代の名人でありました。
寛治師の奏演は、三味線がその頂点を極めた彦六風をこの現代において弾いた至芸にこそ、その真髄が如実に聴き取れたのです。
三味線の拵え、あの『道八芸談』を読み脳内では理解していた事柄を、寛治師はその音色でもって実感させて下さいました。あの大きさ、豊かさ、幅、奥行き、音がまるで違うといつも驚嘆させられました。
SPレコードに残るすばらしい奏演の数々を聴くとき、そこに響くものとまったく違和感のなかった唯一の三味線が寛治師であったのです。
客席において三味線に陶酔することができた至福の時間は、もう二度と体験することができないものとなりました。
贈 三味線紋下