豊竹始太夫


始もここのところ好成績。 (『紅葉狩』平成十八年十一月公演)

・人の恋路を邪魔する役は玄蕃であるが、これを始が活写する。どちらかというと不器用で棒状の役作りがうまく嵌ったとも言えようが、それ以上に浄瑠璃がきっちりと出来ていて、作らずとも出来ているという長足の進歩。これは次に端場を一人で語る時が大いに楽しみとなった。(「小松原」『妹背山婦女庭訓』平成廿二年四月公演)

・三業の中心たるべき太夫の力がいかに大きなものかをあらためて実感した。伴之丞(中略)一癖ある人物像を、始、(中略)がよく捉え、(「浜の宮馬場」『鑓の権三重帷子』平成廿六年七・八月公演)

・掛合要員と言うと値踏みした言い方になるが、今回は良い意味でこの太夫(中略)は実に面白く楽しませてくれたと、掛合組と一括して賛辞を呈したい。「横切りに」行く郷左衛門(中略)、詞章の巧みな対比表現を、始(中略)が相応以上に手応えを感じさせて語る。(「難波裏」『双蝶々曲輪日記』平成廿六年十一月公演)

・門脇は始が大音強声に憎たらしさを加えて活写した。(「杉坂墓所」『彦山権現誓助剣』平成廿七年一月公演)

・太郎冠者は始(中略)で、家来であり、のさ者呼ばわりされる個性を、きっちり捉えていた。(「靱猿」平成廿七年四月公演)

・ここは実に面白い場となるはずだ。花形の勤める場でもあるだろう。したがって、始(中略)が担当するのは理に適っている。(中略)実際に聞いた感想としては、大音強声の突っ張り(中略)面白みを含んだ躍動感のあるものに仕上げたと評価出来るのではなかろうか。(「芦辺」『国性爺合戦』平成廿八年一月公演)

・始(中略)は役目を果たしたと言え、(中略)掛合から抜け出たのは尤もだと言える。(中略)中堅陣の仲間入りをするには修行を積み重ねる必要がある。(「徳太夫住家・中」『楠昔噺』平成廿九年四月公演)

以上は劇評から抜粋したものです。

最期まで浄瑠璃とともにあった文字通り太夫の中の太夫でありました。
生え抜き門下生の始たる名に恥じない舞台を勤めました。
個性を活かし中堅としてさあこれからという時に惜しみても余りありと言うより他ありません。
合掌。