・陣屋。住さん、品格で語ってのけました。燕三師も同断。(平成三年七・八月公演「熊谷陣屋」)
・そして雛流し。娘の首を切り、息子は切腹し、愁嘆場の後の観客の胸中にもぽっかり穴の開く、そこに哀調の旋律が万感の思いを底にさ らさらと語られると、思わず知らず涙が流れて来るのは、これこそカタルシス。良くできてます。ここで涙を流せたからは、今回来た甲斐が あったというものです。結構でした。住−燕三とのコンビだから。(平成六年四月公演「山の段」)
・段切りまで見てきた客席のおばさんが一言「あーあ、お婆さんとうとう一人ぼっちになってしもた。可愛そうに。」と呟いたのが印象的だっ た。この一言だけでも住・燕三人間国宝コンビの芸の深さは証明されている。(平成六年十一月公演「勘平腹切」)
・今回の正月公演で唯一感動できたのが「玉藻前」であった。改めて住・燕三の実力を感じとった。マクラが実にすばらしい。b早や夕陽も、 傾きて、無常を告ぐる鐘の音もいとど、淋しき黄昏や、でもう桂姫と金藤次の悲劇の運命は暗示されているのだ。それを見事に語り生か す。それ故にこそ次のb銀燭の光、まばゆき白書院、のところが目に痛いほどのまぶしさになるわけだ。(平成七年正月公演「道春館」)
・マクラから装束改めまで非凡、さすがである。典侍局の愁嘆と幼帝の悲哀ここは絶品で、この部分に中心がしっかりと据えられた浄瑠璃。 超難物やっかいでしんどいところを弛れさせなかったのは、人間国宝たる所以である。(平成七年四月公演「渡海屋」)
・マクラ十分。権四郎秀逸。この権四郎の愁嘆で観客に涙を含ませるのはたいていの技ではない。またお筆も性根性格を掴まえてあるから 権四郎の「何の面の皮でがやがや頤たたく」がまさにぴったり。槌松最期を語るところのお筆の心苦しさ辛さはちゃんと描出してある。
そして笈摺の一件。慈愛あり、真情溢れ、「共に涙の暮れの鐘」の詞章通り、鐘の音がこちらの心にも染み渡る。絶品であった。槌松の 死の哀愁はここにおいて観客の胸に結晶化したのである。(平成七年七・八月公演「松右衛門内」)
燕三師の至芸をこの耳で直接聴くことができたということの幸せ、あらためて噛みしめざるを得ません。
弾き出しやマクラ一枚で浄瑠璃一段の雰囲気を感じさせる三味線、もうないでしょう。
「SPレコード鑑賞会」駒太夫の回に特別お出でになり、三味線の才治師匠について語られた言葉が、印象に残っています。
芸談が残されています。題して「地色」の機微(聞き手:内山早大教授)。『文楽談義』に収録されています。再読吟味すべき内容です。
織大夫との近松物、住大夫との世話物、定評あるこれら珠玉の奏演とともに、時代物三段目での重厚さには心底参りました。
朝日座で聴いた南部大夫との「新吉原揚屋」「十種香」、あれだけのものを普通に聴いていた時代は、確実に終焉を告げたのです。
燕三師の芸風は、今、愛弟子の燕二郎君にきちんと受け継がれようとしています。「口伝は師匠にあり、稽古は花鳥風月にあり」。