吉田文昇


・文昇の阿曽次郎は絶妙。今回の「朝顔話」の人形の秀逸はこれで決まり。
 この「蛍刈」だけでもまず端正さが底にあり、恋に動く色の出し方、悪者の始末での節度の見せ方等々、
 源太かしらの性根を見事に捉えた遣いぶりだった。(平成六年七・八月公演「宇治川蛍狩」『生写朝顔話』)

・阿曽次郎はここでも秀逸。ただの端正ではないというのは、深雪の恋を抱き止めて、船頭に指図するところの
 阿曽次郎(自分)と深雪と船頭と三方への遣いぶりの心配りが絶妙であったことからも伺われる。(「明石船別れ」同上)

・文昇の駒沢は心動くところ色めくところがきちんと遣われていて、しかも武士としての心得も忘れず。やはり全段通しての秀逸に違いない。 駒沢ならではこそ。しかも今回はそれをそうだと納得させた文昇の遣いぶり。
 「アア、あつぱれの侍ぢやなあ」の徳右衛門の詞はそのまま「アア、あつぱれの人形遣いぢやなあ」という賛辞となろう。(「宿屋」同上)

・婆はやはり文昇がよい。もはや定評ありと言っては文昇にはお気の毒。(「身売り」『仮名手本忠臣蔵』平成六年十一月公演)

・ここも文昇の婆はいい。段切りまで見てきた客席のおばさんが一言「あーあ、お婆さんとうとう一人ぼっちになってしもた。可愛そうに。」
 と呟いたのが印象的だった。(「勘平腹切」『仮名手本忠臣蔵』平成六年十一月公演)

・文昇の橋立は一癖ある老女形女房役を描出(「宮守酒」『苅萱桑門筑紫いへづと』平成七年十一月公演)

・文昇の栄御前は「始終政岡がそぶりに気を付け」の通りに遣って、
 その後の独り合点が十分納得できた。(「政岡忠義」『伽羅先代萩』平成八年一月公演)

・戸浪は現在浪人の世話女房、そこを文昇は見逃さず、
 また後半のクドキなど悲哀憂愁の表情がよく出ていた。(「筆法伝授」『菅原伝授手習鑑』平成八年十一月公演)

・文昇の春は一番損な役回りだが、堅実な良妻ぶり嫁ぶりはさすがであった。(「桜丸切腹」同上)

・文昇の戸浪は初段と同断で結構。ワキがしっかりしてこその好例である。(「寺子屋」同上)

・藤の局は安定した文昇の遣いぶりで熊谷相模によく対し、(「熊谷陣屋」『一谷嫩軍記』平成九年一月公演)

・おさきの文昇はいつもながらワキ固めの好演。(「吉田屋」『曲輪文章』平成九年一月公演)

・義経は大序からここまで玉に瑕なく遣い果せた文昇の地味ながらも確実な存在感。(『義経千本桜』平成九年四月公演)

・おさんの女房ぶりも舅の娘可愛さ故の憎々しさも文昇玉幸がきっちり遣っていた。(「紙屋内」『心中天網島』平成九年七・八月公演)

・人形もワキが作十郎文昇に文吾も相伴、ツレには玉輝などいい仕事をして盛り立てた。(「志渡寺」『花上野誉碑』平成九年十一月公演)

・この場も人形がすばらしく、文昇の母親が秀逸、(「甘輝館」『国性爺合戦』平成九年十一月公演)

・おわさは文昇であるが、母子の情愛は描出していた。(「弁慶上使」『御所桜堀川夜討』平成十年一月公演)

・文昇の若狭之助は何よりも伊達の語りと相乗効果であった。(「本蔵下屋敷」『増補忠臣蔵』平成十年四月公演)
 
 

以上は劇評から抜粋したものです。


「昭和の名脇役」として人々の心に長くとどめられる人形遣いであります。

吉田文五郎の直弟子であり、叩き上げの修業をした最後の世代でしょう。
戦後の因会三和会分裂期の苦労を体で乗り越えた人々の一人でもありました。

立女形格や立役格をも遣う機会が増え、
さあこれから豊かな実りと収穫を…と思っていた矢先でありました。

世話物の婆や時代物でも与市兵衛女房など当代随一と称して過言はありますまい。

二代吉田栄三の芸域に迫るところにまで達していただけに、
何としても惜しまれる死であります。

昨今の舞台が厚味に欠けるのもひとえに文昇師の姿がそこにないためであり、
その復活が心待ちにされていただけに無念この上ない思いが致します。

21世紀文楽にとっても。
合掌。