平成十一年七・八月公演  

『西遊記』

「閻魔王宮」
 開幕前に文字久大夫による解説があったのは評価できる。しかししゃべくり一本ではその効果も半減以下であった。ここはやはりミニ鑑賞教室として床の大夫三味線も人形も実際に見せてこそであろう。その時間の捻出は「祇園精舎」の前半をカットすれば十分に可能である。
 毎回新たな亡者を出して受けを狙うのはまあよいだろう。しかし馬場登場のリングコールは聞き取れなかった。大夫に語らせればよいものをここでもくだらない音響効果を狙って大失敗だ。こういうところまだまだ多い。浄玻璃の鏡に映すところ、せっかくメリヤスが入っているのに効果音が邪魔。こういうところも全編通じていくらもあった。中途半端なSFXもどきはやめた方がよい。アコースティックの方が今や耳目に新鮮なのである。大釘抜はまだまだ小さい。金棒程度のデフォルメをしないと面白くない。こういうところは変にリアルだから、本末転倒というか南鵠北矢というか…。あと太宗の三十二歳を五十二と書き換えるところ、客席に大きく書いてみせるように。子供たちがどういうこと?と不審がっていた。
 津国は明瞭で強さ大きさもあり。団吾はきちんと弾いているのはよくわかる。

「人蔘菓より釜煮」
 まず弥三郎の三味線。冒頭中国琵琶風の曲付けを見事に表現していわゆるマクラ一枚で情景描写をするという浄瑠璃の王道を行く。中堅として成長の跡が見えた。釜煮のところは下座をうまく使って結構。無駄な効果音をスピーカーから流す必要など全くないのだ。呂勢はやや聞き取りにくかったが、これは声質がオーソドックスな浄瑠璃向きだから。新作物に合わなくても一向に問題はない。

「五行山より一つ家」
 ここは『五天竺』の詞章を触りようがない。したがっていわゆる普通の浄瑠璃を聞くことになるのだが、この程度にカットすると子供たちも何とか付いてきていた。段切りの大波の工夫が良かったのと小猿のところは今回はうまくやった。伊達富助はきちんと勤めていたが、まちっと写実的でもよい。故相生の語りがここでの一典型か。本来なら切場に値するところだが、重くなってはかえってまずかろう。

「流沙川」
 沙悟浄の骸骨ネックレスも大きく目立った。千歳宗助は息の合った軽妙さでざわついている客席を床のペースに取り込んで鎮めた功は流石である。

「火焔山より芭蕉洞」
冒頭に例によって砂嵐の効果音を聞かせるが、こんなものは幕間に流しておくべきものだ。前段が終わった後の幕間に照明効果とともに次段の伏線としておけば、ああ次は砂漠のところへ行くんだなあとわかるし、幕が開けば即その情景に感情移入可能なのである。こういうところが次回への宿題である。ここは八汐首の羅刹女の表現が抜群のうまさ。松香の語り口に団七の三味線そして清之助の人形といずれも結構でした。それと清之助は芭蕉扇の使い方がうまい。これなら大きくも見えるし威力もわかる。なるほど遣い方ひとつで表現力にこれほどの差が出るものか。化け比べはやはり面白いがここも効果音は再考を願う。床とも下座ともマッチせず浮いているから逆に邪魔で耳障り。

「祇園精舎」
前半はここまでカットしたのならもはや不要だ。悟空が丸木橋を猿渡りするところがまあ少し面白い程度で、船で渡るのは前段の瓢箪船とまるっきり重複する。ここは捨身とは即身成仏とはどういうことかを説明する哲学的なところなのだが、詞章が難しくてカットしたのはこれはこれで正しい判断だ。しかし肝心の中心部をカットしたのに枝葉ばかり残したのはいただけない。「ここに五天竺第一の長者」から始めるべきだ。そこまではオールカット。この部分シタール風の胡弓演奏が抜群の効果をあげていたから、冒頭この弾き出しでマクラ一枚の情景描写をしておけばきちんとインドへ到着したことがすっと入って来よう。なるほどシルクロードを伝わってきた胡の弓で描写するとは実に見事な工夫である。こういうように床の演奏や下座の楽器で十二分に表現できるのだから、何度も言うようにスピーカーを通しての効果音はなくすべきである。それでこそ精神修行の旅である大団円に相応しかろう。世界一の大国流の経済至上モノ絶対主義では地獄行きに違いない(もっとも地獄などその科学技術力で天国に変えてみせるのであろうがね)。双六の上がりに相当するこの場、「余多の僧が出迎へ」の詞章はもっともであるのに、実際登場したのはわずかに二人。これでは旅の労苦も軽んじられるというものだ。左右にずらりと並んでもらいたい。せっかく最後の散華がきらきらしく美しかったのに、それを活かし切れていなかった。

 全体としては前回よりも一層工夫の跡が見え、これならばほぼ及第点をあげてもよい。とはいえまだまだ不十分な点も多い。次回に再び期待したい。人形について目立ったところでは、文吾に安定感があるがもう少しコミカルに動いてもよかろう。何せ子供向けだし第一にサルなのだから。玉女の猪八戒玉也の沙悟浄も同断。銀角の簑二郎は善戦だがまだこれから。羅刹女の清之助は前述、牛魔王の玉輝も一日の長。三蔵法師の和生は神妙であった。詞章については子供向けに手を入れようとして無惨な姿を晒しているのだが、これについては五年前の拙評を参照されたい。まあ当初の作演出家が存在している以上どうしようもないというところだろうから、今回は贅言を慎んでおく。
 
 

『桂川連理柵』


「石部宿屋」
冒頭の道行は呂勢とともに雰囲気を出す。呂の見台は街道筋を行く駕篭舁をあしらったもので用意周到。清友も華やかな感じを描出。唄の部分との変化もあり。ここではお半の「念願届いてよい処でお目にかかるも参宮のおかげ」に注意しなければならない。これを見落とし聞き落とすと、この作品を読み誤ることになってしまう。そこは床も人形も流石先刻御承知でちゃんと伏線を張っていた。ツレは団市。
 三重で舞台転換してからは、お半の事実ではあるが長右衛門に甘えたさも加わっての吐露、とくに「私や眠たい」の無意識な媚態は大切なところ。一方の長右衛門はこれはもうごく軽い表現、何の底意もあってはならない。このあたり呂清友と簑助玉男の表現が当を得ていた。そして「これぞ因果の始めとは結ぶの神もしら紙の障子引立て」を用意周到な音遣いで表現したのも結構(三味線人形同断)。長吉の出からは普通だが、詞章が唄へと繋がるところのカワリが今一歩。これは「酒屋」で半七の手紙を読む件にもあるが至難の業である(ちなみにSP復刻CDの駒才治は至上の出来)。七つ立ちの喧噪に一方ではお半長右衛門の後朝、ここの変化はよい。人形は落ちた簪を長右衛門が拾ってお半の髪に差し掛けるこの動作ですべてが表現されている。ここらが玉男簑助コンビの無類なところ。たまらない。絶妙。一暢の長吉はチャリよりも愚直さで勝負。丹波の山奥から出てきた洟垂れなら成程そうだろう。それでも「ゑぢかり股」などはちゃんと見せてくれた。

「六角堂」
 マクラ一枚小松は実に苦しそうで、目を閉じ手を回しながらこの地合が自然に語られるようにと必死の思い。ところが公演後半にはちゃんと声も出て語られていたから恐れ入る。その日の体調もあろうが、やはり長年の功により日を重ねると自然に語られるようになったものであろう。本来なら当然切語り、「感動まで今一歩」(『文楽のすべて』)と評された実力者、憎むべき病魔かな。惜しむべし惜しむべし。詞はさすがで、儀兵衛は底意の悪を滲ませ、長吉は正直愚直な人物像。段切りでお絹が長吉を抓るところは、夫の情事に対する抑圧された感情が無意識的に動作へ現れたものと見ることもできよう。こう解釈させてくれたのも小松の語りならではである。無論これが八つ当たりに見えるようでは貞女お絹の性根として失敗である。そこらは人形の紋寿も心得ている。三味線の燕二郎はよく小松を助ける。地合が自然に語られるようになったのも燕二郎の内助の功が一役かっているのだろう。

「帯屋」
 前半は嶋清介。ここのところ好成績が続いているが、今回も予想以上の出来で、切語りの面目躍如である。おとせ儀兵衛に長吉での前受けを狙わずにヲクリまで聞かせたのが実力者の証拠である。詞の処理も語り分けも出来ていたし、客席が湧くところはちゃんと湧かせていた。公演後半の方がより乗っていたようだが、時間は40分(ちなみにこれはかつて国立小劇場のライヴ越路弥七と全く同じである)で違わない。これも嶋清介コンビが一定のレベルに到達していることの証明だろう。以下はそれでも厳しいことを言えばの話で、かつての越路・弥七級の如き一層の高みを目指して欲しいという老婆心である。例えば「洗濯物を引き伸しの皺は寄っても頑丈作り」の掛詞経由の巧みな変化、「兄長右衛門は棒鞘の」テン一撥の変化と「一腰々に差し詰まる難儀を何と投げ首し」の間と足取り、まだ人形の玉男が勝っている。戸棚の五十両のところで観客も親子も知ってはいるが長右衛門お絹繁斎の側からは全く知らないという本心からの驚きの表現、お半の件を暴露するところでおとせ儀兵衛の側と繁斎長右衛門お絹の側とどちらを観客の胸に応えさせるかというバランスの問題、云々。もちろんこれらは今一歩か二歩であって心掛けてはいる。その証拠に「裏の隠居へ嫁引連れ往くと戻ると一時に」のところの変化と足取りはちゃんと出来ていたのだから。   
 後半は住錦糸であるが、公演前半に聞いた限りでは、ああまた例によって例の如き哉。確かに浄瑠璃は情を語るものであるし演劇であるが、それにしてもこれでは全体を貫く音曲としての流れがそこかしこで作為されているとも聞こえる。もちろんこれは変化もなく常間ばかりで足取りも単調な浄瑠璃をよしとするものでは毛頭ない。ヲクリから浄瑠璃の世界へ引き込まれ段切りの柝の音でハッと我に返るまで、安心して音曲の流れ(もちろん詞も音曲である)に身を任せているうち、その流れに浮かぶあるいは底に見える人情が自然と心に沁み入ってくる、ということがどうもしっくり来ない。匠の跡が見え聞こえ、巧みの技を見せ聞かせ、ともかく浄瑠璃を二十年聞き込んできたつもりの勘定場の耳に障るところがあるのは、耳が悪いのか聞き込み不足なのか、それならこのHPも閉鎖するより他仕方ないのだが…。一体人形浄瑠璃はカンタータ受難曲やオペラに匹敵するものであろう。歌舞伎はあくまで芝居であって音楽成分が組み込まれているに過ぎない。人形浄瑠璃は全体が音曲であって、詞地色色地合などはコトバにレチタティーヴからアリアへという比較も可能であろう。つまり見るという成分を除去しても、カンタータ受難曲やオペラも人形浄瑠璃も十分成立するものである。例えばアリアは存分に聞かせなければならない。よく、浄瑠璃は歌ってはならない語り物であるという言葉が誤って引用されるが、この言葉は浄瑠璃が音曲であるからこそその表皮をなぞるだけつまり歌うだけで満足してはならないという戒めなのであり、歌えもしないものをつかまえて歌うなというはずはないのである。その点例えばお絹のサワリ・クドキの地合など心地よさに至らなかった住錦糸の場合、勘定場としてはやはり納得できないのである。これは声質や音域の問題とは全く別である。もっと音曲の司としての浄瑠璃作品それ自体に任せてしまってもいいのではないかと思うのである。もっともこれは古靭太夫をよしとし晩年の山城少掾をストンと胸に落としかねる勘定場個人の嗜好の問題だと切り捨てられればそれまでではあるが。ともかく公演前半は納得がいかなかったのである。詞でも繁斎の灯心の例えも長右衛門の独白もピンとは来なかった。内子座でも語りそのまま本公演へと練れすぎていたのかもしれない。自家薬篭中の物となっており醸造酒として出来上がっていたのはさすがに名人の為せる技ではあるのだが…。
ところが公演後半はもう一度「帯屋」の構成から仕立て直したかのように清新であったから驚いてしまったのである。瑞々しくかつ清々しいその浄瑠璃は、至純のの流れとも、森林浴の芳香とも。繁斎の意見からしてもう違っていた。「逆様事やなど見せてたもんなや」の一言が胸を突くことこの上なく、人形の作十郎に玉男の長右衛門の反応もまた当然至極のものであった。とりわけ最後の灯心と行灯とに巧みに絡められた掛詞と縁語の表現には、長右衛門同様ただただ「差し俯く」よりほかはなかったのである。そして肝心のお絹のサワリ・クドキも間拍子足取り変化ともに非の打ち所なし。その前の部分でも川東の件から仲人の件そして「年端も行かぬあの子でももしやお前の楽しみになりもせうかと心の奉公」あたりは、これはもう実際に床を聴いていただくより他はなく、ここでどうのこうのと注釈を付ける筆を放棄させるほどのものであった。これを聴いてはやっぱり長右衛門同様「目を摺り赤め」るのは当然で、勘定場の目も潤んでいたのは我ながら恥ずかしいが厳然たる事実なのである。次の長右衛門のお絹への詫び言、これも「わるな煩悩」以下は衷心衷情無類であった。もっともその後の長右衛門の独白二ヶ所は観客の聞き取り易さを第一にしたためやや単調で平板であったが、どうやらタテ詞などは住さん苦手の部類に入るようだ。錦糸もよく弾いており、住大夫が相三味線としたのは教育的意味以上に語りやすいぴったりくるものがあったのに違いない。まあ大夫を引っ張るというのは無理な注文だし、十二分に役割を果たしているから玉に瑕でもない。それでもの望蜀は例えば「果ては桂の川水に浮名を流すぞはかなけれ」の間合いと足取りに変化を三味線の方から持っていければより面白いのにとも思うのである。
盆が廻った後に「お絹さんがかわいそう」という言葉が二十代半ばらしき女性客の口から思わず漏れたことからも、この「帯屋」後半の成功が疑いもないものであったことは間違いない。それはもちろん前半の嶋清介をも含めてのことである。
 人形はまず玉男の長右衛門が養子に継母加えて一夜の過ちと状況設定を確実に読み込み飲み込んだ遣い振りが見事。どなたにも一目瞭然というならばお絹とお半それぞれのクドキの場における遣い方を比較されればよろしかろう。次は儀兵衛の簑太郎、もはや父勘十郎の域に迫るものがある。活写してかつあくどくならず。繁斎の作十郎はよく映り、紋寿のお絹も真実心溢れる遣い方で、長右衛門との絡み夫婦の情愛をよく描出していた。もっとも深層心理での若い娘に夫を寝取られた嫉妬心とか女の性の妖しく疼く部分までをも滲み出させるには至っていないが、これは床との関係もあろうから紋寿の罪でもない。(これは例の越路弥七のライヴ演奏などをお聴き願いたい。公演記録映画会を待つか、直接劇場に視聴を申し込まれるか。)長吉の一暢はこのところチャリを持つことも多くなり、ニンではないと見ていたのだが、流石に父亀松の血が遣わせるのであろうか、悪ノリせずとも一定様にはなっている。おとせの玉松は最近ほとんど隠居役だが、これも前受けを狙わずに成功したと見たい。そして簑助である。病み上がりというのは痛々しいほどよくわかるし、公演前半では人形感覚舞台感覚を取り戻すのも大変そうに見えた。それほど以前は切れ味鋭く鮮烈な遣い振りであったということだろう。それはそれで驚異だったのだが、今後は無理をせずとも晩年の成熟が待っていよう。大病後深みと奥行きが出ることは人形遣いや三業に限らず、文学や芸術にも多くの例があるのだから。もちろん今回のお半も簑助以外では興味も半減したし、実際幼い時から胸に抱き続けていた長右衛門への恋心というよりも憧れの積み重なった思いの表現などは絶妙であった。これでこそ長右衛門の内心との齟齬も見えてくるのである。

「道行朧桂川」
結果的には心中の道行ではあるが、増補物であるし、人形遣いも肩衣を付けているし節付けも華やか。ということで喜左衛門はシンの津駒に十二分に語らせる。津駒もまた持ち前の美声を発揮するが、これが常にも増して伸びやかで上までよく届いていたのは喜左衛門の指導の賜物か。二枚目の三輪八介も長右衛門を無事にこなしていた。公演後半喜左衛門の三味線の調子が崩れた日があったのはいただけない。このような一段など赤子の手をひねるようなものではあろうが、いわば武士の魂の手入れを怠ることであるのだからいただけない。以上。とにかくここはお半の可憐さが感じられればそれでよい一段である。
 
 

『曽根崎心中』


「生玉社前」
 清治の三味線を聴いていると、この一段の節付けはもちろん、構成やら序破急やら状況に心情と手に取るようによくわかる。近松の作からしてわかりやすくシンプルであるから、何の苦もなく段切りまで聴き終えた。事の発端仕込みの一段としては他に何を望もうか。太夫も軽妙。九平次は粘ついているがこれは性根が陀羅助だからもっともであろう。上善は水の如し。さらさらさらさら。

「天満屋」
上善は水の如しとはとりもなおさずこの「天満屋」一段を勤めた綱清二郎の床の謂いである。これが音曲の司たる浄瑠璃の正真の姿である。お初のクドキもきちんとアリアになっているし、地色の表現もさすがである。また清二郎の三味線がきちんと全体構成を掴んでいるから、「天満屋」一曲全体に統一感がある。もちろん細部においても例えば「案じながらも表の方うつつともなく目にうつる夜の編笠徳兵衛の思ひ侘びたる忍び姿」のところなど玉男の絶妙の出とともに床の用意周到さは素晴らしいものがある。さすがは近松物なら前代未聞といわれた師綱大夫譲りである。初演当時の清新さをもうかがわれて実に心地よい一段の仕上がりであった。作品に語らせるとはまさにこのこと。曲節の姿もまたよくわかった。それにしてもこの床を白湯汲み場で聴く大夫がいないというのは何とも残念、というよりこれは重大な危機である。おそらく御簾内や襖裏で聴いているのであろうとは思うが、もし中堅若手がこの綱清二郎の床を放置して顧みないというのであれば、いよいよ人形浄瑠璃もそこらの演劇に苔の生えたものとしてせいぜい歌舞伎の付属物扱いに堕することに極まった。(まあ別にいいですけどね。国立の有するSPの山と昭和30、40年代のフィルムや録音を公開していただければ。)

「天神森」
団六がシンなのでこれが道行曲であることが改めてよく分かった。ともすれば心中場のBGM程度にしか聞こえないこともよくあるのだが、今回は『曽根崎』全体を通して音曲としての全体像が聴き渡せたのが収穫であった。咲大夫も英大夫も二枚目の燕二郎もその功は大である。当たり前のことだが人形浄瑠璃の床は歌舞伎のチョボではない。やはり『曽根崎』はそして近松物は人形浄瑠璃に限るなあとは今回改めての印象であった。人形は玉男の徳兵衛はもはや世界遺産であろう。文雀のお初は簑助とはまた異なる味わいがある。普段は撫子でもいざというときは死をも恐れず男を積極的に引っ張っても行くという、その積極性を秘めて遣うところが奥床しい。九平次の玉幸は今やぴったりの持ち役。お玉の勘寿は相応であった。
 しかし原作の詞章を改変したままの現行上演はそろそろ考え時である。「森の雫と散りにけり」とは人形第一の勝手な文句で近松の真意とは乖離している。この心中物第一作の清新な趣は現行の詞章に基づく曲節では表現し切れていない。二人の最期は決して哀れなどではない。至純の崇高ささえ感じさせる純愛の結晶である。死んでしまったらキモチイイこともオイシイコトももう何も経験できないじゃない、現代日本に生まれてよかった…などという感想が醜く自己嫌悪に陥るほどに自然と恥じ入らせなくてはならないのだ。これは決して死の美化などではない。死すべき存在としてかつ時空的にも極微細な存在である人間が、それでもその生を賭けて手にすることが出来る真実とは…。(いやいやこれこそ前世紀の遺物、化石的思考でしょうな。21世紀は遺伝子操作で病気はもちろん体型や性格までも思うままになるのですし、不老不死さえもうすぐ先に見えているではないですか。さあ日本人も今のうちに世界一の大国に正真正銘同化しておかないと、いざというとき捨てられてしまいますよ。古くさく陰気くさいものは文化は勿論その根本悪である言語からしてきれいさっぱり捨ててしまわないと。しかもそれは決して強制はされていないのですから。)