平成九年正月公演
『寿式三番叟』
『七福神』とは大違いでよくできた狂言である。聴くに堪え見るに堪える。シンの伊達は公演前半全く冴えず清治の三味線も苦労していたが、公演後半には格式が出て風格も備わり、これならば日の本の神々に対して何の無礼もあるまい。ワキの咲は言うことなし。これだけではいかにももったいない。四月もまたまた「知盛幽霊」である。切語り四人と伊達がそれなりの力を発揮している現状にあっては致し方ないか。日々の鍛練と修養の成果をぜひ私的な素浄瑠璃の会で示してもらいたいものである。三番叟の松香と津駒もよろしい。清治の三味線は勢いと張りがありかわり手も見事で快い。景事にしては少々厳しいのではないかという人もあるが、清浄な神舞として心の引き締まるものが感じられてこれはこれで結構。また、最後の急速調は責めすぎとの批判については、客席から拍手がわきあがってきたのは人形ではなく三味線の手柄であったことを記せば十分だろう。人形の翁は文雀である。玉男のように「神妙」とはいかないが、誠意が感じられる舞。孔明首が翁の面を着けて舞っているなという丁寧で誠実な動きであった。千歳の舞は清之助は優美で繊細、文司は質実でかっちりしたものであった。三番叟白尉の玉女こそ大きく鮮やかで見栄えのする一杯の舞で立派なもの。一方の黒尉を遣う和生は又平首で臙脂に塗ってある意味を十分体現していない。さすがに公演後半は動きもあり柔らかく、白尉との対比も感じられたがやはり不満が残る。こういうものには不向きな人だ。ミスキャストだろう。これは和生を貶しているのではない。「ニンでない」というやつである。致し方なかろう。器用貧乏になる必要は全くないのだ。
『一谷嫩軍記』
「熊谷桜」
今回は驚いた。素晴らしい出来である。切場の後半を食ったとまでいえるかもしれない。ともかく喜左衛門の三味線が絶妙で恐れ入るより他はない。三代目襲名以来、これはと感じるようなことはなかったのに、この端場一段の扱いはどうだ。カワリ間足取り、緩急強弱自在完璧に弾ききってかつ英大夫の浄瑠璃を見事極上々吉にまで引き上げたのだから。その英も「敦盛の石塔」を勢い「熊谷の石塔」と語り誤ったことなど今回はどうってことはない。むしろ祖父若太夫譲りでそのまま済んでしまうほど感情も乗っていて語り込まれてあった。とにかくこの浄瑠璃一段実に面白かった。もちろん端場の格はわきまえてある。ともあれ喜左衛門には降参である。「テモ恐しき芸力ぢやよな」。英に高望みが許されるならば、「中に勝れて熊谷が、陣所は須磨へ一構へ、要害厳しき、逆茂木の」あたりもう少し重厚さがほしかったところだが、これも公演前半と比較すると公演後半が良くなっていたから、今回は手放しで賛辞を送りたい。緑大夫との勝負も問題にならず。さあ、四月は再びダブルキャストで「道行」と「八幡山崎」、まず英に有利な語り場だが如何。しかし、何といっても喜左衛門の三味線、中堅大夫を鍛え上げる力量には一言もない。今公演随一の収穫。さて「小金吾討死」は相生とのコンビ。今から楽しみである。
「熊谷陣屋」
玉男の遣う熊谷とともに、一分のいや一厘一毛の隙もない実に緊密で格の定まった立派なものであった。時代物東風三段目の大曲を住大夫は正々堂々と音遣い絶妙に語り切った。さすがは紋下である。脱帽。劇評を書こうにも筆は捨てるより他あるまい。それでも書くとすればただ一点。熊谷物語の最後「父は波涛へ赴き給ひ」以下に及んで客席が微妙にダレ気味であったと感じられたのは私の誤謬であろうか。もしそうだとすればその原因はやはり錦弥の三味線であろう。三業一体玉男住そして錦弥、さすがに雁字搦めでそれでも弾ききった芸力の進歩はすばらしい、だが、無意識下の0.1秒か0.1%かの遅れというか抑えというか、そのためにカタルシスに至りきれない。人形浄瑠璃の快感に身を任せてしまうことが出来きれない。東風だけにそれが痛い。マクラから極々微量に蓄積されてきたその負債が後半へ来てさすがに現れ出た(もちろん傷というほどではない)ということであろう。錦弥にはつらい修業であるが、こうして浄瑠璃は伝承されて行くのだから。当方もしばらくはその観点から聴き続けよう。浄瑠璃の快楽は数年後のお楽しみとして。おそらくとてつもなく大きな快感・カタルシスに襲われるに違いないから。禁欲とは快楽を倍加させるための行為に他なるまい。楽しみだ。さて清介の切場後半である。総じて欠点もなく当方の活字床本集にも書き込みが見当たらない。では文句ない絶品であったかというと、どうも聴き終わっての印象が希薄である。どうやら端場と切場前半で完全に当てられてしまって半ば放心状態であったのかもしれない。もちろん太夫も清介もポイント(どこかは自明だから書かない)は押さえているし、人形陣が完璧であるから、これでいいのだろう。どうやら今回は損な役場であったというのが正直な所か。その人形陣であるが、玉男の熊谷は前回絶品であったそのまだ上をいく出来で、敢えて言えばそれこそ玉男が熊谷で熊谷が玉男なのであり、まさしく人形遣いにとっての神業至芸の極致なのである。眉とか引き目とか極まり型とかそういう技術的レベル(もちろん完璧)について述べることが形而下の浅ましいことのように思えてくる。人形浄瑠璃においては(歌舞伎では絶対不可能な)形而上の世界へと我々を導いてくれることが奇跡的に起こることがあるが、今回はそれに他ならない。それでいて熊谷の人間的苦悩はそれはもう十二分に表現されているのだから恐ろしい。これは切場後半の清介の持ち場でも変わらない。もはや相対を超えた絶対の域であった。相模は簑助、この絶対の熊谷を見事に受け止めて人間修羅の相対世界との行き来を自在にする。クドキの所も十分で老け女形首に貫目も備わってきた。政岡や尾上らも時間の問題であろう。弥陀六の文吾も勘十郎亡き後の鬼一首を支えなければならない一人となって大変だが、よくそれに応えている。今回は諸肌脱いだ人形拵えも問題なく型も極まり情感も乗り、くせ者の石屋の親仁は上出来であった。藤の局は安定した文昇の遣いぶりで熊谷相模によく対し、一暢の義経も大将の鷹揚さときびきびした若さとを表現しようと努めて好感が持てた。玉也と玉輝の景高も「我慢に募る横柄顔」の詞章に違わず問題なかった。なるほど、三業にこう演じられては通し狂言でなくともミドリの「おいしいとこ取り」がまんまと成功したか。が、「主君のために我が子を犠牲にする忠義」とのロビーにある解説を読む限り、制作担当者はまだミドリの森の中で迷っているようだ。
『壷坂』
「土佐町松原」
別に無理して出す必要はない端場であるが、これで相生の顔が立つ。公演前半はいつもの通りの貴大夫で、やっぱりなあと思っていたのが、公演後半に良くなって進歩のあとが見えた。しかも、これなら端場として通用もしよう。三味線もそのまま後半良く聴こえた。やはり三味線は何と言っても大夫次第。喜一朗もこれなら楽日まずは満足の終わりではなかったか。個性的で味のある立端場語りを目指す貴大夫、今後も自棄を起こさず腐らずに精進稽古努めればその芽は双葉になるであろう。
「沢市内」
昔なら追い出し付け物といった役どころ、あとは切語りへの昇進あるのみ。相生清友の壷坂なら大体想像がつく、ところがはずれた。この沢市は普通ではない。「生まれついたる正直の」その「正直」の描出が工夫されていた。人形浄瑠璃において正直者という性格が付与される者はといえばだいたいが愚直者となっている。又平首に代表される吃又や与次郎らである。ユーモラスで小心者でかつ父母兄弟妻子思いの憎めない男ということになる。この沢市は若男首だから違うというのではない。現に「山の段」になってからは詞章の上でもそこここにその典型的正直者の類型化が見受けられる。したがって呂大夫富助はオーソドックスに過去の先輩達も通ってきた路線の上を行く。そしてそれが常道であろう。ところが今回相生は愚直者でなく真っ正面から考え込み突き詰めるタイプの人物として沢市を造形した。いわば近代人としての沢市を写実的に表現したと言えばいいか。(あの住大夫の語った弥作に一脈通ずるものもあるかもしれない。)その試みは公演前半では人形(全般的によく遣っていた玉幸に紋寿)や三味線とに齟齬の感あるかと見えたが、公演後半の感情が乗ってきた語り込まれたものを聴いてみると、明治期の作品に図らずも存在する近代性を引き出して見せた手柄を誉め称えてもよいのではなかろうか。「夢が浮き世か浮き世が夢か」の唄も現実の虚構化虚構の現実化という現代社会を貫く大問題とも関連あるかと捉え得るし、そうなると、観音による救済も単にめでたい絵空事と笑っては済まされないことになってくる。それほど相生の語る沢市の詞はこちらの胸に当たったし、「見えぬこの目は枯れたる木。アヽどうぞ花が咲かしたいな。と云ふたところが、罪の深いこの身の上。せめて未来を」のところなど、この世に生を受けたものが一方的に付与された状況設定の中で生きていくことの意味を訴えかけて、聴く者に同情でも哀れみでもなく、深い共感を覚えさせたのであった。そしてその沢市と人生を共にしようとするお里のクドキも、清友の情感溢れる三味線と相まって、貞女の誉れではなく別々に生を受けた人間同士が人生の時空間を共有していこうとする、その普段何気なく当然のように思って見過ごしているところを鮮やかに提示したのであった。明治期の作品を近代の視点から捉え直す試み、相生清友のコンビはひょっとしてとんでもない課題を与えてくれたのかもしれない。
「山の段」
こちらは道具替わり三重から段切りの万歳までするすると安心して進み、満足のうちに追い出してもらった。三味線の富助も語る呂大夫も団平の用意した仕掛けを忠実に再現し、浄瑠璃としてこの作品の程度なら楽々仕上げてしまった力量はさすがである。団平百年忌記念狂言として成功を導いた。あとは正統派三段目語りとその三味線として大成する日を待つのみだ。最後、谷間の夜明けの演出は正月公演ならば初日の出としての目出度さにも通じており、照明担当者に賛辞を呈したい。
『曲輪文章』
端場の千歳大夫と燕二郎、下がり藤の見台を用意して周到なところを見せる。その藤屋伊左衛門を呼び出す端場の出来は至極上々吉。いつもながらこの人の端場には非の打ち所がない。しかも今回の三味線は燕二郎である。何をかいわんや。それでもただ良いだけでは分かっているのか怪しいとの声もあろうから、ポイントだけ。「大汗たらたら賑しき」「売りの声勇ましく」「例の高話」「ゆたけき民の門々へ囃し立てゝ」とすべて詞章通りで満点、お鶴の詞から地の部分は実は結構難しいのだが、三味線に十分弾かせておいて不即不離、しかも底に迎春気分を失わず面白い。喜左衛門のセリフから「口軽のわりには重き石臼を」と続くところの足取りに間の具合、三味線がいいし浄瑠璃も結構。まずはこんな具合であろうか。人形は取り立ててどうこう言う場でもないのだが、獅子太夫は公演前半の方(清三郎らしい)が良く、権太夫は公演後半の方(玉志とやら)が良かった。
切場は嶋大夫に団六、悪くはないはずだと思っていたが案に違わず良好な出来であった。夕霧の出を省略した前回の愚行を反省したとかで今回はきちんと出す。その意味はなるほど解説の通りだが、浄瑠璃としてはそれよりも重大なことがある。ここの夕霧の出とあとの伊左衛門の出との詞章および節付けを是非比較検討願いたい。表を裏に裏は表へ陰から陽に陽から陰へとひっくり返す演出になっている。団六の手と嶋大夫の語りはさすがにそこを見逃さなかった。この片割れを省略したとは、あらすじと主題を捜してハイおしまいという現代国語教育の過ちそのままを犯していたのであった。行間を読めない教師と浄瑠璃が聞き分けられない官吏。さて、あと良かったのは喜左衛門の詞から例の「引けば破れる掴めば跡にしはす浪人。昔は鑓が迎ひに出る。今はやうやう長刀の、草履をぬいで編笠の」聴かせどころをちゃんと聴かせるのも並大抵では出来まい。そして伊左衛門の詞の夕霧に気を及ぼし二人の中の男子への気がかりから拗ねにかかるところ実に結構でした。逆に今一歩及ばないと感じられたのが三ヶ所、まず冒頭喜左衛門の、詞から色、地色・地そしてまた詞へと変幻自在に語り分けるところ。次に伊左衛門の「この紙子の仕合せ、さらさら無念に存ぜぬ。総じて重たい俵物」以下の詞から地へカカリそして詞で収めるところ。第三は伊左衛門が夕霧を夕飯殿とか万歳傾城とか悪口言いながら最後涙にくれるところ。ここは不満が残った。しかし全体として嶋大夫団六によってしか出せない味、潤いとふくらみと弾力性をはじめとする浄瑠璃の快楽をもたらしてくれた。玉男の若男伊左衛門は「しのぶとすれどいにしへの花は嵐の頤に」の詞章ぴったりで冒頭の出から風韻で遣う神業。具体的にどうこうと言い出せば一段すべて伊左衛門の人形のあり方の説明になってしまう。が、一つでも表現しておかなければ解ったような顔をして神業で逃げるか食わせ者とも言われかねず、無駄な筆を使うとしよう。拗ね方とか育ちの良さとかその程度で伊左衛門を見せるのならば上出来でも並みの人形遣いである。玉男の恐ろしいのはそこは当たり前、「アいかさまさうぢや、恋も誠も世にある時、人の心は飛鳥川、変るは勤めの習ひぢやもの、オツいつそ逢はずと去んでくりよ。アイヤイヤイヤ、喜左衛門夫婦が志。逢はずに去んではマこの胸が」の人々へと心の動くところ情感の溢れ出るところの遣い方である。これでこそ前に脱ぎ捨てて置いた小道具の羽織も活きてくるのである。並みの上出来で精一杯の人形遣いならば、型通りに羽織を手順で使うだけだろう。そう考えると、ここで羽織を小道具に使おうと考え出した人形遣いは、まず座頭人形紋下格、明治なら玉造玉助大正昭和なら栄三というレベルの人に違いない。玉男によって我々はこれまた半世紀か一世紀に一度の体験を目の当たりにすることができたわけで、玉男の人形だけで劇場へ出かける価値があるというものである。簑助の夕霧は「扇屋の金山と名は立ち上る」ほどの傾城の器量を見事に描出、しかも男のために尽くす恋の誠というものをこれまた真実心からみせてくれた。現代日本のカップルも本質的にはさほど変わるまい。ホント男は世話の焼ける子供そのまま、それでも世話を焼く女は姉代わりと恋人と二役三役、玉男簑助が演じて見せた夕霧伊左衛門の恋模様はそのまま観客席の若者の心にピタリとはまり込んだにちがいない。我が身を顧みても一昔前………とこれは書くには及ぶまい。喜左衛門の玉松は現状の体では精一杯だろう、おさきの文昇はいつもながらワキ固めの好演。
『合邦』
中、ここは年功を積んだ立端場語りクラスが切場紋下の露払いとして無技巧にさらさらと語り、そこに自然と老夫婦の情感が乗っかるようにするしかどうしようもあるまい。常の端場とは異なり中堅若手が頑張ってみてもどうもなるものではない。不可能ではあるが今の小松か相生かが語ってモノになる程度の代物なのだ。したがって緑大夫宗助に対しては当方も回向を申し上げるよりほかはない。それでも最後の「夫の心汲む妻は」から「袖は清見がせきとめて、涙押へる鉦の音」はいい手いい節付けでちょっとした聴かせどころとなっているから、快感をくすぐっておくくらいの仕甲斐はあるのだが、緑宗助のニンではなくやはり南無阿弥陀仏と申し上げる。四月の「八幡山崎」にも御同情申し上げるが、どうするかは楽しみでもある。
切は織大夫と清二郎の親子というよりゴールデンコンビ。現在最高のコンビである。確かに芸格芸歴では住錦弥コンビと好一対なのだが、そこが親子というものか、息がピッタリ以心伝心、0.1も0.01さえも隙間がない。(だから、三味線もよくついていったなどという感想文は的外れもいいところで、それを敢えていうなら錦弥の三味線の方だろう。)しかも亡父亡祖父藤蔵の三十三回忌追善となれば、気合いもさらに加わろう。マクラから助走を付け玉手の怒りから加速し、百万遍の念仏で絶頂を迎え圧巻、あとは三味線に任せて段切りへ、という構成公演全般を通じてのコンセプトだったようだ。しかし公演前半と後半とでは明らかに違っていた。公演前半の浴びせ倒し怒涛の突き押しは、現代の分別臭いねちゃついた音曲の司としての浄瑠璃の流れを無視したやり方が主流の中にあって実に好ましいものである。とはいえ、そこここに張り巡らされた三味線の手と節付けの快感を語り響かせるには至らなかったため、玉手御前の倒錯愛(偽であれ真であれ)の妖しい官能美を表現できないまま終わってしまった感があり、父合邦や母親の情感も上滑りのきらいがなきにしもあらずであった。もっともそれはそれで全体としての勢いに満足の感をもって劇場をあとにしたのである。ところが公演後半はというと一気呵成にやや翳りが見られたかと思うや、「駈け出る玉手」以降の語りの丁寧さ、玉手御前の詞に重点を置くやり方へと変わっていった。いや変わったというより公演後半になって情が乗ってきたというほうが適切か。それに比して文雀の遣う玉手の人形にも前半以上に味わいが出た。例えば「何の思はう思やせぬ」など前半は流れていたのに、後半では玉手の真情が思わずほとばしり出るというように語られそう遣われた。また、「後を慕うて知らぬ道、お行方尋ぬるその中も君が形見とこの盃、肌身離さず抱き締めて、いつか鮑の片思ひ」のところなど、官能の倒錯の味わいも感じられ、これでこそこの恋は偽りか真実かとの論争が巻き起こるのももっともと思われた。文雀の人形も玉手の妖艶な美を描出していた。そして手負いになってからは親合邦と母親との親子の情愛を大切にし、百万遍の念仏へと到達たのである。するとどうであろうか、三味線が一音上がって「とりどり」と語り出されるや客席の様子が公演前半とは一変したのである。「俊徳丸を膝元へ」もうこれが尋常でない、縋り付いたあと浅香姫へ頼みますとの挨拶もただの儀礼ではなく、(継母としてではなく)一人の女の命に代えての愛を捧げたこの男のことをどうかどうかという、恋する女同士の目と目で解り合うぎりぎりのところの描出になっていたし、「母は涙の目も明かず」に至っては客席目を潤まし涙しない者はないという状態、かく言う私自身が公演前半では流すことのなかった涙をこの時ばかりは抑えきれなかったのであった。舞台も客席も感動感激の涙の中での南無阿弥陀仏。これでこそ百万遍の念仏は正真正銘圧巻と呼ぶにふさわしい。それにしてもやはり「合邦」はよくできた曲である。古靭清六のSPで幾度となく確認済みではあるが、本公演の舞台において久しぶりに実感した。越路大夫が語って以来十何年ぶりかであろう。もっとも老夫婦のやりとりから玉手御前が納戸へ入るまでや俊徳丸の表現には物足らぬ部分はあったが、前述の通りそれらを帳消しにした。それにしても清二郎の三味線は才といい技といい音といい、それが織大夫の浄瑠璃とピタリはまって引き立てられ、しかも逆に織大夫の浄瑠璃を以前にまして輝かせてもいるという実に幸福な関係にあるのである。近松物の第一人者などという有難迷惑な囲いの中へ押し込められるかに見えた織大夫にとってもこの相三味線はまさしく救世の舟、そういえば四月は「渡海屋大物浦」、住大夫とはまた違った行き方が今から楽しみ楽しみ。人形の玉手御前は前述の通りだが、文雀は自己犠牲の覚悟を決めた上で偽りの恋を仕掛ける玉手御前として遣う。やはり後半部分の方がよい。合邦の作十郎も後半本心を吐露してからがよく、都合前半の思わず娘大事の本心を吐露するところもいい。合邦女房はこれはもう娘可愛さの裏なし表一本、情愛あふれる遣い方は紋寿、もう少し枯れてもいい。入平の玉幸に俊徳丸の勘寿、型通りだがそれでいいと思う。浅香姫は公演前半の方に大いに問題あり。合邦が玉手を刺したあと上手でひとり離れているわけで、観客の方も見向きもしないし別段動きもないところだが、この悲劇を冷然と見つめていた表情は何だ。「フン、自業自得だわ」という冷たいものが浅香姫の人形には見えた。首の傾け方や袖の遣い方など何の心遣いもないからこういうことになる。大いに反省すべきである。(番付を見ると玉英と書いてあった)
『連獅子』
正月公演全体を通しての追い出し景事という位置づけであり意味合いででもあるのだろうが、『曲輪文章』の端場がいわば目出度い景事の代わりになっておりしかもハッピーエンドなのだからこれは大夫三味線陣を捌くための狂言としか思えない。もったいない限りであるが、他の演目がまず全体としてどれも成功裏に終わったから、この贅沢な床と人形で耳目を喜ばせるのも悪くはなかろう。がこれは一度で十分だ。したがって二度目は『合邦』が終わったところで気分良く帰ったのであしからず。やはり簑太郎の子獅子、想像していた通りに加えて子として親に甘える姿がいじらしくも愛らしくて結構。ここらへんまで気が回るのが簑太郎の天賦の才か。そのおかげか雄獅子の文吾に厳しさと貫録が加わり、雌獅子の一暢には柔和さと情愛が乗っかった。子が子らしきが故に父は父らしく母は母らしくという訳である。大夫三味線陣も手摺の熱演が伝わっても来たろう、全体として豊かにかつ美しくて高レベルの景事であった。
正月公演の出来からいって、四月の『千本桜』は大いに期待できる。しかも今回は企画制作側も「大物船矢倉吉野花矢倉」と角書を出して、初演より貳百伍拾歳に何何とする伝統の中に位置付け、「北嵯峨」も「狐の段の跡」も上演するという。伊達の初段切に綱清二郎の二段目切、三段目切はこれまた東風でかつ世話がかってもいる「鮓屋」を住錦弥に後半清介、しかもここはその前に「椎の木」に小松を「小金吾討死」に相生(喜左衛門)を配している。そして「狐」は嶋団六で嶋は前回から勉強したに違いはない。人形陣は言わずもがな。こう見てくるとどうやら現状の人形浄瑠璃文楽は平成の黄金時代21世紀への明るい展望が伺えるではないか。これも越路大夫や玉男の指導によるか。ここ数年で随分質が高まったと感じるのは私だけであろうか。ともあれ劇場に足を運ぼうという気にさせてくれているのだ。