平成九年四月公演  

『義経千本桜』

 大序の四人は精一杯に語っていた。好ましい姿勢である。始大夫は一点「皆白旗と時めきて」をともかくも届かすこと。届かないなら挨拶だけしてうまく逃げようとするのはよろしくない。ひきつろうとも裏返ろうとも頑張る突っ張るのが大序の格というものだ。呂勢大夫は義経の物語を颯爽と語って心地よし。咲甫大夫は語り分けに心を配り及第点。新大夫も一本調子なのは気にかかるが「一度に開く千本桜栄へ久しき」と語り納める手強さあり。と、この四人衆は南都文字久文字栄の先輩三人組に勝るとも劣らない。三味線陣も手や音を少々はずしても一杯に弾いていたのは結構である。人形は朝方が口開き文七の悪根を表現するには弱いと言えば言えるが、これだけの出番では言う方が酷だろう。さて制作担当者に苦言を一つ。時間の関係で所々詞章をカットするのはやむを得まい。しかし、それが浄瑠璃を解体し意味不明なものにするなどは断じて許されない。もっとも、そんなことは百も承知であろうし、そんな愚行はしておらぬとお怒りでもあろう。では尋ねるが「例をここに唐倭」とはどういうことか。無論陶朱公范蠡と九郎判官義経である。ならばなぜその前文「五湖の一葉の波枕西施の美女を伴ひし」を削除したか。これこそ静御前の謂いではないか。序詞は格式があるゆえ文体も故事も漢文調なのであり中身はどうせ観客にはわからないしそれでもかまわない。なるほどもっともではある。しかし西施はわからずとも、「美女を伴ひし」はわかるぞ。そして、ああこの美女とは静御前のことだなとまず納得するぞ、観客は。時間にして僅か十秒にも足るまい。次回には復活していただきたい。名実ともに通し狂言に値する大序として。

「北嵯峨」
  秀逸である。千歳大夫の浄瑠璃は実に見事なものである。素浄瑠璃で聞くに堪える、いや聞くに値する。三味線の宗助がこれまた素晴らしく、二人でよく研究していることが聞き取れる。筆者と同年齢のこのコンビが弾き語る浄瑠璃とともに当方も年を取ることができるのかと思うと、心からの喜びに堪えないものがある。次回の『千本桜』ではぜひとも「八幡山崎」を勤めてもらいたい。さて、マクラが例によって用意周到で、こう語られると楽天の詩になぞらえた文意も活きる。以下段切りまで語り分け弾き分けの妙は書かずとも、次の一例のみで推して知るべし。「狭布の細布身狭なるさもしき小袖ぬぎ捨てて卯の花色の二つ襟うきに憂き身の数々は十二単の薄紅梅思ひの色や緋の袴いでそよ元は大内に宮仕へせし晴れの衣引き繕ひ」のところ、人形が着替えに入って再登場するまでもなく、もうこの浄瑠璃を聞くだけで華麗なハレの衣装が目に浮かんだのである。あとで本を確認すると「キン」の音の連続。宜なる哉である。見事なものだ。この変化に比すると「すしや」の若葉の内侍はさほどでもなかった。無論それは人形のせいではない。

「堀川御所」
  ここも上出来。伊達大夫を引き(弾き)立てた清治の手柄。伊達も清治も浄瑠璃の流れが滞らず上滑らず。もたもたねちゃねちゃ伸び縮みが耳につきもういい加減にしてくれと叫びたくなる切語りもあるというのに、このコンビには浄瑠璃の楽しみ快さが備わっているようだ。何と言っても問答が秀逸である。とくに謀叛の件は虚実あり真実心あり。川越と卿の君とのやりとりも誠があったが、武蔵坊弁慶の件がまた逸品。当の弁慶は跡で登場するわけで、義経主従と腰元とのやりとりだけで語り聞かせるのは並の手際では不可能。面白くできて観客を引きつけたのは少なくとも初段切語りの格であった。快哉と叫びたい。人形は川越(作十郎)がさすがの芸格で鬼一首を遣い、卿の君(和生)は娘首の赤姫とはいえ義経正室としての風格をきっちり見せた。
  跡はオクリではなく三重で始めるべきだ。「世の成り行きぞ」b是非もなき と語ってこそ動きが出る。オクリでは納まってしまって次の「跡は貝鉦鯨波震動するも理や」がことわりにならない。で文字久はと言うと面白くない。弁慶の人形を活かせていないし、土佐坊の与勘平首も同断。真面目に浄瑠璃を語っていて好感が持てるし、語り分けの努力もしている(公演後半はそれでも大分良くなっていた)のだが。前述の大序四人衆が力を付けてきているだけに頑張ってもらいたい。そういえばかつて筆者が山奥から片道三時間以上かけて劇場通いをしていたとき京阪電車を利用していたのだが、終演後千歳大夫と同じ電車になることがよくあり、その時彼は声こそ出さね終始語りの工夫練習をしていた。あの頭は一目瞭然だし口の動きを見ればそれは明らかだった。無論文字久も真面目な青年だから油断怠りはないと思うが、文字どおり人一倍の工夫(君には敢えて努力とは言わぬ)をお願いしたい。人形は簑太郎にもう一つ生彩が欠けていたのは何故だろう。彼ならさぞ遣ってくれるだろうという先入観が災いしたか、あるいは時代物通し狂言の格を考え遣い控えたか、いずれにせよ簑太郎の弁慶としては物足りなかった。もちろんそれでもキズなどはないのであるが。一方玉女は極上の出来。詞章を良く読み込んでおり、動きは適切型も決まりで、的確な写実的描写が大団七の首を十二分に活かし切っていた。もちろんこせこせと細部にこだわっているわけではない。公演記録映画会の玉昇に迫ると見たが贔屓目だろうか。

「伏見稲荷」
 マクラ「浮世は夢の伏見道」に都落ちする義経主従の哀愁が感じられただけでも津駒(弥三郎)の周到さ芸力の上達は明らかである。ここも詞章カットに問題がある。「さあこれからはこの静が君のお供をするやうにとりなし頼む武蔵殿」と語るのに静から義経への取りなしが見えぬ。このカットも何分もかからぬ程度のもの。復活を望む。人形の速見藤太は前半(和右らしい)が面白い。性根を良く捉えている。すなわち手先足先頭をちょこちょこさせるだけで遣うというやり方。後半(清五郎とか)が鼻動きも含めてよく動き狐忠信の幻術を明快にしたのも評価できるが、この人形本体を動かさず体の末端先端部分だけを遣って安っぽい鈍重な白豚風の人物造形をやってのけた(現在でもこういう男はよく見かけるタイプ、女の子に全くもてない典型例)ことを評価しておきたい。こういう工夫(あの「寺子屋」のよだれくりのような浄瑠璃芝居の流れをブチ壊す遣い方は論外である)はいい感じ。

「渡海屋大物浦」
  口は三輪大夫と八介。マクラで一・二の音の弱さが改善される兆しが見えてきたことを言祝ぎたい。銀平が怒りだす前までの語りがやや重く町人の軽いノリに欠けていたが、次回までには改善していよう。あとは一音上がってからの舟歌の部分が明瞭さに欠けて流れてしまったのは残念。ここは華やかに聞かせて「幽霊」に繋げなくては。そのために口であるにもかかわらず一音上げてあるのだから。
  中は咲大夫団七。白木の見台に銀紋打ち出し肩衣も白銀と用意周到。短くともここにすべてをかけるという心構えであろう。無論玉男一世一代の知盛への挨拶でもある。こういう所にも凝ってもらいたいものである。床はそれに違わず聞きもの、人形は玉男が一世一代の見もの。この極まり型ぜひとも記憶しておくべし。人形遣いも観客も。
  切は綱大夫清二郎。伊達清治の所で述べた美質はこの親子コンビにもそっくりそのまま当てはまる。とにかくマクラを語り出してから段切りまで、浄瑠璃にすっぽりと身を任せることができることの至福。それはさておき、今回特筆すべきは津大夫以来久々に知盛の執念悲壮美が現出されたことである。玉男が知盛を遣っているからにはこれまでも無論表現されていたことは確かなのだが、床がもう一つ轟然と突っ込んでこなかったために、白昼夢の幻想程度にとどまっていたのだ。なるほど智将としてのかっこいい知盛は描かれていたのだけれども。しかし本公演(初役)のとりわけ後半においては、「思ひ込んだる無念の顔色眼血走り髪逆立ちこの世からなる悪霊の相を顕すばかりなり」のものすごい形相描写や六道地獄に言寄せて語るノリ間のあたりなど、玉男一世一代の知盛を軸にまぎれもなく三位一体となった舞台であった。そして今回この知盛に涙することができたのである。これまでは安徳帝と典侍局の入水の件に涙を催されることはあっても、この知盛に対しては感激するか驚嘆はしても男の悲しみ涙は流せなかった。「太十」でも光秀で泣かせることは至難の業であるように、この知盛においても公演記録映画会を除いては不可能であったのだ。(先代綱大夫弥七のテープはそこを見事にクリアーしているのだが、いかんせん綱大夫の衰えが明らかで、そのことに対して流す涙も少なからずあったのである。)しかもここでの悲壮美の現出は段切りの碇知盛にまでも影響を及ぼしている。この入水場面は毎回玉男の遣いぶりに感銘を受けながら、死して名を残す知盛のかっこよさにカタルシスを感じていた。本公演の前半もそうであった。ところがこの後半においては悲痛悲壮な思い(無論これもカタルシスである)に覆われてしまったのである。考えてみれば、「そも四姓始まつて討つては討たれ討たれて討つは源平のならひ」と知盛の言葉にあるとおり、それこそが武士平知盛の存在理由なのである。この時点で滅びることは恥でも不義でもない。「生きかはり死にかはり恨みをなす」ことが現世での自己の存在意味を来世に繋げ、そして永遠の輪廻の中に自らを位置付け関係づけることなのである。それなのに「きのふの仇はけふの味方」と語り「莞爾と打ち笑む」知盛とは。それはとりもなおさず輪廻を離れた姿であろう。それはまた三段目切の維盛の姿と同じである。しかし、それはまた現世での己の存在理由を無にすることである。存在意味を失うことでもある。(そこまで至らせたのは帝の言葉である。帝にさぶらひ守護し奉ることこそが桓武平氏の出自からなる使命であるのだから、それはもっともなことである。そこに不快感を抱くものがあるとすれば、それこそ敗戦後アメリカによって刷り込まれた価値観に操られている大新聞A紙の記者の如き御仁であろう。)そして入水する知盛はかっこいいはずがない。「名は引く汐にゆられ流れ流れて」とあるから名誉なことではないかと言われるかもしれない。がそうではない。「あと白波とぞなりにける」なのである。それは「日向島」の段切りで景清が重盛の位牌を海中に投ずる場面と軌を一にしている。陽気な舟歌に乗せて娘糸滝との再会も果たせ都へ帰る景清などではない。(あの場面での玉男の遣い方も記憶に留めておかなければならない。)重盛の位牌こそ彼の存在理由、両眼を抉り出し乞食非人に身を落としてまでもこの現世に生き長らえることの意味であったのだから。それを捨て去る景清そして知盛。今回の碇知盛の何と悲しかったことか。綱清二郎の勤める床の賜物であった。溢れる涙を留めかねたのは、存在理由や生きる意味を求めてさまよう現代人の実存的状況のそれはまさしく裏返しであったからではなかろうか。人形浄瑠璃とりわけその時代物を封建的精神の遺物と切り捨てて済ましている人々の、何とお気楽で極楽トンボであることよ。まもなく訪れる激動の生の現実、薄っぺらい理想や勝手気ままな自己目的性などがあとかたもなく崩壊するとき、その人々の慌てふためく顔が見ものである。(そういえば先日のペルー人質事件の解決のときにその種の人々は早くも狼狽し暗澹としたであろうことは想像に難くない。)さて、他の見るべき点は二人の注進の躍動感。前後のバランスをとりながらかつ欲求不満にならないように語るのにはやはり颯爽とした三味線が必要なのである。とはいえ典侍局と安徳帝の件は情が流れてしまった。品位もあったし公演後半での改良改善のあともあきらかなのだが、さすがに住大夫には及ばない。観客も少々ダレていたかもしれない。それでも不快感を催すことなく保つのは、最初に述べたように浄瑠璃の流れの中にあるからだ。ともかく今回はここ数年聞き慣れた住大夫とは違う浄瑠璃を堪能できたわけで、これも楽しみの一つなのである。しかも玉男一世一代の知盛とピタリ一致したというのがたまらなく喜ばしかったのであった。他の人形陣も皆好成績で結構。前半に遣った(紋秀とや)安徳帝に品位がより感じられたのは、典侍局の文雀の支えが過半なのは言うまでもないが、動けぬ幼帝のちょっとした仕草に工夫をしたからかもしれない。もちろん後半の帝もあれで十分なのであって、これで前受けを狙おうなどは前回のよだれくり同様の首落ちものであるのだから。

「椎の木」
  口の呂勢大夫清太郎はこんなものだろう。語り場自体どうというところでもない。文字久団吾の初段跡を勤めさせたらもう少しやりがいもあったろうが。それでも言うとすれば、マクラ若葉の内侍主従の出の所、三味線は鐘の音を描写し下座は太鼓を長撥で叩いて夕暮れの雰囲気を出す。その中へ都から高野へと憂き辛い旅の道中は…という感じが描出できれば千歳宗助のレベルに近付けるのであるが、それは今の二人にはどうもまだ酷なようだ。
  奥はいがみの権太はゆする前と後の変化、小金吾は若気の血気、女房小仙の情愛とそれぞれ描出されており満足すべき出来なのだが、どうもひとつ物足りないというか気が済まないというか。結局はいがみの権太の造形がすべてであるようだ。これは床(小松大夫燕二郎)にも人形(玉幸)にも言えることだ。この小団七首を主人公とする劇作は容易ではない。小悪党といえばそれで済むは済むのだが、それがシテとなると単純にはいくまい。まずとりあえずは当面の目先が利く眼光の鋭さ、さすがに梶原や頼朝とは格違いで命をかたり取られるとしても、小金吾の青二才と足弱に付け込むくらいは何でもあるまい。とすれば、小金吾の刀も本気で切れるわけがないとはお見通しのはずで、おびえてみせるのも相手の上をいくポーズである。だが今回の権太は本気で恐れるブルブル震える。茶目っ気を出すつもりだろうが、あれでは「年貢米を盗んで立銀その尻がきて首がとぶのを庄屋のあほうが年賦にして毎日の催促その金済まそで博奕にかかり出世して小ゆすり衒り」という不貞不貞しさが生きてこない。鑑賞ガイドの「野暮で小心だが愛嬌のある性格」という説明も不足しているのではないか。もうひと回り大きな人物造形、眼前日々の人間世界の現実を実体験から見透かしている度量とでも言うべきものの表現が欲しいと思うのだ。床几を楯に小金吾の刀をかわす見せ場も、怖じ気て震えるのは一瞬にしてジロリとあの大目で小金吾を見透かす遣い方が必要ではと考えるが、師の玉男丈の思し召しはいかに。小金吾と別れるときも同断。そして「コリヤ善太よ日の暮から寝おんない夜通しせねばおれが商売は譲られぬ」の面白さと「テモマつめたいほでじや」にちらりと見せる性善の情愛と。ところがこれらが全体を通して型通りで興趣を誘うに至らず今一歩。詞語り小松燕二郎をもってしても権太は難物。まして玉幸は人形の段取りに一生懸命でこれはもう仕方あるまいか。この立端場一段、なるほど横綱大関が強い番付の関脇小結格をもってして初めて仕果せるものという、明治から昭和初期までの芸談が語る真実が今回身にしみてよくわかったのである。人形についても多為蔵とか文三とかの力量を偲ぶよりほかないようだ。

「小金吾討死」
 佳品。まず一暢の遣う小金吾がいい。源太首の性根を良く捉え、しかも今回立ち回りをはじめ型が見事に極まり見ていて爽快、客席から手の鳴る日があったのも頷ける。さらに手負いになってからは哀感あり、観客の涙を誘ったのは上々の出来であった。またそれは床の相生大夫喜左衛門および紋寿の若葉の内侍がこれまたきちんと自分の仕事をしたからで、もうかる役場であることを差し引いても、称賛に値する。それは若葉の内侍のクドキに客席が共感していたことや、五人組の出からは相生得意の語りと動きで観客を掴んでいたことからも証言できよう。今回第一部に比して第二部の出来が思わぬ期待はずれで肩すかしを食った箇所が見受けられた中で、この立端場奥の成功は一服の清涼剤。浄瑠璃にあたって気分が悪くなるところを救われた助かったという感じである。なおそれは食前の薬として役立った。

「すしや」
 懇切丁寧でわかりやすく明瞭明快、現代の人形芝居の床としてこれ以上のものは望めない。種々の芸談に記されているポイントはもちろんきっちりと押さえて離さず。しかも観客は堪能したし人形は動きやすかったろうと思う。住大夫(錦弥)風の典型的な奏演としてビデオに録画保存すべきものであった。音声だけの録音保存ではいけない、是非とも映像入りの録画でなくては。今回の「すしや」の主役はお里である。床も手摺もそう語りそう動く。簑助は地位身分家柄とは無縁の娘を遣うときその本領を発揮する。近代的現代的センスにそれが合致しているからだ。例のクドキの最後で維盛の膝をしたたかにつねる仕草などその典型であろう。現代の観客の共感を一二〇%呼んだに違いない。朝日のU氏も満足なはずだ。玉男の維盛はこれはまた別の意味で絶佳である。地位身分家柄のある若男を遣うとその気品(というよりもはや気韻の域である)の溢れること、私が女性でも一目で落ちてしまうに違いない。そしてその気韻のベールというかオーラを感じて、とてもつねるなどできるはずはなさそうだ。「利口で伊達で色も香も知る人ぞ知る優男」の詞章そのまま。こういう人形を脳裏に焼き付けておいて古靭友次郎のSP復刻版を聞くと、もうもうたまらないたまらない。至上の喜び至福の時間。昭和四〇年代以前の日本に生まれ育ってよかったなあと心から思うのである。弥左衛門の文雀はこれが映るようになったのは自身の芸格のなせる技。こういう人形を例えば中堅のうまい所に遣わせて比較すると良くわかる。こういう「遣う」は他動詞ではなく自動詞にならなくてはダメなのだ。若葉の内侍の紋寿は安定感あり、女房の文昇も世話物の婆はもはや持ち役である、といっても婆役に押し込められているというのではない。実に結構なものなのである。そして肝心要の権太は玉幸であるが、一生懸命遣っているし観客に受けるところもしっかり受けているから悪くはない。しかし、例えば「目をしばたたき」で人形の目がちゃんとまばたいているかどうかを一々確認していたことなど、やはり今回は手順通りに権太の人形を遣うことで精一杯であったようだ。再演再々演に期待したい。
 しかしこの「すしや」前半の調子で後半まで丸々一段語っていたらどうなっていただろうか。そう思わざるを得ないほどのたっぷりと長いだるい浄瑠璃であった。個々の部分については人形も含めて懇切丁寧であるのに、全体を通してはもう倒れそうなほどイライラしそうなほど胸がつかえそうなほどなのである。それでいて、古靭友次郎のSPを聞いて若葉の内侍の出の所とそのクドキの浄瑠璃を口ずさむようになった経験とも無縁のようなのだ。これはやはり浄瑠璃の流れに乗っていないからであろう。都会を走る車がいちいち信号で止まっては加速しまた止まっては加速するように、恣意的なゴーストップが多い燃費の悪い浄瑠璃とでも言えばよいのだろうか。三味線も同様でやたらともってまわって弾いている。正月公演の「熊谷陣屋」が身動きできないほどの完成品であるように思われたにもかかわらずなぜ快感やカタルシスに至らないのだろうと不思議であったのも、実はこれと同じ原因ではなかったのか。思い入れたっぷりの芝居第一の浄瑠璃、人形芝居の語り手と伴奏役としては完璧であろう。文楽とは人間がやる歌舞伎を人形でやっているもの。観客のほとんどがそう思っているし、イヤホンガイドも隣近所から傍若無人に漏れ聞こえてくる内容から推察するとやはりそうだ。住大夫風は平成文楽の定番といってもいい。まぎれもなく当代最高である。が私自身は御免蒙りたい。この「すしや」を聞いた耳は浄瑠璃の流れで洗いたいと思う。これこそまさに漱石枕流、こんなことを言う偏屈者は誰からも相手にされなくなるのは覚悟の上であるが…
  というわけで、住大夫(錦弥)の後を勤めるということはそのまま損をするということである。疲労困憊、魂も何もかも吸い取られてしまった後だから。正月も今回も清介には何の罪もないのである。とはいうもののあと半分、こっちも「後を慕うて」で腹帯が切れるほどの芸はもう期待もしていない(古靭友次郎のを聞いているとその芸談は実話だと確信できるのだが)。が今回は権太の述懐のところが人形も床もこれなら確かに「血を吐く」思いだと上出来だったから、思わぬ収穫に喜びを覚えたのである。さすがは切語りであるし権太を遣うだけの力量である。弥左衛門と女房それに小仙と権太がうまく絡んだからでもある。そして段切りをうまくさばいたから一段終わってそれでも心地良かったのであった。今回は清介に感謝したいと思う。あと人形では梶原がさすがに持てない。玉也も精一杯だがこれも弥左衛門と同じで伸び盛りの中堅が何とかできるものではない。しかし玉也がそれこそ晩年にこの人形を持ち役にすることになるであろうことは間違いなかろう。あとはやはり維盛、「怒りに交る御涙」「願へど叶はず打払ひ」とか詞章を腹に入れて維盛の性根で遣うところを見逃してはならない。ちょっとしたところではっとさせられる。名人芸というものはそういうものなのである。あと一文笛はホイッスルはやめてもらいたい。呼子笛のピーという音でないと。何か体育の授業かスポーツの集合隊形か変な感じで気がそがれてしまった。

「道行初音旅」
 鮮烈にして目覚ましく、耳目を驚かすとはまさにかくの如きものを指すか。なるほどこれならば簑助が黒塗りの笠を野暮ったいとして捨てて顧みないのもうなずける。床も清新鋭細でシンの呂大夫富助はこの簑助風道行によく応じ、ワキの松香大夫はそういえば彼は松大夫の弟子だったのだと再評価し、二枚目三枚目宗助清二郎の二度目の出演は俊英な若手のあるべき姿であり、文吾の狐忠信も公演前半は予想通り簑助の静御前に押されっぱなしのツレであったが、後半には立派にワキを勤めて次代座頭級の芽を双葉に育て上げたか。それにしても今回の道行は前回に増して完成された極めつけの現代版平成の道行であった。(その意味では住大夫の「すしや」と好一対であった。)ゆったりもはんなりもなく、満開の桜も花吹雪の幻影を現出せず、この桜の下には死体も何も埋まってはいないのだろう。妖艶さは皆無で、よくこれで狐忠信が変化して出られたなあと思うばかりであるが。解説書の編者はそれを見越していたのか、橋本治に今は無き正統的な(劇場制作側からすれば現代の観客のニーズにマッチしないオールドファッションの)道行がもたらす幻想的快楽「判断停止に陥って…ただボーッとしてしまう」陶酔を書いてもらって、本公演の舞台からの訣別の辞としたようだ。幸いこの幻想的快楽は公演記録映画会で体験することができるし、「綱大夫全集」のLPではそれを耳からだけで再現することも可能である。世界文化遺産に日本の伝統的古典芸能が登録されるとするならば、「文楽」ではなくこれらVTRやSPなどにしていただきたい。この道行なら無機質材のコンクリート打ちっ放しのような背景でも十分にやっていけるだろう。劇場制作側待望の未来派文楽の誕生である。橋本治が体験した道行はそうはいかない。日本的自然観価値観がその裏打ちとして存在しているのだから。不自由で不便で面倒くさいものなのである。

「河連法眼館」
  中の英大夫と清友は例の「八幡山崎」の件はもうひとつ冴えなかった(高音が不十分なのではない。一・二の音が行き届いていないのと、はんなりとしたのびやかさがまだ体現できる芸格にないことが原因である。)が、二上り歌からマクラへと思ったよりは上出来で(しかし「音じめも世上忍び駒」が至らない)、そのあと男ばかりの問答を四段目の格をわきまえながら進めるという至難の場を立派に勤めたことが大きな収穫であった。前回の津駒とはさすがに一枚上手である。
 切の嶋大夫は今回団六を迎えて前回の雪辱戦に臨んだ。全体を通して語りにふくらみが出たのがまず成功で、狐の鳴き声の工夫は見事、そして源九郎狐の述懐では客席をしんみりとさせ聞く者の心をしっとりとさせたとあれば、まず切語りに立三味線のコンビの名に値する。しかしここから、当方の耳が悪いのかは置くとして、少々気がかりの点を述べてみたい。まずマクラである。ここのところ嶋大夫の語るマクラを聞いているとどうも音程が不安というか所期の音に届いていないというか掴んでいないというか、はっきりしないと感じるのである。三味線と不即不離というレベルではないと思うのだがどうであろうか。越路師にお伺いしてみたいところである。それと狐詞(鳴き声ではない)である。あの長々とした述懐は同じ型の繰り返しからなっている。すなわち詞から始まってカカリから地へそしてフシ落ちという流れの複合体である。その語り出しの詞が口捌きの巧拙もあって気持ちが乗ってこない。カカリも音遣いが未だしで、地はというと腹から咽喉まできばって語るから浄瑠璃にゆとりがない。そしてそれを受けての義経の述懐も迫ってこない…。とはいえこれは嶋大夫だからでは済まされまい。前回詳述したように、やはりこの「狐の段」はただものではないのである。動物ものとケレンで客を呼ぶような代物(現代的観客の典型であるA紙のU氏はまさにこの二つで感激していたが)ではないのだ。少なくとも浄瑠璃が人形芝居の付属品すなわち録音テープを流すことで代用などできるはずもない限りにおいては。それにしても狐忠信が春霞とともに消える裏六法の所の団六の三味線、あの哀感はさすがであった。人形の文吾もよく遣ってケレンに頼らずとも出来たと言ってよいだろう。ここの静は公演前半は狐忠信の詮議のあたりなど例のオーバーアクションではと危惧したが、公演後半はさすがに分を弁えて遣い、このあたりが簑助の簑助たるところである。目立ちたがりのただの前受けスターであったならどれほど批判しやすいことか。一刀両断しようとすればこちらが返り討ちに合うのだから。恐ろしき芸力。
 跡はこれでよろしい。貴大夫も津国大夫も一杯に語っている。覚範教経の口あき文七、一仕事も遣う間もないのだが、簑太郎が遣うと大胆不敵の凄みと大きさが現出するから不思議なものだ。やはり彼は紛れもなく勘十郎の子息である。義経は大序からここまで玉に瑕なく遣い果せた文昇の地味ながらも確実な存在感。亀井六郎の清之助と駿河五郎も出突っ張りの割には損な役回りだが、「八幡山崎」の前半にきちんとした働きを見せていたのが好ましかった。

 最後に、「大和言葉の物語その名は高く聞えける」なるほど初演以来二五〇年の今日まではなんとかそうであった。しかしこの後何年保つであろうか。それは今や人形浄瑠璃自体の問題ではない。言語学者鈴木孝夫は、現代の日本人は日本語を捨てて英語(米語)に切り換えてしまいたいという欲求を潜在的に抱えさせられている、と語っている。また作家の池澤夏樹は、現代の日本文化はアメリカの植民地的様相を呈しているがこの植民地化は不快な強制力を伴わないものであって日本人も快く植民地であることを享受している、と書いている。その米語を国際語として振り回すアメリカはこの日本国日本人日本語が異物であるゆえに原爆を投下した国である。文化は文明とは丸で異なるものだ。「神々の指紋」も文明ばかりに触れて文化に全く触れていない(というよりそういう視点がないから触れられない)のは筆者がアメリカだからだ。東洋やヨーロッパの人であればあんな視点は持てと言われても持てるはずがない。日本の伝統文化の真の理解者もまた然りである。庶民が育てた芸能、しかしその庶民とは江戸時代から明治大正そして昭和前半期までの日本の庶民であったのである。折り鶴を折れなかったことを逆手に取りその折り紙をくしゃくしゃに丸めてハイ出来上がりと傲然と言い放ったアメリカ人の植民地支配に身も心も奴隷化されそれを進歩だ自由だ国際化だとはしゃいでいる奴等に、日本の伝統文化人形浄瑠璃が媚びる必要は全くない。もっとも、その無意識のうちに奴隷化された心身を解放すべく、洗脳された文化的神経中枢に滑り込むための方便であるのであれば、それはそれとして意味はあろうが…。ソフトバンクの社長S某が言うところの進歩的人類が、進歩から取り残された人類と地球を捨ててスペースフロンティアに向かうその日、「文楽」もやはりアメリカ製の宇宙船にでも同乗して連れていってもらえるよう進歩しなければならないのであろうか。

  (これらの発言がファナティックな国粋主義的なものではないことは断るまでもないと思うが。黒船来航以来二度にわたって無理強いされた大和撫子の傷は深い。ただ最近はそれも援助交際だから別にいいんじゃないのと言われているとか。)