平成七年七・八月公演 

『まんだが池物語』

 やはり擬古文体は偽古文体でしかなかった。表記の点からも文法の点からも詞章の点からも定めなきである。美文調とはただふわふわと流れていく文章の謂いであろう。人形の動きをよくするための潤滑油、せいぜいそんなところか。「仮に浄瑠璃の詞章が聞き取れなくても人形の動きなどで、視覚的に理解でき楽しめるよう工夫するつもりである。」とは本末転倒。(これでは越路の引退のタイミングさえ見抜け(聞き分け)ないわけだ。)視覚という最も強烈な感覚に頼るのは、まさしく安易そのもの。原作を傷つけたくないというのなら、この作品は以後永遠に蔵入りするほかはないだろう。人形浄瑠璃とは何か、低年層にいかにその本質を感じ取らせるか。やはりこの作品はもっと民話風にすべてを絞り込むべきであり、口語で語られるべきだ。次回上演までに全面口語に改作すべきである。口語でも関西言語圏なら十分文語の流れをくんだよい物ができあがるはずだ。それにしても、似而非なるものを若い真っ白な頭のキャンバスに塗り付けるとは。おそらくこれに懲りて二度と浄瑠璃の詞章など聴きたいとも読みたいとも思わなくなるだろう。こんなわけのわからない空疎な言葉の羅列。ともかく、もはや現代人の誰一人として擬古文体で書くことは不可能なのである。言霊は語り物浄瑠璃にとっての原点ではないか。その意味を放り出した魂抜けたふがふが言葉では、たとえ治兵衛でもとぼとぼとさえも舞台へは出てこれまい。

「首引き」
  まず、河内介はここと最後大団円とで性格性根が違う。それと強頚の綱引きのところ、ここまでの語り三味線がただ例の美文に乗るだけの一本調子(作曲者が下手)のため、前後との変化もなく全く冴えない。作者が勅使をして無理矢理役目は終わったから云々と言わせたヤラセも水の泡。しかしこの「首引き」が終わった段階でいかにもだらだらと長ったらしいなあと感じたのはやはり例の美文のせいだろう。安物でもワインはワインだからと飲んでみたら、悪酔いしたようなものか。それを朝日の記者氏はわかりやすくていいというのだから(古典物は長ったらしいというくせに)、いやはや恐れ入る。養殖物の味に慣れた現代日本人の舌にとって天然物は生臭く身が堅いと感じられるわけで、ま、それでもその人の感じ方次第ということなのだろう。化学調味料バリバリでもうまいと思ったらそれでよいわけだ。何せ個人の素直で自由な感覚がすべてなのだから。

「奥山古社」
 「端下女」は良くない。時代設定とは関係ない。現代において書かれた作品だぞ。(反対に古典作品の表現に対して現代という視点からすぐいちゃもんをつける輩が居るが、これまた何もわかっていない。)山男が娘を押し倒すところ、ちゃんとした古典物ではいやらしさより滑稽さが勝ち、不愉快でも何でもないのだが、この作品はいかにも強姦未遂を見ているようでヘドが出そうになった。少女たちもさぞ不潔不快に思ったことだろう。ユーモアとなるか否か、ここらにも本物とエセ物の差は歴然である。まあ道行風の挿入はアイデアだろう。何ならここで文語調を聴かせればよい。ここだけ口語でなく文語調とはどんな物かを感覚的にとらえてもらうのだ。それにしても、そのあとの三人の会話、あれは何だ。とって付けたように。華やかな道行の後、それも美しい花が咲いている道ばたで環境破壊云々と言われても、全然ピンとこない。荒れ果てたところへもってきて会話させ、そしてここで笛だ。笛の音に落ちた鳥も飛び枯れた花も咲き、とすれば、自然の怒りを解きほぐす笛の音の意味が鮮明になるだろうに。モーツァルトの「魔笛」の演出を参考にするとか、やり方はいくらでもあるものを。

「強頚屋敷より云々」
  冒頭の百姓の歌舞伎風の割科白、すは、浄瑠璃への冒涜、太夫のチョボ化、と色めき立ったが、さすが咲太夫。ちゃんと四人の百姓へ浄瑠璃風にまとめて語った。(これに関しては、原作者の無知蒙昧は置くとして、そのまま床本にした奴はどいつだ。即刻浄瑠璃丸本百編読みの刑罰に処すべきである。)
  横芝は何のために登場しているのかしら。無個性無意味。竹麿の笛に関する述懐、全く何のことやら意味不明不分明。詞章はどうでもよいなどとするから、肝心の笛の長講釈を垂れるところもちんぷんかんぷん。ここは眼前に笛の効能を現出せしめなければ、前述の場といい、笛が有効に機能していないこと甚だしい。藤舎氏もさぞおかんむりだろう。小道具程度の扱いとは無礼千万。はい、深くお詫びいたします。まことに作補綴演出ともども、何もわかっておりませんので、はい。

「野道」
  この小えんというのはよくよく脾腹の当て身がお好きと見える。出てくる度にうんと言って倒れていた日には、この下女は姫にとって能なしろくでなし以外の何者でもあるまい。そしてこれを見ている少女たちは、「結局女は男の力によってねじ伏せられるものなんだ、うん」という教訓を得て帰ることになるのですな。簑太郎さん、謹んでお悔やみ申し上げます。

「人柱より云々」
  大魚、あれはいい。子どもたちも喜んでいた。これだけだな、今回の収穫は。娘の書き置きはここで強頚が入水するための小道具として設定されていたわけだが、ほとんど誰もわかってはいない。そして突然「ヤイ娘、何故死んだ云々と」怒鳴り出すものだから、子どもたちを中心に観客が驚いたびっくりした混乱した。頭の中カオス状態である。あらすじガイドを読んでいるお客だけは辛うじてカタストロフ(カタルシスではない。念のため。)からは免れていたものの、作曲したご本人が力んで三味線を弾きまくるは叩きまくるはで……。まあ、荒々しい水流とマッチしていたといえばいえるが。作者はこれを取り違えとモドリという浄瑠璃パターンに見事にはめ込んだつもりで書いたんでしょうけれど。で、上の郡の方。後ろの三連紙人形は目障りだ。アホか。人形浄瑠璃をナメとんのか。ツメ人形は何のためにあるんや言うてみい。何、そんなたくさん出す人手もないし、手間もないってか。ならやめとき。人形浄瑠璃でやるのをやめとけ言うとるんじゃ。人形劇団京芸にでもやらしといたらええ。さて、笛の音で正体を現す野獣。前もってそれぞれがはじめて登場するところで人間の自然界への非道をならし、そして野獣から人間へ化けるところを見せておけば良かったものを。そして、笛の音がどんな力を持っているかきちんと観客の腹の底へ収まるように仕込んでおけば良かったものを。
 子ども「かあちゃん、何言うとるか全然わからんかった。」母「あんたちゃんとあらすじ読んどいたか。」子ども「読んでへん。」母「アホか。そんなんわかるわけないやろ。」子ども「(小声で)あーあ、面白なかった。」母「何か言うたか。せっかく連れてきてやったんやないか。文句いわんとき。ええか、ちゃんとあらすじ読んでへんあんたが悪いんやからな。」と、これは実際の会話です。子どもは小学校四五年の悪ガキ風、母はまるでナニワのおかあちゃんそのまま、ではありましたが、このようなお客様にこそ、夏休みの第一部は存在するのではありませんか。その演目に選んだ以上、原作がどうの美文がどうのとこれは言わない約束、いやいや言ってはならない約束でしょ、お父っつぁん。(ハナ肇さん、惜しい人を亡くしました。お釈迦さんの前でドラム叩くには早過ぎますよ。)ともかく、中途半端はよろしくない。お呼びでない。再度言う、この作品が生き残る道はただ一つ、口語の民話風作品として焦点を絞り込んでリニューアルさせること、である。

『ひらかな盛衰記』

「大津宿屋」
  マクラで大津宿屋の賑わいを描写しておいて、巡礼の御詠歌から調子が変わって人物の登場という運びがもう一つ単調で変化に乏しい。三味線の清友が常間で伊達が乗り切れない。素朴でモコモコとしたこのペアの感じは悪くないのだが、ここはやはり物足りない。とはいえ、権四郎はよく映る。「船頭」「舟乗り」の何よりの証拠「へつらはぬ巽上りのとんきよ声」とはまさしくそのまま。実にうまいものである。この人物造形には確かな手応えがある。以後人々のやりとりも相応に語り分け、立端場のよい手本だ。ツレ弾きが入った幼児同士のやりとりのところも軽快でユーモラスに活写。自然体の巧まざる巧みの芸。ただ、行灯を倒してから宿内詮議騒動へと続く段切りの描写は「上を下へと立騒ぐ」には及ばず、バタバタと畳み掛ける勢いに欠けた。マクラと段切り、ともに食い足りなかった。人形はそれぞれきっちりと遣いこなして立端場の格。文雀がうっかりと権四郎を遣い忘れる箇所があったのは御愛敬。現状では公演の度に様々なカシラを遣わざるを得ない文雀だけに、衷心より御同情申し上げたい。

「笹引」
  呂大夫と団六は無難にこなす。ではカタルシス・快感はというと、そうでもない。いや、ここで受けないというのはむしろ両者にとって好ましいのだろう。切場が相応の位置であるべき二人なのだから。けど、やはり両者とも楽しんでノッて欲しかった。そういう語り場なのだから。往時なら源・錣・駒などが軽々とやってのけしかもやんやの喝采を受けるところだろうに。人形はやはり簑助のお筆が秀逸。「エエ口惜しや今一足早くばなあ。女でこそあれやみやみと討たしはせまいに」「アアコリヤコリヤなにおつしやる。悲しい事はござんせぬ」等と語るお筆の性根性格を完璧に捉えきっている。段切りでの梨割りとの立ち回りもいかにもお筆らしい。こうでなくては死んだ槌松の笈摺を持って堂々と若君を取り返しに行けるはずもない。現実に体制とか政治の中枢に関わる人物とはそういうものだ。いちいち感傷に振り回されていては何もできない。新進党の小池百合子を髣髴とさせるといえば唐突ではあろうが、スラッと美人でしかも心持ちのスッパリと手強いところ、庶民の女ではない。紋寿の山吹は御前としての風格あってしかも母としての慈愛も応えて十分。

「松右衛門内・中」
  とくにどこがどうとの指摘はない。事程左様にすっくりとこちらの胃の腑に落ちつくように語った小松、弾いた錦弥。紋下切場の端場としてきちんとやるべきことをやっている。

「松右衛門内・切」
  マクラ十分。権四郎秀逸。この権四郎の愁嘆で観客に涙を含ませるのはたいていの技ではない。またお筆も性根性格を掴まえてあるから権四郎の「何の面の皮でがやがや頤たたく」がまさにぴったり。とはいえ人形の簑助とともに槌松最期を語るところのお筆の心苦しさ辛さはちゃんと描出してある。眼目の樋口は津大夫との比較は酷だし意味もないが、玉男の性根が磐石で揺るぎがないから、大音強声でなくとも大きさが出る。人形大夫三味線の肚が据わると実に素晴らしい、というより恐ろしい。何しろ樋口は「忠臣」「忠義」「花は三芳野人は武士、末世に残る名こそ恥づかしけれ。」なのである。「武士道」を立てるのである。これでこそ「世に名を取りしも理なり。」との詞章が生きてくるのだ。詞ノリ、ツケと型、見得。樋口の詞によって、いや樋口の詞だけが権四郎を納得させる。およしは控え目だがそれが当たり前でもあり好ましくもある。(それをもっと怒れ嘆けなどと叱咤激励する朝日の記者は、いわゆる戦後民主主義の亡霊にとりつかれた、小さな幸福探しにあくせくして損得勘定丸出しの、自分のためにしか生きようとしない典型的な現代日本人。自分は巻き込まれた被害者だ、文句言うぞ、あばき立てるぞ、悪い奴は誰其れだと騒ぎ立てる。ひいては、人のために命を投げ出すとは軍国主義の復活だ、滅私奉公の悪魔だ、不正に極まった忠君愛国思想を鼓吹している、という具合になる。そして最後には、封建時代の遺物たる浄瑠璃は内容主題を改変して、絶対的正義の思想たる戦後民主主義平等主義平和バンザイにマッチするもののみ上演すればよいというわけだ。)ともかく、この樋口の詞の部分、実に気持ちよく、これでこそ男の中の男、木曽の四天王の一人である。二人目の夫ながらおよしが黙ってついていくのも当然至極。逆櫓の段切り「われは名残も鴛鴦の番離るる憂き思ひ」との詞章は詞の表面ではないのだ。およしの妻としての心の底からそしておそらくは女としての体の底からも溢れ出たものなのである。それほどに魅力的であるのだ、樋口という男は。(これも朝日の記者流に言えば、こういう「男」こそ、前近代的イエ制度の残滓であり、男女差別女性蔑視男性優位体制の根源、社会の進歩を阻む反動以外の何物でもない、ということになろう。)これで樋口が権四郎を片手で上座へ直すところの浄瑠璃が天地も割れんばかりの迫力があったなら、もうもうそれこそ浄瑠璃で死んでもいいというほどのカタルシスだったのだが。ま、これは住・燕三のニンではない。両者の味は別の所にある。さて、終わりの部分、「武家に育つた女中は格別ぢやなう」とはいかにもいかにもまったくその通り。そのように語られ遣われたお筆である。住・燕三と簑助万歳。(と感動するような人間は封建的身分制度を賛美する思想の亡霊にとりつかれていると弾劾されるのであろうな。)そして笈摺の一件。慈愛あり、真情溢れ、「共に涙の暮れの鐘」の詞章通り、鐘の音がこちらの心にも染み渡る。絶品であった。槌松の死の哀愁はここにおいて観客の胸に結晶化したのである。
 なお、燕二郎の代役、住大夫について行く合わせていくだけではなく、地色のあしらいなど、よく弾いていた。まあ、伸び伸び弾けなかったのは致し方なかろう。

「逆櫓」
  清治で紋下切場の跡を聴かせてもらえるというのも贅沢な話ではある。夏休み三部制がもたらす残り福みたいなもの。(じゃあこのコンビで切場を全面的に任せられるかというと……。これが今日の現状。ああ、已んぬる哉。)畠山重忠の出まで、これでこそ時代物三段目の後半。愉快痛快。で、段切り前の愁嘆場、杉山翁もダレるところと指摘しておられる。その通りだが、別離の情趣はさておき、主眼は樋口の忠誠忠義の成就にある。権四郎の深謀遠慮で若君の命は助かるのだが、ここは権四郎が立派。樋口の心意気に感じ入り、「武士の家」の本質を理解すればこその行動である。またそうでなければ切場の権四郎の言動が嘘になる。それ故樋口は重忠の縄目をもやすやすと受けるのである。とはいえ、重忠はすべてを見抜いている。「仁義にからむ高手小手」の詞章から明白だし、何よりも樋口自身が「槌松に暇乞ひとは四相を悟る重忠の御情」と語っているのがその証拠。主従の別れ、若君の無事を見届けて自ら死地に就く樋口、それを知る重忠。まさに「かくるもかゝるも勇者と勇者」なのである。これをただの親子の別れと思っているようでは、およしと同レベルにすぎない。無論およしの真実真情、夫婦と親子の別れの嘆きはそれはそれで大切にされ十二分に語られるべきではあるが、それでおしまいというのでは、何とも情けない物の見方である。そして槌松いや若君の詞「樋口樋口、樋口さらば」となる。誰が教えなくとも源家朝日将軍の一子駒若君である。忠義忠誠尽力した樋口への呼びかけは、亡父義仲に成り代っての、主君から家臣への値千金の一言である。それが無意識裡に口から出る。樋口が寄り目になり涙を流すのも道理である。「碇知盛」での安徳帝や「寺子屋」での菅秀才の言葉も同様である。明治帝に殉死した乃木大将の心情も理解されるというもの。「おことば」とはまさにそれらを指すものの謂いである。(終戦後、日本のものとりわけ古いものはすべてダメ、欧米の価値観こそ絶対と信じ込んでいた(今もってそこから抜け出せない人々がいるのだが)時期に、人形浄瑠璃文楽が顧みられなかったのも無理はないだろう。興行成績をもって錦の御旗とするの愚はこれ一つをとってみても明らかである。)とすれば、樋口の人形に重忠への引き目を遣わせるのは如何なものか。おそらく槌松を若君と悟られたのではという疑惑の目遣いのつもりだろうが、前述のように重忠はすべてを知っているのであるし、樋口もまた重忠がすべてを知った上で(表面上は権四郎の願いを聞き届けてやるという形で)若君の命を助けるということを知っているのだから。ここには重忠と樋口との心理劇は不要だ。敗者と勝者の図は偶然の所産である。立場の逆転は世の常である。真の武士とはそのことを最もよく理解している人のことをいう。「忠義厚き樋口殿の力に重忠が及ばんや」とは孔明かしら重忠ならではの言葉なのだ。(この鎌倉武士の中でも抽んでて廉直な重忠が後に執権北条氏によって謀殺されたという事実、このことも人々にとっては周知の事柄であったのである。浄瑠璃作者が畠山重忠を登場させるときは、当然それを踏まえている。孔明かしらが使用されるのももっともである。)つまり、ここで引き目を遣うと武士としての樋口の品位が貶められると思うのだが、さて、玉男師はいかがお考えになられるだろうか。愚者の妄言取るに足らずであろうか。
 

『鑓の権三重帷子』

  さて、第二部とは違って現代的視点から絶賛の近松物である。今回のプログラム冒頭には篠田正浩氏の分析力あるいい文章が載せられているので、ここで近松のこの作品についてどうのこうの言う必要はあるまい。ただし、性的関係ありやなしや論においては是非はなかろう。武智鉄二のプラトニズム論はあくまでも論であり(この彼独特の「論」いわば空想的理想主義が山城少掾以降の人形浄瑠璃をして近代的たらしめたと同時に土俗的呪術的な浄瑠璃世界を痩せこけたものにしたのである。)、乳母の「たつた一夜限りに切売りする娘御ぢやござらぬぞ」の言葉一つをとっても、若い男の性が抑えきれるものではないことを物語る。無論権三からおさゐへの性的働きかけがなかったとはいえよう。しかし、この浄瑠璃の主人公はおさゐなのである。それだけで十分だろう。ただ、権三の男伊達男の美学は描き方一つでどうにでもなる。単なる受動的被害者、おさゐのワキ・ツレとしてのみの造形ではあまりにも不十分、表面的にすぎよう。簑助の人形をはじめ、三者の大夫の語り如何とされるところである。

「浜の宮馬場」
  馬の蹄鉄音。前回と違って手仕事である。これでこそ大夫三味線の浄瑠璃ともしっくりきた。いななきは録音だが、ここまでは言うまい。大夫三味線人形、発端の場をわかりやすく丁寧な処理。それにしても近松ものは詞章が特にすぐれていて、床本を目で読むだけでも人物造形をはじめ情景描写から心理描写とストンストンと胸に納まる。それだけにこれを人形浄瑠璃オリジナルでやったときに、さすがと納得させるものがなければならないのだが。

「浅香市之進留守宅より数寄屋」
  嶋大夫富助、この長丁場をダレさせなかった手際はすばらしい。「宿屋」「川連館」と精進の成果が出た。何と言っても文雀とともにおさゐの人物造形に手応えあり。「さすが茶人の妻、物好きもよく気も伊達に、三人の子の親でも華奢骨細の生れつき、風しのばしくゆかしくの、三十七とは見えざりし」の詞章の格抜群。これがおさゐのシンになければならないのだが、さもありなんと首肯させる。琴入唄のところもパターンといえばそうだが、母が自慢の娘の髪を手づから結い直す情景が実に鮮やかに描き出されていた。権三の身上を語る部分は女盛りのはずみが見て取れたし、実際権三とのやりとりのところの気持ちの変転も見事。「お前と私がこの樽に、かう手をかければ契約の盃した心、橋がなければ渡りがない。台子が縁の橋渡しこの樽も橋渡し」のところは人形ともに妖艶さをもっと出してもいいだろう。乳母が来て悋気の所は伏線としても十分。「留守をつかふて奥から立聞き」するのもおさゐという人物をよく表しているし、主人の意をくんで乳母をあしらうまんという使用人の仕込み方もまたおさゐの女房ぶりの面目躍如である。こうした何気ないところまで行き届いているのが近松でありそれを見事に手摺にかけるのも三業の技である。さらに、「子を寵愛の慎みなく、時の座興の戯れごとも過去の悪世の縁ならめ」「身も紅に染むるとも、世に謡はるゝ端ならん」などのところ、浄瑠璃世界を統括しすべてを見通す立場にいる大夫としての語りを表す詞章の部分もまたよく心されていた。が、奥の数寄屋のおさゐの独白以降は相対的に物足りず、不条理劇(とするならば)のクライマックスとしては今一歩の感があった。とはいえ、全体を通して、嶋大夫富助そして文雀は賞賛されてよい。作品の浄瑠璃音楽性としては「堀川波鼓」に一歩も二歩も譲る詞章なり節付なりで、その割に大健闘だとするのである。簑助以下はそれなりの出来。簑助にしては抑制された遣い方で権三の性根を殺さなかったことは認める。が、「油壷から出すやうな、しんとろとろりと見とれる男。」とまではいかない。内から滲み出る男前の描写は簑助の格ではない。

「岩木忠太兵衛屋敷」
  各人の立場と心情と、よく書けているし、相生・燕二郎や人形陣も淡々としかも哀感ある描出。「胸に八色の雲閉づる」との段切りの詞章は活かされたと言って良い。ここもまたいい仕事の手本であった。

「伏見京橋妻敵討」
  盆踊りの季節感はそれとして、「橋の別れが辛うござる」「ついた一とつき引導鐘よ」と、近松の詞章はここでも周到である。百叩きは英大夫、「一人留守寝の床のうち、心も冴えて、目も冴えて」とは何事か。この浄瑠璃の主眼がわかっていないし、これではおさゐは阿呆女房そのままではないか。「身も冴えて」とした近松の肝心要の詞章を語り誤るとは、このこのこの虚け者。ああ、ヶ程の事の弁え無き英大夫でもなかりしに。緑大夫には今や完全に追い付かれ追い越された。このこと一つを取り立てて言うのではない。些細な語り間違いとは質が異なるということは当の本人が百も御承知のはずだ。「雪転し」が及第点の他はここのところ面白くもないし味わいがあるでもなし。地味なら地味でも取り柄があるものだ。没個性的と言ってしまいたくなるほどつまらない。どうです、毎日の語りが日常性に埋没していませんか。それはそうとして指導役たるべき喜左衛門も情けない。そういえば三代目襲名披露の時に中央前列の座席がずらっと空席だったことを思い出した。

  織大夫が綱大夫を襲名するわけだが、東京で「国性爺三段目」大阪で「太功記十段目」とか。これで名実ともに東京が本公演、大阪が有力地方公演と定まったわけだ。人材的にも批評子の面子からみても実質的にはすでにそうなっていたのだが、名目上もそうなるとは、やはりすべては首都東京にありである。もっとも人形浄瑠璃が上方しかも大阪という狭く限られた土地の呪縛から逃れる時がついに到来したわけであり、まことに喜ぶべき事である。(しかしこれでますます東京歌舞伎の下風に立つことになるなあ。誰かさんのしたり顔が目に浮かぶ。)このような文化的にも地盤沈下状態の地方公演相手に劇評など書いても仕方がないのだが、ま、関西に生まれ育ったことを恨むより他はあるまい。
  阪神淡路大震災の被災者並びに被災地のことを今以て心に掛けているのは殊勝なことである。これならば地下鉄日本橋7号出口のエスカレーター設置に対しても前向きに働きかけてくれていることだろうと安心できる。復興支援復興祈念公演として是非とも「一谷嫩軍記」を通してもらいたい。この名作の通しが国立になってから一度もないのだ。駒ヶ林などの地名が今以て存在することを改めて知ることとなった今年前半期でもあったのだから。
  劇場二階ロビーの「なつかしの舞台の写真」は「忠臣蔵」のままだ。当然公演毎の演目にちなんだものに取り替えるはずだと思っていたのだが。別に怠慢と言うわけではないが、このままでは何の意図で飾ってあるのかわかりにくいと思うが。