平成六年十一月公演

『仮名手本忠臣蔵』


「大序」
  三大狂言の中でも内容・節付けともに群を抜いて良くできており、とくに顔世の「兜改め」の所はすばらしい。そこを呂勢が耳触りの良い通る声で地を語ってゆく。品格にも注意して上々の出来。今回の語りで大序は抜けたと言って良かろう。「茶屋場」の力弥も無難にこなし、かつての千歳に継ぐニューフェイス誕生といったところか。今後が楽しみ、楽しみ。新と咲甫は相応に語って不可は無し。問題は南都。声は大きいし通る、が、浄瑠璃というものが体得できていない。浄瑠璃を作ろうとしている。浄瑠璃にしようとしている。勝手放題声の出放題は師直も真っ青。その証拠は、こりゃここに。「馬場先に幕打廻し、威儀を正して相詰むる」の所。イギヲタダアーシテッ!と大きく強く語り捨てるとはどういう了見か。威儀を正すのである。神前にしかも直義公の御前に詰めるのである。しかるにスモウレスリングでもする気と見える。息を大きく吸って吐き出してまた大きく吸って吐き出して。その間に我流の抑揚(本人はこれを語り分けだと思っているのだろうが)をぶちまける。どう聞いても浄瑠璃では無論なく、そもそも不愉快である。今回は道行の三枚目でもあったのだが、そっちのほうもお構い無いじゃと見えた。津駒と千歳、清友や燕二郎らが心肝を砕き、慎みに慎みを重ねた道行を台無しにした獅子身中の虫とはおのれが事。五体も一度に悩乱し、四十四の骨々も砕けてしまったではないか。しかし、水雑炊は食わせまい。何故と言うに、楽日前にはやや改善されていたから。玉松の直義は右傾斜し、品格も未だし。今回玉松は全くいいところ無しで、若狭助も婆も悪いがとりわけ勘平が最低最悪。ええっと確か昭和八年生まれだから、還暦を過ぎてもう手足に来ているのだろうか。まさかとは思うが………。

「恋歌」           
  松香は今回もここ。御苦労千万。とはいえ、進歩はある。公演前半は師直らしく語ろうとの役作り、これは前回と同じ。ところが後半は小細工を捨てて真っ向勝負に出た。これが結構こちらへ応えたから自力が備わってきた証拠か。貴はまあ掛合の顔世なら何とかこなすか。が、素浄瑠璃の会の「楼門」はひどかった。(とはいえ「楼門」がいかに素敵な浄瑠璃、良い語り場であるかは再認識させていただいた。立端場語りを目指しているらしいが、それならばこそこの「楼門」にせめて何らかのとっかかりが欲しかった。)津国の若狭助、これがぴったりはまって血気にはやる短気者を活写。弥三郎も無難。「人の兜の龍頭」からのユニゾンはいつ聞いても気持ちのいいところ。文昇の若狭助は十二分に活写出来て上々。二段目と殿中も同断。作十郎の師直はやはり動きすぎ。あれでは大舅の頭の性根の内のコミカルな一部分しか表現されまい。口開き文七の頭を遣っても今一歩だった。物足りなさを禁じ得ない。顔世と判官は論無し、というよりも抑制された遣いぶりで目立たぬのが当たり前。師直を虜にした若妻の色気云々は語りと三味線の力量からしても言う方が野暮。物語の発端部分、重たくなってしまってはそれこそ怪我過ちになる。

「二段目」
  わかっていながら「梅と桜」をカットするとは。それほど時間が大切なら、通し御無用。力弥の口上さっそうと男ぶり、小浪の慎みかつ愛の積極さ、戸無瀬の若い後妻らしい気の動き方、話ぶり。八段目の、いや何より大曲九段目の大事な下ごしらえ。伏線などという甘いものではない。どうやら国立は三十分の手間暇を惜しんで、下ごしらえのないフランス料理や懐石料理を客に食わせて平気らしい。ロイヤルホテルや吉兆は呆れて言葉もないだろう。文楽「仮名手本忠臣蔵」の通し狂言。名前だけで客は来る。味はわかるまい。わかっても文句は言えまい。なにせ、伝統芸能の日本古典の最高傑作を天下の国立が上演するのだもの。文句を言う方がおかしいとやりこめるのは朝飯前。「私どもはグルメ(通)は相手にしておりません。あくまで庶民大衆が大切なのです」と。
  小松と喜左衛門はさすがにやってのける。若狭助も本蔵も。…ああ、またしても戸無瀬と小浪のことを言わねばなるまい。いや、人形や語りがどうこうではない。段切りのこの二人あまりにも突然で中途半端で無意味で。そう「梅と桜」のカットが原因。それならば何故ここの所もカットしないのか。今回の二段目は全く大序と三段目との話の筋を結ぶ役割しか持たされていないのだもの。カットするならカットするで前後の見境も無し。短慮な上にそれをたしなめる細心のつく奴が一人もない。御家の滅亡是非も無し。伍子胥は疎まれ、カッサンドラの叫びも届かぬ、か。南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華経。

「進物」
  三輪は一向に良くならぬ。ちょっと気付いただけでも「管領と」「照らし入り来るは」「役所に残し置き」「片蔭に」「話し合う」「目釘をしめし」「打通り」「並べさせ」「顔を見合わせて」「見るが如くにて」と、例の三輪風とでも言おうか、三味線べたつきか気持ちの悪い地フシ語り。当人はあれでよいと思ってござるのか。前回の千歳(別に彼と比較あるいは彼を参考にせよと言うのではない。たまたま前回千歳だったからだ)のでも聞いてみれば一目いや一耳瞭然だろうに。なるほど伴内は出来たし、師直本蔵も心して語っている。総じて詞は得意の所、しかし、肝心の浄瑠璃の地を語るという骨格が固まらないようではねえ。これは、個性とか個人差とか言う問題とは別だ。相生の浄瑠璃はあれこそ持ち味というもの。三輪のは耳が拒絶するのだもの、ああ、ここ浄瑠璃じゃない、ここ変だと。惜しい、何としても惜しい。かほどの詞語りの閃きを持ちながら。あの『薄雪』の時にやはりおかしいと指摘した津駒はもう完全に克服した。さて三輪は如何に。なお、マクラ「武家の威光」は輝いていないし、ヲクリ直前の「白鼠、忠義忠臣忠孝の、道は一筋まつすぐに」はただ三味線の快速電車に乗っているだけだった。清二郎は小気味良い。伴内は予想通り紋寿が抜群。一暢は悪いと言うよりもダブルキャストにした仕打ちが悪い。本蔵は殿中までと山科とでは当然ながら違いすぎる。が、師直の面を金で張った算盤勘定の振る舞いの見事さ、殿中忍傷までの本蔵を文吾はまず遣えたと言ってよい。

「文使い」
 津駒は安心して身を任せられる語りになったようだ。まあ、勘平お軽伴内そして判官や奴まで変化はまだまだ、質的違いの手ごたえも今一つではあるのだが、それは追って。稽古熱心の津駒の事、徐々に解決しよう。とにかく今回は中堅としての津駒の位置が定まった事がなによりもうれしい。津駒の津が取れるよう精進されたい。団治はきっちり弾く。蓑助のお軽は『偏痴気論』そのまま。「おちやつぴいのおてんば女…勘平を横目で見ながら吐息つく光景、淫婦の面の憎さ。」これは誉め言葉。蓑助の面目躍如たり。勘平、文昇はきっちり手堅いがそこまで。玉松は話にならない。伴内は前述の通り。

「忍傷」
  咲・喜左衛門に軍配。ここはやはり師直が勝負の分かれ目。もっとも、マクラ一枚は呂の心掛け十分だったが、師直の皮肉が十分に応えないのはなんとも。ここが十分でないから「裏門」はもちろん、四段目「城明け渡し」まで影響した。判官の切腹、由良之助の復仇、みな空事になった。無論呂・団七はしっかりやっているし悪くない。しかし、師直はそこからはみ出す部分がないと。咲・喜左衛門の力量が上回ったのではないが、大きさと幅を利かせてものを言わせたゆえの成功。師直の作十郎はやはり動きすぎ。文雀の判官は悪くないが、検非違使頭が本質的に合うのかどうか。最近特に立役の不足からそちら方面へ回される事の多い文雀だが、お気の毒としか言いようがない。もっとも、栄三を目標としているのなら話は別だが。しかし清十郎の死因の一端は確かにそこにあったであろう。若狭助は前に同じ。本蔵は論無しだが、忍傷の後抱き止めるまで、大小名とともにぞろぞろ追いかけていくのは何とかならないものか。

「裏門」
 千歳・燕二郎の実力は明白。ただ、千歳は毎回のように声が痛んでいるのと、いかにもきたない所があるのが気がかりだが、まあ、猛稽古のせいだろうとしておく。今回は道行もあるし、お互い大変だが、これで音をあげているのだとしたら心許ない。「裏門」はちょっと良い語り場、弾き所。花形の勤める場。これは確かに伝わった。期待に違わず。次回は「花篭」か「雪転し」。この両名が切場を勤める日が必ず来るだろう。稽古稽古、精進精進。人形は前の通り。

「花篭」
 難物である。総体ここを「扇が谷」の端場として中堅に語らせる事自体が無理なのである。今回それが良くわかった。前回は呂と越路の役場。隔世の感がある。十年はひと昔。ああ、夢であったなあ。『素人講釈』は読みようによっては危ない本、「泥濘を象が歩くように語るか、講釈師が居眠りをしているような語り口に了る」とはまた随分の言い様だが、これも今回良くわかった。緑の語り、九太夫は安っぽく、郷右衛門は掴みきれず、御台所も未だし。裏三重と音がインでいるのとでは全く違う。さすがの錦弥も間と変わりと足どりとががんじがらめで、それが蟄居閉門状態の表現かというとそうではないのだ。とはいうものの、この二人はただそれだけのものではない。初日から中日、そして千秋楽と確実に良くなっていた。大したものである。緑大夫は本物である。錦弥は良く弾く以上のものが見える。四段目自体は古靭のCDで聴けるからもういい。肝心なのは二人の前途が明るい事だ。喜ばしい限りである。

「判官切腹」
  予期したよりもよくできた、といったところか。もっとも、判官の品格今一歩、「怒りの声」不十分、「一家中の者ども〜静まりける」平板、由良之助の無念の涙届かず、三味線もまた四段目を弾くまでに至らず。これらは致し方あるまい。切語りでない大夫と半澤の三味線の役場なのだという現状なのだから。しかも「忠臣蔵」自体が十年に一度しか出せないというのだから………。まあ、拾ってみると、薬師寺が上出来。あの綱大夫の録音でさえもやや安手に落ちた感がした(しかし古靭はさすがに非の打ち所なし)のだから。声柄にあった分、作らずに済んだからか。待ち合わせでの二の絃のトーン、トーンよし。ぐっぐっと引き回すところ生々しかった。さて人形。判官が由良之助の到着を待ち望んでいる事はよくわかるのだが、検使の手前の切腹の場、あれだけ伸び上がったりきょろつくのはどうか。動き過ぎだろう。由良之助はしっかりとこの目に焼き付けておいた。少なくともこの後四半世紀はこれほどの由良之助は見られまい。御台所は品位を保ちかつ段切りの愁嘆が身に迫ってきて、一暢、紋寿ともによい。郷右衛門、薬師寺、石堂は論無し。九太夫、これははまった作十郎。持ち役として満足、満足。力弥、いい若男だ。茶屋場九段目を通してこういうものを見事に遣うところがまた蓑太郎の素晴らしさ。判官が九寸五分を腹に突き立ててから由良之助の無念の涙まで、こちらもともに歯を食いしばり(女性客はハンカチも許されるが、男たる者そうはいかぬ。)心中深く復仇の思いを刻みつける事が出来たのも、三位一体の芸のなせる技。作品が良くできているのは当然だが、それが眼前活かされてこれこそライヴの魅力。いいものをありがとうと言いたい。

「城明渡し」
  腹芸。肚。孔明頭。そのネムリ目の奥深い事。天下一。

「出合い」
  千崎はいい。「ちやくと身構へ」「びくと動かば一討」「大事をむざと明かさじ」「蚤にも食はさぬこの身体」これらによって千崎の人となりは明白。津国の突っ張った硬い感じがぴったりである。三味線もタッタと弾ききる。人形もメリハリあり。ところが勘平がいかぬ。心情が伝わらぬ。人物造形不明瞭。津国もそろそろここを何とかしないと。とにかく今回は最初(文使い)から最後(腹切)まで勘平の存在感が希薄であった。この源太頭、遣いこなせなかったし、語り活かせなかった。前回は勘十郎、六段目は津大夫。

「二つ玉」
 相生と団七はここをモコモコとした雰囲気で演じる。「強欲な親九太夫さへ見限つて勘当したる悪党者」文七頭の定九郎は玉女が豪快に遣ってみせる。与市兵衛は余りといえば余りに無惨。「年も六十四苦八苦」との掛詞が一層武氏頭の悲哀を冷酷に描写する。文吾は今回本蔵と与市兵衛という何とも言い様の無い役が付いて、御愁傷察し入る。どちらにしても役作りも何もあったものではない。まあ、本蔵は立役肚の肥やしにするとしても、与市兵衛はねえ………。ここの勘平も前述べたとおり。ため息が出る。

「身売り」
 一文字屋が来るまでのお軽と篭に乗っていくお軽と、どちらもまあ見事なもの。さすがは蓑助である。とりわけ「差合ひくらぬぐわら娘」の文句そのまま。嶋大夫としてはそう感心した出来でもなかったが(茶屋場のお軽の方に力点が置かれていたし、出来具合もそうであった)、それでも中日以降は「もう今あつちへ行くぞへ」から哀感が自然と描出されていて、ここらが切場語りの実力か。婆はやはり文昇がよい。もはや定評ありと言っては文昇にはお気の毒。錦弥は前半部と勘平の二つ玉の衝撃そしてお軽の身売りと三様に弾き分ける。ましかし、今回の「身売り」極めつけとはいかない。まだまだ食い足らぬ。

「勘平腹切」
 片田舎が舞台のやりきれない因果な話。住・燕三はそう演じてみせた。それで十分と言えばそうだが。「主人の大事に居会わさなかったばかりの若者の悲劇」という某新聞評もそこの所を言っている。が、それだけでよいのだろうか。古靭太夫そして綱大夫、前回の津大夫でさえも、「勘平が武士」「未だ武運に尽きざる」「魂魄この土に留つて敵討の御供する」の所大切、「血走る眼に無念の涙」の一念、鬼気迫るものがあった。まあ今回の人形ではどうにもならないのは理解できる。しかし、時代物の三段目の切であるのだ。それも忠臣蔵の。
 ここも文昇の婆はいい。段切りまで見てきた客席のおばさんが一言「あーあ、お婆さんとうとう一人ぼっちになってしもた。可愛そうに。」と呟いたのが印象的だった。この一言だけでも住・燕三人間国宝コンビの芸の深さは証明されている。忠だの義だの侍だの、キナ臭さを消し去る解釈をよしとする劇評が中心の現在、今回の演奏はまさしくそれを象徴したものであったといえよう。

「茶屋場」
  今回の通し狂言で最も出来が良かった。ごく一部の大夫と人形を除いて極上上である。中でも至極上々吉は玉男の由良之助。二十代女性曰く「ここの由良之助、たまらない色気がある。」と。細かいところ挙げれば切りがなく、どこもここもたまらぬたまらぬたまらぬですわい。そして本性を見せるところも言うまでもない。お軽を受け出して刺し殺さねばならない、ネムリ目でじっと堪える由良之助と、もう喜びで気も動転しそうなお軽との構図の素晴らしさ、そこにまた下座のb世にも因果なものなるわしが身ぢや がこの両者(見かけ上はお軽だが)に掛かっていくものだからたまらない。等など。蓑助のお軽もこのように風に吹かれる所から、勘平の死を知る愁嘆場まで申し分無し。次いで極上々吉は住と嶋。由良之助は最後の九太夫を前にしての心情吐露が少し物足りないのと、お軽が快感にまであと一歩及ばずで平右衛門とのやりとり以降に真情と変化に乏しかったのが、至の字の付かない理由。力弥の清新、十太郎の慎重、喜多八の逸気、伴内の剽軽、九太夫の曲者、大夫も人形も見事に各々の性根を活写した。平右衛門も呂は極上上吉だが、玉幸が型通りは遣うもののはみ出す部分溢れる部分がないのと、型に拘って次はこの動作次はこれといかにも人形を遣ってますよが丸見えで、いつもの悪い癖、人形の腕組がはずし難かったりしたときの慌てぶり、いっぺんに興ざめしてしまう。が、番付を見て抱いた玉幸の平右衛門という先入観が、ほほうこりゃ結構遣えてますやんという思いに変わったから、進歩成長の後がうかがえたのだ。これは上々吉の部類だろう。一力亭主、弥五郎は特に大夫が食い足らないものの、全体の熱気と好成績のおかげもあってここに入れてやってもいいか。団六の三味線は茶屋場のツボを心得て、長丁場掛合の浄瑠璃を語り活かす好演。

「道行」
 よくやった、精一杯勤めた。重層さがなく豊かさと厚みに欠けるのはどうしようもあるまい。ユニゾンはそれなりに聴けるのだが薄っぺらい。シンの津駒・清友は娘小浪の描出及第点。千変万化といかないのはしかたないにしても、もう少し道行の楽しさ美しさを味わわせてほしかった。二枚目の千歳・燕二郎は母戸無瀬まず合格か。声が荒れているのは道行ではさすがに困る。三枚目の南都と団治、テレビ中継時の南都は最悪。しかしながら楽日前には改善されていたので論無しとする。大きく通る声と言われるか耳障りと言われるか、さても団治は大変だったろう。文字久は白湯汲みの貴重な体験をまだ生かしきっていないし、文字栄はこちらが言わずとも本人がわかっていよう。清二郎喜一朗は端に座る三味線としては上の部類だ。それにしても戸無瀬、小浪ともに娯楽性不足。茶屋場の後で損と言えば損だが、やはり道行を楽しみにしている客も数多い(私もその一人)のだから。背景の引き道具がなくなったのはさびしいが、人形の歩みを見せるべく道具を動かすやり方が現代では稚拙と思われるからか。とはいえ今回の、富士の白雪一転して比良の暮雪となるという仕掛も乙でよい。戸無瀬の煙草は必ず継承すべし。

「雪転し」
 昔から花形の語り場であるが、大曲九段目の端場として、紋下の露払いという意味の方が強かろう。かつては御簾内であった。「酒がほたえる雪転し」とはまた、酒がこたえる雪の朝である。一面の銀世界となった朝の静けさとそれゆえの凍み通る冷たさ沁み通る寒さ。英の語り口にはまったし八介の三味線にも叶ったと聴いたが如何。粘らず響かず緩まずに、ここと十太郎とで英は久しぶりの快打が出た。(気を良くしてか素浄瑠璃の「花渡し」も入鹿に工夫の跡が見え、定高と大判事も多少の進歩あって四月本公演の雪辱は果たせたか。)「アゝ降ったる雪かな」に得も言われぬという感が見えて、このあとの文弥節への続きが滑らか。とはいえ由良之助とお石の夫婦の情感やりとりは未だし。なるほど丸めた雪とその喩えは切場への大事な伏線だが、この端場の中心はやはり夫婦の情愛だろう。茶屋の連中がいる前での例の酔狂、相手を騙すというのはもっともだが、由良之助にとっては主君の仇討ちという非常の世界が常になっており、その逆の常が非常になっているわけ。つまり、この一見酒の酔い本性違はずの非常にこそ由良之助の常の人間味や有情のユーモアが表現されているのだ。そうでなければここに文弥を取り入れるはずがない。起きあがってからの由良之助は雪転しの解釈、堺への書状、切場に入ってからもご存知の通り非常の連続である。そして段切りにはもう夫婦永遠の別れになるのだ。茶屋の遊び、お軽への艶話、そしてお石へのほたえ、随所に由良之助の人間の幅が感じられる。とても敵を欺く手段という表面的なレベルでは捉えきれまい。父として何よりも夫としての由良之助はさぞ素敵な男なのであろう。お石は幸せな女であったしそう感じていただろう。少なくとも塩冶が短気な行動を起こすまでは。そう考えてくるとこの「雪転し」は、情景といい情愛といい実に味のある語り場なのだ。もっとも、あくまでさらりとしたやりとりの中にではあるが。とすればやはり呂大夫クラスでないと無理だろうな。よって英・八介には殊勲技能ではなく敢闘賞を贈呈しよう。人形は玉男・蓑助・蓑太郎がこの親子三人のさりげない情の世界を表現していて、さすがだと思わせた。やはり九段目の由良之助も油断大敵である。

「山科閑居」
  語り出しからして「人の心の奥深き」なのだからとんでもない切場である。織・清治のマクラはなるほどこれなら九段目の奥深くへ分け入る事も出来そうだと思わせる。「雪下しの手」という難物、仰々しく考え込んでもダメなわけで、そこをよくわかっている清治は、「雪転し」の早朝からやや日も高く上り、笹の上の雪も溶けて雫となる、という時間の推移を感じさせる三味線を弾く。さて戸無瀬・小浪の登場からは大まかに評していく。なにせ大曲だから。小浪今一つ。初音の鴬にならず。ほほ笑顔、帽子まばゆき風情等々も。まあ二段目の手落ちではあるのだが。戸無瀬は、配慮したようでいて、女さかしうして云々のいかにも如才の無い若い後妻の感じが要るのだが、文雀も織も型どおりで物足りない。お石文雀、戸無瀬蓑助がベストマッチだろう。が、それでは文雀の役が軽すぎる事になる。難しいものだ。お石はもとよりこの祝言受ける気はないというのは後半から明白、とはいえ、戸無瀬の詞の端々に二段目でみておいた(え、見ていない?ああそうでした。手落ちでしたな、国立の。失礼失礼。)とおりの浅い賢らぶりがチラチラして、お石も内心むっとするところが無いとは言えまい。「これなる娘小浪許嫁致して後、御主人塩冶殿不慮の儀につき由良之助様、力弥殿御在所も定かならず。移り変るは世の習ひ、変らぬは親心とやかくと聞合せ」がよい例で、気配りのようで我田引水。なお、ここの所の三味線、自在に弾いて雰囲気を出す。また「夫も参る筈なれど出仕に隙のない身の上、この二腰は夫が魂。これを差せばすなはち夫本蔵が名代と私が役の二人前。」などは慎み深い武家のしかも家老の奥方の詞とも覚えぬ。無論、義理ある仲の一人娘のことを思えばこそ、それ故の押しつけがましさである事は百も承知している。しかし、近松の「油地獄」や姦通物に出てくる女房たち同様、その如才の無さが知らず知らずのうちに不幸の種を蒔き、芽を出させ、育てているのだ。もっとも戸無瀬のはそれらに比べると実に僅かな微々たるもので、明解に語るものではない。しつこいが二段目の下ごしらえと八段目(小浪の言うところの「アノ母様の差合ひを」である)九段目と進むうちに自然と感じとられるものなのである。ただし、大夫三味線人形とも戸無瀬の性根をつかまえておく事が要求されるが、これはまあ何にでも当てはまる事だ。一方のお石であるが、詞の皮肉トゲがなく型どおりで面白くない。お石の人形は動きすぎは禁物だから(その辺蓑助は心得ている。祐仙の時とは対照的。)浄瑠璃の方で、祝言を回避すべく(が戸無瀬の詞もあり、幾分かは本心も混じって)チクチクと嫌みをきかせなければならない。しかも、由良之助の妻その名もお石の堅さや分別を弁えて決してそこからはみでないようにである。今回はやはり不満が残る。さて、母娘覚悟の所。「母親は娘の顔をつくづくと打眺め打眺め」以降は大きく強くは行くのだが、心の高揚思い詰め気の張り具合がまだ足りない。小浪の覚悟もひたすら貞女の鑑みたいになっているが、二段目に見たとおり(え、見ていない?)「おまへの口からわたしが口へ直におつしやつて下さりませとすりよれば」という妖しく燃える恋の炎をふまえてみれば、力弥以外の男に抱かれる気は毛頭ないし、たとえ抱かれても女の悦びは得られまいことは想像に難くない。小浪の詞は観念ではない。娘の心と体からの、感覚のすべてを開いての謂いなのである。ここも不満。もっとも、はしたないのは厳禁。しかしこれも常識のはず。で、本蔵の尺八となるのだが、ここまで、とにもかくにもダレることなく、眠気を誘うこともなく、やってきたのは上出来と言ってよかろう。清治の三味線も千変万化とは行かないまでも百変千化の出来であり、よく織を助けた。
 盆が廻って富助。それにしても某新聞の某氏が「前半の緩後半の急」と評したのは初めて聞いた小学生の発言だ。だいたい「山科」自体、前半の緊張があってこそ後半の展開がタッタッといけるのであって、今回はその上に実際緩なのはどちらかと言えば太夫の方だ。以前から公演評の度に長い長いを連発していたU氏がこの大曲「山科」に堪えられず、本蔵が三宝を踏みつぶしてからようやく退屈しなくなったという、底意を明けて見せ申して下さったA新聞夕刊評。我々はハツと押戴きヘツエありがたしと十二分にお礼を言わねばなるまい。無理に浄瑠璃を聞く事はないのだ。合わないものは仕方がないのだから。ザ・ビートルズが騒音としてしか聞こえない人は聞かない方がよろしい。演歌を聞いて満足ならばそれでいいのです。しかしその人がビートルズは音楽ではないと言うとき、果たしてそれは正しいのであろうか………。とにかく今回の「山科」の前半、織・清治の持ち場は決して緩と言われるべきものではない。さて肝心の富助、それと文吾の本蔵。お石を踏んで力弥の出を待つところ、わからないではない、いやわかりすぎるほどよくわかるのだが、あれでは本蔵の白髪首三文の値打ちもなくなる。肚で見せないと。だいたい文吾に遣わすのは可愛そうな話で、大夫三味線に比べると層が厚そうに見える人形陣もその実、大穴があるのである。浄瑠璃の方も大健闘だが、本蔵の告白心情吐露全般に渡って真情と地・フシの語りとの間に分離がある。しかしまあ、あの摂津大掾にしてからが、太夫の生涯最後の最後で何とか語れたと言っているほどのものではあるのだから。玉男の由良之助はお石と戸無瀬のやりとり以降の伏し目、うつむいた沈痛憂愁の表情絶品である。石塔の件からは、三味線の切先鋭く変化と足取りもよく、大夫も豊かに大きく語り、手摺も動きがあるから、まさしくカタルシス。「思へば無念に閉ぢふさがる。胸は七重の門の戸を、洩るるは涙ばかりなり」の男三人の涙、こちらの胸にも十分応えた。段切り、一音上がってからの三味線はことに良い。ここのところ富助は「岡崎」「寺子屋」そして「山科」と、鋭さや厳しさではなく、情感と哀切を表現する段切りにおいて素晴らしい演奏を示しているのが素晴らしい。質感と幅と厚みが加われば文句無しの三味線だけに頑張ってもらいたい。太夫もさすがに段切りは朗々と運んでも傷はない。「かねて覚悟のお石が嘆き、アアこれもうし御本望をとばかりにて名残惜しさの山々を、言はぬ心のいぢらしさ」ここのお石はいかにも動き過ぎ。もっと抑えるべきだろう。とはいえ、「心残して立ち出づる」の、笠の内から思わず覗く由良之助と残って見送るお石と、ここの情感哀切十二分で浄瑠璃一の大曲「山科」にふさわしいものであった。なぜなら、本蔵の死、父娘、夫婦の別れ、お石戸無瀬の改めての挨拶、力弥小浪の祝言と奥の一間での睦事、それもこの夜限り、そして文字どおりお石と由良之助の永遠の別れ、と続くこの段切りこそ、悲哀憂愁切々たる感情を底に秘めて美しい語りと旋律が流れていくという浄瑠璃の独断場であるからだ。感無量である。

「引揚」
  とにかくこれを付ける事で、きっちりと通したというのが、劇場を後にしたときに実感になる。特に何も言う事はないのだが一点だけ。「といふも眼に浮く露涙。こころ誠をあらわせり」の若狭助の涙とは誠とは。少なくとも彼はこれ以降短慮を慎むようになったはずだ。泉下の本蔵のためにも。その涙と誠。

  追記
    CDは素晴らしい。師直の首にも劣らぬ。聴くこちらも本懐を遂げた気分だ。 詳述するスペースもないが、四段目はあれこそ「通さん場」であるというよりも むしろ「通れん場」だ。あの枕の緊張厳重から全編を貫く気韻品格、とても中途 では飛び込めない。六段目は三代清六の真骨頂。これまでの「合邦」「堀川」で は作が作だけに納得のいかぬ不明な点もあったが、これこそまさに浄瑠璃三味線 の極意。名人の名人たる所以が初めて全容を現した。七段目は彦六系の写実とは どういうものかが何となく見えてくるし、何より丸ごと入っているのが嬉しい。  こうなると、SPレコードの復刻、特に古靭のCD、わけても三代清六と組んだ しかも堂々たる大曲「寺子屋」や名演間違いない「袖萩祭文」の復刻はもはや義務であろう。いやいや、この復刻を怠る事はもはや犯罪であると言っても良かろう。正道規範を示す言動を握りつぶすに等しいから。

  苦言
  一、「くわ」は抹殺する気らしい。継承するつもりはないようだ。二、呂大夫は「寄せる」と言い、某太夫は「消える」と言った。ああ、世も末だ。

  CD本当に有り難うございます。おかげ様で、十年に一度しか出せないものだという劇場側の口車にまんまと乗せられてその言葉をそのまま記事にした朝日新聞の(植)の評にも、腹を立てずに済みました。実に素敵な贈り物で、こんな年齢になってもサンタさんがやって来てくれるとは感激です。
  劇評にも書きましたが、もう少し詳しく私見を記してみます。
 四段目。もはや永久にこれを越えるものを耳にする事はありますまい。プレイボタンを押して最初のヲクリの三味線の音、間、これでまず身動きが出来なくなりまして、そこへb浮世なれ と古靭の語りが始まってからはもはやどうする事も出来ませんでした。「事厳重に」まで、越路や綱でさえも特に気に留めるほどのものではありませんでしたが、ああこれこそ其日庵や道八の語る通りです。往々にして芸談は誇張や虚言扱いされる事が多いのですが、真実を語る人物の言は本当に信頼できます。司馬選の「史記」の記事の確かさが発掘の進展とともにますます明らかになっていることやホメロスの「イリアス」を信じたシュリーマンのことなど、すべてこのことを現しています。問題は真実を感じとることです。何が真実かを見抜き聞き取る事です。浄瑠璃の世界では古靭(受領してからはいけません。)がその聞き取る耳を鍛えてくれます。
 さて清六はさすがにまだ若いですが、時代なり口伝なり修行なりです。例えば「かかる折にも」のハルフシ。流れる事無くきちんと弾いてから、「花やかに」の中に移っています。そうその中。古靭の中の素晴らしさ。このCDでなければ理解困難でしょう。特に色との語り分け弾き分けは、私も今以てよくわかりませんが、この演奏を何十回と聴けば何か見えてくるような気がするのです。
  あと九太夫の見事さ。道八の言う「九太夫の難しさ」は古靭以外ではまさにその通り。この演奏のみが「九太夫の見事さ」です。あといちいち其日庵道八の芸談通りで、この演奏を聞けば日頃不勉強の国立や一部評論家の連中もそれこそ言句も出でずでしょう。あの一家中の願いの所など、もう予言の成就という宗教的な感情まで湧き出るほど、ピタリ一致しています。しかしこれがどういうことか、連中には結局わからないでのしょう。「え?書いてある通り語っているという事でしょう?」ああ、どうする事も出来ませんな。そしてシュリーマンは狂人扱いされる。
  六段目。私は「合邦」「堀川」は四代清六とのレコードの方が何度聞いても良く感じられ、内山先生始め渡辺氏も「義太夫をよく知る人」(内山氏)なら絶対に三代清六との演奏を取ると言われるので、実際もう浄瑠璃研究はやめようかと思っていたのです。ところがこの六段目が命の恩人救世主となりました。思うに「合邦」も「堀川」もこの一段が作品全体のすべてというもので、何もかも盛り込んであるという「面白味」(誤解の無いようにとの括弧です)の濃い内容節付けです。それをああ演奏されると、いくら修行中とはいえ古靭はがんじがらめだし、作品自体が演奏に負けてしまっています。大隅なら破格の語りでそこをぶち抜いたのでしょうけれども。「三味線だけを取り出して聞くのなら三代清六」というべきでしたのでしょう。ところがこれは「忠六」ですから。あの其日庵にしてからが、どうにも書くに書けず、鰻を食われた話と摂津大掾にやりこめられた話とを長々としている他はなかった「忠六」ですから。またまた書き出すと際限がありませんので、特徴的なところだけ。まず全体を通しての骨格が素晴らしい。「合邦」「堀川」での緊縛がここでは実にぴったりと決まっています。そしてやはりハルフシ。「母は涙の」の所。そして母の「涙さへ出ぬはいやい」でジャンと締めて「なふいとしや与市兵衛殿」と哀切の調べにいく。まるで子供がするように勘平からプイと顔を背け背を向けて、親父の死骸に近寄ってからこれみよがしの言葉を並べる、しかしいくら無視しても親父の死骸に語りかけているうちに怒りがこみあげ、ふたたび勘平の所へきて、今度はもう髪を握るは胸ぐら掴むは、そしてどうにもならず畳に顔を伏せるという、この一連の婆の言動がいちいちもっともにこちらに響いてくるのも、まずこのジャンの一締めが有効だからです。続いて「折悪けれども勘平は」の所のいかにも折りが悪い間、音。ここも芸談でよく言われるところですが、この演奏以外でハッと気付いた事はありません。圧巻はやはり勘平が腹を切ってからで、身体は死に向かっていくが、心はこの土にとどまるという二律背反、恐ろしいまでの修羅の断末魔を見事に表現していきます。ここが実に素晴らしいので、段切りはちゃんと早足(無論相対的にですが)でいっても、ただ一人残る母の哀愁が見事に浮き彫りになっています。そこへいくと今回の住・燕三はずるずるべったりでした。劇評には敢えて書きませんでしたが、某日昼の部終了時東京から来たW大学の女子学生の会話「今日もここで眠くなってしまって。お昼をいただいた後だから。」「私も。そうそう某先生も同じ事おっしゃっていたわよ。」云々。かくいう私もウトウトとしていたのでした。「寺子屋」「袖萩祭文」本当に楽しみです。ただいかにも残念なのは、佳品中の佳品そして絶品とまで言われた「流しの枝」が残っていない事です。古靭の二段目はおそらく浄瑠璃史上第一と言って良いと私は思っています。三段目や四段目は他にも名人上手数多いでしょうが、二段目は古靭をおいて他にない。品格識見気韻情趣、摂津大掾春太夫長門太夫に果ては播磨少掾でも、古靭太夫に比べるとどこか及ばないところがあるのではと想像します。如何でしょうか。七段目はほぼ劇評に書いた通りです。弥太夫の由良之助が食い足りないという声はもっともで、私もそう感じますが、死の直前という事もあり致し方無いでしょう。それよりも、あれで浄瑠璃が動く世話物を語ったというがさぞ玄人好みの素晴らしいものだったろうなと夢想する方が楽しいというものでしょう。無論この演奏中にもその片鱗は随所にうかがえます。おかるの錣太夫は「琴責」の方が上ですが、それでもまたまた「折りに二階へ」のハルフシが丁寧で、「勘平が」が中。そしてウで「妻のおかる」と続くところの素晴らしさ。ハルフシは大切というこれも良く耳にする芸談が、今回の三枚の演奏すべてからは裏打ちされているのに対して、今度の公演はもちろん、綱・弥七の演奏からももう一つ明解には聞き取れなかった事は、重大な事だと思われます。身体で覚えることと頭で意識することとが共存、それも最高の状態で共存していた古靭太夫は、諸刃の剣だったのです。あの綱大夫にしてからがああなのですから。