人形浄瑠璃文楽 令和七年一月公演(初日所見) 

第一部

『新版歌祭文』
「座摩社」
  初春公演初日の第一部は最後尾の座席まで満員御礼で結構なことであった。初芝居を文楽でという慣習が残っているのであろうか。普段からこれだけの入りがあるとよいのだが。その初日、劇場側は大失態を演じた。何と振舞酒の枡がなくなってしまったのである。初日第一部に何人の客が来るかはあらかじめわかっていることだから、その人数分の枡を用意すれば不足になるはずがない。これは劇場側が数をケチったとしか言い様がない。恥ずかしい限りである。客はただ酒を飲みたいわけではなく、升酒だからよいのである。その枡がなくなったからといって紙コップに注ぐというのはあまりにも破廉恥だ。客の心理をまったくわかっていない。来年度からはこのようなことがないようにしていただこう。前例踏襲主義の役所仕事なら今年と同じ数の枡を来年も発注するに違いない。ゆえに今の段階から不足分を計上して発注時期のカレンダーにメモを貼付しておくことを推奨する。折角の正月気分が枡切れで台無しにされてしまうことの重要性を、劇場側は厳として心に刻みつけるべきである。ちなみにこれは今年で枡が五個すなわち五年分蓄積できた者の発言である。加えて撒き手拭いがなくなったから抽選にしてあるのだが、その数が少なすぎる。これもまた初春の目出度い行事なのだから、太っ腹の大盤振る舞いと願いたいものなのである。
  さて、肝心の劇評である。この一段は久松が騙られた一貫五百匁がどのようにしてなされたのかを知ることができるのであるが、それだけならわざわざ出す必要も無い。これは時間稼ぎの一段以外の何物でも無かろう。ただし、今回は観客に助けられた。客席がそこここで反応して笑いが起きていたのである。そうなればそれなりに面白い一段ということになるが、それにしてもどうと評する一段でもない。掛合に捌いて清友が弾くが、三輪・津国・文字栄・南都・咲寿・亘とそれぞれの分担を相応に語っていた。まあこれだけの人数での掛合だからそれぞれの役割を語れなければどうしようもないのだが。

「野崎村」
  端場を希と清志郎が勤める。「あいたし小助」と名が付けられているように、聞き応えのある端場である。しかしその肝心の小助が映らない。嫌らしさがまったく出ていないのだ。この人物は相手が自分より下だと判断すると嵩に懸かってその本性を発揮する、そこのところが語れていなかった。かといって人形がそれを上回ってリードしていたというのでもなく、簑一郎の遣い方も今一歩であった。そうなると他は推して知るべしであり、やはりこの一段は中堅の味のあるベテランが語ってようやく物になるというところであろう。現在の希薄な陣容ではこの役割にならざるを得ないから仕方が無い。かつての小松大夫や相生大夫そして伊達路大夫あたりが語って叶太郎が弾いていると、随分と魅力的な一段になっていたであろうと思う。
  切場の前半は織と藤蔵。全体として丁寧なものであった。マクラから「風」に心していたのもさすがである。これといって特筆すべき箇所もないのだが、安心して聞けるまでに至っているのは、両人の実力が到達している証拠である。とはいえ、久作がよく映ってお染のクドキで堪能させるところまで達したならば、それこそ名人への道が開かれたと言えるであろう。
  後半を若と清介。久作の異見が手応え無く、ただスルスルと進んだだけという印象。ただし段切は華やかに派手に鮮やかに幕切れとなったから、新春公演としては成功裏に終わったとしてよいのだろう。それにしても老母省略バージョンはあっさりとして面白くない。不完全体と言って良いだろう。この両人には最後大当たりと声が掛かったが、これは贔屓の引き倒しであって、この程度で大当たりなら空くじ無しの抽選会みたいなもので、当たり乱発で盛り上がる品のないものということになる。もっとも、不完全体に相応しいということで大当たりというのならわからないでもないが。
  人形はおみつの清十郎が素晴らしかった。在所娘の感じから、「気もいそいそ」としたところ、「悋気の初物」もよく描き出しており、「我を忘れて諍い」も的確、そして髪を切っての「玉より清き真心」もその純真無垢が際立っての好演であった。久作の玉也はそれぞれを語った太夫の割を食った形、やはり人形がリードするというのは難しく、太夫の語りが第一で語りがあってこその人形であるとあらためて感じさせられた。お染の紋臣は久松を籠絡する魅力とまでは見えなかったし、久松の文昇もお染の心を奪う若男とまではいかず平凡に終わった。とにもかくにも、おみつの人形以外は不完全燃焼に終わった本公演であった。
  なお、今回は以前に増して、人形の出入りがあるたびに客席から拍手が起こるという事態が深刻であった。床が奏演を始めてからは芝居の中へ没入していなければならず、人形の出入りへの拍手はその外側すなわち劇の埒外のことであるから、本来ならあってはならぬことである。まあ、人間国宝級でファンからの拍手というのであればまだわかるが、それでも芝居の流れを中断するという意味に於いては同じである。もちろんこの拍手は、芝居の中での見所聞き所で起こる自然の拍手とは別物で、これは芸と芝居そのものに対する評価であるからむしろ演劇の流れを補強する役割も有することになる。一方の人形の出入りに対する拍手は人形遣いすなわち舞台上では無である存在に対するものであるから、舞台の外から起こる騒音と言うことになるのである。現に、かつての公演記録を見てもらうと一目瞭然なのだが、人形の出入りに伴う拍手など元々はなかったものである。現行のそれはもはや悪癖と言っても過言ではなかろう。聞くところによると、歌舞伎に於いてもこの拍手の過剰は問題視されているそうである。この流れを元に戻すのは難題である。なにせ拍手をする者は役者や人形遣いのためを思って拍手をしているのであり、上記の断絶の罪などはこれっぽっちも感じていないからである。過剰な拍手、これを弊害として声を大にして叫ばなくてはなるまい。この弊害が文楽や古典芸能の衰退を招いている一端とまで断言してもよいだろう。すなわち芝居への没入という最も大事なところを失っているのであるから。

第二部

仮名手本忠臣蔵』
「道行旅路の嫁入」
  シンの清治師と呂勢が抜群の出来、二枚目の靖と清馗は相応、三枚目の友之助は及第点だが碩は二の音がまだ出来ていないので不十分であった。全体としてユニゾンも素晴らしく、美しい聞き応えのある仕上がりであった。

「雪転し」
  なかなかに難しい一段である。たとえば、「酒醒ませとは。アヽヽ降つたる雪かな」「いふやうなものかい。オイこれこれ」「同じ桐枕。ヲヽ」この変化など睦はまるで語れていない。前半がこれでダメ出しとなると後半の正気もまるで映らなくなる。結論として失敗作であった。睦レベルではどうにもならない一段であることがよくわかった。なお、三味線の清丈は相応の出来ではあったが。

「山科閑居」
  前半を千歳と富助。前回と比して戸無瀬とお石が喧嘩をしているという感は減少したが、それでもバタバタとした印象が残った。とりわけ戸無瀬がドタバタと騒がしいのはこねくり回し過ぎたからであろう。「でかしやつた」で拍手が来ていたがこれは手を叩いた観客も観客であって、局部極大化という千歳の悪いところに調子を合わせてはいけないのであった。やはり九段目は難しい。かつての住太夫のそれには遠く及ばない出来であった。
  後半は藤だが燕三が弾くのが珍しい。本蔵の「子ゆゑに捨つる親心」はそれなりに応えたから成功と言ってもよいのだが、九段目というより浄瑠璃義太夫節の一段の構成上の特徴である後半の躍動感に乏しく、緊張感や切迫感にも欠けていた。スルスルと進んでいった印象は否めない。段切の哀切感も今ひとつであった。師匠を失って久しいが、もうここがこうと指摘して正す立場の人間がいなくなってしまったということかもしれない。これまでならそうなる以前に伝授が正しく行われていたのだが、今やもうその伝授を担う陣容ではないという悲劇が存在しているのである。これは伝統芸能にとってはゆゆしき事態であって、取り返しのつかないことなのだ。文楽の危機とは今まさに正真正銘本物なのである。
  人形陣は、和生師と勘十郎師と玉男師の三羽烏が揃っており文句のつけようもない。ただ、戸無瀬については、柄杓を取り落とすところの心情が不明でわからなかったことと、手負いの夫に雪の石塔を見るよう促すところがあまりにも露骨だったことと、この二点が気になった。小浪の簑紫郎は純真一途な武家の娘を描いていたし、力弥の玉勢も若男カシラの武士が映っていた。

第三部

『本朝廿四孝』
「道行似合の女夫丸」
  出すほどのものではない。これまた時間稼ぎに過ぎず、通し狂言として出すときには種々問題を抱えるのに、こういうときにあっさりとこういう一段を出すというところに、劇場制作側の中途半端さが露見している。とにかく地味でモッサリしており、いつもの道行ではないところが余計にマイナスとなってしまっていた。シンの団七はそれでも全体をよくまとめていたが、睦はずいぶんと高音が苦しそうであり、それもまた興ざめを誘う要因であった。二枚目は希と団吾、三枚目は亘と錦吾でそれぞれの分を果たしていた。

「景勝上使」
  靖と勝平。力感があったし鋭さもあった。成功と言ってよい。難物の関兵衛もそれなりに映っていた。

「鉄砲渡し」
  駒太夫風に仕立ててあるが、内容によるものではなくて、次段「十種香」へ繋げるために半ば無理にそうしてある。「景勝上使」の足取りではとても「十種香」へ繋がらないのは一度聞いたらわかるものである。ということで、ここは何よりその足取りが重要であるが、小住と寛太郎はその役目を果たしていた。

「十種香」
  錣と宗助。結論から言うと平凡。たとえて言うと、プラスチックの長方形水槽の中で一応金魚らしきものが泳いでいるという感じ。やはりスルスルとただ進んでいった。とはいえ、この四段目切場の大曲をとにもかくにも破綻なく勤めたというのは賞賛すべきであって、切語りとその相三味線としての立場はきちんと表現して見せたということになる。しかしやはりここは、濡衣でほろりとさせて八重垣姫で堪能させ、最後に謙信で大きく納めてほしいところである。
  人形は、八重垣姫が簑二郎で派手さはないが破綻なく確実に遣う。ただしやはりこの一段は八重垣姫で堪能させるという次元にまで至ってほしいところだが、今回は実力以上に発揮させる床ではなかったということでもあろう。勝頼は玉助でこの難しい若男カシラをよく動かずに滲み出てくる寸前にまで遣ったのは評価できる。濡衣は勘弥で動きのある場面よりは慎ましいところの方が光っていた。謙信は玉志でもう一回り大きく遣えれば言うことはない。景勝の玉佳は力感あって十分。関兵衛の玉輝は老いたところは十分だがその正体不明の不気味さまでを描出するには至らなかった。

「奥庭狐火」
  芳穂を錦糸が弾いて友之助をツレに琴を清允。存分な出来で、一糸乱れず、強弱緩急自在で、太夫がその実力以上の出来と感じられたのである。
  初春公演全体としての評価としては、終演が19時45分とよい時間でもあったし、三部制でもゆとりのあるものであった。これに比して四月公演は10時30分開演で終演も20時30分と長丁場であり、出来如何によっては苦痛を伴うものである。しかも三部制であるからその分の30分が余計にその負担を感じさせるものである。演目は通し狂言『義経千本桜』という悪かろうはずもないのであるから、三業陣はいつも以上に奮起して、朝から晩まで劇場の椅子に居続けた観客を十二分に満足させるものとしていただきたい。その意味でも、次回公演は文楽の現状がいかなるものかを判断する試金石となるであろう。それにしても、帰宅が22時近くなるというのは今から考えてもため息が漏れるところである。やはり二部制として20時には終演としていただきたい。

 

【従是千秋氏評論】

令和七年一月公演(一月二十日)

第二部  「仮名手本忠臣蔵」
  新春を寿ぐと同時に吉田和生師の文化功労者顕彰記念とあって、客席も前方はほぼ満席でした。餅花も華やか、舞台上の睨み鯛もめでたく、その中央に大石神社宮司の揮毫された「巳」の字が掲げられており、場内の「気」を引き締めていました。
  さて私事ではありますが、昨年は自身の体調不良に身内の不幸が重なり、止むなく2度休載となりました。今年は心機一転して再開しましたので、何卒よろしくお願い申し上げます。

八段目

☆「道行旅路の嫁入」
     呂勢太夫  靖太夫 ‥
     清治 ‥‥
   「浮世とは誰が言ひ初めて‥」清治師の三味線にのっての、朗々たる呂勢の語りが、不安はあってもひたむきに力弥を求める戸無瀬、小浪の心をよく表現していた。やはり「道行」とは道中の地霊を身に付けて自らを活性化して行くものなのである。不安に沈みがちな小浪の心も地霊の力で活性化された筈だ。
  それに応ずるように、清治師の先導する三味線の華やかなツレ弾きは、地霊の響となってよく聴衆の心を弾ませ、太夫陣のユニゾンと相俟って、新春らしい伸びやかさがあり、十分楽しめた。ウキウキしたのである。
  しかし人形に存在感がなく、唯ちまちまと所作を為すだけであるのが残念であった。


九段目

☆「雪転しの段」
      睦太夫  清丈
    この人は大音で明晰なのだが、終始一貫それだけなのだった。前半「詞もしどろ、足取りもしどろに見ゆる酒機嫌」と語っても、「しどろ」の内実は醸し出せず、平坦。つまり由良助の内面を映し出す事が出来ないのである。人物把握が表面的なので、メリハリも緩急も表現出来ず、故に音楽的な流れも形成出来ない。流れが無いので、人形の動きにも連繋が感じられず、舞台には一体感が無かった。

☆「山科閑居の段」
      切 千歳太夫  富助
  「『娘ここへ』と呼び出せば谷の戸あけて鶯の‥」と情感溢れる詞章を千歳は滑らかに説得力を以って語って行くが、「‥移り変はるは世の習ひ。変らぬは親心、‥」辺りから徐々に単調となり、大音と力みばかりが目立つようになった。
  戸無瀬とお石の対決は唯の女同士の意地の張り合いでは無くて、両者の退っ引きならぬ論理は、また観客、聴衆の抱くこの婚姻への疑念が集約されたものである。故に戸無瀬は賢しく、お石はキッパリ「他行。」と対立軸を明確にさせねばならない。対立軸が露わになって行く過程がスリリングで、論理の火花が散る状況を、太夫は聴衆に向かって十分に展開せねはならないのだが、千歳には何の戦略もなかった。
  それ故に人形が、唯ドタバタと騒いでいるだけで、知的な論理のせめぎ合いは全く感じられなかった。
  何を聴衆に伝えるべきか、よくよく思考して、分析し構成しなければ、大音と力みで聴衆は驚くかもしれないが、結局は退屈なのだ。

     後  藤太夫  燕三
  この人も大音で力演であった。しかしそれで良いのか、疑問が残る。感情が高揚してうねりとなるのではなく、唯大音なのである。内的必然性が無いので、「『ハハハハいやはや、‥』」と三方を踏み砕いても凄みが感じられない。色々な行動が説明されるだけで、バラバラに分断されるので、流れも切迫も緊張も無い。あるがままになっている。『思へば貴殿の身の上は‥』と述べる本蔵の論理は切実で、聴衆の心に訴える筈であるが、何と言う事もない。
  唯勘十郎師の本蔵だけが内向きに陥らず、大きく観客に開かれており、虚無僧姿の出から三方を足で踏み砕くまで、緊張感があり、女達の論理を自らの首を賭けた超論理で吹き飛ばす勢いが爽快であった。
  比べて玉男師の大石は内向きで小さく、本蔵を包含する器量の程を示せなかった。
  お石は一輔にとって重荷だったかもしれないが、お石の怜悧さがよく表現されており、しかも「言はぬ心のいぢらしさ」辺りのいじらしさへと深みを見せて行く様子が優れていた。流れを把握しているのである。

☆総じて、太夫陣(靖、睦、千歳、藤)の語りは大音にも拘らず、実際には内に閉ざされでいるので、聴衆の耳に響いていないのである。自分の音声の行方を自ら追う事が出来ないので、勿論聴衆にどう聴こえているのかも分かっていない。故に自己満足に陥っているのだ。
  その結果聴衆の耳には大声だけが残り、舞台では人形がバタバタしているのである。
  この閉じたサイクルを打破せぬ限り、太夫陣は大音を発する置物に過ぎない。もっと聴衆の耳の奥底にまで浸透し、心を揺り動かして、現実世界をこじ開け、聴衆を別世界まで連れて行かねばならないのに残念であった。

☆但し三味線陣は素晴らしかった。何をどの様に弾いているのかを、自らの耳で確認し、よく分析して統御しているので、的確で最高の音を聴衆に届けていた。この姿勢が太夫陣にも欲しいものである。
  清治師と呂勢の化学的相乗効果も美しかったが、富助がしっとりと、又冷静に千歳を抑え、落ち着かせているのが、印象に残った。
又藤太夫が後半『アアコレコレ』『イイエイナ』と、戸無瀬とお石が掛け合っての躍動感を表現すべきところ、不発で、流れに変化が無いのを、燕三が全力でカバーしていた。何をどう表現すべきか、自己の耳で確認しながら弾いているので、聴衆に向かって開かれた三味の音になったのだ。故に聴衆の心は揺さぶられて陶酔する。

  太夫陣にはこれら三味線陣の開かれた音色をよく聴いて、自らの浄瑠璃を聴衆の耳と心に届く、開かれたものにして欲しいと切に願う。
  しかも浄瑠璃は目の前の聴衆を超えて行かねばならないのだ。

           以上