久しぶりの振舞酒に、客席は補助椅子まで出る満員御礼、着物姿もあちこちに見られ、正月初芝居気分満載の劇場である。客席の期待と熱気は舞台にも十分に反映され、第一部の成功は半ば観客の手柄と言って良かった。やはりパワーというものの効果は絶大で、それゆえに、観客動員は現状そして未来の文楽にとってもやはり最大の課題なのである。無論、後継者の育成という面も重要であるが、それもまた観客層の裾野が広がれば自然と解消されるものであるに違いない。そのためには、文楽の魅力というものが認知されなければならないのであるが、初心者へのアピールという点では相応の実践がなされているところである。すなわち、問題は一見さんが固定客として継続的に劇場へ足を運んでくれるかということであり、それゆえにこそこれは難題となってしまう。
人形がまるで人間みたいに動いているとか、床の迫力に圧倒されるとか、そのレベルを超えて、人形浄瑠璃文楽の本質にまで至るかどうかがカギなのである。一点目は、いわゆる「情」の表現ということであるが、それ以上に必要となるのが芸術的感動をもたらすことが出来るかということである。美術品に例えると、投機目的で収集されたバブル期の人気は「金になる」ということで、芸術的本質とは無縁である。事実、バブル崩壊後は目も当てられぬ惨状に陥った。文楽の場合は、前述の初心者的感想がそれに当たるだろう。いや、それは芸術的感動への第一歩であると即座に反論が返ってこようが、それらが鑑賞教室の感想文で留まるものである以上は、所詮リピートのない珍しい体験で終わることになる。修学旅行的経験と言ってもよかろう。それが自ら二度三度と劇場へ足を運ぶようになるためには、芸術の力が必要となるのである。人形には人形の動きが要求されるし(これは何とも逆説的な話ではある。他のパペットとは異なってあたかも本物の人間が動いているかのように操るのが文楽人形であるが、そう見せているのは床の奏演があるからなのであって、あくまでも人間の動きに近付けよう似せようとするだけでは、所詮歌舞伎には叶わないのであって、人形芝居の魅力というものも消え失せてしまう。生身の人間からは見えてこない精神―心理・感情の蒸留されたもの―が体現されるからこそ、人形浄瑠璃文楽は偉大な芸術なのである)、床の奏演には独自の音楽性の発揮(その最大にして最高のものが「風」である)が必要となる。結句それは、技芸員の力量に還元されることになるし、三百年超の歴史と伝統の中で培われた(流行による)不易の実体化ということでもある。
そういう意味からすれば、初春公演初日の賑わいもまた、別の見方をしなければならない。すなわち、大阪には初芝居見物の伝統が今も残されているというよりも、人形浄瑠璃文楽の位置付けがそこに留まっているという具合である。これは皮肉な見方でも何でもなく、事実としてその後の客の入りがどうであるかを考え合わせれば、まぎれもない真実であろう。それを言っちゃあお仕舞いで身も蓋もない、と今度は嘆息されるのであろうけれども、それならば文楽はその位置付けで十分であるのかどうか。そこにはもう芸術的高みは不要となるのであり、毎年七福神が芸尽くしをするか三番叟が鈴を片手に踊っているか、そこへ有名な「近松物」でも付け足しておけばよいという、その程度の見世物(見せ物・聞き物)で結構だとするのか。三河万歳も獅子舞も初春の芸能であるしそれでよい。季節性のものであるからといって、民俗芸能としての価値がなくなるものではない。しかし、人形浄瑠璃文楽は芸術である。その点からいうと、世界無形文化遺産に登録されたと喜ぶことはできない。現にクラシックのオペラは登録されていないのである。今更言うまでもないが、世界無形遺産とは「グローバリゼーションの進展や社会の変容などに伴い」「衰退や消滅などの脅威がもたらされるとの認識から」「保護を目的とし」(文化庁)たものに該当するのであり、人形浄瑠璃文楽はその点からして「遺産」なのである。現代日本は、その遺産を相続しているということになる。遺産は遺された産物であるから、過去の遺物であることに間違いはない。現在という視点から見れば、それらは既に死んだものなのである。これは当たり前のようであるが、例えばテレビは一世紀以上前の産物であるが遺物(遺産)とは言わない。それは、現在でも生産されているからである。このことはしかし、文楽に新作が生まれなくなったから遺産と呼ばれることを意味しない。それはなぜかというと、人形浄瑠璃文楽が芸術であるからである。クラシック音楽を過去の遺物や遺産という言い方などしない。それは現代にもクラシックの作曲がなされているからではない。文楽でも夏休み親子劇場のために新作が演じられている。要は、芸術とは歴史的(時間的)経過によってその価値が揺るがないということである(もちろん空間的移動も該当するが)。
この「価値」ということがまたひどく厄介である。クラシック音楽を(現代において)価値がないという人はいないが、文楽を価値がないとする人は存在する。また、ピカソの抽象画を見て、それをピカソと知らないと、価値がないとする人もいる(二代目桂春蝶の「ピカソ」は名作かつ傑作であった)し、クラシック音楽の価値がわからないという人もある。すなわち、価値とはその対象物そのものに存在するのではなくて、その対象物を判断する存在(人間)のうちにあると言ってよい。クラシック音楽の価値について先の発言が出てくるのは、クラシック音楽には価値があると権威付けられているからであって、ピカソの絵画に対しても価値「付けられた」ピカソという人物とその手による作品という既成概念が、そう言わせるのである。文楽を価値がないとする人が存在するのは、文楽が価値という権威を付けられていないという証左でもあり、その「付けられた」価値を無視しても世間という大勢の中にあって問題ないという現実があるからでもある。ただし、芸術において存在する多数決(外部からの価値付け)とは、相対的なものではなくて絶対的なものである。それを支えるのが芸術作品が有する力であり、その超越的真髄なのである。
したがって、人形浄瑠璃文楽が抱える難題とは、一見すると観客数の減少ということであるが、実はその芸術性が保たれているかということになる。一見客を固定客として定着させ得るのも、その芸術性である。観客はそれにより感動をもたらされ、人形浄瑠璃文楽を自身の内部のものとして取り込む。世界無形遺産ですよと叫んだり、学校教育において教えたりなど、外部からの「価値付け」によっては、人形浄瑠璃文楽は芸術たり得ない。そこに必要とされるのは芸の力である。芸術性を体現し真髄を浮かび上がらせる三業の存在である。そこにはもちろん再現芸術という意味もあり、その再現とはライヴということであるはずである。しかしながら、名人上手の映像や音源に触れて芸術性を如実に感じ取る一方、一時間かけて劇場通いをするのが億劫に思われるとき、そのライヴの意味も違って捉えられてくる。「桐の葉は 木に朽ちんより 秋来なば 先駆散らん」「人も知る 茗渓の水 よし涸れよ 濁さんよりは」(東京高等師範学校宣揚歌)とは、尊重されずんば廃校も辞せずとの謂いであるが、文楽もまた同様ではないかという気もするのである。
初春公演初日の隆盛は三業の成果にも正の結果をもたらした。それは喜ばしいものであり、劇場内はいわゆる正月気分に満ち溢れた時空間を形成した。自身もまた、その中で素敵なひとときを共有することができた。これは正月三日の国立文楽劇場ならではのことであり、そこへ通った者のみが実体験したことであった。しかし、そのことにより人形浄瑠璃文楽が局部(限定的時空)化するならば、それは本末転倒である。非日常性の価値はそれが日常性の中に組み入れられているからこそ意味がある。日常性と乖離することが非日常性ではなく、日常性における非日常性の現出が価値を創出するのである。それが芸術というものでもある。別に民藝を持ち出そうというのではない。芸術とは生ものであり、熟成もされるということである。「木に朽ちんより 先駆散らん」「よし涸れよ 濁さんよりは」とは、文字通りデッドではなくライヴということであり、それは映像や音源(公演が行われそれを劇場の椅子で実感するものということではない)による芸術の「いま・ここ」における産出を意味する。これらのことを気付かせてくれたという点で、今回の初日来場は有意義であったことになるのである。
第一部
『七福神宝の入舩』
初春公演初日の雰囲気をそのまま体現したものであり、その意味において三業はずいぶん助けられていた。「芸尽くし」まさにそれでよく、それを堪能しての満足感であった。これだけ反応の良い客席はなかなか経験できないものである。ゆえに、七つそれぞれによく映えた床かつ手摺で全体として好ましく(弁財天の琵琶の音も良く、恵比寿はまさにめでタイ)、細評云々できるものではなかったから、特徴的なところのみ記す。寿老人は「御年に似合はぬ華やかさ」の詞章に叶った奏演で、それゆえに琴の響きもよく合っていた。布袋は腹鼓を打つ人形の手の位置が上過ぎた。大黒は胡弓の弓使いがもっと巧みでありたい。福禄寿は人形がうるさく感じられたが「福神仲間の道化役」と詞章にあるからはそれはそれでよい。毘沙門は詞はよかったが地にはまだ難点があった。
ここで二十五分の休憩が入る。これにより一部二部(三部)間が三十五分と窮屈になった(外食することは不可能)。とはいえ、初芝居に来て酒を嗜みゆったり昼食となるのならそれでよかろう。
『近頃河原達引』
「四条河原」
時間調整のために付けられている。ここを出すと切場がスムーズに理解できるようになるというよりも、話が拡がってしまいむしろ収拾を付けにくくなる。ここを出すのなら道行と落合まで出して始末を付けなければならないはずだ。もっとも、この段だけで見所聞き所を現出できるのであれば、話は別であるが。ということで、前者ならば評言は不要となるから、後者となったかどうかを確かめてみる。伝兵衛の睦は冒頭の地から不安定で段切も情感が出ない。詞も終始落ち着かない感があったが、伝兵衛の置かれた状況からするとそれを踏まえた語りと言えなくもないが、そこまでには至っていないであろう。官左衛門の靖は、悪役ながら勘定役であるからかとも思ったが、いささか収まりが付きすぎた語りと感じられた。勘蔵の文字栄はいつもながら一杯一杯。久八の南都は奴に相当する立ち位置をよく弁えた語り口で、その独特の言い回しもできて、間や足取りもよく、久しぶりに快打が出た。この人はやはり男役の方が断然上。あの「合邦」端場を勤めたときの感動を是非また体験したいものである。人形は各々の語り相応に見えたが、それが人形浄瑠璃というものの本質でもある。
「堀川猿廻し」
名作である。節付もすぐれており、古靱清六(四代。三代との奏演は堅苦し過ぎる)に聞き惚れて数え切れないほど馴染んだ。
切場前半を錣が担当するが、マクラは苦しい。「会」(くわい)「喧嘩」(けんか)で五分。三味線の稽古はツレ弾きもよく、「弾く三味線は〜乱れて遊ぶ騒ぎ合ひ」の藤蔵が鮮やか。お俊のクドキ「殊にまた伝兵衛さん〜とても末の詰まらぬこと」が心情と相俟ってしみじみとする。次のメリヤスの三味線もよい。与次郎は母思い妹思いの正直者という描写が出来ていた。
後半は呂と清介。とりわけ与次郎が光った。お俊のクドキは、「たっぷり」と声も掛かったが(こういう贔屓客は悪くない)むしろあっさり。とはいえ、伝兵衛一筋の心情はきちんと届いた。その後の母の述懐が切実で胸に響く。猿廻しの奏演は勢いとハリがあって絶妙、しかも「面白うてやがて悲しき」と段切りは涙を催させたから、この名作を演じて大成功万々歳と言って良かった。
人形は、勘十郎師の与次郎が見事に遣ってしかも無駄かつ蛇足がなく(ゆえに細叙するよりもそれぞれの詞章そして心情にピタリという方が適切である)、床を先導するところまで至っており、一つの理想型が現出していた。母親の勘寿は彼でなければこの老母の現出はできまい。これも床を導いた感がある。お俊の簑二郎と伝兵衛の玉佳は床相応の遣いぶりと見えた。とにかく、マクラから段切まで、芝居にずっと入り込めたし楽しめもした。やはり名作・人気作である。そしてそれを「いま・ここ」に再現して見せた三業の力量もまた、確かなものであったのだ。
『伽羅先代萩』
「竹の間」
上出来であった。床は芳穂を錦糸が弾く。とりわけ沖の井が立派で、「さすがに庄司為村が奥」「眼鏡はずさぬ一捌き」の詞章を十二分に体現した。また、鶴喜代の言葉も素晴らしく、切場に「稚けれども天然に太守の心備はりて」とある性根を如実に感じさせた。マクラの詞章「所存は深き奥御殿の出入りを堅く改めて」も語り果せており、政岡にも相応の性根が確かであった。「頑是」(ぐわんぜ)と語るもよし。八汐も変に悪目立ちせず、曲者の一件もドタバタにならず、竹の間の格を踏まえたものであった。
「御殿」
長々しいとも感じられず、途中退屈も飽きもせず、睡魔にも襲われなかったのは、この一段を語って存分(ただし、そこには人形の働きも大きいと思われる)の千歳である。三味線はもちろん富助。というのも、あの山城少掾の、まだ受領したばかりで後に長いと言われる以前の音源にしてからが、時には、所詮握り飯が出来るまでの空腹我慢大会ではないか、などと不遜かつ無知な思いが浮かんでくることのなきにしもあらずだから、今回の語りはやはり出来たものとしてよいと思われるのである。もちろん、若君の言葉を受けての政岡が述懐とクドキには心情が満ち溢れていたし、千松も「名に負ふ武士の胤なりき」とある詞章を得心させるだけのものがあったので、一段を通してスルスルと順調に進んだだけの結果というわけではない。それでも眼目の一つ「飯炊き」にある詞章「骨も砕くる思ひなり」が響いてこなかったのは、山城のマクラからの緊迫感・重厚感(端場「竹の間」冒頭詞章にある通り、そして前段の騒動が収まった後の静寂による)に貫かれていることで聴いていて身動きがとれずということもなく、「片はずし」と別称がつく大役政岡が眼前に出現するということもなく、今回は心安く聞き進められたからであろう。もう一つ、鶴喜代の詞に「稚けれども天然に太守の心備はりて」とある性根を感じるには苦しいものがあったこともある。しかしやはり、この難しい大場を全体として破綻無く胸にストンと落ちるようにわかりやすく語り果せたのは、一段の成功と総括してよい。切語りの称号に何らの恥じるところもない出来であった。要するに、山城少掾や越路大夫などは超絶的としか言い様のないレベルということなのである。
「政岡忠義」
人口に膾炙した政岡のクドキ、これまで聴いた中では、四代南部と吉弥の音源が最も好ましく感じた(もちろん摂津大掾などは知らない)。そして、これは以前に書いてWeb上にも反映されているものであるが、煩を厭わず掲げておく。この政岡のクドキがどういうものかを示すためである。
「映画「文楽・伽羅先代萩」日本古典芸術文化抜粋版。「後には一人政岡が」から千松愁嘆のクドキまで、わずか8分にも足りませんでした。が、実に充実した時間でした。この8分のために早退した甲斐があったというものです。まず観客の入った座席から見て手摺には文五郎の政岡と千松の死骸。床上部御簾中央には豊竹古靱太夫と入り、古靱清六両人の座る床は感動的でさえありました。古靱清六の床は土門拳らの写真でしか見たことがなかったので、臨場感から目頭も熱くなりました。しかもフィルムが実に鮮明で、ヴィデオからフィルム化した公演記録映画会以上の明瞭さ。古靱はまだまだ声に張りも艶もあり、この後場の心情吐露を十分にたっぷりと聴かせてくれました。口捌きもよくライヴならではの高揚感もあり、行儀がよいというよりも実に熱が入っておりました。足取りや間も言うことなく、やはり古靱太夫は山城少掾より断然良いと勘定場は追認いたしました。清六の三味線がまた実に流麗で最上の音。このコンビは浄瑠璃の極楽・至上の快楽を現出します。言っておきますがわずか8分にも足らぬ時間でですよ。もちろん聴かせ所のクドキではありますが。いやあこれではもうたまりませんね。勘定場なら婬する程ずるずるにはまり込んだに違いありません。いや、深みとか精神性や語り物の真実をえぐり出しているのは山城である…というのはわかります。しかしモーツァルトに例えるならば、あの妖しい官能性を備えていなければ神の音楽ではありません。やはり古靱清六は共に天才であったのですね(その意味で山城は人間的ということになりますか)。この床ならもう一人の天性の人、文五郎の人形も存分に遣えるはずですし、現にそうでした。文五郎はやはり非常の人形遣いです。感情の描出の巧みさ、後ろ振りなど型の鮮やかさ等々。現在の手摺はあまりにも人間の日常的な動きに近づけよう近づこうとしすぎていますね。文五郎は違います。人形は人形としての美しさがある。それは人間の動き以上の感動を与える。そのことがよくわかっていた人でしょう。後年の玉昇なんかもフィルムを見ると同質でしたね。ですから今の若い観客が見ると角があって違和感を覚えるでしょう。そうです、その「角」です。それはまた伝統的日本の価値観を代表する概念の一つ。現代的表現を以てすれば先鋭的とでもいいましょうか。常に死(人知を超越したもの)と隣り合わせの凛とした精神・肉体。」
この政岡のクドキにはカタルシスが存在する。それは観客の側はもちろんであるが、政岡にしてからがそうでなければならない。詞章に「愚に返り」「前後不覚に」「理過ぎて道理なり」とある通りである。そして、クドキにはクドキの節付がしてある。ゆえに、それは義太夫節の悦楽を伴ったカタルシスであり、そこには解放感と拡散性がなければならない。そしてそれは一段の構成、前場との対照性とも直接的に関わっている。すなわち、政岡のクドキはこの壮大な一段のカギとなるところであり、ここが失敗すれば前場を含めすべてが失敗に終わることになる。前場後場通して全段の中心ということではない。核となるのはやはり前場である。しかし、全段を締め括り完成させるカギはこの政岡のクドキであり、それを開くことにより解放感と拡散性を伴ったカタルシスが現出することになる。そこにはもちろん悦楽が存在する。「凝り固まりし鉄石心」なればこそのカタルシス。その証左が前述の古靱清六と文五郎による音源と映像なのである。
今回は呂勢が勤めて清治師が三味線を弾く。カタルシスそのものを目当てとした観客ならば物足りないところもあったであろうが、「口説であるから、成丈け口説に語つて、謳はぬやうに心掛ける事」(『浄瑠璃素人講釈』)とあるように、安易にノラず政岡の心情表現を主眼にしたクドキとなっていたのは、浄瑠璃義太夫節の王道を行くものであった。もちろん客席からは手が鳴ってもいたから、そのカタルシスは見事に現出したのである。「菓子」(くわし)も出来ていたし、後は記す必要もあるまい。もちろん、山城少掾の音源を持ち出せば、例えば栄御前の権威はもっと決定的であるべきだし、八汐には物凄さ(古語の「すごし」)が必要であろうし、沖の井はより立派でありたい、云々ということにもなるのであるが、それは超絶的世界の話であるから、今回の玉に瑕とはならない。第一、人物の語り分けや心情描出そして間や足取りが出来ていた以上、文句を付けるところは無いのである。
「床下」
人形中心であるが、小住と燕二郎(団吾休演につき代役)は力感あって十分に聞かせた。若手の奏演として好ましい限りである。ここは舞台装置・効果に工夫を凝らし、金時と口あき文七カシラの共演とあって、目に楽しい見た目第一の一段となっている。しかしそうなると、やはり歌舞伎には叶わなくなるのであり、人形浄瑠璃で精一杯頑張ってみたというところを評価すべきであろう。カタルシスとしては前段で片が付いているのではあるが、跡場の追い出しとして存在意義はある。その意味からは相応の出来であったと言える。
では、第二部の人形陣について総括するが、全体として床による描出に応じたものであったということになる。すなわち、ここまで書いてきた床の評言から現れる人形像がそれである。ゆえに、各人についての評を書き記すには至らない。人形はやはり床の奏演とりわけ太夫の語りによるということである。その中にあって、和生師の政岡については述べておかなければならない。床の奏演を従える遣い方が見られたからである。それは切場のマクラ「心一つの憂き思ひもの案じなる母親」を見事に描出していたことであり、流石は人間国宝なのであった(もちろんこれも、文五郎や先代玉男による映像のとんでもなさは別次元のこととしてではあるが)。
『平家女護島』
「鬼界ヶ島」
これもまた、山城少掾(そして越路大夫)の音源が残されており、先代玉男の映像もある。プログラムには燕三のインタビューが掲載されており、この段についての言及も詳しい。以下はそれを先読みした結果ではなく、脳内に出来上がっていたことを筆に写す前に目にした評言であることを先に断っておく。
マクラから康頼の姿を見るまで身動きが出来ない。「御殿」と同じ金縛りの術を掛けるのが山城である。絶海の孤島そして絶望的孤独、肉体的精神的飢餓感、それらが厳として存在している。ようやくにしてホッと一息つけるのは、同じ流人としての他者の存在=康頼が確認される時である。それゆえに、四人と聞かされ「恋といふ字の聞き始め、笑ひ顔もこれ始め」が真実として迫るわけであり、続く成経の長台詞を観客が俊寛ともども「聞き入り感に堪へ」ることができるのである。千鳥の海女言葉に微笑むのも宜なるかな。「泉の酒とぞ楽しみける」の詞章は客席のリラックスと軌を一にしている。そこへ大船の到着、ここから物語はどんどん進んで行くから、あとはそこへ身を任せればよい。
今回は織が抜擢されて(というよりも咲太夫師の代役格として)白木の見台で語る。三味線を燕三が弾くのは言うまでもない。その語りであるが、冒頭の謡カカリからメロディアス、「峰より硫黄〜釣人の魚に換へ」が俊寛自身のコトバに聞こえてしまうが、全体として丁寧な印象であった。緊迫感はなく普通に聞けたのである。そうなると、ホッと一息つけるところから緩みっぱなしになるため、大船到着まで不覚にも船を漕いでしまっていた。物語が進行してからは的確な描出で、抜群のストーリーテラー感があり、ドラマチックな展開に釘付けとなった。段切は「爪立てて打ち招き」など俊寛の心情が不明な語りがあったものの、トータルとして敢闘賞(横綱大関はその資格者とならない)獲得の語りと言えるだろう。抜擢としての任はよく果たしたと総括できる。今日の彼が位置付けとしては、三人の切語りそして呂勢との差はやはり存在するというのが正直なところである。
人形も太夫の語り相応と言わざるを得ないところが、人形浄瑠璃文楽の本質そのものである。その中にあって、酷吏ならざる循吏たる丹左衛門を遣った玉也に存在感があった。玉男師については先代の域に迫るものがあり、この人でなければ俊寛は遣えまい。ただ一点、立ち帰ろうとする千鳥を「縋り止めて」とある詞章の描出について。俊寛は「飢えに疲れし痩せ法師」であり「縋り」であるから、よろよろと遣うのは理に叶っているように思えるが、ここはただ一人島に残る決意を行為として見せるところであるから、強くなければならないのではなかろうか。先代玉男はそう遣っていたはずである。
『伊達娘恋緋鹿子』
「八百屋内」
時間補充のため前置きされた一段、よくある場面設定で登場人物も似たり寄ったり、所詮は「城木屋」の二番煎じ(これは初演年代の順番のことではなく、人気狂言を第一としたことを指す)に過ぎないと高を括っていた。ところが、越路大夫と喜左衛門の奏演を聴いて考え方が変わった。マクラからして尋常ではない。恋と難題に悩んで最期を覚悟した前髪立の若男の出、この情感極まる東風の節付を完全に再現する奏演、これだけで当作が建てられる意味がある。以下、狂言廻しのお杉、お七の出もすばらしく、親久兵衛のしみじみとした異見へ続いていく。
今回は藤と宗助の分担。マクラもお七も普通の浄瑠璃であったが(吉三郎の清五郎は印象に残る遣い方)、これはあの奏演を耳にしてしまっては致し方のないところだ。決して悪いというわけではない。親の異見が映るようになったのは故師の一番弟子として面目躍如である。丁稚弥作もよくこれは前公演の非人六とともに手柄である。全体として、ここが中心で跡場として「火の見櫓」が付いているのだと語り聞かせて納得させるとまではいかなかったが、お七が火の見櫓に登る理由を明らかにしたし、この段が建てられるのを無駄とは感じさせなかったという点において、与えられた役割は果たしたと言えるだろう。
「火の見櫓」
文字通り耳目を喜ばせる。とりわけ梯を登る工夫は見事なもので、文五郎の慧眼が光る。あの伝説の映画「文楽」冒頭にも、この語り出しが流されている。今回の奏演(希・清友、亘・清志郎、碩・友之助、以下二人二挺)は、最後のドタバタ(豆喰いまでよく頑張っていた)はそれとして、お七に半鐘を叩かせるには十分なものであった。筋ばかりでなく心情も相応に描出されたということである。とはいえ、映画「文楽」冒頭に採用するところまでには至らなかったであろう。お七の人形は勘弥で、いつもの彼らしい遣い方で好ましかったが、「心も空」「女心の一筋に」と詞章にもあるからには、もっと激しくてもよかったと感じた。簑助師はレベルが違うわけだ。その他の人形は床の奏演が描く人物像そのまま。今回は第一部から第三部までこの評言ばかりとなったが、やはり人形浄瑠璃は太夫の語り(三味線とともに)によって人形が動くのである。床の出来によって手摺が左右されるのは当然のことであろう。ただし、それを突き抜けた超絶的人形遣いが存在することもまた事実であるが。
【従是千秋氏評論】
令和六年一月公演(一月十二日)
第二部「伽羅先代萩」
新年を寿ぐべきところ、元日に能登半島地震、2日に羽田空港で飛行機事故と立て続けに事が起こり暗然としました。今は被災地の皆様のご無事を祈るばかりです。
しかしこの様な時に於いてこそ祝祭は必要なのであって、下降する龍をもう一度上昇させるべく、文楽の力を発揮して欲しいものです。
客席はほぼ満席で「先代萩」への期待が感じられました。
☆竹の間の段
芳穂太夫 錦糸
前回聴いた「矢の根」の段が進境著しく面白く聴けたので、今回も期待が高まりました。
「制すべき身の制せられ、」と沈痛な滑り出しが、この場を予兆させて、劇中に惹きこまれます。
しかし残念ながらこの人は詞のハラが決まらないので、何を言っても平坦、単調。誰の詞でも声調が同じなのでただスルスルと進むだけで、対話が形成されない。故に盛り上がる筈もない。
「そんならもう、飯を食べても‥」に空腹の思い無く、曲者は人が好過ぎ、政岡に威厳無く、八汐に凄み無し。
登場人物の人格を把握しての対話(からみ)が無ければ、劇は成立しないという事が、此処に於いて実に判然としました。
芳穂には地における状況把握力を、詞にも活かして、その場の対話的緊張を保ち続ける術を会得して欲しいものです。
☆御殿の段
千歳太夫 富助
越路太夫の「御殿」を何度も聴き、「飯炊き」すら緊迫感ある素晴らしさを堪能したので、弟子たる千歳は如何にと期待が膨らみました。
「跡見送りて政岡が、‥」辺りは越路を彷彿とさせ、後半の「‥たとへ賤しい下々でも、」には越路が現れて、流石と思わせられましたが、「湯の試みを千松に‥」は気持ちが弛緩し、説得力も無くなって「骨も砕くる思ひなり」が全く聴衆に訴えて来なかったのは、どうした事でしょう。
師の越路は的確に要所要所を極めて、階段を登るように聴衆を高みに連れて行きますが、千歳にそんな戦略は無く、出たとこ勝負なのです。純真。そう言えば千松の詞「お腹が空いても、ひもじうない、」の頑是なさは逸品。鶴喜代の「あの狆になりたい」も素直で好ましい。
しかし純真さだけでは「御殿」は語れないので、師匠の戦略をよく学ぶ事が必要でしょう。
この人は熱演するのですが、自分の声を聞いていない。故に聴衆に自分の声がどの様に聴こえているのかが判っていない。その為無駄に力が入って疲れて要所を外してしまう。
今後はその段全体をよく把握して声を統御し、聴衆を高みへと導いて欲しいものです。
☆政岡忠義の段
呂勢太夫 清治
呂勢は声質からしても、政岡の威厳や八汐の悪辣さの表現は困難でしたが、浄瑠璃の表現方法にはそれ以上に音楽的要素が多々あるという事が、よく示された一段でした。「御成敗はお家の為」の切実、「後には一人政岡が‥せき上げ嘆きしが」の切迫は鋭く身に迫り、聴衆の心を搏つのですが、それにも増して清治師の三味線に導かれる呂勢の浄瑠璃の旋律の流麗さが、リズム、間、緩急、強弱と相俟って琴線に触れて来ます。
それ故に「そなたの命は‥所存の臍を固めさす真に国の礎ぞや。‥死ぬるを忠義と‥」迄の長い詞、それも内容は「なぶり殺し」を含むものであるのに、そこに「美」を感じてしまう。
これは意味理解の理性とは別の「感性」が働いてしまったのでしょう。
この部分、呂勢は意味として極めるところは極めながら、音楽としての浄瑠璃を自在に語ったので、感性を揺さぶられた聴衆は徐々に高揚して行き、遂に「きらめきわたる」で盆が回る時には大きな拍手が湧き起こったのでした。
☆床下の段
小住太夫 團吾
床下のセットは面白く、突然の節之助登場、大鼠あり、スモークあり、貝田勘解由迫り上がりと盛り沢山。小住太夫は力強く語り、何かありそうなのですが、瞬時に終了。
後ろの席からは「最後の段、よう分からんかった。」の声。
さもありなん。
☆人形
勿論和生師の政岡が全てを主導していたのです。和生師は「政岡」の「忠義」を、詞章を旨として正確に素描し、骨格を作り上げました。これなくしては今回の「先代萩」は成立しなかったでしょう。但し後ろ振りにせよ立ち姿にせよ、もう少し極めて空間を支配する力を強めて欲しいものです。
先代玉男ならどうであっただろうか。
先代玉男は「選ばれし人」だったのだが。
……………………………………………
先代吉田玉男の「政岡」
「御殿」録画 越路太夫 清治
嶋太夫 道八
☆‥‥ところで先般、先代玉男の「御殿」を観たのだが、あまりの事に唯茫然としてしまった。
其処に展開されているのは、確かに「飯炊き」であり「政岡忠義」であって、政岡のどの形姿をどの瞬間で切り取っても完璧な「美」。後ろ振りの極め方も空間を凝縮する様な力があり、動きのリズムも極めて的確。‥‥しかし眼前にはそれに留まらず謎めいた逸脱が繰り広げられ、完全に幻惑されてしまった。
逸脱と言えば、この官能性は何なのか。「屏風にひしと身を寄せて奥を憚る忍び泣き」の後ろ振りや、千松が殺されて悲嘆にくれるその姿の艶やかさ。特に「千年万年待つたとて何の便があろぞいの、」と極めた後ろ振りには官能の悦びさえあるのだ。
「忠義」の政岡に何故エロスが揺蕩うのか、このエロスは何処から来て何処へいくのか。
‥‥この謎を解くカギは「眼差し」にある。
千松が嬲り殺しにされている最中、栄御前の探査する眼差しとはいっさい交錯せず、「御成敗はお家の為」と端然と坐して、やや俯き加減に前を見る政岡の「眼差し」。
その凝視する先にあるものは、栄御前には見えぬ「聖なるもの」なのである。
そしてこの「眼差し」が「政岡忠義」の世界を「聖なるもの」の世界へと転換するのだ。
☆それでは、この「聖なるもの」とはなにか。
フランスの思想家、G.バタイユは「宗教の理論」で次の様に述べる。
・「聖なるものはこのように生命の惜しげもない沸騰である」
・「聖なるものは内在的であり、人間と世界との動物的な内奥性=親密性を基点として与えられている。」
・「原初的には、神的なものは内奥性から発して捕捉されたものだった(つまり激しい暴力性から、叫びから、盲目的で知的理解をうけつけない、噴出状態にある存在から発して、また黒い、不吉な聖なるものから発して捕捉されたものだった)。
・「聖なるものは、それ自身二つに分割されている。すなわち黒く、不吉な聖性が、白い、吉なる聖性に対立して」いる。
‥‥政岡はこの様な「聖なるもの」を凝視しているのである。
「聖なるもの」の世界で政岡の前に展開されているのは、千松が嬲り殺しにされているのではなくて、聖なるサクリファイス(生贄)の儀式であり、供犠なのだった。
供犠とは「存在」の内奥にある生命の沸騰に送られる人間からの贈与であって、定期的に繰り返す事が必要なのだ。当然「聖なるもの」に近いものが選ばれる。
「お腹が空いても、ひもじうない」と言う千松は、直接体験を概念化する回路が未完成である故に、「聖なるもの」と親密性を持ち、「聖なるもの」に送り(贈り)返されるのだった。
政岡は既にその供犠の儀式を司る巫女なのだ。
そう言えば「飯炊き」、即ち茶道具で飯を炊くという様式化は一点の穢れも許さぬ供犠への捧げ物を作る神聖な儀式を表現しているのだった。
千松は人間存在が「聖なるもの」と融合する為の聖なる「生贄」であるのだから、巫女である政岡が「でかしやつたでかしやつた」と叫ぶのは当然なのである。
玉男は「政岡忠義」を徹底し、観客を涙させながら、この様な人間存在の原初的な、血と暴力に充ちた生命の奔流を露わにしている。つまり分節不可能の「聖なるもの」が、無理矢理分節され、言語化され、概念化されて、気息奄々となっているのを隠蔽している近・現代の虚偽的様相を打破して、「存在」の真の姿を現成させているのだ。
故に観客は「政岡忠義」の真相を見て、震撼することになる。
そして前述した後ろ振りを含めた政岡のクドキは愁嘆場でありながら、打ち掛けを脱いだその姿は艶やかで、官能の迸りがどうしようもなく煌めいている。惨殺された千松に対して「凝り固まりし鉄石心、さすが女の愚に返り」「死骸にひつしと抱き付」いているにも拘らず。
ここに噴出する政岡のエロスは巫女、即ち神の嫁のエロスなのである。
千松の死は供犠であり、巫女としての政岡は供犠の儀式を通じて「聖なるもの」と一体化する事に官能的な悦びを感じているのである。官能性への逸脱と見えたものは、実は「聖なるもの」への回帰だったのである。
ここで観客は惨殺された我が子への悲嘆と苦痛、苦悶に狂う政岡に、あろう事かエロスの悦びを感じてしまうのである。あり得ない事に観客の日常の倫理も規範も崩れ去る。
こうして観客は今現在、「政岡忠義」を見て、歴史的過去の「政岡忠義」に搦め捕られながら、古代の原初的な、歴史以前の人間が直面する「聖なるもの」の出現を見てしまうのである。
その暴力性、不吉さ、生命の沸騰、エロスの奔流を。且つ「聖なるもの」と一体化する事によって、苦痛と苦悶が歓びへと変わる瞬間を。
眩惑。
玉男にはさもしく小賢しい底意など無い。唯「政岡忠義」を徹底しただけである。
人形がこの様に動いたのだ。
玉男は選ばれた媒介者であった。
恐ろしい事ではある。
以上