「ひょうたん池の大なまず」
この一段上演の狙いは、プログラムにある両人のコメント通りである。印象としては、舞台を半分に割って上手を池中としたのが工夫で、開幕後の水中を泳ぐ魚類の動きは面白く、ごんべえ登場しての釣りもそれをうまく利用しており、そこから登場する大なまずの造型も観客の興味関心を引いていた。牧歌的な雰囲気も描出されていた。人形浄瑠璃文楽に初めて触れるという点では十二分の作品であろう。上手に語りと三味線がいて面白く語り弾き、動物は差し金と一人遣い、そしてごんべえが人形の三人遣いを魅せるということで、人形浄瑠璃文楽の骨格が理解できるようにもなっていた。もちろん、あくまでも超初心者入門というところにとどまるが。
「解説 文楽ってなあに?」
安定している。定着した感がある。客席もそれぞれのところで納得した反応をしており、有意義な時間であった。
『西遊記』
「五行山」
景事・道行仕立てにしてある。孫悟空が連れ立つ発端ということで出す意味があろう。希に友之助そしてツレ弾きであるが、丁寧に進めていた。舞台上の演出としては、岩砕きのところが迫力あって、客席からもどよめきが起こっていた。
「一つ家」
一つ家といえば老女(莫耶カシラ)が登場するというのは『奥州安達原』、ガブのカシラで蛇身に早変わりして泳ぐところは『日高川』、鬼女と見顕しての立ち回りは景事でとそれぞれおなじみであるが、夏休み親子劇場に来る観客には知らぬところである。藤と団七が勤める。老女の件は恐ろしさ不気味さには至らず、ストーリーに客席は退屈した感があった。中途半端な口語化もその弊害の大きな要因である。とはいえ丁寧な運びで最後まで破綻はなかった。客席の反応はやはり人形と舞台装置で、如意棒や金斗雲の工夫も大いに興味を引いていた。宙乗りは言わずもがなで、最後の金糸も歓声が上がっていた。
人形陣はそれぞれの見せ場でよく働き、夏休み親子劇場の演目として成功裏に終わらせたと言ってよいだろう。
『生写朝顔話』
「宇治川蛍狩」
端場を聖と清公、こういう出語りのチャンスは是非とも活かしたいものだが、通る声で丁寧に語り進め、三味線も素直に耳へ入ってきた。お目見えとしては合格点というところだろう。とはいえ音程はまだ不安定で、二人の人物造型も定まるとまでは至っていなかった。何と言ってもまだまだ修行に稽古である。
奥は睦と勝平。三味線は音に幅があって聞き応えがあり、よく太夫をリードしている。その太夫はとりたてて特筆すべきところはないものの、確実に語り進めており、どの人物にも無理はなく、地もそれなりに出来ていた。内容としては肝心要の眼目は二人の恋模様であるが、これはまず語り出せていたと言ってよいだろう。とはすなわち合格点を出して良いということになる。今後は無減点から有加点へと進んでもらい、中堅としての地位をしっかりと固めてもらいたいものである。
「明石浦船別れ」
冒頭三味線の足取りや間からしてただ者ではないことがわかるのが錦糸である。美声家の語り場として芳穂が勤める。阿曽次郎の色男ぶりも描出していたし、深雪のクドキも観客に届いており、役目は果たせたとしてよいだろう。短い一段ながら佳品として仕上げるにはなかなか難しいが、その手前にまではたどり着いていたと思われる。
「浜松小屋」
今回の上演中で唯一感動し感涙した一段であった。清治師の三味線は冒頭の三下りから素晴らしく、引き続いての深雪の出で早くも観客の心を捉えた。「入相の鐘に哀れを添へにける。後に浅香はうつとりと涙ながらの独り言」この辺りの情緒の描出も素晴らしく、「何か心に頷きて木陰に忍び窺ふとも」の弾き方にもハッとさせられた。このように盆が回るまでその虜にならぬ者はいなかったのである。その抜群の三味線を得ての語りは呂勢であるが、前回と比して一段と勝っていた。それはまず浅香の述懐が胸に迫り、続いて深雪の真情吐露が迫真でよく届き、そして二人が認め合い浅香の深雪への乳母としての関わりが胸を打ち、最後に拍手が来たのはもっともなことであった。自身もそうしようと思っていたところに周囲の反応が同じだというのは、観客冥利に尽きるものであり、観劇体験としての最高の瞬間だとしてよいものだからである。
ここで盆が回ってしまうのは実に惜しいことで、今回この一段の後半部分を分割した制作担当者には先見の明がなく、落語で言えば銀紙を貼った目の持ち主と言うことになろうし、無意味な分割であったと断罪してもよいだろう。ただし、これよりも酷い前代未聞の大失態を今回の制作担当者は仕出かしているから、ベンチが阿呆やからでは済まない現状があることを我々は厳粛に受け止めなくてはなるまい。その一点は後に述べる。さてその分割後は小住と清馗が勤めるが、これは輪抜吉兵衛の登場を念頭に置いての配役だろう。確かにそれは相応に聞こえたが、浅香と深雪の造型は前場から隔絶しており一体感がなく、分割の弊害が如実に表れていた。とはいえ、段切の魅力的な節付は三味線がまず及第点を出してよい成果を聞かせた。後半は立ち回りがメリヤスで見せるという一場があるから、それで何とか体裁を保ったというところだろう。床の両人には後半分割の弊害をもろに身に引き受けさせられてしまった不幸をお見舞い申し上げておく。
「嶋田宿笑い薬」
口を咲寿と寛太郎。マクラから三味線はなかなかによく弾いているが語りが腹に応えない上滑りの感があった。人物の語り分けについてはさすがに師弟系列の為せる業で相応に聞き取れた。しかし、全体としては実力はまだまだ付いていないと評されるところである。
奥は織と藤蔵で、現陣容にあっては最適のコンビである。ここも師弟系列の範を示すとでも言って良い出来であり、チャリ場を成功裏に勤め果せた。この一段をチャリ場の典型というが、それは人形側から見た場合であって、床からするとひたすら笑いで進むのは本来のチャリ場の趣旨とは異なっている。しかも、この笑いばかりというのがくせ者で、途中で観客が飽きてきたり反応しなくなったりすることもあるのである。そこを両人はその弊に陥ることなく、笑い薬の一段を見事にやってのけたのである。そして何よりも特筆すべきなのは、勘十郎師の遣う人形との一体感で、これが一分の隙も無く完全に合致していたのは驚くべきものであった。人形陣にいては最後に一括して記すことにするのだが、ここは何としても勘十郎師の祐仙に触れなければならない。全身の動きからカシラの遣い方、足遣いに至るまで徹底されており、この人形を見ずして今回の公演に来場したとは言えないというところのものであり、極上の完璧品というより他はない。この祐仙は遣いすぎるとしつこくいやらしくくどく不快にまで至るものであり、もちろん不足すればチャリ場にもならない出来に終わる。その最上級のラインで遣ったのが超人的実力というものであって、余人はないとはまさに勘十郎師のために存在する言葉であった。先代が考案した造型を見事に完全なものにしたのであって、現代の至宝ここにありである。
「宿屋」
なんだかんだと言っても美声家の語り場である。声に任せて振り回せばよいというものではないなどとよく言われるが、まず節付からして眼目が聞かせるように付けられているのであり、朝顔の唱歌とクドキがこの一段の中心であることに揺るぎはないのである。美声家批判は二の次三の次である。そんな一段を今回は錣と宗助が勤め、かつて津駒時代には高音が出ることもあって美声家の持ち場を当てられることもあっただけに期待させたが、結果としては不完全燃焼に終わったと言わざるを得ない。その眼目で客席から拍手が来なかった(それに近いような求心力も感じられなかった)ことも、その証左ということになろう。魅力的な節付を活かせなかったということである。ならば、それこそ美声家でなくても語り活かせるところはどうであったかということになる。一点目は冒頭のマクラである。旅宿の寂しさ侘しさを例えば越路喜左衛門のように描出出来たかというと、二の音の響きが不足していたということもあり、今ひとつの出来であった。二点目は徳右衛門のコトバ「何とマア不幸せな者もあるものでございます」でホロリとさせることができたかということになるが、これは徳右衛門の描出が世話に砕けすぎていて(彼が元武士であることは「大井川」の述懐から判明する)、馴れ馴れしいが故に「哀れな話」とはならなかった。そして最後の朝顔狂乱の体も不足で物足りなかった。この一段は人気曲であるし、これまで名人上手の足跡も残されているところであるから、観客(見巧者聞き巧者はとりわけ)は期待に胸を躍らせて客席に着くわけであり、その分の重責が床にものしかかるわけである。別に期待してはいなかったというのであれば、この床の実力は相応なものとしてもちろん評価できるのであるが、あの「宿屋」であるという気持ちからすれば、物足りなさと不完全燃焼感を抱かざるを得なかったわけである。残念であった。
「大井川」
ここは切場ではない。『生写朝顔話』四段目の切場は「宿屋」の段である。切場ではないところを切語りが語っても番付に切の字を付けないというのは、初心者向けのハンドブックにも明記されていることである。それを今回制作担当者は切の字を付けてしまった。大失態である。というよりも前代未聞の事態出来である。文楽の危機が叫ばれて久しいが、現在はそれが極限にまで至っている。新規の研修生もゼロであるし国立劇場の再建は暗礁に乗り上げてしまっている。古典作品が現在にどう生きるかはどのジャンルにしても最大の課題であるが、それは根本的に古と新の関係にある。ゆえに温故知新という言葉も生まれるわけである。しかしながら、古典が古典であるのは典であるからであって、典でなくなればそれはただの古となって(古物ならまだ古物商の出番はあるが)、新の前には消え去らざるを得ないものになってしまう。今回の切の字「事件」は、まさに文楽が古典ではなくただの古になることを示すものであって、決してただでは済まされないことなのである。切場ではないところを切語りが語っても番付に切の字を付けないというのは、古典である人形浄瑠璃文楽の規矩であり規範である。その規矩を侵し規範を破るというのは断じて許されることではない。もっとも、古典たる人形浄瑠璃文楽を滅亡に導きたいというのなら話は別である。ということは、今回の制作担当は獅子身中の虫ということになろう。断固として排除しなければなるまい。三百年の歴史を経てついに事茲に至るとは、末法の世も末ということか。と言葉を極めたが、制作担当者が悩んだことはよくわかる。三人の切語りをどう配するかは、今回の演目から見るとずいぶんと難しいものがある。どう考えても三つの切の字を配することは困難だからである。その結果、今回のような結果になってしまったのだが、方法はただ一つだけあった。それは、四段目の切場を「宿屋より大井川」と段書きし、そこに錣宗助と千歳富助を配し、両者の中間に一字切と記すことであった。「堀川猿廻し」を前後分割して二人の切語りが勤める場合も、そのように書き記すのである。元々段書きというのは勤める太夫を割り当てる時の便宜上のものであって、例えば「奥庭狐火」も切場「十種香」から続けて勤めるのが本来であり、その場合は「謙信館」と段書きすればよいわけである。今回「宿屋」「大井川」と段書きした以上、切場は「宿屋」となってしまうのであって、それがために千歳の持ち場に切を付けなければならないという判断から、過ちを犯してしまったわけである。もっとも、制作担当者の知識不足・勉強不足には違いないのではあるが。ということで、今回のミスはミスで済まされるものではなく、古典芸能たる人形浄瑠璃文楽の地位を危うくするものでもあった。もし今後もこうしたことが続くようであれば、将来人形浄瑠璃文楽が立ち行かなくなった場合(世界無形文化遺産にも登録されており、人間国宝を輩出する藝能でもあるから、滅亡という事態は来ないであろうけれども、もはや古典として名乗ることが出来なくなった(ただの古い芸能となってしまった)場合という意味である)、その責めは制作担当者が全てを背負わなければならないものなのである。それにしても、口上は只今の切と言うべきではなかったろう。制作担当者の過ちは三業が実演の場で正してやらなければ。
さて、この「大井川」切場事件の影響は、実演にも及んでしまっていた。それは、千歳富助の床の足取りが何とも重苦しいものになってしまっていたのである。段書きされたこの一段を切場として勤めてはならないということであった。失敗と称されてもやむを得ないものではなかったか。ただし、その実力が切場を勤めるもののそれであることは、徳右衛門の述懐が素晴らしかったことからも証明されていた。
では、人形陣を総括する。和生師の深雪は家老の娘としての気品があり、零落れても内側から輝くものがあった。盲目の描出にも非の打ち所がなかった。朝顔の狂乱はおとなしめであったが、これは勤めた床との相乗効果でもあったろう。その意味では「宿屋」でも損をしたということになろうか。いくら人間国宝でも、やはり人形は床の語りによって動くものであるから。玉男師の阿曽次郎は色男として滲み出てくるものにはいささか乏しいものがあったが、駒沢としては凜として立派な武士であった。これで対朝顔に関する場面などに滋味が加わると一段上の人形となろう。徳右衛門の玉也もやはり床によりけりで、「宿屋」より「大井川」に存在感を感じられたのもそのためである。その点で行くと浅香の簔二郎は「浜松小屋」で実力を十二分に発揮できたことになり、確かに乳母としての寄り添い方に納得させるものがあった。したがって、岩代の玉志はこれといって特筆するまでには至らず、輪抜の玉勢や月心の代役文哉以下それぞれの人形も床相応の出来に見え、関助の玉翔が得をしたのもそのためである。
第三部
『女殺油地獄』
「徳庵堤」
まず、近松物を出すと、外国人観光客もより多く取り込めるという利点があることに言及しておく。さて、この一段は仕込みの一段であって、主要な登場人物の性根を確定させるという重要なところである。掛合の役割も大切ということになる。まず与兵衛。自己中心的で自信家でもあり、他人など眼中にないところがある。調子にも乗りやすく、何事も思い通りに行くと満足度も高いが、諫言などは耳に痛いどころか耳にも入れない。ところが絶対的強者という存在に出くわしてその前に出ると途端に臆病になり、自身のどうすることもできない危機の前にはただ狼狽するばかりの小心者でもある。それを三輪が描出するが、掛合を統括する三味線清友の存在があればこそである。お吉は自ら種を蒔くタイプであり、対与兵衛に対してもこの一段の言動によって、借銭乞いを受けてくれるだろうと思わせてしまうのである。そしてそのようにしてしまっている自分自身については何も見えてはいない。七左衛門にもズバと咎めの言葉を掛けるばかりである。切場への伏線が見事に張られているということになる。詞章からそれは手に取るようにわかるが、南都はそれを語り活かしたとまでは言えない。従来から何度も繰り返し書いてきたように、この人に女役を当ててはならないのである。津国と文字栄は割り当てからして人物像に合っているから特段言うべきことはない。このベテラン陣の中に初々しい織栄が混じっているのだが、素直かつ丁寧に語れており、デビューとしてはまずまずというところであった。
「河内屋内」
口を亘と団吾。人物の語り分けは相応であるが、聞き応えがあるというものでもない。まあ、山上講の言葉に存在感があったというところか。奥を靖が大抜擢で勤め、それを支えるのが燕三である。故咲太夫師の相三味線を勤めて近松物を熟知しているということもあり、その三味線があるが故に靖を配することが可能となったとして過言ではあるまい。その三味線は最も困難を極める地色の処理に如実であり、靖がこの難物をそれなりに捌けたのも、この三味線あってのことであるのだから。靖は二の音がまだまだ響かないが、「逆な弟に似ぬ心、順〜」と書かれる太兵衛の造型でまず納得をさせる。徳兵衛も映っているのはよく稽古をした証左である。法印は柄に合い、与兵衛も納得のいく描出である。おかちにも真実味がある。そして母の登場となるが、徳兵衛の述懐が地色の処理も出来たことで聞く者の胸に応えた分、母は今ひとつ映るとまでには至らなかった。とはいえ、もちろん初役での大抜擢には十分応えており、次代を担う中堅陣の中にあって、その中心を芳穂とともに争う地位にあるとしてよいだろう。三味線が太夫を導き成長させ大成させる、芳穂も靖もそのルートに乗っているわけである。今後とも大いに期待したい。
「豊島屋油店」
若と清介。この一段は何と言っても八世綱と弥七の奏演が耳に残っている。絶品中の絶品であり、近松の世話物はこう語るとの最上級見本でもある。そしてその系譜上にある先代織・綱と咲太夫、これらの語りがその三味線とともに耳に残っている。今回は結論から言うとお吉には聞くべきものがあったが、与兵衛は不足、七左衛門も弱いものであった。両親に関しては夫婦の日常会話としては自然に聞くことが出来たものの、その述懐に聞く者の心が絞られるということはなかった。お吉は母としての造型がよく語られており、それは最後の悲痛な訴えにも示されていた。ただし、対与兵衛という点ではその語りにはつかみ所が乏しかった。与兵衛はというと、極言すればその人物造型はほとんど感じられなかったと言わなければならない。例えば、「こつちの親父南無三宝、と鎖いたる店に平蜘蛛のひつたりと身を付け」が平凡至極であり、「これが親たちの合力か」の性根が不明、「不義になつて貸してくだされ」も何と言うことはなく、「借りますまいと言うより心の一分別」とある強盗殺人を決意する詞章にも響くものはなかった。したがって、殺し場も人形の働きほどには応えず、普通の浄瑠璃を聞いている感を始終拭えなかった。やはり近松物は難しいということを再確認した訳である。「この粽も誰ぞよさそな犬に、喰はせてくださんせ」で客席から笑いが起こったことが、今回の床の出来を象徴する出来事であったとしておくとする。
人形はやはり床の出来に左右されるものではあるが、今回に関しては人形がその上を行くものであったとしてよいだろう。与兵衛の玉助は家庭内暴力の不良少年をよく描出しており、「徳庵堤」での描出もその場面場面毎に十分納得される遣い方であったが、殺し場でゾッとさせるまでに至らなかったのは、床で損をしたものに他ならず、お見舞いを申しておく。歴代人形遣い与兵衛の系譜に連なるものと評価できる。ただ一点、これはその連なる遣い方に関するものであるが、段切で懐中から小判がジャラジャラと落ちるのはいただけない。与兵衛が強奪したのは新銀であり、そのほとんどは丁銀であるはずだ。ここは上方経済が銀本位制だったことを示す重要なところでもあるから、歴史経済学上の事実を狂言綺語の芝居にそのまま持ち込まなくてもという話ではなく、詞章にも「捻じ込む懐の重さよ」とあることから、ドサッと地面に落としてしまい慌てて拾い上げようとするがまたドサッと落ちてしまうという遣い方に変更すべきだろう。もちろん、これでは地味であり興奮して慌てふためく描出は目立たなくなるかもしれないが、近松物の特徴である上方の銀本位制を示す箇所であるから、大切に扱ってほしいところである。あと、これは下座への注文になるが、「鳴神」で雷鳴を聞かせるのは早計であるということだ。この「鳴神」は鍵の音がそう感じられるということであって、現実に雷鳴を轟かせては誤解を招くことになろう。もちろん、鍵の音としてピタリと鳴らせば効果的であるかもしれないが。お吉の一輔は母としての立場が最も良く描出されており、「徳庵堤」での対与兵衛の捌きも納得のいくものであった。ただし、「日頃の強き」と詞章にあるところには至っていなかった。とはいえ、全体として歴代人形遣いお吉の系列上にあるものとしてよい出来であった。老いたる両親は勘寿と清十郎が活写しており、この陣容あればこそのこの出来であると感心し納得もしたのであった。七左衛門の勘弥以下もそれぞれその任を果たしており、全体として人形陣が支えた近松物としても過言ではないであろう。
【従是千秋氏評論】
休載