人形浄瑠璃 令和六年四月公演(初日所見)  

第一部
『絵本太功記』
「二条城配膳」
  第一部の上演時間を鑑みて、光秀が謀反を起こすに至った経緯を出す、親切設計ではあるが、これでまた通しでの上演は遠のくこととなった。津国の春長は短気我が儘の主君を活写する。睦の光秀は大音強声だが一本調子で「あるひは怒りあるひは嘆き五臓を絞る血の涙」の詞章が浮いてしまい現実感に乏しく、段切の情感も欠ける。碩の蘭丸は「心に思はぬ傍若無人」そのままの語り口でよく観客の心底まで達していた。亘の十次郎は若男カシラとして納得が出来た。文字栄の中納言は貴人詞がよく通ったが地はいつも通りで苦しい。その全体を清友の三味線がうまくまとめ上げていた。事件の発端として十分であった。人形陣も各太夫の出来相応に見え、それもあって玉翔の蘭丸が颯爽として最も好印象であった。

「千本通光秀館」
  小住を何と藤蔵が弾く。マクラの変化十分。四王天も勢いあってこれは人形の文哉もよく遣った。赤山の「真綿に針の青畳蹴立ててこそは立ち帰る」がよく映り、人形の亀次も同断。豊後守は造形が若くて映るには至らないが、人形の勘市は相応。操の詞は「わつつ口説いつ理を責めて〜」とある詞章を納得するには不足の感があった。人形の勘弥はそれを補っていた。光秀は「出陣の用意せよ」が勢いもありよかったが、「心なき〜」の和歌が謀反決意の表明としては捉えられず中途半端であった。玉男師の人形は無論そこに抜かりはなかったが。

「夕顔棚」
  三輪・団七というベテランによるしみじみとした床であったが、母さつき「言ひ放したる老女の一徹」とある強さは今一歩であった。あとは冒頭の百姓共の描写から交替までよく観客の心を引き付けて勤めた。

「尼ヶ崎」
  前を呂勢と清治師。マクラの二の音からよく響き、東風四段目切場をよく心得て進む。「爽やかなりし〜」と「悲しさ隠す〜」でともに拍手が来たのは、人形の所作のみならず床がここまで十二分に語り弾いてきたからである。十次郎と初菊の心情もよく伝わった。旅僧も軽く捌いてよし。「三人は〜」で最後の情感を描出して盆が回る。瓢箪の見台も当を得ていた。
  切場後半は千歳と富助である。こちらは桔梗紋の見台で臨み気合い十分。ただし、千歳が例の声枯れで、「ただ呆然たる」「不義の富貴は浮かべる雲」「朱を殺した天罰の」等々の聞き所がとことん潰れてさすがにがっかりさせられた。この人口に膾炙した人気曲は、やはり聞かせどころを十分に届かせないといけない。逆に母さつきが「ヤイ光秀」と怒鳴ったのは例の悪い癖である。「もう目が見えぬ」も叫んでしまっては悲哀感が飛んでしまう。大落シもこれでは致し方がなかった。富助の三味線はそんな太夫を何とか導こうとよく弾いていた。とりわけ大落シはよかった。とはいえ、全体の骨格が歪まなかったのはさすが太夫の実力であり、納得の出来る一段となった。ただし、やはり面白さや魅力たっぷりの、昭和四十年代までなら観客が声を上げるという、華やかな一段には仕上がらなかった。残念である。
  人形でまだ言及していないもの、母さつきの勘寿はさすがに燻し銀で存在感があるがもっと強くてもよかろう。十次郎の玉勢はよき若武者振りを見せて好印象であった。初菊の簑紫郎も十次郎への一途の思いが感じられた。旅僧実は久吉の玉佳は狂言回しとして、それぞれの姿で芝居を引き締めていた。
  この名作人気曲は過去の名演が未だに耳目に残っており、例えは先代玉男の光秀「取り付く島もなかりけり」で操どころか観ているこちらが仰け反ってしまったし、清六の三味線なら「駒のいななき」でシャンシャンと歩む馬の姿とその嘶きが如実に描出されていた。このような体験をやはり現在の劇場でも味わいたいものである。

第二部
『団子売』
祝言曲である。正月の目出度さを襲名披露のそれに置き換えるわけである。藤に清志郎・靖に寛太郎以下(咲寿は安定し織栄も一言だがよく前に出ていた)、人形は玉佳と一輔で、作にしては贅沢な三業陣が配されている。結論としては、急の部分が良く気分も晴れやかに上々となったから、その使命は果たしたといえる。ただ、緩の部分が情感も今一つで物足りなかった。なお、杵造の所作が何を象徴しているのか、判明したのはこれまでにただ一度切りである。

『和田合戦女舞鶴』
「市若初陣」
  竹本座の西風であったなら、陰々滅々としてとても聞いてはいられなかったであろう。そう思わせる作風でもある。切ないというよりもやりきれなさに包まれる本作は、後段まで進めば主殺しも偽りであったことが判明し、市若の切腹はまったく無意味なものとして還元されてしまうこともあり、少なくともこの段においても、豊竹座東風の陽旋律ならでは叶わないものである。すなわち、華やかに派手で伸びやかに拡散し発散する方向で(そのように節付もされているし)語り弾かれなければならないのである。
  今回は端場がついているが、板額の人物像形が判然としない。景事を二本も付けるのではなく、「板額門破り」を出すべきであった。厳然たる女丈夫たる板額。もっとも、その片鱗は端場の詞章で綱手への言葉にも垣間見えるが、この端場だけで性根を判断させるというのなら、今回の希と清公にはまだ上を要求しなければならない。そして、我が子には大甘の板額というところに本作の焦点が当てられるはずである。とはいえ、端場の仕事としては快調に語り弾けたから、師匠襲名披露の露払いとしての責は果たしたと言えよう。
  新若太夫は四世越路に長く師事したこともあり、自身の語り口からしてもむしろ西風の方がこれまで聞いてきた中でも合っていると思われるが、東風元祖の大名跡を継いだからにはそうも言ってはいられない。祖父たる先代若太夫は、その豪放かつ突っ張りのきく芸風で東風を自らのものにしていた。一方の今代はどうするかが聞き物であったが、その前半はやはり従来の語り口であり、残念ながら収斂の方向に傾いていた。十分に東風を語りこなせてはいなかった。ところが、後半の板額一人芝居に至り、まず緊迫感を醸成してから、その詞を十二分に届かせ、市若の切腹後の詞に客席を取り込み、続く板額の「ほんの〜」で拍手となったのは、自然かつ納得のいくものとなった。市若の最期も健気であり、一音上がってからの段切の処理もよく、柝が入る幕切れには観客すべてがこの襲名披露を全面的に受容したのである。要するに、東風の語り口からではなく、作品解釈から入って東風を語り果せたということになる。それはまさにこれまでの芸が十二分に確立されていたからに他ならず、大名跡とともに、当代太夫第一人者としての実力も兼ね備えた、天晴れの襲名ということになろう。今後はしかし、東風の曲をその曲風がもっともよく残され表れるマクラ一枚から、「風」を体現してもらうことを強く求めたい。それは東風元祖たる一大名跡を襲った者の使命であり、かつ、今や座頭格となった立場として当然ながら要求されるところであろう。本作で言えば、先代が綱造の三味線で録音した音源の如く語り進めることに他なるまい。なお、三味線については、清介が端場の復曲も含めて東風に留意していたことを付言しておく。
  人形陣、勘十郎師の板額はやはり女丈夫というよりも(何としても「門破り」は見てみたかった)一子市若への情愛が深く感じられ、詞章と録音では想像できなかったところ、「さては我が身は主殺しの〜浅ましや悲しや」と襖隔てて泣く市若を隣室で聞く所作など抜群であった。与市の玉志は対照役であるが、「耳聳立てし四方八方」での内外赤黒の対比などに目を見張らされた。市若の紋吉も難しい子役をしっかり勤めた。脇役陣も綱手を代役の玉誉に尼公の簑二郎とよく固めており、公暁以下の他の子役もよく芝居を支えていた。上演絶えて久しいとは思わせぬ手摺であった。

『釣女』
  もしこれが第三部の追い出しであったなら、客席から早々に失礼していたことであろう。それほどに、今回は景事が垂れ流しと言ってよいほど多すぎたし、本作をここに出す理由も時間調整よりしか思い浮かばなかったからである。三年に一度くらいの頻度でむやみに出されていることにも辟易の感があった。しかし、客席に座っていると想像以上のことを経験するという事態が、今回は本作で現出したのである。狂言から持ってきたという前口上はそれとして、大名と太郎冠者のやりとりからして面白く進んでいった。堂々とした大名に道化役の太郎冠者、この対比は床の小住と芳穂そして人形の簑一郎(代役となく技芸員紹介にも掲載がないのは清五郎が退座か。そうだとすれば実に惜しいことである。師匠の品の良さをよく継承して存在感を示しつつあったところで、劇評中にもたびたび褒詞を記していたところであるのに……)と玉也それぞれが活写しており、足遣いにまでその差異は明確に映し出されていた。そして全体を統率していたのが錦糸の三味線で(清馗、友之助、燕二郎もよくついていった)、その結果として今回は耳目共に冴え冴えとした舞台に仕上がったものであろう。演者によってかくも異なるとは驚きであるが、やはりそれが芸なのであろう。三味線マジックとでも称すべきか。美女の聖と紋吉は相応の出来であり、何と言っても醜女の登場となって、本作は見事にその狙いを現出したものとなった。これまではこの肝心のところが嫌らしく不快に感ずるところもあったのだが(極端なルッキズムはさすがに現代においては印象を悪くするし、女が常に弱者の立場というのも同断である)、今回の南都と清十郎はあざとさのない純粋な姿で描出したので、その難を逃れることが出来、それ以上に好感を持ったまま終演となるに至ったのである。ここには当日の観客の質というものも大きな意味があったので(初日襲名披露狂言の後)、舞台と客席の一体感というものがいかに重要かを再認識したものでもあった。
  さて、十年以前に中学生の歌舞伎鑑賞教室で「釣女」が出たことがあり、その時の感想文を分析したのだが、それが本作ならびに今後の文楽にとっても有用であると考えるので、ここに転載しておく。
  「釣女」であるが、その中心はやはり太郎冠者と醜女のやり取りである。そして、そこに極めて高く肯定的な評価がなされていた。表情の豊かさ、ユーモラスで面白い掛け合い、等々の回答をほぼ全員が書き記している。そのとらえかたのほとんどは、現代の芝居やコント、コメディや漫才に近いというものであったが、ごく少数、テレビドラマ等のリアルさとは対極の様式的なものであったとも答えている。これもまた、歌舞伎の懐の深さと言えるかも知れない。また今回は、恵比寿三郎が登場する演出であったが、それを演じた子役へ興味を示した感想が三分の一もあった。これも、役者を見るという歌舞伎の特質が遺憾なく発揮された、格好の例だろう。あと、わずか数名の感想であるが、主題に言及したものがあるので、本稿のまとめとして記しておきたい。それは、最終的には尻に敷かれるという教訓、割れ鍋に綴じ蓋という恵比寿の粋な計らい、顔で差別すべきでないが面白い話、との記述である。これらは、最後に醜女が太郎冠者を、逆に釣り竿で下手へ釣り去るという所作に基づくものである。人形浄瑠璃文楽でも狂言「釣針」でも、太郎冠者が逃げるのを醜女が追い掛けて幕となるから、これは歌舞伎独自の演出である。そしてそれが、現代日本の観客には大いにウケ、共感の笑いをもって受け止められたわけである。人形浄瑠璃文楽や狂言の場合、詞章を改変しなければこの所作は不可能である。だが、歌舞伎のそれはセリフのない箇所となっており、いわば自由演技ができる。先に大名が美女を引き連れ喜んで引っ込むから、女が男を釣り上げて意気揚々と引き揚げるのは、逆の意味で対照的、つまり男女が対等の関係になるということだ。最後に観客へ見せた醜女のニヤリとした表情と、太郎冠者の顔に感じられた皮肉な諦念とは、客席のそして現代社会の「いま・ここ」を、見事にとらえた演出であり、まさに歌舞伎が、他の古典芸能と比較して隆盛を誇る象徴でもあったのである。

第三部
『御所桜堀川夜討』
「弁慶上使」
  先代錣太夫と三味線新左衛門の録音が残っているが、声量豊富で達者と言われた先代錣の面目躍如たる出来となっている。品に乏しいとも書かれているが、「阿古屋琴責」などを聞くとなかなか立派なものである。何と言ってもまさしく浄瑠璃義太夫節そのものであり、第一声を聞いてそのまま没入できる語り口は、まさに名人上手(名人だけではなく必ず上手が後につく)に他ならない。うっとりもさせるし堪能もさせる。「……ゐてくれたらと思ふのでは駒太夫、それに錣太夫なんかもね……。」(『山城少掾聞書』)と言わせるほどの太夫であったことを忘れてはならない。とりわけ、本作のような人気曲、聞かせどころが多くて当時の観客がワーワー言う作品では、その録音数から見ても、世間から求められ認められていた太夫であることに間違いはない。この一段、すなわち二カ所あるおわさのクドキそして大落シ付きの弁慶が述懐と、面白さ満載の本作は、当代錣と宗助の三味線にとっても試金石とされるところである。先代は残された音源からしてもおわさのクドキを中心に据えていたが、当代もその声質や語り口からして同様であると思われた。ただし、津太夫の弟子であったことも考え合わせると、大落シ付きの弁慶が述懐にも何かしら耳を留めるところがあるようにも思われる。実際に聞いてみると、どちらもそれなりで、快感には至らずにお楽しみでもない結果に終わった。匠気たっぷりで派手に振り回すなどそれこそ品に乏しく現代では流行らないのであろうけれど、こういう曲にはむしろその方が似つかわしいのだろうと改めて思わされたことでもあった。現に節付もそのようになされているのであり、三味線もそこはよく踏まえて弾いていた。当代錣はやはり現代の太夫なのであった。なお、端場について一応言及しておくと、マクラの第一声から変で、千草結びも面白くなく、おわさのしゃべりも単調、これらは睦の責とすべきであって、勝平にはお構いなしというところであった。
  人形は、弁慶の玉志がその出に関して襖のサイズに抑制された小さいものでどうかと思われたが、二度の登場からは大きく遣えており問題はなかった。和生師のおわさは床を引っ張り上げるまでには至らなかったが、それはやはり人形浄瑠璃の第一は太夫であることを図らずも証明していることとなった。侍従太郎は孔明カシラを用いてあるが、座した姿勢といいその性根を描くには至らなかった文昇である。花の井の簑一郎と信夫の玉誉に傷はなかった。全体として床の格に相応の手摺であったということになろう。
  最後に一言。この芝居は季節としては秋である。大道具は外題にひかれて春爛漫として描かれているが、誤解を避けるためにも普通の背景にすべきであろう。もっとも、先述したように本作が人気曲であり匠気たっぷりで派手に振り回すのをよしとするということであれば、このまま絢爛豪華でもむしろその方が相応しいと言えるかも知れない。しかしそれならば、綾錦の紅葉でも一向に構わないと思われる。

『増補大江山』
「戻り橋」
  昼夜を通すと三度目の景事である。ところが、肩衣袴が織太夫紋の鮮烈な青色で統一されていたから(通常は国立劇場の紋柄を用いて揃える)、観客も気を引き締めて臨むこととなった。若菜と綱との二人行の場面はそれぞれにいささか冗長に感じられたが、まず、人通りの途絶えた都大路一条戻橋の情景描写が至高であり、舞も耳目に心地良く、鬼女と見顕してからは実に面白く堪能できた。織は高音も出るが豊かで幅があるとまではいかないから(こういうところは道行太夫といわれた戦前の角や源あたりがそれに相応しいのだろう)、むしろ前述した描出が可能なところにその才は見出せよう。靖は低音がまだ苦しいが立派な武士であった。右源太の咲寿がよく左源太の薫は健闘した。三味線は燕三が統率力もさることながらしなやかでふくらみある音で魅了した。二枚目の団吾がこれまでで最高のパフォーマンスを発揮したと言ってよく、弾き分けも巧みで耳に残るものであった。清丈も安定しており、八雲(錦吾・清方)も乱れなく心地よく聞かせた。外国人の姿が多く見られたが、この景事で日本の伝統文化を十二分に堪能できたことと思う。その意味からも、成功裏に追い出しとなったとしてよかろう。
 

 

 

【従是千秋氏評論】

令和六年四月公演(四月十二日)

第二部
  十一代目豊竹若太夫襲名とあって、館内は和服姿の方々も多く、華やいだ雰囲気でした。2階劇場入り口では若太夫直々の出迎えを受け、めでたく喜ばしい気持ちになりました。「和田合戦」がどうなるのか、楽しみです。

「団子売」
    藤太夫 靖太夫        
    咲寿太夫 織栄太夫
    清志郎 寛太郎   
    清允 藤之亮
  襲名を言祝ぐとあって、三味線、太夫陣とも伸び伸びと晴れやかで、こちらの気分も開放されました。一輔のお臼は登場するや舞台が華やぎ、観客の気持ちが高揚するのが判ります。ニコニコしながら見てしまう。
  「さうだよ高砂‥」辺りの三味線と太夫、人形、一体となってのリズミカルな奏演は襲名披露の幕開けとして相応しいものでした。特に咲寿の声は隅々までまでよくコントロールされており、太夫陣の指標となるものでした。


    襲名披露公演
「和田合戦女舞鶴」

☆市若初陣の段  
   中
    希太夫  清公
  「至つて用捨は御身にかかり、‥‥訝しき」と始めても、希太夫の頭に情景が浮かんでいないので、当然聴衆の頭の中に情景が浮かんで来る筈も無いのは、困ったものです。全般的にその傾向が強いので、先ずこの人は自らの頭の中で情景を設定するイメージトレーニングが必要でしょう。そうすれば表現の仕方、声の高低、大小、間の取り方もコントロール出来るのではないでしょうか。
  今の表現方法では必然性が無いので音が耳を通過するだけです。
  特に「板額門破り」省略の本公演では、板額の人物表現として、「誠口ほど健気なら‥刺し殺し、自害した方がよい、‥」の厳しさを強く述べるべき所なのに平坦。「思いは親の因果かや」はこれからの板額親子の運命が仄めかされる重要な箇所であるのに、思い入れもありません。
  これからの事件の導入部であるとは言え、もう少し自らの力で展望を開いて欲しいものです。


  若太夫  清介
「時を移すうち‥‥」の詞が既に感慨深く、時の流れ、即ち十代目若太夫から十一代目若太夫への流れがひしひしと感じられて、「新若太夫によるこの劇の展開は如何に」と期待が高まりました。
  市若の人形は可愛い大将人形が動いている様で、母板額が愛おしがるのも無理は無いのです。若太夫は母親としての板額と子の市若の会話を情感溢れ、且つ説得力ある語りで活写します。「‥待ち兼ねました‥よう来たことぢや」「‥逢ひたかつた」。溺愛です。然るに「忍びの緒、ふつつと切れて落ちたるは、心ありげに見えにける」。ここから若太夫による細密な言い回しが光ります。「‥浪の哀れや打紐の、切れしを後の思ひとも、知らで‥」。つまりは時間感覚の妙です。新若太夫の特長は「時間」の中に人間が揺蕩っていると言う意識がある事で、過去と現在が絡まりあって暗黒の未来を招き寄せると言う事をを予知させる所が見事でした。
  若太夫は女声が綺麗で、情感溢れる上に人物毎の語り分けが自然で素晴らしい。殊に尼君の「子細何にも言はぬよの。」からの長い詞の上品さと間のとり方は流石です。旋律の美しい表現が説得力を高めます。
  優しさ、繊細さ、情感、緻密な表現、滑らかな旋律。これが新若太夫の魅力でしょう。
  唯それ故に、板額の、子を思う情愛はよく表現されても、裏面の厳然たる圧力の表現は叶いませんでした。平太を騙っての一人芝居。「声に角立て」に凄みなく、「何と言ふ平太。‥どつこいさうは」の長い詞に圧力が無い。この圧力の無さはこの場を持て余す演者の無意識のなせる業か、将又若太夫の優しさの現れででしょうか。先代若太夫はこの場に正面から立ち向かっているのですが。
  ともあれ観客にとっては無惨な謀に加担せずに済むので、却って良かったのかもしれません。よって観客は「本ぼんの子ぢやわいなう。」に一気に持って行かれ、ここを先途と力演する新若太夫に拍手を送るのです。
  若太夫の襲名披露公演として、新若太夫の得意とする表現の達成が見られ、観客は満足のうちに段切りを味わったのでした。
  勘十郎師の板額は凛々しくも優美、市若を抱く様にして館に入る様子はとりわけ愛しさ溢れんばかりで見惚れました。三味線の清介はこの劇に重厚さを加えんと心しています。襲名を支えようとする二人の気迫が漲っていました。

  しかし「板額門破り」があればこの浄瑠璃が如何に難曲であるかが判り、「板額」が一筋縄ではいかない存在である事が見えてきます。それ故に新若太夫が親子の情愛を美しく纏め上げたのとは異なる別次元の世界がある事を示すことになるのですが。

  先代若太夫なら「和田合戦」はどの様に表現されるのか、探ってみたいものです。


☆「和田合戦女舞鶴」と先代若太夫
   市若切腹(前)呂・綱造
   市若切腹(後)若・重造
       「浄曲窟」による
  先ず「板額門破り」を「音曲の司 情報資料室」に拠る丸本より新漢字に替えて引用してみよう。
  「‥揺り立つたる槻門。四十五間の高塀も共に揺られてゆつさゆつさ。瓦ははらはら屋根はふはふは。」「うんと一押し金剛力。礎土を掘返し。門も塀も一時にめりめりぐわたりぴつしやりと。圧しに打たれて死ぬる人。コハ叶はじと逃ぐる人。‥」
  これが板額の門破りの様子であり、剰え敵の藤沢入道親子の「首引抜かん」とまでするのである。
  人間とも思われぬ金剛力の大女房。
  即ち板額はもともと神話的世界の住人であり、神的領域の人であって、その様な神的存在が頽落して板額という女になったのである。
  それ故板額の言辞には厳然たる圧力があって、綱手に対して「誠口ほど健気なら公暁を刺し殺し、その身も自害したがよい、」とまで言い放つのである。
  又、尼君に対しても「急ぎ首討ちお渡しあらば‥」と迫るのだ。この辺り、先代若太夫は豪放な語り口にメリハリを効かせて、圧をかけ、有無をを言わせぬ気迫があった。つまり先代の語りには板額の背後に神の存在が感じられたのである。
  然るに「神」であった筈の板額は既にして人間世界に頽落し、矮小化した為に我が子が愛しくて仕方がない愚かな母となつている。「神」の恣意性は、板額に於いては我が子への無垢で直情的な情愛の発出となるのである。「そなたに手柄させいで誰にさそう。」
  しかし忍びの緒が切れたのは市若に身代わりとして死ぬ事を求める夫からの暗示だった。
  身代わりとして我が子を自らが殺す事は到底出来ない板額は謀を巡らせて市若に自害をさせるという愚かな策を執ってしまう。愛し子を我が手で殺す事は出来ぬという、無垢と直情の心がこの無惨な方策を考えつかせたのだ。無垢と直情を現世に於ける神の残映とする板額には、この様な愚かな方策が頽落した神としての限界であった。 
  しかしこの愚かな板額の無垢と直情は市若に死を超えた真実の喜びを与えたのである。騙された事を恨むのでは無く、「本ぼんの子」である事を確認し得た喜びを。
  子供の心は常に不安定である。誰の子か実は判らぬという懐疑は誰しもあり、果ては「捨て子」かと思い詰める事もあるのだ。多くの子供はそのまま封印して成長し、それらしい人生を送るのだが、「誰の子か」と言う実存的不安は失われはしない。
  市若は愚かとも言える母の無垢と直情によって「本ぼんの子」という真理を抱いて死んだのである。頽落した神である板額の無垢と直情こそが、身代わりの死の悲惨さを、実存の根底を把握したという喜びに転換させたのである。
板額には神の残映がある。背後に神がいる。そうでなければ、このような転換が起こる筈がないのだ。
  勿論その様な板額を現成させたのは、先代若太夫の剛力である。特に「本ぼんの子」に於ける板額の無垢と直情の現出はこの世を砕けさせた。

  先代若太夫の浄瑠璃には、声、旋律、間に神が宿っている。外への豪放さと内への真摯さは鬩ぎあってこの世を逸脱する。それ故に板額の神の強度は自在に展開し、金剛力からしおらしい女房、愚かな母として立ち現れる。そしてそのダイナミズムは破れ鐘を思わせる声とあい相俟って、既存の秩序を揺るがせる力を有する事になる。故に先代若太夫を聴くと、いつもこの世に罅が入り、揺らぐのを感じるのだ。
  浮薄な表象が砕け散って「実在」が現成する事を確信するのだ。

  願わくば、新若太夫も既存の世界の「門破り」を試みて欲しいものだ。


「釣女」
     芳穂 小住 聖  南都
     錦糸 清馗       友之助 燕二郎
  「和田合戦」が終わって、余韻に浸っていると、「今更『釣女』か‥」と言う訳でしょうか、隣の男性客の姿は見えなくなりました。さもありなん。
  ‥‥と思っていると、これがなかなか良い出来でした。
  先ず錦糸に先導された三味線がイキイキしており、それに応じて太郎冠者の芳穂が水を得た魚の如く、晴れやかにして、且つ軽薄に堕さず、間やリズムも的確で、観客を気持ち良く笑わせます。
「汝もまどろめ」「畏まつてござる」の大名との会話の間も絶妙で、自在感があり、楽しいのです。唯小住の大名は品格の点で所々物足らなかったのですが。
  全体として美女と醜女というあざとい趣向にむやみに陥らず、純粋に祝祭的な喜びが、三味線、太夫、人形から発せられたので、気持ちよく笑い、楽しむ事が出来ました。 「美女」と「醜女」が、唯の記号であって、「豊漁」即ち「豊饒」こそが真に価値あるものだという事を「醜女」の赤い頬が示したのです。
  襲名披露の祝祭感に資する所大でした。

          以上