第一部
『妹背山婦女庭訓』
「大序 大内」
時代物の通し狂言はやはりこうでなければならない。形式美としても正装での善と悪との対立が明瞭で、全段の骨格が示される。大判事と太宰の後室そして采女も登場して、それぞれの立ち位置が明らかになる。とりわけ鎌足の位置付けと入鹿不在が重要で、これにより入鹿の謀反とそれを既に予知していた鎌足という実線がいずれ姿を現すことになる。目立つのは蝦夷子の驕慢威勢であるが、それにより序切での急展開が一層鮮烈になるわけだ。
床、太夫の亘と小住は一日の長がある。碩は定高と采女を任されて十分、薫は基礎基本に忠実。その中にあって今回注目したのが聖で、声が前に出て張りもあり大きさと太さも感じられ、「が」音の処理に間や足取りも身に付けており、これは有望株だとの印象を強くした。順調に修行を積めば、今回なら「太宰館」をあっさり凌ぐほどになるであろう。大いに期待したい。三味線は錦吾と燕二郎に安定感があり、清方は修行中で清允は堅実というところか。大序の存在はこうした判断のためにも有用なのである。
「小松原」
物語を一枚の織物だとすると、大序は縦糸でこの序中は横糸に相当する。すなわち若い男女の恋模様である。久我之助の靖は落ち着きがありその分老けた印象を与えるが、後半の采女の傅き役という立場からするとそれで相当かも知れない。雛鳥の咲寿はずいぶんと揺らぎのある語り口だが、恋模様渦中の女性像としてはそれで納得も行く。ただし、采女との語り分けはなかなかに困難であった。とはいえ、美男美女の出会いは確実に表現できていた。この若い二人の中を取り持つのが女中の大切な仕事となるのだが、小菊の南都が鮮明に描出していた。かませ犬の玄蕃も津国が活写。なお、黒衣なのが通し狂言の格を踏まえていてよい。
「蝦夷子館」
序切は事の発端となる場面で、主人公側の危機が現出することとなる。口は亘と清公、ここは久我之助がただの色男ではなく凜々しい若武者であることが示される。蝦夷子およびその家来とのやりとりも破綻無く、いわゆる大序を抜けた感がある。なお、人形について一点、久我之助の人形遣いが鉄網の上昇を目で追っているのに、人形の方はカシラもそのままというちぐはぐがあった。
奥を藤と清志郎。嘆いてばかりのめどの方、単調かつダレたりしなかったのは床の実力である。蝦夷子が実は狭量であり巨悪は入鹿というのがこの一段のツボであるが、そこをよく心得て描出する。欲を言えばその急展開に一層の緊迫感があればと感じた。何せ三人も亡くなってそれがすべて入鹿の策略によるものなのであるから、その入鹿自身もとんでもない存在として現出しなければならない。しかし、この一段が随分と省略があるからか、序切にしては軽すぎる印象が拭い難かった。真の悪役が大序ではなく序切で登場という面白い構成になっているのが、今回大序を出すことで明確になったことは大いに評価できるものの、その分この序切の省略が一層目立つ形となった訳である。それだけ原作がよく出来ているという証拠でもあるのだが。
「猿沢池」
帝に采女そして淡海、雰囲気の描出に声色へ流れたくなるが、それを間と足取りに重点を置いて語り分けする安定感は、希と寛太郎の若手コンビの手柄である。ただ、注進も出るし淡海の働きもあるので、今一歩ダイナミックになってもよかったか。
「鹿殺し」
ここの省略は「城明渡し」と同趣旨だろう。鹿の登場とそれを射殺すところで客席が反応していたからそれで十分である。御簾内の碩・錦吾は問題なし。
「掛乞」
靖と清馗、ここはチャリ場でもあり、衣装チェンジと借銭和歌で客席が沸いたから成功である。浄瑠璃はよく動いていたし、貴賤の差も明確であった。ただ、低音は未だに苦しい。
「万歳」
ここまでスルスルと来たが、ヲクリから只事ではないという感じで、姿勢を正さざるを得ない。咲太夫師がここを勤めるのはそれゆえに至極当然で、染太夫場なのである。休演につき代役が織で三味線はもちろん燕三。この一段も残念ながら省略は多いが、それでも「風」の残る場は他と異なるのがよくわかる。そして典型的に顎が使われている。二上りの万歳は格調高く、続く帝の言葉はしみじみと滋味があり、最後は万事首尾良く進みそうな喜びと活気に満ち、と全体として難しい一段をよく勤めた。
「芝六忠義」
新聞記事に「夫婦の情愛」とあったが、それは段切の「草葉に置ける芝六が妻恋ふ雉子や子ゆゑの闇」だけであって、発言の真意がわからない。とはいえその段切は哀感あってしみじみと心に響いたから、その表現としては確かに出来ていたのである。一体この一段の眼目は親子そして大歯車の存在にある。とりわけ後者は難物である。なぜならば、この悲劇はいかにも封建時代そのものであって、主人への面晴れに我が子を刺し殺すというのだから、近現代人には到底容認しがたい。しかし、それも人知を超えた天命であるとなると、数々の天災に見舞われてきた人間としては納得せざるを得ないということになる。それが大歯車である。すなわち二種の神器の出現により助かった三作の身代わりが必要であり、すべては大団円に向かう連環の中に位置付けられる事象なのである。それはまた、大序において先まで見通していた鎌足の掌中にあるもので、この孔明という超越者的カシラを有する人形により現出されるのである。したがって、「十三鐘の音にぞ哀れ残りける」も単に夫婦の悲哀にとどまらず、縁起として完結させなければならない荘重さが要求されるわけである。日常という小歯車は愛おしいし重要なのはもちろんであるが、超然たる非日常(日常を日々実感している者には非日常としか捉えることが出来ないもの)の大歯車の回転の前では、それが自転では無く回転させられていたことを思い知らされることになる。それがわからないと、理不尽だ非人間的だと断罪さえしかねない結果に至るわけである。今回、千歳は富助の三味線によりその域に迫ろうとはしていたが不十分であった。もちろん、母の嘆きや父の苦悩など子の健気さも加えて人間的な情に関する類は観客によく伝わったと思う(ただ、それも例のクレッシェンド・デクレッシェンド(あるいはフォルテ・ピアノ)の振幅によっていささか辟易するところはあった)。しかし、この一段いや『妹背山』全段を貫く鎌足の超絶性の表現は物足りなかったと感じられた(加えて、帝と采女再対面の描写も美しさ―畏れあるほどの―が至らなかった)。音が上がっての段切に帝の目が開くことでもあり、やはり地(日常)に付き過ぎたということになろう。とはいえ、大曲の二段目切場を勤める実力は確かなものであった。
第二部
『妹背山婦女庭訓』
「太宰館」
楽しみな一段である。もちろん相応の三業の役場であればの話だが、人形は期待できるし三味線の勝平も十分である。問題は太夫だ。大音強声の睦にとっては汚名返上の大チャンスを与えられたわけで、これでうまく行かなければ後は…である。マクラから地が相変わらず不安定で定高と大判事の詞もしっくり来ない。これはマズイと思いながら聞いていると、入鹿の詞になって聞けるようになり、それから両人の詞もよくなって浄瑠璃に身を任せられるようになっていった。声の潰れ方から察するに随分と稽古したように感じられ、「入鹿が威勢ぞ類なき」なども一杯一杯。注進から先は気分も爽快になるところだが、頑張って語っているからその余裕はないし、聞いていて楽しいともならなかった。しかし全体としてこれなら及第点を付けられよう。ただし、その点数は三味線の勝平に依るところが大きいから、今後とも自分の語りを録音しておいてどこがおかしく間違っているか自己修正することを切望する。ちなみに、五月東京の役場が何とあの「安井汐待」である。これなどまるでニンではないのに厳しいところだ。久しぶりに出されたこの一段が、ああやっぱり省略されるところはそれなりの理由があるのだなあ面白くないしツマラナイ何だここは、などと言われる結果に陥らないことを祈るしかない。もっとも、そうなったときには漱石枕流として先代呂太夫が清治の三味線で勤めた公演記録の絶品があるのだが。
「妹山背山」
織呂藤蔵清介に呂勢錣清治宗助である。世代交代が進んだ印象を持つ。順によかったところを挙げていく。染太夫風の現出、「心ばかりがいだき合ひ」の両床ユニゾン、大判事が立派かつ父子の情に涙も滲んだ、流れ灌頂にも涙あり、大落シは手が鳴っても良いほどで、柝頭とともに大当たりと声を掛けたくもなった。全体として背山の方の印象がより強く残ったが、妹山も春太夫風の流麗華美など確かに伝わってきた。毎回予想をして客席に座るのだが、この「山」は想像以上で、やはり劇場には出向かなければならないとあらためて実感した。そして名作名場面といわれるものはなるほど名作名場面なのであった。
ここで、人形陣を総括しておく。まず第一部、鎌足の玉也は荘重さが感じられたが超絶的存在感には至らなかった。やはり難物である。淡海の清十郎は端正だがもう少し前への押し出しがほしかった。帝の勘寿は盲目の表現が出来たがより悲哀が感じられてもと思う。蝦夷子の文司は大舅カシラにしては弱いように感じたが入鹿に比して小物ということかもしれない。中納言の清五郎は格式あり。めどの方の文昇は嘆き一本で相応。芝六の簑二郎はよく遣っているものの二段目の主役にしては少々影が薄かった。お雉の勘弥は夫へ子へと思いの休まることのない情味を描き出していた。入鹿の玉志は大きく遣ってはいたが動きがややせわしなく一大巨悪の口開き文七たる恐ろしき傲慢には届かなかった。これは第二部でも同断であった(乗馬についてはなかなか難しいのでその成否を以て評しているのではない。もちろんこの馬上で巨大さが現出できれば素晴らしいのだが)。二人の家来(玄蕃が玉勢、弥藤次は紋秀)は相応の出来。次に、和生師の定高と大判事の玉男はもう立派な持ち役で、感動を生み出すまでに至っている。久我之助の玉佳は動けない若男をきちんと遣ったし、雛鳥の一輔は慎むところと迸るところを巧みに描出して納得のいくものであった。腰元は小菊(紋吉)が儲け役をきっちり儲け役として遣って客席も沸かせ、桔梗(簑太郎)は変に対抗意識などを持たずに遣ったところに好感が持てた。ここ何年か、手摺の安定感が床を上回っている印象だが、今回もそれに変わりはなかった。
第三部
『曽根崎心中』
「生玉社前」
三輪と団七で丁寧に運ぶ。九平次はもっと嫌らしくてもと思ったが、次の切場の描出を聞いてなるほどこの人物造形でよいのだと納得した。事の発端がわかりやすく、心中の種が蒔かれたことに気が付く。佳品である。
「天満屋」
呂勢を清友が弾く。呂勢は「山」の雛鳥と二役を勤め大したものである(織も同断)。マクラは詞章からしても美しくあるべきだが、この一段をうっとりと聞いたのは公演記録の綱弥七のみである。今回この床によってその一端を感じられたことは特筆すべきである。また、お初のクドキがクドキとしてこちらの胸に響いたのも画期的で、節付の意味が十二分に捉えられている証左である。最後二人が出て行くところはもっと切迫感があってもよいのではとも思う。
「天神森」
あらためて近松の名文句を堪能した。とりわけ「北斗は冴えて影うつる星の妹背の天の河」が美しく、これは床=錦糸に清丈友之助以下の三味線に芳穂希小住以下の語りがよく出来ていたからに他ならない。二人の会話になってからはお初の「テモこなさんは」以下が最も印象的で、これもクドキの旋律としてすばらしい節付であることがよくわかった。近松『曾根崎』が金看板であることを再認識したのである。
人形は、まず勘十郎師のお初である。あの初々しさと美しさはどうだ。カシラの傾け方、俯きがすばらしいのはこれまでも言われてきたが、今回は上向きのそれが美しくもまた悲しみを秘めた絶品であった。眼目の床下では徳兵衛の玉助もよく遣い、足先足首での官能美と死との隣り合わせの表現にはゾクゾクした。この「天満屋」は照明効果が実に印象的なものでもあった。敵役九平次の玉輝は客席から悪い奴と声が出ていたほどで、それがくどくもしつこくもなく床の表現とピタリ一致していたのが素晴らしかった。なお、「道行」の星と人魂の光はやはり強烈な印象を残して、舞台効果の重要性というものも再認識させることになった。
今回、客席には外国人観光客それも西洋人の姿を多く見かけた。日本(大阪)観光の一部として文楽を組み込んだものであろう。有り難いことである。とりわけ第三部は盛況であった。プログラムにも英語で概説等が書かれるようになり、カラー(写真)頁も増えてインバウンドへの意識はここにも顕著なのである。今回の狂言建てはこの第三部をどう評価するかであろうが、実際にかくも西洋からのお客が多いことを鑑みると、近松の名作中もっともわかりやすく有名な一段を配したことは、当初の奇異感とは裏腹に至極当然のものであったと結論付けざるを得まい。とすれば、今後も三部構成を続けてその一部を外国人観光客にも親しみやすい狂言に仕立てておくことは、ポストコロナという情勢下にあって有効な手段ということになろう。今夏公演なら第三部がそれに該当するし、第一部も親子劇場の名目はそのまま上記に当てはまるものである。となれば、この真価は秋公演の狂言建てによって明確となるわけで、劇場側の対応に注目したい。
【従是千秋氏評論】
令和五年四月公演(四月ニ十一日)
第二部「妹背山婦女庭訓」 三段目
コロナ禍も漸く下火となり、街にも活気が戻って来ました。劇場も前方には物馴れた見巧者、聴き巧者が戻って来られた様で、期待感があり、柝の音が待たれました。
☆太宰館の段
睦太夫
「奈良の都の八重九重‥」は久々に安定しており、ほっとしました。この人は大音強声で、聴きやすく迫力もあるので、「太宰館」の入鹿の詞など期待出来るのです。
しかし大判事と定高の対峙は詞の明快さはあるものの、緊迫感無く平板で、やがて詞と地の区別も曖昧になって行きました。全て旋律が無く、リズムも弱いので、大判事と定高の区別も消えてしまいます。折角期待していた入鹿も「ヤアとぼけな。」に畏怖を感じさせるだけの凄味が無く、平凡でした。
但し「ハハハハイヤ巧んだり拵へたり。」には渾身の力が籠り、睦太夫の聴かせ所となって、やはりほっとしました。しかし見物聴衆が「ほっとする」ようでは困るのであって、今後は聴衆を浄瑠璃の波に乗せる事が出来るように、自身の声を自らよく聴いて、コントロールして欲しいものです。しかしその前に浄瑠璃の波に自らが乗らねばならないのですが。
勝平の三味線は睦を「波」に乗せようと、奮闘していました。
人形について言えば、舞台は広く、人形は小さかった。巨悪を具現する入鹿は「現実」の空間を完全掌握する程大なる存在である筈なのですが。
さて「ヤアヤア弥藤次‥百里照の目鏡をもつて‥きつと遠見を仕れ。」と言う入鹿の詞は、次の「山の段」を規定する重要な詞なのですが、睦は判っていたでしょうか。
☆妹山背山の段
背山 久我之助‥織太夫 大判事‥呂太夫
妹山 雛鳥‥呂勢太夫 定高‥錣太夫
この四人の掛合の成果は素晴らしいもので、それによって、入鹿の百里照の目鏡は割れたのです。
織太夫
「‥駆けり行く」と承けた所から場面転換への動きが感じられ、「古の神代の昔‥」と展開される妹山背山の状況が、眼前に浮かぶや、幕が落ちて、吉野川を挟んで爛漫の桜。緩急自在、膨らみのある表現で見物を導きます。久我之助の、凛々しく端正で恋情を抑えながらも「雛鳥無事で」と声にする心情をよく表現していました。織太夫の表現の自在さのおかげで、久我之助の統制された理性の奥の感情が時に迸り、雛鳥の恋情と絡みあって大きなエネルギーを形成してこの劇を動かしたのです。織太夫の能力は大したものです。
呂勢太夫
「頃は弥生の‥」から流麗で桃の節句に相応しい美声。「‥ここまでは来たれども山と山とが領分の、‥」辺りは清治師の玉滴の様な絶妙の三味線と相俟って、雛鳥の若々しい至純の恋情が吐露されますが、あくまでも上品で美しく、その旋律は伸びやかです。唯の恋ではなく、天上へ。
呂太夫
荘重、謹厳さには乏しいものの、説得力があり、「御前を下るも一時‥一つなれども、」と「茨道」の表現には大判事の「袴の襞も角菱ある、」人格がよく表現されていました。それ故に、後の「‥涙一滴零さぬは武士の表。」の悲哀の詞が生きて来たのです。
この表と裏の反転を呂太夫は見事に表現し、そのダイナミズムを以って、超越へと逆巻くうねりを示したので、この「山の段」は成功したのですが、それに就いては後で詳しく述べる事にします。
錣太夫
背山の大判事に対して、妹山定高は流麗な中にも毅然とした品があって欲しいもの。錣はいつもの様に力演するものの、一本調子で「脇へかはして」も正面切ってしまい、「女子の未練な心からは、我子が可愛うてなりませぬ。」にも心の襞が感じられません。つまりはあるがままの単調さで、強弱、高低、旋律のうねりに乏しいので、ややもすると、この様に劇的な事件であるのに、ただの日常の続きの様に感じられます。流石に「‥必死と極まる娘の命、‥はらはら涙」は切迫しましたが。
総じて品格は人形の和生師がよく表現しており、特に幕切れの形姿は立派でした。
☆以上、「山の段」の掛合を振り返ったのだが、前述した様に、この四人の総合力は面白い化学反応を起こしたのであって、見物、聴衆は大きな拍手を送ったのである。
それは何故か。
‥この「山の段」を聴くに当たり、極め付き、山城と綱のCDを五回程聴いた。山城の厳粛、綱の華麗、対峙する二人の水も漏らさぬ緊張感。一点の非の打ち所も無い巧緻な技巧。全てが的確でこの上無い浄瑠璃であった。
‥‥‥しかし徐々に自分の精神は鬱屈して来たのである。
それは何故か。
血とエロスの欠如。
森鴎外の「山椒大夫」を想い出してしまった。
周知の様に鴎外は説教節「さんせう太夫」を小説化した訳だが、それに当たって残酷な場面を殆ど割愛した。その結果説教節の持つ土俗的な血とエロスは払拭されて、白い骨格のみが残ったのである。「山椒大夫」を二度三度読んでも、骨格のみが標本として示されるだけなのだ。
鬱屈は此処に生じる。
‥‥血とエロスこそが「生」の原動力ではないのか。そして「美」を形成する力ではないのか。
梶井(基次郎)は「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」と言うが、それは本当だ。現に今展開されている「山の段」の、吉野川の両岸に爛漫と咲き誇る桜花の下には、久我之助と雛鳥の死体があって、それ故にこそ桜花の「美」が確固として現れるのだ。
二人の血とエロスあってこその「美」。
「美」とは現代のプロジェクションマッピングの様に、表面的に添加されるものでは無くて、血とエロスによる、根源的な力の発現なのだ。
そしてその様な「美」は現実を超越する。
今回、織の久我之助と呂勢の雛鳥は、その血とエロスを体現していた。
「‥言ふに嬉しさ雛鳥の、‥桜が中の立姿しどけ難所も‥」‥「『ナウ久我様かなつかしや』と言ふに思はず清舟も『雛鳥無事で』と顔と顔‥心ばかりが い だ き 合 ひ ‥」では、二人は川を隔てているものの、「心ばかり」は「抱き合って」強烈なエロスを発現させているのだが、それに加えて一輔の雛鳥と玉佳の視線は一途に結ばれて、エロスを現実化したのだった。
織と呂勢、一輔と玉佳が一体になった瞬間である。
また切腹した久我之助が「雛流し」の雛鳥の首を抱きかかえ、父の介錯により死ぬ場面では「血汐清舟」とは言え、隠された血の臭いが立ち籠めたのだった。
「山の段」の眼目は血とエロスの奔出による「美」の創造であり、「現実」を破壊する「美」の超越であろう。久我之助と雛鳥の悲恋が「可哀想」であり、大判事と定高の親子の情愛が示されたとて、それは核心部分では無い。この劇は人情悲劇では無いのだ。その様に矮小化するならば、弥藤次による百里照の目鏡の報告は入鹿を安心させるだろう。
此処で起こったのは、血とエロスによる「美」の現成であって、その力は爛漫たる「桜」となって噴き上がり、超越を目指すのである。似而非なる超越を目論む巨悪の首魁、つまりは「現実」の権化たる入鹿の百里照の目鏡は、「美」の噴出によって砕け散った。
そして見物、聴衆の目鏡さえ割れて、我々は確かな「美」を感じたのである。
今回の公演で、四人の太夫の個々の技量は先達に及ばぬにしても、血とエロスによって「目鏡を割る」という行為を成し遂げたのは、特筆大書すべきであろう。
そして「割る」所まで超越への浪を高めたのは、浄瑠璃のうねりを最高潮にまで迫り上げた呂太夫の力であるという事を、書き加えておきたい。
願わくは文楽が「近、現代」の濁った目鏡をも割らん事を。
以上