人形浄瑠璃文楽 令和四年一月公演(二日目所見) 

 ここのところプログラムが初心者向けに親切な内容を載せるようになり、初めての観客を常に意識しているのはよいことである。一方で、展示企画は文楽に関する知的好奇心を満足させるものとなっており、今回も数々の蔵出し資料(その蔵は当代の山城少掾と呼ぶべきもの)が必見そのものであった。とはいえ、文楽座命名一五〇年は記念・顕彰に終始すべきものではなく、結果的に人形浄瑠璃が閉鎖的連環に陥る端緒であったことを肝に銘じなければなるまい。というのも、次回四月公演予告にもそれが冠してあったからである。年単位だから当然という見方は形式的かつ浅薄であり、大阪国立が文楽座文楽座と一年を通して連呼する意味を考えなければならない。ということで、『音曲の司』「浄曲窟」においては2月以降それを踏まえた企画で一年を通すと、今ここで宣言しておく。

第一部

『寿式三番叟』
  ソナエを弾く三味線の錦糸と、語り出した呂勢によって、景事でも別格の「美的格調」というものが醸し出されており、これだけで一段の成功は約束された。加えて、和生師の遣う翁に神秘を感じたのである。翁が右手の扇とともに両手を広げて極まるところ、あの翁の微笑が意味するものは何であろうか。もちろん、能面の不思議あるいはアルカイック・スマイルということなら和辻らに登場してもらうことになるのだが(モナリザまで行くと普遍化しすぎる)、詞章にある通り「天下泰平・国土安穏」の祈祷を象徴する微笑であるのだから(あの不動の翁において観客の意識が集中するのは当然その表情である)、いわゆるほほえみとかニヤつきではない。ありふれた言い回しになるが、すべてを飲み込んでいるがゆえの微笑ということになろう。それは、この微笑を持つキャラクターが、その微笑のままで対象を消滅・破滅させもするというのは、アニメ・マンガ世代も自然に納得がいくころであろう。つまり、「天下泰平・国土安穏」の祈祷は行った、あとは人為がいかにするかのみ、その微笑なのである。続いて、三番叟についても感嘆した。一昨年以来の巣籠もり需要もあって、「あつまれどうぶつの森」というゲームソフトが世界的な規模で空前絶後の売り上げを記録した。とはいえ、今現在そのソフトを継続してプレイする人間がどれほど残っているかは心許ない。そこで、制作側も新規要素の追加を図り、ラジオ体操なるものが住民=どうぶつ達と一緒にできるようになった。そのラジオ体操、もちろん現実のそれを彷彿とさせるものである。夏休み、スタンプが一杯になる頃には体操の流れをすべて覚えているが、当初は左右の動きを見ながらぎこちなく行った記憶もあるはずである。一方で、最初から見事完璧に行ってみせる者もいる。決して、前者がいやいやの参加で無理矢理やらされているということでもない。取り組み方には当人の性格もまた如実に反映されるというわけだ。と、長々と書いたのは、今回白尉が後者で黒尉が前者という印象を強く抱いたからである。まず、白尉の簑紫カこれが切れ味良く目の覚めるような舞を見せた。所作を完璧に覚えてシミュレーションはもちろん実際に何度も何度も練習し、体が自然に動くようになるレベルまで仕上げたというものであった。これまで白尉はそのカシラからしても堅物、そして滑稽かつ動きも派手な黒尉に対して地味な目立たない方という見方をしていたが、今回は新たな解釈を示されてそれに納得したのであった。疲労困憊で休んでいる黒尉に二度三度対処するところ、そのカシラの遣い方も所作も、黒尉に話しかけている言葉までが脳内に再生される感じがして、うーむこれはと唸り声を上げざるを得なかったのである。この人形遣い、才能に加えて簑助師の弟子であったのだから、いずれ座頭格にまで至るのは間違いなかろう。ただし、才に溺れて小細工に終始するようだと危険極まりないが。一方の黒尉、これはまさに白尉との対照として「与太与太」という形容に文字通り相応しい造型になっていた玉勢である。もちろんこれは褒め言葉そのものである。又平カシラとしても納得がいき、その舞も下手とか手抜きとかいうものではなく、塩梅適当にて好い加減とする自然なもので、何よりもこの白尉とのコンビにおいて唯一無二の存在感を示していた。ツレの太夫・三味線も問題なかった。そして、残るは千歳である。能楽においてどうなのかは問題としない。あのカシラと装束からして、その出からノタノタしていたのには即刻違和感を抱いた。語りは語りで田舎芝居なら首肯できるかというもっさり感(声柄の分は差し引いたとしても)、唯一三味線は清新であったものの、これでは千歳の存在理由が意味不明となるばかりで、今回は翁と三番叟が浮上しているだけ一層沈み込んだ形となった。とはいえ、「寿」「式」をぶち壊すというほど酷いものでは決してないので、何事もなく見聞きする観客がほとんどであったろうと思われる。

『菅原伝授手習鑑』
「寺入り」
  芳穂と清丈。四段目切場を控えた端場であり、この両者で間違いはない。はずであった。が、今回あらためてこの端場が難物であると再認識する結果となったのである。まず、戸浪と千代の語り分けが不十分。ここは千代が身形も態度も繕っているだけに、戸浪を少々世話に崩して差異化を図る必要がある。それが最初の詞からして堅く整いすぎていた。現に、二人の会話を人形を見ずに聞いているとどちらの詞か混乱するところがあった(評者の耳が悪いという大前提は措く)。もちろん、音の高低と足取りには差が付いていて実力のほどは確かなのだが、第一声からその人物を確定させるというのが難しいということである。次に、この端場の眼目である千代の「か」、「後追ふのか」の「か」で悲哀を表現するところである。今回評者の耳にはそれが疑問に聞こえた。なお、三味線については取り立てて指摘するところはない。

「寺子屋」
  前半を錣が藤蔵の三味線で勤める。「竹中砦」に続いて大曲の切場である。聞いていて、語りについては、咳き込み方の派手さが印象的であったという程度で、全体としてよくトレースできていた(難声が気にならなかった)と思う。一方三味線はと言うとハッとさせられたこと幾度か。源蔵戻りからの「差し俯いて思案の体」、そして「きつと見るより暫くは〜たちまち面色和らぎ」の弾き方で、源蔵の心中が手に取るようにわかった。そして「鬼になつてと夫婦は突つ立ち〜共に涙に暮れゐたる」のすばらしさ。「せまじきものは宮仕へ」が名文句として取り沙汰されるのも、この三味線による節付(足取り・間を含む)の体現あってのことと再認識したのである。実際、夫婦二人になってから松王の出までの間を退屈に思うことも別の床ではあったのであるから。病躯の松王の描写も人形とともによくできていた。その人形に関して、今回なるほどそう遣うかという点があったのだが、後で総括して記す。
  後半は咲太夫師と燕三がまとめる。「門の戸ぐはらりと」など東風であるから、締める必要はなくむしろ感情を解放する方向でまとめ上げるのである。ゆえに、段切いろは送りも三味線の素晴らしい弾き出しとともに堪能できた。「名場面三部構成」その文字通り一つ目なのであった。
  松王丸が前半で肚を割る割らないということがある。春藤玄蕃に贋首と悟られてはすべてが水の泡であるが、一子小太郎の首を「いま・ここ」で実検するわけであるから何事もなく済ませると非人間ということになる。顔色一つ変えない先代萩政岡の場合と似ているが、決定的な違いがある。政岡は孤立しているが松王丸の場合は玄蕃のみが贋首に関して部外者である。しかも、玄蕃はそのカシラといい五段目での扱われ方といい、この心理戦を理解できる器量ではない。つまり、多少肚を割っても構わないという状況にある。ただし、この多少の具合が演者によって様々なのであり、今回は「多」であった(ひょっとすると、大仰な咳き込み方もこれとリンクしていたのかもしれない)。「奥にはばつたり首討つ音」での狼狽え、首桶にすぐ手を掛けようとするところ、「何のこれしきに」以下の詞は動揺する自分自身を落ち着かせるため、「窺ひ見て」に滲み出る悲嘆。そうなると、仮病を使った理由も単純に暇乞いのためばかりとは言えなくなる。病身と偽らなければ、到底この首実検に堪えられるものではないということである。こういうと、立役の沽券に関わると反論が来るかも知れないが、妹背山芝六が酒に酔って帰宅するのも(酔おうとするほど酔えないのではあるが)同断である。すなわち、人間的なあまりに人間的な松王を玉男が造型したということになる。それはまた玄蕃の人形においても裏打ちされていた。寺子改めのところ、扇で首をとどめ松王に確認させてから放ちやるのだが、玄蕃が見て明らかにわかるものは時間差なく解放する。ところが、「瓜実顔」に対しても時間差なしで放して松王がとどめるという形になったのである。もちろん、菅秀才の顔を知るのは松王なのだから松王が改めることに何の問題もないと言われそうだが、それならそれで最初から最後までそうすべきである。ところが、茄子と馬顔と続いて自己判断したものだから瓜実顔も勢いで同様に扱ったわけである。ちなみに、ここは最初が玄蕃で次が松王という二段階認証ではない。要するに、玄蕃はその程度の人物ということになり、肚を割るのが「多」でも気付かれることはないとされるわけである。もっとも、玄蕃はその出から一貫してその程度の者という遣い方が文哉によりなされていたのではあるが。さて、松王丸が「多」であるなら、首実検の源蔵(戸浪)も相応に構えてやる必要があると思うが、はち切れんばかりの緊張感には足りていなかった。ただそれは首実検に関してのみであって、和生師と一輔はとりわけ松王の出まで文句の付けようがなかった。残るは千代の勘弥である。ここのところ好成績で幹部入りを果たしたといってよいが、ついにこの大役を本公演で勤めることになった。「寺入り」からすでに小太郎への愛は如実に表現されており、それがいろは送りに至るまで横溢していたのは、他の人形と軌を一にした納得のいく表現であった。ただし、一カ所疑問を呈しておきたい。経帷子の扱いについてである。「得心なりやこそこの経帷子」と詞章にもあり、その嘆きを遣って見せた勘弥だが、その直前まさにその経帷子が文庫から現れ出ると、源蔵ともども驚くという描き方(故意にではなく自然に)をしたのである。これは理屈に合わない(理屈ばかりで人形を遣うのではないことは百も承知しているし、むしろ「よう回す」と賞賛された明治大正期を見てみたいとまで思うものであるが、勘弥は近代的で理知的な遣い方をする人であろうからこう書いた)。それから、経帷子を手にし折り整えて置くところが二カ所あるが、それはもちろん小道具としてきちんと定位置に置く(これは芝居=演劇の外側のこと、つまり人形遣いとしての振る舞い)ということではなく、千代が我が子の死を覚悟した象徴としての経帷子をどのような思いで扱っているのかが観客に伝わらなければならないわけである(もちろん、それで人形遣いとしての仕事も同時に済ませたことになるが)。それが不足していた(評者の目が悪いという大前提は措く)。とはいえ、これらは立女形の人形をどんどん遣うとともに解消されることであろう(ひょっとすると、当公演後半になると解決されているかもしれない)。最後に、寺子の人形たちについて。ややもすれば受け狙いで芝居(とりわけ床の浄瑠璃)を台無しにするということがあるものだが、三人遣いのよだれくり(玉彦)をはじめよく心得ていて、この程度なら笑いを取っても問題ないと思われた。観客もまたそれを楽しみにしている場合もあろうし。

第二部

絵本太功記』
「二条城配膳」
  ここを付けるのは、武智光秀叛逆の理由を示す意図があるからであろう(プログラム鑑賞ガイドにも「謀反の遠因となる」と書いてある)。ところが、次段「千本通光秀館」において、当の光秀は以下のように語っている。「ヤア愚か/\、光秀を打たるは私ならぬ主命、スリャ蘭丸に遣恨はない。元来短慮の御大将、心に叶へばあくまで寵愛、まった叶はねば打ち打擲。たとへ命を召さるゝとも、君に捧げし我が命、ちっとも惜しまず厭はぬ某、我が存念も知らずして息筋張って尾籠の振舞、鎮まれすされ」と。もちろん「遠因」であるから問題はないように見えるが、観客が丁寧にそこまでガイドを読み理解しているとは思えず、直接結び付けてしまうことになろう。つまり、私怨(公的な接待役としての恥辱であるにせよ)が原因と強く印象付けることになるわけである。そうなると、「尼ヶ崎」での「わが諌めを用ひずして、神社仏閣を破却し、悪逆日々に増長すれば、武門の習ひ天下のため、討取つたるはわが器量」との語りが、形式的な飾り詞として上滑りをすることになる。そこまで理屈で考える観客など相手にしてはいられない、まあそういうことでもあるのだが、本来通し狂言であるものをつまみ食いあるいは継ぎ接ぎのパッチワークとすることへの、今回は戒めとして捉えるべきである。全体を作るには部品が必要というのなら、適当に組み合わせても何らかのものになるパッチワークではなく、最初に何を作るか構想を決めておかないと適当に組み合わせたのでは訳のわからないものが出来上がる、レゴブロックとしての認識が必要なのである。
  ということで、第二部全体の一部としてではなく、この一段を切り離して評すると、ベテランに若手を配した掛合は一応の成功を見せたとしてよいだろう。ただし、蘭丸については人形・太夫ともにその解釈について一つ記しておかなければならない。主人春長から光秀の面を打てと命じられた時の詞「はあ」を、驚きと躊躇い混じりに語り遣ったという点である。蘭丸は春長へ「討って捨てんに手間隙いらず、奥へ踏込み引っ捕ヘ」と言うや駆け出そうとしている。それを「事によそへて」と窘められたが故に配膳の言い掛かりとなり、春長もそれに乗じて「面打て」と命じたのである。したがって、蘭丸がこの下知に驚き躊躇うというのは腑に落ちないのだが如何なものであろうか。それとも、武士の面を打つというのは謀略の上を行くとんでもない行為ということであろうか。なるほど、今回はそう解釈しなければ「二条城配膳」を付けた意味がないということであるのだ。すなわち、若手二人はレゴブロックとの認識が出来ていたということになる。天晴れの玉翔であり咲寿である。

「夕顔棚」
  端場であるが段書きされる、魅力あるところ。四段目でもあり、女三人と若者一人が中心人物として登場し、節付もそのようになされている(百姓共と旅僧そして光秀が出る分、更なる変化と語り分けが必要とされる)。団七が弾いて藤が勤めるには余力あるところでもあるが、どこがどうということもなくするすると聞き終わった。割鶏焉用牛刀、勿体ないの一語に尽きよう(芳穂か希に語らせれば勉強にもなったことであろうに)。四者四様(正確には六者六様)の思いを抱いて切場へと繋がる。語り分け弾き分けはもちろん出来ているから、端場としてそれでよいのだろうが(敢えて言えば、さつきの詞が「言ひ放したる老女の一徹」とするまでには至らなかった)、心地よい節付に観客の多く(評者も含め)を睡魔が襲ったのも事実である。

「尼ヶ崎」
  麓風の四段目切場、その特徴は今更挙げるまでもなく、マクラを聴いてああなるほどと納得させるのは、清治師が弾く呂勢である。「孝と恋との思ひの海」まで、これは何度も聴いたSPの古靱清六に迫るものである。「立ち聞く涙転び出で」この詞章にしてこの足取りこそが東風四段目そのものなのである。『素人講釈』にいう麓太夫「「表の三本」で上がツカへず、「裏の三分」で下がツカへず、「ギン」の音と云つたらドノ譜からでも「ニジツタ」高い所から出して上品此上なく声量、腹力共に剛強にして一人も敵する者なかりしとの事。無論其頃の事とて簾内で語つて居たが床側に茶棚を据え、銀瓶の白湯わかしを掛け、玉露の茶を入れて、切れ羊羹を菓子器に盛り、語る片手に茶を入れて呑み、光秀の出の前までは胡座をかいて語り」この、上品にして優美というところは見事現出化していた。やはりもう切語り(襲名も含め)に値する。
  後半は呂清介で、ここのところ語り場として紋下格相当を勤めそれが実質を伴っているから、早く十一代目襲名を和田合戦三ノ切で実現してもらいたい。この魅力的な「尼ヶ崎」もきっちりと仕上げていて何か書くにも及ばない。名作を名作と感じさせる、これは並大抵のことではないのである。敢えて一例を挙げると、「中を隔つる老鳥の〜」SP以来録音では省略される(=冗長である)箇所についてである。これまでもやはり光秀久吉対面の緊張感を崩すようで省略はもっともと感じること頻りであったが、今回はそれがなくむしろ心情が伝わって胸を打った。さすがとしか言いようがない名人芸である。
  人形陣、今回は人形陣をまず評さなければならないほどの出来であり、成功の過半は人形に負うものであったとしてよいだろう。個々の出来もそうだが、「爽やかなりしその骨柄」「取り付く島もなかりけり」「ハツと心を取り直し」等々、揃って型が極まると「時よ止まれ、お前は美しい」と叫ばざるを得ず、素浄瑠璃よりも人形浄瑠璃だと感嘆せざるを得ないものであった。上に述べた老母の件もここに至る遣い方があったからである(ゆえに、人形遣い個々の名は記さない)。段切で登場する正清を遣った若手はこの舞台を目と心にしっかりと焼き付けておいてもらいたい。

第三部

『染模様妹背門松』
「生玉」
  夜の部は入りが悪い。今回の狂言建てなら第二部と第三部を入れ替えるのが常道と思われるが、「質店」「蔵前」は夜でなければという制作側のこだわりだとすれば、見上げた心掛けである。しかしながらやはり観客は少ない、というか一部二部に比すればガラガラと称してもやむを得ないものであった。もっとも、見聞きした客の感想や口コミによって日を追うごとに観客が増加するというのであれば、それこそ芸の力ということになる。
  「じやらつき合うて」これが一段の肝である。「手を引いて相合傘の二人連れ」「なぜに女子に好かるるやう可愛らしう生まりやつた」「ゑくぼに人を迷はして」よくもまあ臆面もなくこんな詞章を放り込んだものだが、それが道理と自然に納得するほどの美男美女カップルなわけである。それを希清馗が亘清方をツレてお染の清十郎に久松の勘弥を人形遣いに迎えて表現する。が、丁寧さが型枠となって整ってはいるが魅力がこぼれるには至らない。人形も同断で、名高いあのお染久松とはこのことかと観客が見て聞いて惚れ惚れするということにならない。ここが世話物の難しいところなのだろう。床も手摺りも時代物ではなかなかの実力を示していただけに、今回は残念ながら期待外れに終わったと言わざるを得ないのも、世話物の恐ろしさをあらためて知ったという、よい勉強になったと総括しておきたい。

「質店」
  どの解説書にも、「皮足袋」と呼ばれる久作の強異見が最大の眼目とある。つまり、それができればこの一段は大成功ということになる。三味線の富助による千歳の語り、文字通り強異見そのものであってこれまた切語り手形は発行されているのである。それ以外にも、文字通り「肝を砕く」ほどの「夢驚かす初夜の鐘」、辻占の二人、久松とお染との微妙な意識の差:久松は一人でも死ぬ気だがお染は一緒でないと死ねない、好々爺の久作をかさに掛かって詰める久松と、それが一八〇度ひっくり返るところ、両店を取り仕切る母おかつの造形、時代物大落シに相当する「さりながら」の表現、全体として山城越路の継承者として文句のないものであった。それでも、前任文化勲章の方がさすがだと思わせたのは、まさにその強異見であって、なるほど観客までが雷に打たれるほどに涙した強異見ではあったが、「慈悲」は欠けていたと感じざるをえなかった。あまりにも厳しい異見ゆえに「みんなあいつが可愛さから」が後付けの慰めのように捉えられたのである。涙したのも形のない鞭で散々に叩きのめされた痛みからであって、「慈悲」に感じたからではなかったのである。例の怒鳴り散らす癖が出てしまったとまとめたくはないのだが、母おかつの「子に迷ふ」もそれに引き摺られたものとなっては、瑕瑾としか言いようがない。とはいえ、この強異見により久松は完全に死を心に決めたわけで、久作への返事のところも死あるのみという遣い方を勘弥が見せたのは秀逸であった。お染の方はもちろん心中あるのみの返事である。ということは、両者を確実に死に向かわせたということにおいて、今回の「質店」は山城少掾から始まる近代リアリズムが見事結実したものと言ってよい。ただし、山城少掾(と弥七)に「慈悲」がこれ以外にはないというほど溢れていたことは付言しておかねばなるまい。

「蔵前」
  藤蔵が「寺子屋」に回ったので宗助が織を弾くという意味でも必聴の一段であったのだが、休演ということで藤が代わる。親太郎兵衛に加えて白骨の御文章があるから納得はするが、ここは芳穂でよかったのではないか。お染で手が鳴るようにすることもこの一段の眼目であるはずだ。ちなみに、御文章は省略形だから山城少掾(と弥七)ので補っておく。
「既に無常の風来りぬれば、則はち二つの眼忽ちに閉じ、一つの息長く絶えぬれば、紅顔空しく変じて、桃李の粧ひを失ひぬる時は、六親眷属集つて歎き悲しめども、更にその甲斐あるべからず、さてしもあるべき事ならねばとて、」
今回、正月公演ながら原作通り心中で終わるとした制作側であるが、それならばこの御文章は上記の通り完全版として徹底すべきだったと考える。ただし、それは山城少掾が御文章を読むのならとの限定がつくと考えたのなら納得はいくので、藤が悪いわけではないのだが、山城少掾のあの語りによってこそ「そなたやわしや腹な子の未来の引導」となるのである。
  人形陣を総括する。久作の玉也には「慈悲」が確かにあった。それ以上に驚いたのは、これはまさしく先代玉男ではないかと二重写しに感じたことである。すなわち、世話物に於いてその域に達したわけであり、そこにおいて押しも押されもせぬ座頭格である。番付においては中軸か箱に入ることになる。お染の清十郎は作が作であるだけに(「野崎村」とは異なり)もっと生々しくありたかったし、「蔵前」の出からは振り回してもよかったと思うが、彼の個性はそこにはないからやむを得ない。久松は色男そのものとまでは行かなかった勘弥の遣い方だが、死神が付いてからは見事で、また一段腕を上げたと言えよう。母おかつは大店の女主人という風格がその出から醸し出されていて、久しぶりとはいえその腕に狂いはない文昇であった。親太郎兵衛の玉輝は詞章通りの人物造形でさすがである。

『戻駕色相肩』
「廓噺」
  正月公演の客をお染久松心中の生々しい場で追い出すわけにはいけないから付けてある。三味線と人形に心惹かれるものがないわけではなかったが、厳寒の夜に遠征先で長居できるほどの体調でもなく、未見にて失礼した。強異見と御文章が沁みわたった帰路である。