人形浄瑠璃文楽 令和四年七・八月公演(初日所見)  

 初日の土曜だというのにこの客席。いや、三年ぶりに京都へ全員集合しているのだから仕方なかろう。

第一部

「鈴の音」
  「おかあさんといっしょ」人気コーナーのぬいぐるみ人形劇、今春からキャラクターが変わり、5歳のライオンの男の子、3歳のカッパの女の子、3歳10か月のひょうたんの子どもで性別はない、の三体となった。ここには、「『子どもたちは、何にでもなれる、何だってできる可能性がたくさん詰まった種。』と捉え、個性豊かなキャラクターたちを通して、さまざまなものの考え方や捉え方があることを伝えつつ、『可能性と多様性』をテーマにお話を紡いでいきます。」とのメッセージが込められているという。今回、カッパとキツネの物語を目の前にして、文楽も夏休み親子劇場においては、SDGsなどの観点を押さえているものとして捉えることができそうだと感じた。もちろん、世界無形文化遺産である人形浄瑠璃文楽そのものがSDGsの17目標の複数に該当しているのであるが、作品世界の中にその具体的目標を感じ取ることができれば、パンフレット等の案内にも「文楽でSDGsを学ぼう!」等と明記することができるだろう。夏休み自由研究の課題とすることも可能かもしれない。たとえば、猟師が狐を狙うのは生活のため、狐の皮衣という商品価値を見据えてのこと。これに関して、「あつまれどうぶつの森」(コロナ禍でのおうち時間充実もあって爆発的ヒットとなったゲーム)では、衣料品店に並ぶのはフェイクファーであるように、子どもたちの遊びの世界にもSDGsなどの観点はごく自然に捉えられるようになっている。つまり、猟師が鉄砲を捨てて丸裸で退散するということが、この視点でも捉えることができるというわけである。もちろん、猟師も生きていかなければならないから、今回ならば「狐の毛皮で思わぬ一儲けにありつけるぞ」等の台詞を言わせておけば、生活のための狩猟という視点は解除されよう。というのも、文楽を象牙や猫の皮や鯨のヒゲを使うということで北鵠南矢の攻撃を仕掛けてくる輩もいるわけだから、むしろそれらは人間が自然とともに自然の中にあってごく自然にあるものを有効活用したという、人間文化が自然と共存していた証左であることを示さなければならないからである。その意味からすると、水中の河太郎を魚とともに透き通って見せたという工夫は、実はこの共生たる自然を体現したものとも考えられる。若手の遣う人形がそれぞれに生き生きとして好感をもてたのも、この「自然」が生きていたからに他なるまい。この舞台上の情景、地方都市に出掛けた程度では体感できないものとなってしまった現代日本において(お稲荷様という身近な信仰形態も含めて)、むしろ人形と書き割りとしてキャラクター化されたことが、キャンプや自然教室における象徴的精神的実体験とリンクすることにもなるであろう。田舎暮らしを模索する若者は、かつての原点回帰的収斂型田舎ではなく、精神を溶解する拡散型自然として捉えているのである。昔懐かしい場面ではなく、新鮮かつ興味深い舞台として仕上がることまで見越していたとすると、作者の手腕はただものではない。
  この「鈴の音」が作者の意図をひょっとして遙かに超える作品であるというのは、まさに「音」を取り上げた点にもある。親子劇場に通った子どもたちが、そのまま人形浄瑠璃文楽のファンとなるためには、人形から入っても床の奏演に第一の魅力を感じてもらわなければならない。つまり、耳が出来るということである。人間が五感のうち視覚から最も刺激を受けているというのは、情報の8割方が視覚依存しているという研究結果からも明らかである。ゆえに、最初人形から入るのは当然である。しかし、床それも太夫が全体を統括し引っ張るというのが人形浄瑠璃であるから、義太夫節の魅力に引き込まれなければならない。いや、耳は出来ても義太夫節そのものに若者は違和感を抱くのではと考える向きもあろうけれど、音楽の世界においても「可能性と多様性」を自然に捉えることができる現代の若者にとっては、しっかり聞く耳が出来ていればその心配は杞憂であろう(むしろ、ストーリー展開や世界観の方に違和感を抱くことはあっても。「情」を伝えるエンターテイメントは無数に存在するのであるから)。
  実際、床の三味線は効果音をはじめとしてこの多彩な節付を見事に奏でていたし(シンは友之助)、太夫も明快に楽しく語っていた。下座についても同様である。高架高速道路に隣接した大都会の近代的箱の中で、IT機器を駆使するデジタルネイティブな子どもたちが鑑賞した文楽、それは回顧でも回帰でもなく、未来への創造を意味するものなのであった。

「瓜子姫とあまんじゃく」
  冒頭、これは機織り唄ではないかと驚いた。何を寝ぼけたことを、瓜子姫はカラオケでもバンドのボーカルでもなく、機を織りながら歌っているのは誰でもわかる。いや、そういうことではなく、この浄瑠璃はソナヱでも三重でもヲクリでもない機織り唄から始まるのかと認識したということである。もう一階段降りて説明すると、瓜子姫が機を織るリズムと音に調子を合わせて声を出しているのではなく、庶民の作業時に歌い継がれてきた機織り唄で義太夫節が開始される節付となっているのかと感じたということである。義太夫節の冒頭が唄から始まるというのはよくあることで、それは普通に浄瑠璃の姿である。すなわち、この新作が普通の義太夫節浄瑠璃として聞こえてきたということを意味する(ちなみに、段切は冒頭と同様の場面となるがここはまさに瓜子姫の調子合わせとして語られていた)。ここからマクラへ、二代喜左衛門の節付はまさに義太夫節浄瑠璃の本道を行くものであるのだなあと感じ入った。新作の節付とはどういうものか、それを体現させてくれたのが、富助指導による千歳の語りであったのだ。アマンジャクの話は、異なる者の現出を描く三味線によって始まり、山父の登場までには、すっかりこの王道義太夫節浄瑠璃に聞き入り、これは録音して音源だけ聞いてもよいと、これまで新作では考えもしなかったような、耳の状態となったのである。その山父からじっさばっさが戻るまで場内固唾を飲んでという形容が相応しく、子どもたちも見入り聞き入っていた。柿の木の瓜子姫はウレイもよく効いていた。しかし、ここから段切までの間に客席は弛緩ムードとなって(ホッとしたとか心穏やかになりではなく)、オウム返しがただただしつこくくどいものとして受け取られてしまった。ここは、作者の意あるところだとプログラムの解説ガイドも書いているが、作品はひとたび作者の手を離れると享受者のものであるとはよく言ったもので、ここまでの時間の経過もあり、早く終わらないかというムードが無言のうちに醸成されつつあった。これはどうしたことか。以下分析してみよう。
  アマンジャクが瓜子姫そっくりの声を出そうと考えていたところへ、じっさがにわとりそっくりの高声で啼いたから、すべてはアマンジャクのいつもの物真似へと落着した訳である。そのじっさは「ニカッと笑って」とある。この地の文はどういうことか。まず最初に、アマンジャクを出し抜いてやろうとしてだと考えつくが、これはじっさがアマンジャクの正体を見抜いていたことを意味する。ところが、その後しばらく物真似合戦があって「じっさとばっさは…うちにはいるといきなり瓜子姫が…ほんとうにすっかりびっくりしてしまった」と書いてあるから、正体を見抜いていた訳ではない。すると先刻の「ニカッと笑って」はじっさが瓜子姫を驚かそうとわざとやったことになる。しかし、以下の長々とした物真似合戦=アマンジャクが正体を見破られる段取りを見せられ聞かされる観客は、ますます瓜子姫を驚かすためとは解釈できるはずもない。途中、前述の詞章によってじっさは(ばっさも)アマンジャクの正体には気付いていないと解釈を修正できるようだが、ここはもう何度も言う物真似合戦の最中だから、そんなことへは頭が回るはずもない。つまり、最初からアマンジャクの正体を知ってその特技を逆手にとり物真似を仕掛ける、それが延々繰り返されていると観客には受け取られるわけである。合戦の最中だから退屈の仕様はないが、尻尾の件に至るまではうんざり飽き飽きして心が離れてしまう。作者がこだわった物真似なのであるが、まさにそのこだわりが拘泥としてマイナスに作用する。では、どうすれば(どう語り弾いてどのように遣えば―とはいえ、今回の人形陣は適材適所でよく遣っていた―)プラスのこだわりとして、観客に主題が伝わるのであろうか。越路喜左衛門を聞き直せば、その回答が得られるのかもしれない。

第二部

『心中天網島』
「河庄」
  端場は「口三味線」と別称が付く。聞かせどころも見せどころもあるというわけだ。それだけに、通常の端場よりも難易度が高いということを今回再認識することにもなった。まず、三味線の勝平について。マクラの情景描写に続いて「南の風呂の浴衣より」から小春の出になる変化が出来ていて、これは後半の「堪へる武士の客」「紙屋紙屋と〜」における一撥の変化も鮮やかであった。「さすがの武士もうてぬ顔」ここも三味線だけで詞章が立体的に伝わり、中堅の域は抜け出した力量が確かである。次に太夫の睦、マクラ「三味線にひかれて立ち寄る客もあり」が偉そうな口吻でありフラフラと吸い寄せられる感がまったくない。小春の詞「もし太兵衛めに逢はうかと」を高く語るがその意図が不明、その太兵衛の詞はまったく嫌味が効いていないから、「まづ御礼から言ひませう」がお礼そのままで、「天満大坂三郷に〜」の治兵衛の件はただの説明になっている。肝心の「口三味線」も普通のおどけ浄瑠璃を聞かされている気分であった。そして、三味線で前述した「堪へる武士の客」「紙屋紙屋と〜」は三味線が小春に変化しているのにそのままずるずると男声であった。要するに、これほどこの端場が難物というわけなのである。とはいえ、この大音強声はもっと働き甲斐のある場があるのだろうとも思うのであった。
  人形陣については最後に総括するが、今回初めて気に留めたのが傍輩女郎、太兵衛を嫌がる小春を庇う様子がまさに詞章「覆ひになったる」の通りで、行き届いた遣い方であった。番付に簑之とあった若手である。思うに、この端役に目が行ったのは語りが効果的だったことが引き金かもしれない。となれば睦の手柄でもあり、脇役を語り活かせるとはまた一つ美点が見出されたわけで、何とか適材適所をと願うばかりである。
  切場前半、マクラの清治師の三味線にはただ聞き入るばかり、綱弥七で魅力的な節付だと常に思うことが「いま・ここ」でも体験される幸せ。もちろん、行き方は越路師匠の相三味線であったことによる。治兵衛の出は「魂抜けて」とある通りで、「心のうちは皆俺がこと」の自惚れも「心のうちは皆小春がこと」と返したくなるほどの「うかうか身を焦がす」有様が活写されていた。これは呂勢の語りも踏まえてのことである。眼目の小春のクドキ、印象的な繁太夫節とともに美しくも悲しく・悲しくも美しく、その複雑な心の内が伝わってきた。やはり浄瑠璃は本読みだけでなく、奏演を耳にしなければ伝わってこないものも多い。続いて、立ち聞く治兵衛が狂乱するところだが、これは今ひとつ物足りず、抜き身を突っ込むほどのものとまでは感じられなかった。ただし、それに対する小春の反応は十分である。孫右衛門については、「定めし金づく」等での町人変化には心して出来ていたものの、性根が体現出来ていたかというと、今ひとつ映らないと感じられた。低音の響き具合によるものであろうか。自然に聞こえる声質ではない場合にどうするか、各太夫の個性でもあり工夫や修業の為所でもあろう。今後も切場格を勤めるであろうから、期待して聞き続けたい。
  後半、織と清志郎であり、つまりは清治師指導による「河庄」ということになろう。交代してすぐ太兵衛と善六の件になるので、客席をこちら側へ引き込もうと当て込んでやりたいところだが、サラサラとしかし二人組の性根は十分に描出してみせた。このあたり、綱―咲―織と連なる家の芸(もちろん世襲という意味の家ではない。「紋下の家」など誤解を招く表現は厳に慎まなければならない)だと、伝統の重みも感じる。続く孫右衛門は前半同様の印象を持ったが、それでもこの場の主役としてよいほど重みが増している分、たとえば「兄の異見を受けることかい」に、弟への情けなさ(これは愛情がある故である)から来る涙を滲ませるなど(人形もそのように遣っていた)、心するところが感じられた。ただ、真実を知って小春を思いやる詞(口からは裏表として出てくるが)はもう一段深く感じられればとの印象を抱いた。「立つまいがの小春殿」ここもより強くありたいところで、当然大音強声で怒鳴るわけにはいかないから、この強さを表現している綱弥七の奏演がとんでもないレベルのものかを再認識することにもなった。治兵衛は二度の「はい」に工夫が見られ、一度目は心ここにあらずとの風だが、二回目の二度の「はい」の一度目で客席から笑いが起こったので、兄に説教された弟の返事という関係性で捉えているのかもしれない。いずれにせよ練り込まれている。全体として、三味線の清志郎と合わせて中堅発展途上の力演との位置づけが今回は相応しいと感じた。もちろん、将来は切場として前後半通しで勤める時が来ることを踏まえての評価である。その頃には、小春にも孫右衛門にもそして治兵衛にも涙する(たいていは、こんなどうしようもないしょうもない男と呆れて苦笑することになるのだが、綱弥七の域にまで達すると治兵衛の涙にも共感し胸に応える)ことができるはずだ。

「紙屋内」
  この端場は前段「河庄」の端場と比較すると一段劣る。質量ともに、中と口と差が付けられているのももっともである。ところが、今回咲寿と寛太郎の床を聞いて、これはむしろこちらが中であちらが口ではなかったかとまで感じたのである。それほどに良く出来た端場であり、そのまま切場の成功(ここも「紙屋内」>「河庄」)に繋がった。冒頭のマクラは「河庄」ほど複雑ではなく、続く女房と奉公人のやりとり、ここが各々の性根をよく捉えており、客席を見事に引きつけ引き込むという、端場として最高の状態に至らしめた(とはいえ、これが端場の格をわきまえず前受け悪乗りして客の歓心を買おうとしたものならば断罪される)。こうなると、婆の長台詞にも観客はすっと入って聞き込むこととなり、そのままヲクリ交替となった。そのヲクリも「心ぞ」と言い切ってのもので、「心」と言って「ぞ」を引き摺るというよくあるやり方(ヲクリとは最後の一文字を送ることなどというのは妄説であろう)でなかったのは、義太夫節浄瑠璃の王道を行くものであった。この若手二人も中堅から切場へと確実に歩みを進めていくに違いない。
  切場、錣宗助。冒頭おさんと治兵衛のやりとりがスッと自然に身にしみ、とりわけおさんの小春との女の義理をめぐる苦悩と切迫はよく伝わった。眼目の一つ着物尽くし、今回は掛詞縁語を駆使する七五調主体の浄瑠璃文句が抜群の節付とともに魅力的に奏演され、近代日本語の乾きを潤すものとまで感じられた。掛詞や縁語は修辞であるが、それはことばを飾り立てるという表面的かつ剰余的ものではなく、「箪笥をひらりととび八丈」のおさんの決心、それが「京縮緬の明日はない夫の命白茶裏」と空しく終わると観客だけが知る神の視点ゆえの悲しみ、以下、子を思う母に万事手抜かりない上に夫へ尽くす一途な妻の描写に、「夫の恥と我が義理を一つに包む風呂敷の内に情けを籠めにける」とある正妻おさんの姿は、観客の心を捉えて離さなかった。これまでの劇評を振り返ってみても、この着物尽くしについてこれほど言及していないのは、いかに今回の舞台の出来が素晴らしかったかを物語っている。それゆえに、この後のおさんがさらりと言い放つ詞の「いつからか着類を質に間を渡し、私が箪笥は皆空殻」も、観客に万感の思いを抱かせることになった。それはまた、この一節を着物尽くしではなくここへサラリと書き入れた近松の手腕に脱帽することでもある。そして五左衛門の登場となる。決して嫌味になってはいけないし悪役との印象を持たしてもいけない。前段で「にべもない昔人」と孫右衛門に称された通りである。それが見事に活写されていた。詞章「逃れ方なき手詰めの段」とあるまさにどうしようもないのである。ここも近松の戯曲構成の見事さであるが、それを語り活かし弾き活かし遣い活かすのが三業の技量なのである。段切まで、観客の引き込まれ方は場内の空気雰囲気でよくわかった。「河庄」では間々スカスカとした感覚もあったのだが、「紙屋内」ではいわゆるジワが来るといってもよい、充実した密な空間が醸成されたのである。さすがに切の字が付く一段(と三業)は違うし、この半世紀で初めて「河庄」<「紙屋内」と感じたのである。

「大和屋」
  綱弥七を何度聞いたことか。詞章を見ればその奏演が脳内に流れてくる。変化間足取りどれ一つとっても感嘆するより他はない。もちろん近松の作品も節付も至上のものである。この一段、一言で表せば淡々と進むということになろう。茶屋の日常、夜回りも、風景も。治兵衛と小春はというと非日常のはずの心中が、この場ではもはや唯一の手段たる日常と化している。後はそれが実現するというより時の流れに従って進行するのみである。決行などという大げさなものではなくなっている。静寂が支配する描出と節付。そこに唯一、非日常の事態と察した孫右衛門が登場してくる。それゆえ治兵衛も心中の日常からすれば非日常の親族家族のために涙を流すのだ。ここの節付はそれゆえに淡々とはいかない。しかしながら非日常はあくまで非日常である。「とても覚悟を極めし上」と元の日常たる心中へと戻る。段切はしかし車戸の響きとともに急迫調となって心中の非日常を思い知らされ、詞章も「心の早瀬蜆川流るる月に逆らひて」と、冒頭「恋情けここを瀬にせん蜆川流るる水も行き通ふ」を踏まえつつ、「逆」という心中のあり方を再認識させて終わるのである。以上、綱弥七を聞いてではなく、劇場で咲太夫師の語りと三味線燕三を耳にして思い浮かんだことを書き留めた。劇評に書くべきことがこのように湧き出てくるかどうかは、三業の出来の長短と直結しているともいえる。

「道行」
  まず、団七の三味線そしてツレの津国に感心する。きっちりちゃんと義太夫節浄瑠璃になっている。これがいかに難物かは中堅そしてベテランの域に達しようとする太夫の語りを聞けば明白であろう。津国は流石にあの津太夫の弟子なのであった。彼の場合は年功が序列に反映されなければならない。次に気にとまったのは「この世でこそは添はずとも、未来はいふに及ばず、こんどのこんどのずつとこんどのその先までも夫婦ぞや。アレ寺々の鐘の声。最期を急がんこなたヘ」が小春の詞として語られたということ。これは治兵衛でなければならない。小春にとってこの心中はただ一点「義理知らず偽り者…おさん様一人の蔑み」がクドキとなるわけで、その小春が上記の詞を口にするはずがない。また、「最期を急がんこなたへ」だけ見てもまさしく治兵衛が先導するのである。ちなみに、原作では小春のクドキ直後に治兵衛が「アヽ愚痴なことばかり、……道すがら言ふ通り、今度の今度の、ずんど今度の先の世までも、女夫と契るこの二人……」と言う。もう完全完璧に上記は治兵衛の詞である。加えて、最期の有様もまるで原作を理解せず改悪というより破綻している(辛うじて人形により別場所での死のみは提示されているが)。すなわち、どうしても原作に目を通してもらわなければならない。なおこれは、「曾根崎心中」の道行における改作の捉え方とも異なっている(鑑賞ガイドは「恋の手本となりにけり」の詞章を臆面も無く提示しているから、次に「曾根崎」が上演される際には必ずやこの改作問題に原作寄りで触れるはずである)。要するに、原作原理主義の観点から発言しているのではないということだ。このままでは、「河庄」「紙屋内」「大和屋」すべての意味を無にしてしまうがゆえに、改悪を超えた破綻なのである。もちろん、劇場の椅子に座る前から破壊との「先入観」(破綻は事実であり、「初めに知ったことによって作り上げられた固定的な観念や見解」ではない)を抱いていたからこの評に至ったのではなく、実際の劇場で体験したことにより生まれたのがこの評なのである。
  人形陣を総括する。とにかく今回の「天網島」を成功に導いたのは、人形陣の手柄が第一であることは間違いない。違和感を感じず作品世界に入り込み自然にその物語を堪能できる、これは只事ではない。登場人物(もちろろん人形である)の心情が伝わり、その言動の意味が理解できる(もちろん理解不能(非理性的)な言動は理解不能(非理性的)として理解される)。演じるということの究極の姿がそこにある。素晴らしいと絶賛するより他はない。個々の人形(遣い)についてどうこう評するまでもなく、まさしく「総括」できたのである。

第三部

『花上野誉碑』
「志度寺」
  ついこの間見聞きした覚えがあるのだが、調べると平成二十八年だった。なぜそう近々たる感覚を持ったのか。それは、この狂言はその前が平成九年で約二十年間も上演されていなかったのであり、それと比較すると頻繁との印象を受けたのである。それと若重造の奏演が耳にいつまでも残っていたからだろう。かつて上演頻度が高く、戦前の本にも名作(名曲・人気曲)として取り上げられることが多かったものが、戦後とりわけ近年ぱったりと取り上げられていないものは多い。たとえば、人口に膾炙していた「上燗屋」は駒太夫風の名曲でもあるのだが、東京国立の上演記録を試聴室でしか経験したことがない。まさに古典の伝承として危機的様相を呈している。この「上燗屋」の非上演を何とも思わない制作側と、悲しくも残念にも思わない観客とのコラボレーションとあっては、古典は滅びるしかないわけだ。王道を歩めぬのは横道者以外のなにものでもなかろう。
  さて、今回端場は希が清友の三味線で勤める。内記が民谷父子に言及した詞の情味、段切の情感はとりわけ「手に取る幼子嬉しげに」の三味線など、感心するところも多々あった。目覚ましいと評することはできないが、端場の勤めは破綻無く十二分に果たしたと言える。若手から中堅で一つも違和感を抱くことなくその語りに身を任せることができるというのは、並大抵の力量ではない。ちなみに、眼目であるお辻に関しては、人形に助けられた感があった(坊太郎が「漸々と果物に命を繋ぎ」で反応したのは切場を見越した行き届いた解釈で、簑太郎さすがは勘十郎の弟子ということであろう)。
  奥、森口源太左衛門を誰に語らせるか。三味線は前回同様藤蔵というのはすぐに納得がいき、太夫は藤が勤めるというのも叶っている。「注がぬかい」から客席もその威勢に驚いたのは人形の玉志ともども大成功である。ただ、後半源太左衛門の嫌らしく卑しい性根が露出してからが物足りない。巻き舌口調はただ巻き舌で言うからではなく、その精神性が巻き舌口調を招くのであって、その自然な奔出が人形の型ともども感じられず弱かった。これは方丈の「傘一本」の覚悟も同様で、観客のほとんどはこの「傘一本」がどういうことか理解できなかったであろう。それは知識の問題ではなく、例えば津や若の語りなら、只事ではない決意を表しているなと自然に感じられ、終演後にスマホで検索しなるほどと納得するのである。今回の語りと人形(玉輝)では、検索した者はおそらくほとんどいなかったであろう。あと、菅の谷「今の悪口聞かしやんしたか」の「悪口」のアクセントが耳に触った。こういうところ、もちろん細部に拘っているのではなく、津や若の語りを聞き込んでいると(というより日々義太夫節浄瑠璃のシャワーを浴び続けていると)自然と反応するものである。耳障りとはまさしく言い得て妙。
  切、前回と比較してまず「よう盗んでくださつた」で、ほとんどの観客が笑わなかったことである。ここで笑うのはここまでの芝居が腹に入っておらず、お辻の心情に寄り添ってないからであるが、そうではないというのは観客の質云々はさておき、呂と清介そして清十郎のお辻がよく語り弾き遣えていたからに他なるまい。つまり、乳母お辻の坊太郎への衷心衷情が主題であるこの一段として、見事な出来であったということになる。歌舞伎芝居であればこれより先はない。しかし、これは浄瑠璃である。「と、道徳末世に咲き匂ふ、花の上野の片辺り、古跡を残す石碑の、誉れは今に著し。」ここである。小宇宙が大宇宙の歯車と噛み合い、現在が過去として歴史の中に組み込まれ、まさに物語として完結する瞬間。それはまた、存在は世界内の受苦たるものと認識することでもある。超越的視点を提示されることによって、我々は一本の葦であると自覚することが可能となる。お辻の犠牲は当然このことによって崇高なものとして昇華され、金毘羅大権現が示現するのも当たり前の奇跡なのである。お辻が宗教的救済を受けることができるか否かも、この縁起の奏演にかかつているわけだ。あの団平が舞台で倒れたときも、金毘羅大権現は床の上にも示現ましましていたに違いないのである。残念ながら、今回も前回同様に至らなかった(「と初めて明かす槌谷が本心、あつぱれなりける武士なり」ここも物足りず至らなかった)。これはもうニンではないということであろうか。実際、津寛治や若重造・勝太郎では、金比羅の示現はごく自然な奇跡として受け取ることができたのであるから。今回は、言わば虚構的奇跡、作られた奇跡とでも言おうか。もっとも、「情を語る」ことがすべてであり究極であるとするなら、今回はまた当然に出来たと評することになるのだが。
 主たる人形については言及した。内記の簑二郎は悪いところも見られないが、やはり終盤の武士たるものの本領発揮はこれといって感じられなかった。菅の谷は勘弥で、名士の妻としてまた情のある女としてよく遣っていた。団右衛門がいかにも虎の威を借る狐的小悪党と見えたのは亀次の功である。

 景事「紅葉狩」 
  刀剣乱舞とのコラボは東京の歌舞伎と同時企画ということは、ファンの皆さまには両方へご来場いただこうと考えてのことなのだろうが、刀剣女子は主として歌舞伎へ行くと思われる。というのも、ここまでのコンテンツになったのは2.5次元化によるものと言ってよく、とりわけファンが「外の世界」に出てくるのはまさに2.5次元ゆえに他ならないのである。何せ文楽ではせっかく作った人形が飾るだけの木偶坊という有様であるから(まさか、東日本のファンは歌舞伎へ西日本のファンは文楽へと考えていたのではあるまい)。ということで、コラボに関する言及はここまでとし、通常の人形浄瑠璃文楽の公演として評する。
  これぞ景事。存在感を有し存在する意味が明白たる偉大な一幕物。そう評するのが最も相応しい仕上がりであった。追い出し付け物とはこうであってこそ、観客は気分良く大満足で劇場を後にし、家までの道のりを余韻に浸りながら、次公演も必ず通おうと思うに至るのである。まず三味線シンの錦糸である。今更実力云々を言う必要も無いが(言えば評者の無知蒙昧を晒すようなのもの)、景事のシンが最適かと言われれば直ちに首肯することはできない。故文化勲章受章者の相三味線であったことから、「風」に拘らず地味(滋味)な世話・時代世話の芝居には定評ありという認識であった。ところが、四月公演での「八幡山崎」といい今回の「紅葉狩」といい、これは「行くところ可ならざるはなし」と言われた三代清六の域に達したのではないかと感じたのである。加えて、ツレ弾きはもちろんのこと太夫と人形までも全体を統率していたからこそ、この至高の大舞台が現出したとの印象まで受けたから、清治師とともに立三味線格であると確信した。
  その三味線では三枚目の錦吾に驚いた。山神を弾く位置で大丈夫なのかと思ったが、足取りに間そして音そのものから撥捌きに至るまで、別人かと思われる長足の進歩の跡を聞かせたのである。これも師匠がシンであるからこその鍛え上げられ方の結果に違いない。
  太夫陣、呂勢は良いに決まっているが、鬼女に変じてからの大きさが予想以上で、「河庄」前と二場(前のみだから実質は併せて一段だが)を勤め果せる実力は当然切語りの有資格者であることを意味する。芳穂が休演だが代役を立てず南都が二役兼務という破格の措置だが、聞いてみてなるほどと思わせた。以前から女役を与えるなと言い続けてきたが、今回は山神に加えて惟茂の立役格たる存在感までも描出できており、これは「合邦」端場以来の快挙であった。もちろん、これが快挙でなく常道になればそこらの中堅など一気に蹴落とすことになろう。新人の両名、まずは声出しとして合格ライン。面白いのは、それぞれの師匠が誰かその語り口で判明するということである。なるほど、師は針の如く弟子は糸の如しとはよく言ったものである。
  人形、惟茂の玉助が難無く遣うのを見て、いよいよ立役遣いもそこまで来ていると実感した。もちろん、次代の座頭としてである。山神の玉勢もカシラが鬼若とはいえ神であることを踏まえた前受けを狙わない確かな遣い方であった。何よりも驚いたのが一輔で、配役を見た時まさかこの一場の主役として注目を一身に浴びるような遣い方を眼前にすることになろうとは、思いもしなかった。もちろん、更科姫は女形を勤めてきた経験からしてそれなりのものであろうと想像していたが。その姫も踊りの優美さ、とりわけ扇を用いてからの見事さは嘆声を上げるほどで(曲芸的振りのことを言っているのではない)、「夢ばし覚まし給ふなと言ひ捨て」の型と目遣いなども、かつてこれほど印象に残ったものはないと実感した。鬼女と変じてからは見せ所の毛振りが見事で、拍手喝采は昨今の何でも拍手とは異なる真実の賞賛によるものであった。一気に亀松襲名でもよい、そう感じさせた一輔であった。
  要するに、これぞまさしく三位一体の芸と呼ぶに相応しいもので、今回もまたこの言葉で劇評を締め括ることにする。やはり劇場の椅子には実際に座って体験してみなければならないのである。

 (追記)プログラムを見て抱いた違和感(というよりも見出した間違い)について書いておく。
  まず、番付について。「紙屋内」切と「大和屋」切
  『音曲の司』「情報資料室」―周辺・連関―【 難題捌快刀乱麻 】(FILE 1)―世話物の切場http://www.ongyoku.com/F1/jouhou1.htmを参照いただきたい。核心部分のみ引用提示しておく。「少なくとも昭和60年2月国立劇場「冥途の飛脚」の時のように、「上」の「淡路町」(津大夫氏)と「中」の「封印切」(南部大夫氏)の双方に「切」を付けるという「おかしな事」をやらなかった点は、評価してよいと思います。」
  次に、鑑賞ガイドについて。―第2部―【大和屋の段】「続く大和屋の場面では、河庄で縁を切ったはずの小春に治兵衛が通っています。」
  ???。第1部親子劇場と間違えていないか? いや、『天網島』を小学生が見たとしても、「紙屋内」の一段が済んだ後で「あれ、河庄で縁を切ったはずの小春に治兵衛が通っている。どういうこと?」などと言うはずもない。いったいこれは誰に対するガイドなのだろう。あまりにも観客をバカにしていないか。もしこの一文が許されるのなら、近松渾身の「大和屋」詞章とそれに施された絶妙の節付は失格の烙印を押されるであろうし、寒夜に勘太郎まで連れて治兵衛を探しに来る孫右衛門は三五郎より阿呆ということにもなるのである(とはいえ、前段「紙屋内」のガイドがあれだもの、当然の一文と言った方が正しいのかも知れない)。ちなみに、岩波古典を読むシリーズで廣末保はこう書いている。「伝兵衛が死覚悟で一足先に出ようとしていることを直感する」、もっと言うと、「紙屋内」が文字通り「終わった」後の、この淡々とした詞章と節付からすでに観客は察しているので、それを感知できないのは目も耳も出来ていない者のみということになろう。
  なお、「天網島」舞台案内ペーシは秀逸であったことも付言しておく。是々非々として。

 

【従是千秋氏評論】

第二部「心中天網島」

 コロナ第7波の真っ只中、3回目ワクチン終了を頼みにして、劇場に入りましたが、同じ思いの人々が多かったのか、案外盛況で、特に前方の席は一杯でした。

☆北新地河庄の段
   中  睦太夫
  三味の音に「ひかれて立ち寄る」客の騒きの中での小春登場という、魅惑的な場面。
しかしながら、睦太夫はたどたどしい語りで、情趣が醸し出されません。説明的で流れがないので、見物も場面に入り込めないのが残念でした。唯語っているだけではなく、見物にどう聴こえているのか、自身も全身を耳にして聴く必要があります。
  太兵衛の詞はよく効いており、「口三味線」も納得出来ました。孫右衛門は難役ですが、それなりに。
  この人は所々よかったり、潰れたり、女聲に男聲が混じったり、一貫しないのが問題です。やはり先達によく学ぶ事が肝要でしょう。
  

  前  呂勢太夫
  清治師の柔らかく心地よい三味の音にのって、呂勢の語りは、旋律といい、リズムといい陶酔的ですが、押さえも効いて説得力があります。
「それを二人が最後日と、‥‥毎夜々々の死に覚悟。」、それ故に「魂抜けて」いる治兵衛の出が必然となるのです。
  但し玉男の治兵衛については、「天網島」全体に関わる大問題がありますが、後でまとめて述べる事にします。つまりは物足りぬ。
  呂勢にも町人が侍のふりをしているという孫右衛門は扱い難いようで、不安定でした。
  小春は「アゝ忝い有り難い。」以下の長い詞が美しく、「『いつそ死んでくれぬか』『アゝ死にましよ』」のくだりでは、死への収束が、この様な儚さの極みの上に成立するのか、と溜息を吐く程でした。
  狂乱ぶりは、太夫も人形も遠慮がちでした。
  勘十郎の小春のいじらしさ、切ない美しさは言う迄もなく抜群です。

  後  織太夫
  身すがら太兵衛のワルらしい雰囲気がよく出ていて、説得力がありました。この人は力演していても、見物がどう聴いているか、察知しているので、ピタリと極まる所が素晴らしい。然し真っ直ぐに攻める人なので、「口に言はれぬ心の礼」辺り、もう少し捻って心の裏を表現して欲しいものです。

☆天満紙屋内の段
   口  小住太夫
  素直な語りですが、平坦でした。然し旋律を作り出そうとする気持ちが感じられ、おさんの声も良い。全てもう少しでモノになる発展途上にあります。

  切  錣太夫
  今回の「天網島」で白眉となるのは、この人の語りでしょう。常々平板であるのが欠点で、力む割には心に響かないというところがありましたが、今回はそれを克服しました。
「あんまりぢや治兵衛殿。‥‥女房の懐には‥‥その涙が蜆川へ流れて‥‥」のおさんの口説きは切迫し、哀切を極めて絶妙です。旋律とリズムを表面的に見物に示すのではなく、錣太夫の不器用で素朴な、それ故の衷情が、完全におさんの衷情と重なり合って、内的な旋律とリズムを創り出しました。そしてそれは見物に不思議な体験をさせたのです。
  着物尽くしは宗助の三味線の素晴らしさもあって、「黒羽二重の一張羅‥」辺り心に沁みて、その不思議な体験の気配がいや増しに増し、「アツアさうぢや、ハテ何とせう子供の乳母か、‥」で頂点に達します。
  その時何が起こったかと言うと‥‥。
  見物は和生師のおさんを見逃すまいと、背筋を伸ばし首を立てて、一心におさんを見ています。然しその右耳は不思議な事に、錣太夫の方に向かって開かれているのです。これを見物自身は意識していません。唯右耳が自ら聴こうとして、錣太夫の方に開いたのです。前方の座席の見物の右耳が揃って錣太夫に向かって開いているのが、確かに見えました。
  これは不思議な光景であって当の見物も自分に何が起こったのか、判らなかったと思われますが、実に錣太夫の浄瑠璃の力がそうさせたのです。耳へ。錣太夫は王道を示したのです。
  五左衛門の口振りも捻り方が的確で治兵衛とおさんを「二股竹」へと導く「にべのな」さがよく表現されていました。

錣太夫、渾身の語り。「切」になって大脱皮です。 

☆大和屋の段
   切  咲太夫
  「恋情け、‥」から既に情緒が漂い、悲劇へと向かう方向を予感させながらも、浄瑠璃の美しさを堪能させます。孫右衛門は町人らしく兄らしく、三五郎はたわけらしく、振幅が自在故に、大船に乗って揺られている様に音楽を味わっていると、遂に「『北へ行かうか』」「『南へか』」「西か東か行く末も‥」の極点に至り着くのです。この段の浄瑠璃全体を見渡して、流れを先導し、見物にこの極点を必然と認識させる、まさに太夫の真髄でしょう。

☆ 道行名残の橋づくし
  舞台装置の転換も面白く、また勿論勘十郎の小春の切なく美しい様子がそこに展開されるので、見物は堪能出来たと思います。
  但し小春が「この世でこそは添はずとも、‥」と言うのは如何か。
  何故なら原作では治兵衛が「道すがら言ふ通り今度の今度ずんど今度の先の世までも‥」と言っており、その道すがらの言葉が「此の世でこそは添はずとも。未来は言ふに及ばず今度の今度。‥」である事は確実だからです。小春に先導させたいのでしょうか。疑問が残ります。
  勘十郎の小春は哀切にして色気あり。しかも死に至る迄の様子には、残酷さの果てにある「魂きはる」悲痛な煌めきが有って、其処に勘十郎の魅力を感じました。然し見物はこの煌めきによって、残酷さが緩和されたと感じ、ほっとして家路についた事と思われます。けれども「魂きはる」煌めきは残酷さの極みにあるのであって、勘十郎は見物の反応に惑わされず、極みを求める自らの資質を今後も磨き上げて欲しいものです。

☆以上。
と言いたい所であるが‥‥。今回のこの「心中天網島」には根本的に疑念が残る。
  それは治兵衛の扱いである。
玉男の治兵衛は為す術もなく唯棒状である。これは強ち玉男ばかりの所為ではなく、解釈の趨勢上、動きようが無いのである。
  一般的解釈者は治兵衛が「紙屋」である事を忘れているのではないか。
  通常の、例えばプログラム鑑賞ガイドを読んでも、治兵衛は「魂を抜かれた」男であり、「縁を切ったはずの小春にまた」逢って、心中にまで行き着く男でしかない。いわば女の敵であって、こんな男の為に二人の女は不幸になったのだ、と言う事であろう。
  そうだろうか。その視点、その解釈を破却しないと「天網島」の本質は現れて来ないだろう。

 この世に元来意味など無く、人間も無意味の闇に呑み込まれて行く。小春は湯女上がりの女郎で、泥水に塗れ、やがて泥水中に消えるだろう。おさんは倦きられた女房で、子供の世話や銭勘定に塗れて、生活の中に埋没するだろう。
  そんな二人の女を、一方の小春を切なくも美しく、死をも厭わぬ一途な純情の女として、他方のおさんを献身と自己犠牲の貞女として、それぞれの本質を露わにしたのは、治兵衛なのだ。
  治兵衛こそがこの二人の女の本質を引き出して、その存在に意味を与えたのであって、二人の女が治兵衛を愛するのは当然なのだ。治兵衛の存在こそが二人の女の可能性を拓いたのだから。
  即ち治兵衛はこの劇の中核であり、主導者であって、彼が縛られて蹴飛ばされようが、狂乱しようが、おさんを奪われようが、彼の存在は揺るぎはしない。人間の眼の方が揺らいでいるのだ。
  もう一度言おう。治兵衛は「紙屋」であると。「紙」は「祇」(くにつかみ)であり、遂には「神」である。
  神が二人の女の本質を顕わにし、意味付けているのだ。
  この視点が無いと、この劇は平凡平坦な「魂抜かれた」男の愚かな行状に過ぎなくなり、玉男はどうしていいか判らなくなる。然し治兵衛は「魂抜かれた」のではなく、「魂抜けて」いるのであって、その魂は小春を意味付けているのである。治兵衛の主導性、先導性。それ故に当然道行の「『この世でこそは‥』」の詞は小春ではなくて、治兵衛の詞であるべきなのだ。
  そして治兵衛の神性は原作の「生瓢風に揺らるゝ如くにて。」でも窺い知る事が出来る。「瓢」とは古来魂の容器。治兵衛の魂は死骸の中で揺れているのだ。然るに「道行」での治兵衛の吊し方は中途半端で揺れようが無い。揺れて永遠に魂を活性化させねばならないのだから、もっと高く。

 玉男にはこの様な治兵衛の存在形態を理解して、萎縮せず自由自在に、道徳などに囚われず、神の恣意性は、人間世界では「色気」として現れると看破して、治兵衛を動かして欲しいものだ、と思いながら帰路につきました。