人形浄瑠璃 令和四年四月公演(初日所見)  

第一部
『義経千本桜』
「伏見稲荷」
  魅力的な一段、過去だと伊達路や松香などがいい仕事をしていた。今回は靖が清志郎の三味線で勤めるが、もう実力は二段目立端場十分なはずである。なるほど、明快でよく内容が伝わり、今回の眼目である四段目への繋ぎとしては十分である。とはいえ、この一段はもっと魅力的であったはずであるし面白かったはずである。冒頭「浮世は夢の伏見道」の哀感、あの武蔵が小さく平身低頭する可笑しさと真実味、静御前の愛くるしさと悲痛、逸見藤太の安っぽさ、狐忠信の活躍、そして最後の別れの哀愁情感、これらが節付の巧みさとともにひしひしつ伝わる、こうあってほしかったし、その可能性を期待して客席に座していたのである。もちろん、退屈ではなかったし語り分けや変化も悪くはなかったのだが、ワクワクして客席に着いた分は割を食った感が否めなかった。靖は高原期に入ったか、しばらく辛抱の時が続くかもしれない。なお、三味線の清志郎は気合いの入り方はもちろん、音の鋭さといい響きといい、師の後継者に相応のものになってきた。
  人形陣は、その語りによって相応のできであり、それを打ち破り上回ってというところまではいかなかった。やはり人形浄瑠璃を引っ張るものは太夫であるとあらためて感じた。ただし、勘十郎の忠信についてはもう超越者のレベルである。

「道行初音旅」
  とにもかくにも足取りが抜群。どうしても走りがちになるものだが、穏やかに和やかにしかも弛緩せず、春風駘蕩としてこれは満開の桜と軌を一にするものであった。「伏見稲荷」が梅花であったことを考えると、この足取りで見事桜花に転じたともいえる。錣と宗助を褒めなければなるまい。合戦を華麗に語る忠信を織勝平が活写したことも記さなければならない。三枚目の小住寛太郎も十分であった。全体として道行とは何かをよく心得ていたと総括できる。もうシンの床はもはやベテランの域に達したということであろう。
  人形は、なんといっても勘十郎の狐忠信がすばらしく、登場の際の上手下手桜樹の花吹雪が実に見事であった。静の簔二郎は師と比較するのはさすがに酷であるが、魅力的と映る手前の良い出来というところか。師との差はたとえば、「住吉浦に吹き上げられ」のところ、扇を空中で一回転させるそれへの意識が見えすぎて、結果的にはうまくいって拍手もきたのだが、これだけ意識が見えていると静は曲芸師ということになってしまう。自然体というのがいかに難しいかを再確認することにもなった。しかし、最大の山場の扇を放り投げるところは見事で、あの緩やかに描かれた放物線は、今回の足取りと一致して満開の桜と合致するものとなった。直線的に吹っ飛んでいく扇も過去には見ているから、今回の簔二郎はそれだけで合格点を出してもよいほどの素晴らしさであった。床と併せて、道行の魅力を十二分に見聞きさせてくれたと総括できる。

「川連法眼館」
  中、「八幡山崎」、あの古靱が聞きに来たという駒太夫の伝説の名演、それはこのようなものではなかったかと思われるほどの出来であった。呂勢と錦糸である。このコンビはかつて鑑賞教室で「尼ヶ崎」の前を勤めたのを聞いたが、その時は麓風四段目の大場があまりにもかっちりと窮屈とまで感じられたので、今回の四段目もどうなるかと一抹の不安があったが、聞いてみるとこれぞまさしく理想的な仕上がりとなっていた。マクラの唄からとりわけ「音締も世上忍び駒」この合から一連の奏演で一段の格好がピタリと決まった。亀井・駿河の描出も判然として面白く、眼目の「別れほど経し」からはもう極上の浄瑠璃となった。「ここへはまだか」や「何気も媚く詞のうち」の魅力的なことは、静御前そのままである。そして「どうやらさう仰れば」以下の足取り、間、なるほど「八幡山崎」と別称が存在するのも道理である。「四ノ切」の前場にこれほどの節付がしてあり、かつそれを十全に奏演されたとなると、いかに切場がすばらしいものであるかと期待は高まるばかりであった。
  咲太夫師一世一代の「四ノ切」である。この語りこそ至高との思いのほかはない。三味線は燕三。菊之助との共演をテレビで見たが、なるほど、あれがあってのこれであるかと、首肯したのであった。とりわけ三味線はあれより一段とよくなっており、完璧と称してよいものであった。今後この一段を勤めるであろう人々には、マクラからの静御前の魅力、狐の妖艶さ、親を思う子の情愛、等々はいうまでもないが、義経の述懐が胸に応えないと一段の成功とは言えないことを、肝に銘じていただきたい。
  人形は勘十郎師の狐忠信に尽きよう。絶句して筆を執ることも叶わないが、なんということもないところ、例えば上手の桜樹を登って姿を隠すところなどの自然な巧みさ(こういう逆説的な表現を使わなければならないところがもう神業としか言いようがないという証でもある)など驚嘆する。それでも、情愛の描出ということになると、もっと深く強く観客の心を打って、涙に手巾を取り出す者ばかりとなるという光景が現出するのかもしれない。というのも、菊之助の狐忠信が実に絶妙であり、丸本歌舞伎を自身で再評価するまでになったから、本行人形での描出にはそれを超越するものがあるのではと感じたからである。静御前は簔二郎で、納得のいく遣い方。とはいえ、師の場合は静の人形がまぶしいほどの存在感を示していたから、それと比較されると普通としか言いようがない。普通というのは静が静らしく見えるということで、何ら問題ないことであるものの、客席を魅惑するというところとは隔絶した距離感があるのもまた事実である。しかし、この静を遣っていささかの齟齬も感じさせなかったというのは、実力があることを証明しているのである。義経は勘弥で御曹司貴公子としての性根は確かにつかんでおり、十分なものであった。とはいえこれも、心に動きがあるところは間々あるので、気早なところそして述懐などより鮮やかに見せてくれてもとは感じた。その従者たちもそれぞれのカシラに応じた遣い方となっていたが、やはり人形浄瑠璃は太夫の力が全体を統率しているのであろう。「八幡山崎」の亀井が鮮やかに立ち上がってきたのに対し、「伏見稲荷」の弁慶にはあの弁慶だあの大団七カシラだと伝わるところまでに至っていなかった。逸見の藤太も語り活かせてもらえばもっと鼻動きらしくなったのだろう。なお、佐藤忠信はそれに加えて人形の遣い方そのものに気品がある風姿を描出できており、この清五郎は賞賛するに足るものである。

第二部
『摂州合邦辻』
「万代池」
  出遣いにする必要はない。いや、黒衣の方がより全体が引き締まった一段となったのではないか。各部がなかなかに興味深く展開しており、やり甲斐のあるところでもある。マクラから仏法の有り難さが語られるが、そこに登場する俊徳丸の悲哀がまずその詞から際立つ希(一カ所疑問なのは日想観「西に向かひて音をぞ鳴く」の「音」は「ね」であって「おと」は誤りではないか)。対照的に登場する合邦は悪身の教化で客席をも巻き込むことになるが、この二上り三下りと多様な節付を三味線の清友が弾き活かし、詞がよく映る三輪を助ける。続いて浅香姫は南都であるが、以前から指摘しているように男を語らせる方が良い。入平は津国でこれが中間奴というものの典型である。最後に次郎丸は悪党だが、丸目の鬼若であるところが肝心で、その面白みを咲寿がよく表現していた。人形亀次もベテランらしくそこはよくわかっていた。再度言うが、黒衣であればごちゃごちゃした印象もなく佳品として印象に残ったであろうと思われる。

「合邦住家」
  端場、前回南都清馗の驚くべき出来が印象に残っていて、三味線は同じ、太夫が睦である。適所であろうと思うし、実際取り立ててどうのこうの言うところもなかったのだが、いつも通りの語り口で進んでいったということで、とくに書き記しておくということもない。ちなみに、前回はこう書いた。「この端場にはもう一箇所お楽しみがあり、『夫の心汲む妻は〜』ヲクリまでの箇所、魅力的な節付に抒情味ある詞章がピッタリという、ここが見事に描出されていたのである」と。今回は残念ながらという結果となったが、果たしてこの魅力的な詞章と節付を理解しているのであろうか、三味線が同じであるだけに、この問いは必然的に太夫側へ向けられることになる。
  前、清治師の三味線で呂勢が語る本役。もちろん切場である。「しんたる夜の道」でまず驚かされ、「身をひそめてぞ窺ひゐる」で再度嘆息する。抜群の三味線に語りもよい。さあ、これでこの場は固まったと次を期待したのだが、合邦、婆ともう一つピンとこない。そうなると玉手のクドキもよいはずなのにするすると通り過ぎる。気が付くともう盆が回る手前で、それだけ滑らかに進んだと言えば言えるのではあるが、堪能するには至らなかった。日を追って語り込まれてくるものなのだろう。今回は初日で損をした感じである(「八幡山崎」は初日からこれは楽日まで毎日聞きに来てもよいと思わせてくれたのだが)。「合邦」は難しい浄瑠璃である、そう書いておくのが適切であるのかもしれない。
  実力にようやく名称切語りが追いついた(三人同時昇進では遅きに失した感のある)呂と清介のコンビ。まず、三味線の面白さ勢いが玉手の嫉妬や大落シで客席の拍手を呼ぶ。太夫は合邦の悲哀がきちんと描出されていた。切語り相応の出来と称してよい。ただし、堪能した満足というところまでは個人的には至らなかった。あの古靱清六の面白さと言ったら、何度も何度もレコードやCDを繰り返し聴き、詞章も曲も覚えるほどまでになった、あの経験は何だったのであろうか。やはりここも、「合邦」は名人でないと語り果せたと言える類のものではない、そういうことになるのだろうか。ちなみに三世清六のはどうも雁字搦めで身動きがとれないほどの厳しいものという印象であった。
  人形は、まず和生師の玉手御前に貫く意志をひしひしと感じた。強い女性である。それは事を成すためのハリボテではなく、芯からのもの。だから、前場のクドキも嫉妬の乱行も俊徳丸への捨身もすべて正真正銘であり、作為などではまったくなかった。それが一段を貫いていたのである。それゆえに、婆はもちろん合邦も玉手を支える脇役としてその存在感を示す。玉也と勘寿ならではである。俊徳丸は玉翔の代役だったが、少ない動きの中にその嘆きがよく収斂されていた。浅香姫は紋臣でいつの間にか姫役がよく映るようになっており、一輔もお尻に火がついた感を抱いているのではないか。入平の玉勢はワキのワキを固める役どころを心得つつ、中間奴としての存在を確かに描いていた。
  ところで、プログラムの鑑賞ガイド、N氏は人形浄瑠璃全般に目配りが出来ていて、肝にして要、よく書けている。ただし、「合邦」の段切を全員悲しみのうちに幕としたのは、浄瑠璃世界ではない歌舞伎的叙述であり、言い方を変えれば人形に引き摺られた視点ということになる。浄瑠璃の語りの主体は、作品世界すべてを統括する神の位置にいる者なのであって、眼前展開する物語を、現実から切り離して大きな歴史の中へ位置づける。それが段切である。「月江寺と号くべし」と印象的な三味線の合の後に語られると、「昔の哀れや残るらん」と眼前の今は過去の物語へ収束するのである。この大きな時の流れを感じさせるところが浄瑠璃の魅力なのであり、歌舞伎が眼前展開される物語のまま幕を閉めてしまうのとはまったく異なるのである。最後は「玉手の水や合邦が辻と古跡を留めけり」なのであって、もしこの構造がわからない三業がいたならば、すぐに歌舞伎へ移籍してもらうより仕方がないことになる。ただしN氏も「日向島」の方では、最後人形の所作として書いているからそれは問題ない。「忠六」にしても最後の最後で「立ち帰る、人もはかなき次第なり」と書かれていることを絶対的なものとして認識する必要があるのである。


第三部
『嬢景清八嶋日記』
「花菱屋」
  黒衣。年を追うごとに出遣いが増えていく中で、黒衣であることがいかに重要であるかをあらためて実感することになった。出遣いは切場のしかも後半だけでもよい。もちろん床も御簾内でと対称的にしないとならないわけだが、こちらは現代建築における音の届き具合や響き方ということがあるから、出語りが通常であるのは当然ということになろう。勤めるのは藤と団七で、なるほどベテランが勤めてこそ活きる一段である。三味線はマクラの「(シャラン)大磯小磯〜」で遊女町のの雰囲気を醸し出すという至高のもの。太夫は女房を悪婆カシラの嫌らしさには寄せず、面白さの方へ落とすが、これはこの太夫が誠実一本だからという個性の表れでもあろう。次々と登場する人物にも過剰な描写は慎み、「腹は武蔵野や〜親仁なり」と花菱屋長を看経漬けの涙もろい爺に終わらせない肝心要をしっかり押さえ、最後のはなむけも含めてしみじみと心温かく語り納めたことは、藤らしい一段だったと言える。思えば、ここは先代呂が勤めて「ジワ」が来たという前代未聞空前絶後の実体験を劇場の椅子でしたのだった。とはいえ、これは狙いにいくものではないし、そんな作為的なものでは白けてしまうに決まっているから、あれは夢か幻かと胸に収めておくのがよいのであろう。それにしても、これで糸滝父子対面は成功裏に終わるはずだと思うに至る詞章と節付は、やはり東風の拡散性のなせる技なのだろう。

「日向島」
  マクラの謡ガカリから悲惨そのものであるが、観客は心を鞭打ちされるような厳しさも窮屈さも感じない。それは東風である「春や昔の」からの足取りや間そして節付によるものであるし、登場した景清が梅の枝を差していることにもよる。後者については、故主重盛の位牌に捧げるためのものであるからそれとは無関係との声もあろうが、そうではない。詞章のどこにも手向けの花はない。人形の工夫に違いないが、箙の梅は源太景季出陣の華やかさを象徴するものでもあるがゆえに、この梅花も前段「花菱屋」の続きもあって明るく開かれた印象を与える。もちろん、だからといって景清の悲惨な現状を打ち消すということではなく、作品物語全体の結構と東風を象徴するものだということである。西風の収斂ではない拡散がここにもある。
  勤めるのは、立派に切の字が付いた千歳と、彼をここまてぜに引き上げた三味線の富助である。まず、冒頭景清の述懐を怒りにまかせたものにせず、無念の一言で表現できるものにしたところが秀逸。そして娘との再会に「親は子に迷はねど、子は親に迷うたな」に滲み出る本心の情愛、そして「連れて行け〜睨んでくれたい」に至って聞く者は景清ともども涙を流さざるを得なかったのである。この親子父娘のとりわけ本心を明かさ(せ)ない景清の父の思いを描出できたことをもって、この一段は成功を収めたと言えるのである。初日から声が苦しそうであったのも、景清を怒鳴り散らすことなく(いつもの悪い癖が出ないかと最初はひやひやしていたのだが)、衷心より絞り出すがためであったとわかって、納得したのであった。勤めた場といい出来といい、第一人者と言わざるを得ない。
  人形は、景清の玉男が段切をどう捌くか注目したが、位牌を自ら海中に投ずるという形をとった。なるほど、これだけ景清の父としての情愛が描かれればそうであろう。そしてそれはそのまま帰洛後の親子父娘の再対面とその後の幸せを予想させるものとして、ここでもやはり観客の心を拡散させる方向に働いたのである。糸滝の清十郎は大名の娘という気品と慎ましさを備え、かつ父を想う情はきちんと描出し、「十四にはおとなしい」詞章そのままの理想的な遣い方であった。佐治太夫は商売には似ぬ誠実一筋さを玉志が確実に見せた。底に又平カシラの人をホッとさせるおかしみが滲み出ていれば最高であったろう。花菱屋長と女房の玉輝に文司は床の奏演と相俟って相応の出来。やはり脇役として不可欠な存在である。隠し目付の二人(文昇と簔一郎)も性根を弁えた遣いぶりであった。

「蝶の道行」『契情倭荘子』
  三業の顔ぶれを見るとなかなかのものである。おそらく想像通りいや想像以上の芸が披露されたものであろうと思う。追い出しの景事物としては申し分なかったであろう。とはいえ、花冷えの夜も更けており、朝から前段までで気力体力とも消耗していたがゆえに、やはりこの演目で居残る気にはなれなかった。第一部の道行で堪能したということもある(もちろん景事と道行を一括りにできないことは承知している)。お許しいただくよりほかはない。
  
  今回の劇評は七千字足らずだが、毎回言うように劇場の椅子にいた間に沸き起こってきたものを頼りに書いているわけで、三業の芸とこちら側との一期一会ということになる。もちろん、作品そのものへ深く入り込むこともあるが、それもその芸により触発された結果であって、テキスト(文学)を読むだけの結果では決してない。したがって、当然こちらの心身の調子にも左右されよう。ともあれ、今回は相応に良い出来であったというわけであり、しかしながら、半世紀近く劇場に通いそして日々過去の人形浄瑠璃を視聴している者としては、当然それらとの比較もしているわけであり、そういう意味からすると、それらを上書きするものは、今回であれば「八幡山崎」一場であったということになる。部分的に取り出して言えば、勘十郎の狐もそうであった。とにもかくにも、劇場の椅子には座ってみないと後悔する、このことは今回も確かなものであった。