人形浄瑠璃 令和三年四月公演(初日所見)  

第一部
『花競四季寿』
  コロナ禍1年経過して未だ収まらずの春、本作をかける意味は、せめて劇場内では鬱屈を払っていただこうというものだろうが、展示企画とリンクさせると別の意味が見えてくる。すなわち、垂れ込めて春の行方も知らぬ間にとの状況下、椅子に座れば耳目に四季の美しさが映り、展示室へ赴けば居ながらにして外の世界が多面的に広がる、いわば空間と時間の双方において閉じ込められている人々を解放しようとするものである。もし、この企てが読み通りであったならば、コロナ禍は収束の方向も見えたのであろうが、残念ながらというか当然というか、愚かな人間どもは感染拡大を招いてしまった。ズーム談話もオンライン飲み会も、一つのイベントとしてなら楽しめたが、いざそれが常態化してしまうと堪えられない。なるほど、歌舞伎が人形浄瑠璃より流行るのも道理というわけである。抽象化とか象徴性とか、そういうものの本質をまるでわからないのだから。生の現実といってもそれらは感覚器官を通して脳内で認識されたものに過ぎないのに。それならばと、現実のモノそのものと一体化するかといえば、万物の霊長たる人間はそれらを享受するのみという次第なのである。松のことは松に習え、この芭蕉の言葉が深遠である理由もここにある。逆に言えば、新型コロナウィルスは実に狡猾にそのところを突いてきているわけで、変異自体も人間の行動がもたらしているのだから、実に見事な戦略である。
  劇場側の感染防止対策についてはこれまでの劇評で述べてきた通りで再掲はしないが、、その「窮屈」な「現実」の中で『四季寿』を堪能しようとすると、余程の芸でなければ満足させてもらえないことは明らかである。現に、本作は少なくとも過去六回はすべて正月公演で掛けられており、「現実」の正月と一つ目の「万才」がリンクしているのである。こうしておけば、劇の時間が四季の時間と進行方向においてパラレルとなり、正月の椅子に座った観客は、夏から秋そして冬へと自然に移行できるわけである。それは「現実」の時間進行と同じ、観客の誰もがその年齢分の回数だけ実際に経験してきたものでもあるからだ。ところが、今回は初めて四月公演にもってきた。もちろん、春夏秋冬の四季で言うと正月の万才は春に当てはめられているのだから何ら問題ないとも見られようが、新暦の正月は明らかに冬であり、いやむしろ正月春夏秋冬という、季節を超越したものとなっている。新春という象徴性も、元日からショッピングセンターが開店し、おせちは三が日の特別保存食という意味までも失って元日という特異日(ハレの日=言語の象徴性という話ではない)の認識手段となった今では(年賀状―頌春―も絶滅危惧種である時代ではなおさら)、門松云々で始まる万才が、桜の季節における観客にズレを感じさせるのは当然であるし、ましてやこのコロナ禍において、目出度いとか「のどけき春」とかを実感させるのは甚だ困難と言わざるを得ない。つまり、それを可能にするのが芸力ということになるのだが、人形が登場するまでは「正月気分」にはなれなかった。その人形、太夫が簑紫カで才蔵が玉勢、若手から中堅へ掛かろうとする有望株であるが、これが新春を寿ぐ万才を見事に舞台上へ現出させたので、こちらもニコニコと同調することができた。別段際立った遣い方というものがあるわけではなく、遣う側とその魂を宿す人形に、清新な年の訪れを祝おうという精神があるかどうかということが問題なのである。現今の下手な漫才師同様にあざとく動いたりウケを狙ったりするのではなく、鷹揚さと滑稽さと正統性を持つ万才芸人(いわゆるボケとツッコミの原初)としての動きが描出できるかどうかである。この二人は昨年あたりから一皮むけた印象を持っていたのだが、どうやら中堅入り=次次代の支柱候補を確定させたようだ。こうなると、三位一体の効果によって床の方もよく聞こえるわけで、三味線陣はシンの宗助に二枚目清馗と三枚目寛太郎他で、足取りと間に留意しながらよく揃ってすばらしく、太夫陣はマクラから感心するほどでもなくシテの錣が抜きん出てワキ・ツレ以下力不足に聞こえていたものが、遜色ないほどに耳へ届いてきた。これで、ようやくコロナ禍の春という「現実」を余所にすることができたわけである。
  暗転して「海女」、このマクラから床=シテの太夫とシンの三味線が俄然その魅力を発揮し、波の音からのユニゾンがすばらしいものとなった。そのあと海女の恋心の描出も、夏の日の気怠さとうまくマッチしていた。総じてこの海女が今回の床として最上の出来であった。ただし、「汐馴れ衣〜磯千鳥」までの詞章、これも恋心の序章であろうけれどもなかなかそう理解するには抽象度が高く、振付も恋心の描出とはしていない。そうなると、海女そのものと海辺の描写ということになるのだが、どうも捉えどころがなく、人形の勘弥も「思ひしことは」以下の恋の思いは上々であったのだが、ここは何とも評しようがなく(海女として違和感なく遣えてはいたのだが)、当然床の奏演もこれといって特筆するまでもなかった。逆に言うと、この描写が客席の心を掴むようだと極上という極め付きになるということか。とはいえ、最後で蛸と絡むのも面白くできていたから高評価としてよい。
  「関寺小町」、曲名からしても詞章からも、零落老残した百歳の小町がシテであるから、その登場から主題はあきらかであるはず。しかし、簑二郎の遣う人形がシルエットに映し出されるとむしろ若さを感じさせるもので(胴串の支え方や顎の角度等)、照明が照らし出して初めてその老いを確認したのであった。これをどう判断すべきか。関寺小町は元の謡曲もそうであるが栄華の昔を語ることでその対比対照としての現状が際立つわけで、そうするとこのシルエット=往事の若さ、実像=現今の老いという見せ方は、むしろテーマそのものと言ってよいのかもしれない。そして、老いた小町は例えば杖によろよろとするところなどやや不自然な感があり、かつての恋に心浮かれる箇所の方が映えていたのは、故文雀のがいかに至芸であったのかをあらためて思わせるものであった。床も心得てはいるがまだ至らないと聞こえた。これは客席に着く前から予想していた通りであったが、前述の対比対照構造として描き出したと評することができたのは、実際に鑑賞しての賜物である。やはり、劇場には足を向けなければならない。
  「鷺娘」、これは鷺の化身であると勘十郎だったかの人形を見て感じたのだったが、今回清十郎に見たものは、人ならざるものとしての化身で、出からの白装束と身のこなしにカシラの遣い方がそう思わせた。それだけでもう妖艶なのである。照明効果もあってこれには驚嘆した。一方、鮮やかな衣裳へ転じてからはその遣い方がむしろおとなしく目立たなくなり、物足りないと見られたかもしれない。これはしかし遣い方(解釈)の違いであって、それゆえにこそ贔屓の芸人や持ち役ということが生まれるわけである。床はしかし衣装同様鮮やかなもので、「四季目前にありがたや〜尽きせぬ眺めぞ楽しけれ」の詞章を見事に描出したと言える。これでこそ、コロナ禍の春に本作を出した意味がある。

『恋女房染分手綱』
「道中双六」
  切場が大和風というのはわかっているが、この端場はどうであるか。初演時はここも含めて丸ごかし語っての大和風(当時は大隅掾)であったのだ。そんなことはわかりきったことで、今になって言い出すところなど無知の素人が醜態を晒して恥ずかしい、などと揶揄されるところだが、以前から言っているように、紙上の知識や幕内の事情を持って(以て)劇評を書き始めているのではなく、スタートはあくまでも劇場の椅子に座っての体験なのである。今回この段について言うと、床の奏演によりここも大和風であると明白に聞き取れたから、この耳が確かなものか義太夫年表近世編で確認してみたということである。すなわち床(睦・咲寿、勝平)の手柄であるのだが、それは順逆両方の意味からである。マクラから太夫がこの節付と足取りそして間を辿るのに苦労しているのは、聞いていて気の毒なほどであった。中堅としてすでに固まっている太夫を以てしてもということは、それが通常の端場ではないただならぬものであるということになる。眼目の道中双六に至って、これはもう太夫の語りは消す(脳内太夫を設定する)のがよいと判断したから、ひたすら三味線を辿っているとその面白いことこの上ない。これまでも、この一段は呂勢に千歳そして津駒と錚々たる(ここを語る地位として)床で聞かせてもらっており、それぞれにすばらしいものであったのにもかかわらず、今回これほどまでに大和風を感じられたのは、人形浄瑠璃芝居の舞台を離れて、純粋にその節付(足取り、間)を辿ることができたからに他ならない。つまり、三味線は「どつと興にぞ入りにける」で、太夫は「どつと興をば醒ましけり」であったということ。このため、人形陣には申し訳ないのだが目まで行き届かなかった。それでも、和生師の遣う乳母重の井が超絶であるのはたちどころにわかり、その出「お乳の人色を変へ」が詞章そのまま(乳母の風格ありつつ顔色変じた)、見る者をハッとさせるものであったのである。最後に、眼目の道中双六についてもう一つ書いておくと、冒頭に記した意味で言うと、おうち時間すなわち居ながらにして丹波の田舎から花のお江戸への旅が体験できるということなのであり、コロナ禍を念頭に置いた建て方とするなら、劇場側の深謀遠慮には舌を巻かざるを得ないのである。ただ、それを実現するには配役(とりわけシテの太夫)にまで配慮が必要であった(とはいえ、では誰をというと他役や全体のことを考えてみると至難の業で、敢えて抜擢しての失敗も許容できるようでないと無理なのだが)。さて、楽しみにしていた道中双六が残念な結果に終わったのと、大和風の妙味を味わうことができたのと、天秤にかけての損得勘定が如何であったかというところである。

「重の井子別れ」
  不即不離そして緩急自在、この音楽性がいかに高度なもので(音楽性が高度というのはジャンル間のことを言っているのではなく、例えば童謡や唱歌ならそれ相応の高度な音楽性が必要とされるわけである。また、音楽性にのみ言及したのは、人形についてはまるで人間のような動きを三人が共同で遣って描出しているというようにその高度性が一見さんからも指摘されているからである)、抜群に面白いかを理解しないと、いつまでたっても人形芝居は人形浄瑠璃に戻れないだろう。またしても外圧=海外の音楽家や専門家あるいは著名人によりその真価を認められないと、この国の民は自ら値踏みができないでいることになるのであろうか。さて、床を見ると綱紋朱塗りの見台であったが、なるほど亡父もまたこの高度なかつ面白い「音楽」を見事に語った人であったと、思いを致すのであった。そんな大和風だが、それゆえにまたそこへ情を乗せる(情が第一などではなく浄瑠璃=音楽性が第一なのは言うまでもない。情が第一なら丸本そのものを読本とすればよいのだから)のが究極の到達点ということになる。今回は咲太夫が相三味線燕三と勤めたが、なるほど、紋下格というのは伊達ではなく、たとえば三吉の詞「在所の衆が養うて」からのノリ間が抜群で飛び上がるほど面白く、そして「昼は馬を追うて」から「父様母様」へ至っては涙を催さずには聞けないところなど、さすがに「風」を心得ている本物の太夫は違うと感心するとともに、その意味(情しか言わないからの解放)で令和という時代を言祝ぎたいのでもある。あと、段切の宰領の詞の巧みさなど、亡父とともに紋下制度ありせばと嘆きたくもなった。櫓看板に書かれたであろう文字を想像しながら。なお、三味線もよく弾いたが、重の井の詞「身に余ったお家のご恩」以下が、太夫に付いていく感があったように聞こえたので、大和風は三味線も大変であると(初演時はあの喜八郎)再認識したのであった。しかしそれだけ大和風は太夫にも三味線も魅力的であるはずで、浄瑠璃語りとして「風」を語ろうとしない(語れない、あるいは認識できない)太夫など、日本(伝統)音楽の敵でしかあるまい。
  人形は和生師の重の井に尽きるが、三吉(玉彦)については、小生意気なところと頑是無いところと母性をくすぐるところが相応に(あざとくなく)遣えていた。ただし、細部にまで神経が行き届いていたとは言えない。が、そこにまた年齢と育ちを見るということかもしれない。弥三左衛門の文司は田舎の爺家老職が板についていた。
  コロナ禍での三部制ではこれが精一杯だが、やはり初演以来の評判であった道成寺鐘入に坂の下・沓掛村を併せた通し形態で鑑賞したいものである。

第二部
『国性爺合戦』
「平戸浜」
  掛合で三味線のシンが清志郎というのは頷いたが、太夫のシテが希というのにまず驚いた。しかし、マクラを聞いて即それが正当な配役であると納得し、同時に当然のことであったのだと不明を恥じた。あの「景勝上使」「姫戻り」を聞いていたのだから。今や芳穂(その上は靖でその上はもう織である)と肩を並べるところまできており、かつ三段目も四段目も端場(段書きされて当然の)が語れているのだから、いよいよその本領を発揮してきたということか。もちろん、次の切語り太夫の稽古によるところが大きいのであろうけれど。まず今回際立ったのが貝尽くしのところで、夫婦仲睦まじい潮干狩りの描出が鮮やかなこと、これまでここを何度も聞いているがこれほどには感じなかったと思う。それほど耳目によく映ったのである。床の奏演ができていたからであるが、人形の和藤内=玉志と女房=清五郎との功も大きい。詞章では「夫婦連れ立ち出でにけり」とあって貝尽くしになるので、具体的な所作の描出はないからである。ここはまさに人形次第で、今回のように詞章の内容が膨らむこともあれば、逆に台無しにしてしまうことがあるのは、その遣い方が詞章との不即不離に任されているからである。和藤内はまた「この若者のことなりけり」とある詞章通りであって、実は荒物遣いではと見たこの目は節穴ではなかったようでホッとした。この後は妻の嫉妬と宥める夫、段切の情愛の描出に至るまで、和藤内の性根をきっちりと描いて見せたのは、清志郎の三味線と希の語り=床との相乗効果で理想的な形となった。他の三業の成果については取り立てて書かないが、それだけ自然であったということである。

「虎狩り」
  口、御簾内の亘、そして清允(と耳目で判別したのではなく番付から)、太夫は上々(だからと言ってあの太夫と交代させるわけにもいかないが、そこまでの語りになっている)、三味線はまずまず。この出語り出遣いではないところ(御簾内、黒衣)は残しておかなければいけない。これが人形芝居の原型であるのだから(そういえば今回黒衣はなかった)。
  奥、三味線の団七に驚く。三重はうーんという感じであったが、進むにつれて引き込まれ、「空凄まじく」からの面白いこと、そして細部でも終盤近くの「地に鼻付けて」トテチが絶妙、これだけで安大人の性根を見事に描出した。ここは前段とともに西亭の節付であるが、そうと気づかせそれを弾き活かすというのは只事ではない。かつて鴻池幸武が作曲は節付者と奏演者がともに名を連ねるべきだと言ったが、まさに今回がそれに値しよう。鴻池と言えば盟友武智鉄二の劇評集に『かりの翅』と名付けたが、その由来である安達三の段切、そこを弾いた時の極上の三味線が今でも耳に残っている。その命名が単に詞章やストーリー・内容によるものだとする者は、浄瑠璃を聞く耳を持っていないと鴻池から言われるに違いない。太夫の三輪はやはり詞が抜群で適材適所であるが(虎の捌き方も堂に入っている)、地はたとえば肝心の「実に不思議とも恐れあり」と収まるところが何とも物足りなかった。人形は、というより虎が際立ってよく、客を呼べるいわばパンダの値打ちがあった。

「楼門」
  大和風がここにも、ということはと鑑賞ガイドを見ると明記してあるから、わかってやっているということか。三部制で建ててみて結果的にそうなったのではあろうけれど、こうまでしてあるのは、文楽を見に来る客か、浄瑠璃を聞きに来る客か、その判別を兼ねているということにもなる。すなわち、大和風は言わばさらさらとしているし、「楼門」などは人形に派手な動きもないから、この一段を高評価するには聞く耳を持たなければならないということになる。しかも、三味線の入らない言葉(詞ではない)がわずかしかないから、演劇として評価しようとしても一筋縄ではいかないのである。かつ、近松系(団平の彦六系)での奏演ともなれば、その音楽性は群を抜いた高度なものになる。そして、今回は清治師が弾いて呂勢が語ったのがまさにそれであったから、恋十の咲太夫と燕三の奏演と合わせて、浄瑠璃の面白さを理解する試金石となった。
  なお、「風」について些かでも疑問のある向きには、「琴責」を聞いていただければ、大和風というものが確かに存在することがおわかりいただけると思う。以前に芸術系大学の非常勤で教養講座を務めた際、この二つの聞き比べをしたのだが、ほぼ全員がその相似性に気づいた。「風」の定義は措くとしても、初演太夫の語りの個性がそれぞれに共通部分として残されていることは明白で、西洋音楽でモーツァルトとベートーベンは古典派として一括りで差が無いなどと言うと噴飯物であるのに、浄瑠璃音楽はいわゆる作曲者が位置付けられず、太夫は表現者(再現者)とのみ思われているから、「風」など存在しないという不届き者がいても出禁にはならないわけである。しかし、その作曲=節付は初演の太夫の個性が輝くようにされているのである。駒太夫に関し類似した指摘がある以下のページを参照願いたい。
http://www.ongyoku.com/hokan/hokan3.htm
  今回の奏演は前回勤めたとき以上で、これはもうあの綱弥七の超絶名演に次ぐものとしてよいだろう。その理由は大きく二つあり、もちろんどちらも太夫の方にであるが(三味線はすでに超絶名演)、まず大和風をきちんとトレースするという段階から、それを語り活かすところまで至っていた点。それに付随して、近松物に特徴的な節付―たとえば「とぞ呼ばはりける。一官小声になり」の常ならフシ落ちし色で詞に繋がるところが三味線なしの言葉一本となっている箇所など―が確実に語れていた点。もう一つは、大和風では一層至難となる情の描出ができていたという点である。後者について具体的に言うと、老一官の「しみじみ口説く詞の末」できちんとお膳立てが整い、いよいよ眼目の錦祥女、絵姿と手鏡を使っての見比べ(過去と現在との通時性)、世界地図での唐土日本の遠近を確認する(共時性)、時空間を通じたロマン溢れる場面から、父娘再会の溢れ出す感動に至るというところ。この情愛には「心なき兵もこぼす涙に」とある通りで、観客は火縄ではなくマスクも湿るばかりであったのだ(なお、前述の通り人形の動きとしては地味なので、文楽を「見に」来た観客は涙にまで至っていなかった)。あと「くわ」「ぐわ」音も正しく、また一音上がってからは絶妙の限りで、正統的太夫として大名跡を襲い次代の旗手となってもらいたい呂勢である。もちろん、清治師による導きの結果として。

「甘輝館」
  前段の続き、魅力的な立端場の後の切場。播磨少掾二代目義太夫の名を高からしめることになった一段は、ヲクリから低い音で始まり、梅や鶯が出ても「縛り縄」「雪中」と厳しく語り進められ、それは錦祥女を描くに及んでも変わらない。これはもちろん太夫の個性を踏まえた近松の文章そして節付になっているからで、彼は小音ながらも煮え込むように語ることで西風の基礎を固めた。滅多に動けないが、それがこの一段に白木の潔癖さとでも言うような世界をもたらしている。語るのは呂で三味線は清介、その点では理想的なコンビと言える。初日に聞いた限りでは甘輝がよく、それぞれの詞を発した時の心情がよく伝わった。ただ、面白く聞こえたところも多く、それは浄瑠璃義太夫節が血肉化している証拠であるが、そうなるとリラックスはできても凜と張り詰めたものが崩れかねない。この段もまた綱弥七による超絶名演が残されているが、聞くと背中がピンと伸び、しかも窮屈感はない。やはり、浄瑠璃義太夫節の「風」を語り活かすというのは並大抵のことではなく、それが実現されたとき、情を描いても歌舞伎や映画や小説ではない浄瑠璃義太夫節という音楽形態に於いてという独自性が確立されるわけである。それによって浄瑠璃義太夫節は芸術になるし、存在意義が不動になる。ちなみに、これらは昭和前期の劇評等に記されている内容でもある。

「獅子が城」
  ここから後半は動いてもよく、それが浄瑠璃義太夫節の構造でもある。前半のしんどさを最後まで貫いては芸術を楽しむということに至らない。そのために、和藤内を登場させてまず大きさ強さが前面に出てくる。二カ所のメリヤスも、前半甘輝の出のメリヤスとは雰囲気(足取り、間)がまるで違っている。勤めるのは藤と清友でなるほど相応しい配役である。「会稽山に越王の再び出たる如くなり」の詞章そのまま立派である。そして、母の自害を愁嘆・悲哀に落とさず、これも詞章を語り活かして諫言死とし、むしろ喜んで死んでいく(これで「小国なれども日本は男も女も議は捨てず」が真実となり、正義の戦いを実現させることにもなった)姿を描出する。かつ、その愁嘆・悲哀は「言へども残る夫婦の名残」以下に通奏低音として響かせており、確かな力量を感じさせた。怒鳴りも喚きもせず余裕があったからこその成果である。
  人形については、簑助師の錦祥女があれだけの動きで感動をもたらすという唯一無二なもので、一輔に交替してからも立端場で確立された姿を崩すことなく、派手な動きではなく端正に遣った。望むらくは、底に自死の決意をいつ滲ませたか、それが観客に伝わるようになれば、亡父・祖父の名を襲うのも時間の問題となろう。甘輝の玉男はもはや押しも押されもせぬ立役で、先代も泉下で満足に思われているに違いない。それでも敢えて言うと、母の告白を受けての決意(妻の犠牲)が―もちろん露わになってはいけないのだが―底意にはあり、四転する詞のそれぞれに抱く思いが異なることを、辛抱立役でありながらも感じさせてくれたら、先代に続き人間国宝にも認定されるのは間違いないであろう。母の勘寿は一方の主役とまでの押し出しはなかったが、かつての日本の女(こういう書き方はジェンダー的に問題ありと指摘されるかもしれないが)つまり当時の妻や母の理想的真実としてこの場合はいかに振る舞うべきかということが弁えられている遣い方で、もちろん錦祥女への慈愛(継母であるということにより倍加されている。ちなみに、例えば八汐や悪婆のカシラならこういう場合は強烈な継子いじめとなる)は強く感じられ、やはり現陣容に欠くべからざる存在であることを印象付けた。老一官の玉輝はかつての作十郎の位置に至っておりこれまた不可欠な存在である。

第三部
『傾城阿波の鳴門』
「十郎兵衛住家」
  口、御簾内だがすでに実力を感じさせる有望株コンビ。太夫の碩は喉が開いてはいないがその詞だけでも非凡でないことが明白。三味線の燕二郎はまだ荒いが音がよいし大きく伸びやかで師匠の前名を汚すどころか高からしめる勢いである。
  前、口を付けたのでマクラもなくすぐ手紙の読みになるが、その行き届いた解釈には舌を巻くのみ。その後のおつるとの対話もそれぞれにお弓の心情が描き分けられており、とりわけ「聞いてどうやら気に掛かる」からの変化の妙。娘と知って驚いての地合は足取りと間が抜群、娘おつるの詞は母お弓の心に突き刺さるように語られ、観客もおつるに涙するというよりお弓の心情と重なって「見る母親はたまりかね」の詞章そのままとなり、これこそ文句をきっちり観客の胸に届けるという手本のような語りである。こう書いては完璧以外の何物でもない千歳の三味線富助指導による床であったが、今回またしても喉を痛めているらしく、巡礼歌に可憐さや美しさを欠き、これも眼目の一つお弓のクドキが狂気というより例の乱暴になってしまい男声となるようではさすがにいただけない。そのために、淡路の人形浄瑠璃の方が好ましく感じたのである(これは貶め言ではない)。畑仕事の休みに土間へ座ったおばちゃんが手拭いを握りしめて涙を堪えるような語りは、やはり後者の方だろう。要するに、この浄瑠璃は横綱相撲ではむしろ語り活かせないのであって、小結や幕内上位(大関横綱に至る通過的地位としてではなく、大関横綱には届かないベテランが留まり続ける地位)格が余技として語るのがよいのである。たとえば、戦前のSPレコードに聞いた角や錦や錣など。もちろん美声で琴線に触れ脳内を揺るがす語りである。近年では南部や春子そして昭和の嶋などになろうが、それでも物足りないというか、これでもかと書かれた詞章と節付を捌ききれていないと感じられる。「阿波鳴」は近代化を受け付けない浄瑠璃義太夫節と言ってよいのかもしれない。この浄瑠璃は、戦前の全盛期に武智や鴻池からは相手にされなかった、しかしそのサワリレコードは一般大衆によく売れ、「阿波鳴」はそんな太夫たちにこそ似つかわしいものである。とはいえ、今回は喉の調子が良いときにあらためて聞いてみたいと思わせるもので、現代における「阿波鳴」の形を定めておきたいとも感じたのであった。残念。
  後、休憩時に男性客が「前半でやめとけばよかったのに」と笑いながら言っていた。これは、芸が至らなかったというのでは決してなく(笑いながらという点に注意)、筋立てがあまりにもあざといからである。もちろん、(浄瑠璃)文学は狂言綺語であるのだから、荒唐無稽を非難されては作者も苦笑するしかないのであるが、おそらく、前半での母子再会離別によりもたらされた感動が、後半唐突な事故死から段切では荼毘に付されるという展開によって、宙に浮く形にされたからであろう。とはいえ、この後半はまさにそこが眼目で、それと知れるまでのやりとり(登場人物は知らないが観客は知っているという構造)と知れてからの愁嘆に、婆からの手紙の読みまで加え、最後はこれでもかと梨割りまで見せて観客の心を掴もうとするのである。となると、この後場は前場以上に、俗受けするように語り遣わなければどうしようもないだろう。『時雨の炬燵』の方の「紙屋内」や「八百屋献立」に通ずるとまで言ってもよい。となると、錦糸の三味線指導による靖の語りは、ハメを外さない分だけ肩透かしを喰ったようなものになり、前述の言葉が観客から漏れてくるのである。むしろ、「無茶苦茶やがな」と言われた方が、作品に開き直ってやりきったというプラス面が押し出されることになるのだろう。配役を「道中双六」と入れ替えた方がよかったのではないか、とまで思われたのであった。三味線による太夫の責め立て方とその足取りや間の絶妙さと言ったら、今でも耳に残っているほどであるのだから。
  人形について。お弓は勘十郎で、狂気や激情の吐露などあくまで老女形カシラの格を崩さずしかし存分に描出する。詞章を読み込み神経の行き届いた遣い方にはいつもながら感心する。ただ、今回は二カ所どうかなと思うところがあった。一つは「金は小判といふものをたんと持つております」に無反応(カシラを向けることさえなく)であったことで、巡礼娘が小判など誰が聞いても驚くはずである(実際に十郎兵衛は大きく反応し、そのために過ちを犯すことにもなるし、この金は段切最後の山場の伏線でもある)、筋を割れと言っているのではなく、その方が自然な遣い方であろう。二つには、その段切で娘を荼毘に付すところ、「落ち散る障子積み重ね」だから自然なわけで(それを舞台上で見せるのは道具方からしても難しいという事情はあるにせよ)、わざわざ外して死骸に重ねてはそれこそ愛娘も証拠隠滅のためならさっさと始末するように見えて、やはり「前半でやめとけばよかったのに」との感想を抱かせる一因であったと思われる。もっとも、そんなことを詮索させないほど床も手摺も振り回していれば、本作のためになったとはいえ、現代の批評家から苦言を呈されることになったであろうけれど。十郎兵衛は玉佳が代役、続く小鍛治が本役だからよく受けたと言えるがこれも実力の為せる技だろう。なるほど、きっちり遣って破綻もなかったが、休演の玉也ならこのカシラが文七だと何の疑いもなかったところを、語りの影響も大きくて検非違使カシラならピタリだと思われた。これも、その分だけ荒唐無稽な狂言綺語を受け入れにくくさせた一因であろう。目的遂行のためには盗賊と呼ばれても厭わないのが文七カシラであって、これを端正に遣っては理に落ちてしまい、娘殺しも救いようのないものになってしまうのである。やはり立役カシラの大きさとは只者ではなかったのだ。娘おつる(勘次郎)は床相応の出来。もちろんこれは褒詞であって、今回前受けに走れば完全に浮いたものになったであろう。

『小鍛冶』
  刀剣乱舞とのコラボはどれほどのものかと思っていたら、観劇に訪れた刀剣女子の多いこと。興行主に代わって感謝申し上げたいほどである。劇場側も、文楽人形まで作るという気(金)の遣いようであったが、そこまでするなら、舞台に登場させてもらいたかった。実際、ロビーに飾るだけでは、被写体とすべく行列ができていたのはスタンプ台のほうだったから。こう書くと、それは本公演では不可能、別イベントで実現をと切り替えされるだろうけれど、昔東京国立では堂々とカーテンコールをやらかしたではないかと声を上げざるを得ない。もちろん、現行詞章を改変したり無理にその人形を登場させられないことは百も承知している。ここは、閉幕直後に、その人形を上手から登場させて床に勤めさせ(こういう場合はこの時の床=織清介が適役である)、下手にはオリジナルキャラクターをオリジナル声優で映し出し(初音ミクなどのボーカロイドステージのように)、対話させるという演出くらいはしてもらいたかった。こうなると、客数は倍増いや三倍増になっていただろう。国立側もコラボはいろいろと(ビックリマンとか)しているのだが、どうもいつも外しているところがあり、こういうものは宣伝専門企業等の知恵を用いてより効果的かつ効率的(今回なら人形制作に使った労力―時間なり金なり―に見合う)に行うべきだろう。いくら国立劇場の職員が優秀な方々であるとはいっても、餅は餅屋であるのだから。少なくとも、これで刀剣女子を文楽の常連客として取り込もうとしたのであれば、それはこの一件を見てもしくじったと言えるし、ましてや「とうらぶファン」が初めて見る演目に『阿波鳴』を出す(ましてこの床の奏演で)など失敗と言わざるを得ないだろう。とはいえ、この若きファン層の心優しきことは、あの『阿波鳴』に第一部第二部と比較して驚くほどの拍手が送られたことからも明白で(もちろんその比較は意識されてもいないが)、このレベルのイベントでも観劇代に見合うものと納得していただけたのなら、これは劇場側の手柄ではなくファン層の優しき心によるものなのである(この表現が皮肉や揶揄に感じられるのなら、それは書き手の不徳に他ならず申し訳ない)。
  本作は他の景事と比べると面白さに欠ける。理由の一つは、前半が松羽目物になっていて、その荘重な能楽を浄瑠璃に消化しきれていないという感が強いこと。もう一つは、後半の動きが相槌の所作に集約されてしまっていることである。いや、それこそが本作の聞かせどころであり見せ場であるのにと素人扱いされそうだが、その格調の高さが景事として理屈抜きの面白さを削ぐ方向に働いているのである。とすると、逆にそれらを十全に表現すれば、本作は景事の枠を越える力を発揮するということであろう。道八がシンを勤めた古靱の「寿式三番叟」がそうであったように。今回は織に藤蔵(他の掛合)で大きく強くそして派手(この派手という言葉は刀剣女子の口から出たもの)、浴びせ倒しが極まった感があり、稲荷明神に勅使を迎えて潔斎しての御剣打ちという二重三重の神聖さには至らなかったものの、神威という言葉には相応しいものであった。人形の玉助、玉佳も同断。観客の心優しさを踏まえてもあの盛大な拍手は、成功裏に終わったことの証左である。これは人形にもそのまま当てはまり、実際に火花を散らしての相槌がとりわけ目を引いた。なお、神と人との絶対的差異は床も手摺も描出できており、この三業が次代の文楽を支える人々であることに間違いはなかったのである。