人形浄瑠璃文楽 令和二年十一月公演(初日所見)  

 久しぶりの公演云々については、各紙の劇評に記載されるであろうから、ここでは劇場の新型コロナウィルス感染拡大防止対策についてのみ言及しておく。まず、入口を一カ所にして自動噴出消毒液にて手指を消毒し、検温装置の前に立って確認、開場時間を早めて密集を避け、入場時のチケット半券切り取りは各自で行い設置箱へ投入。ロビーの椅子は間隔を開けて一方向(壁・窓側)に設置、と万全である。客席に座ると前後左右が空席(非販売席)になっており、館内放送からは換気方式が100%外気と告げていた。終演後は、出口の密集を避けるためすぐに離席せず指示を待って後方列より順に退場するというもの。消毒液がトイレ洗面台や各所出入口に設置してあるのは当然である。三部制にしてあるのは、客席滞在時間を2時間半以内とし各部間に1時間半の余裕を持たせ、そこで客席等の消毒を徹底しているからと考えられる。なお、食事場所として1階のレストラン跡が開放されている(各テーブルにも消毒液設置)。もちろん、客層はちゃんとマスクを着用する人々であるし、スタッフはマスクの上にフェイスシールドという万全の備え。これは考えられる最高水準の安心安全観劇体制であろう。敢えて言うと、劇場に到着するまでの経路において、初日は夜などハロウィン仮装の若者がノーマスクでしゃべりながら歩いている姿が散見され、大阪地下鉄線内ではマスクの正しい装着率が京都と比較して下がっているように感じられたが、感染は直接飛沫のかかる会食時やノーマスク近接会話時の一定時間の経過が厳重警戒であるから、各人の感染防止意識が徹底していれば大丈夫ではなかろうか。つまり、感染を恐れて劇場での感動体験を手放す必要はないということである。もっとも、感動体験が得られないのであれば来場する必要はさらさらないが。
  さて、以下の劇評は上記の理由、すなわち上演時間を限定した三部制に収まりつつ九ヶ月振りの再開にふさわしい演目を並べなければならないという、劇場側の苦心の跡は承知の上で綴られる。これは、SNSという匿名的泡沫文字列散乱現象の蔓延により、批評行為が非難ましてや誹謗中傷と同一視されるという、メタ行為を理解できない滅茶苦茶な非文化的状況が瀰漫している以上、揚言を含めて織り上げなければならないからである。したがって、三業晴雨表については、上記の理由により判断基準を確固としたものにするのが困難なため無掲載とする。

第一部

『源平布引滝』
「矢橋」
  御簾内そして出遣い、それほどに人形遣いが人形を操る時の表情を見せたいのか、あるいは、人形遣いの顔が邪魔だと発言した人物への徹底した当て付けかは知らないが、ここは黒衣のはずである。その御簾内の床の亘と錦吾はこの場の役目を十分に果たしたと言える。九ヶ月ぶりに聞いてみて、三味線の進捗が明確であった。人形は小まんが勘弥で隙はない。ただし、「懐の白旗取らんと組み付くを」で困惑と受動態を見せたのは、「弱みを見せず言ひ放つ」〜「しつこいお方と引つ外し」の間だから疑問であるのと、「大勢に切り立てられ」〜「差し上げ見すれば」で弱みを見せるのは当然とは言え、この場の不利を敵を欺いて逃れようとする精神の強みが奥に見えなかったのが残念で、「人も知った手荒い女」との詞章が完全には体現できていなかったということになろう。もちろん、そのために男の遣い方になるのは最低最悪でありそんなことは勘弥にはあり得ないから、敢えて書いているのは言うまでもない。

「竹生島遊覧」
  掛合、それぞれを評すと以下の通り。実盛の津国、これで飛騨左衛門をどう語るのか。小まんの南都、もう掛合の女方を担当させるのはやめるべき。左衛門の文字栄、ますます難声だがそれでも語りようがあるはず。忠太の碩、宗盛の小住、ともに特筆するに及ばず。三味線の団吾、途中乱れがあったがとりまとめ役は果たした。人形陣は相応である。

「九郎助住家」
 中、浄曲窟にあげておいたが、小松・叶太郎などが勤めるときっちり切場だと定まる。それだけ陣容が整っていたのも半世紀前のことになってしまった。今回は咲寿と友之助、このイケメンコンビが実力を伴って売り出せるようになると面白いのだが、などと考えていると冒頭の在郷歌が耳に入ってくる。と、なかなか雰囲気が出ていてとりわけ三味線にしみじみとする。人物は小悪党の甥と婆の二人きりで厄介だが、声色物真似になることなく端場の責任をきちんと果たし、それこそ売り出せるのも近いかと期待がもてるものであった。
 次、「世に連れて」から交替。これなら口、中とする方が適切である。ここから「御身の上ぞ労しき」まではその前後と雰囲気が断絶しており、葵御前の愁嘆が通奏低音として響くものでなければならない。靖は依然として低音部が浅薄(価値付けはしていない)ではあるが、錦糸の三味線が絶妙であるのできっちりこちらへ届いている。とはいえ、この場の中心は瀬尾太郎であるから、その描出について記さなければならない。錦糸に弾いてもらうようになってからは、文字通り矯める指導で上っ面をなぞったり調子に乗ったりなど厳しく戒められているのだろう、かつての面白さは消えているが、いつも言うとおりそれがまさしく三代清六が古靱を指導していた「合邦」「堀川」のSPなとを聴くと同様の感覚になるのが不思議なところである。とはいえ、「胸に思案が…」のところは面白くなければ性根(部屋住みの時に女を懐胎させる、もっともこれは弁慶の鬼若丸も同様だから、豪傑を表現するステレオタイプと言えなくもないが)が出ない。加えて、「わけてけにくき」とある憎らしさも今一つで、「清盛公の仰せ」など事実を述べているに過ぎないと感じた。あと、「もしや娘の肘か」は音の高低に疑問があった。しかし、「てつぺい押し」の方は描出されていたし、爺婆ともども声色使いや物真似には決して堕していないから、あとはこの基礎過程講習の卒業を待つのみというところであろう。
 前、何度でも繰り返すが、呂太夫はもはや切語りである。ここまで昇進させず引っ張ったのが特定の人物の意向によるものとは思わないが、誠に遺憾である。令和新時代の紋下格はまずこの人なのだ。とはいえ、過去にも伊達大夫が切語りとならなかった例があり、もはや切場を何回語ったかの算術的なものでしかないのかと思わせる程度のものなのかもしれない。今回も、三段目切場(前半)を語って名実ともに揃ったとの感を一層強くした。かつて、この後半を勤めたときに、当時の実力からしてどうかなといささか懸念したが、その思いを吹き飛ばす快打を放ったのであったが、今日、安心して浄瑠璃義太夫節に身を任せられる一人(もう一人は言わずと知れた咲太夫である)になったことで、十一代襲名披露が切語り昇進と同時に行われる予定であるからかとまで思うに至った。実盛物語の面白さ、「人々の愁嘆」との詞章そのまま、小まん蘇生の納得、どれをとっても切語りのものであった。そこには、三味線を弾く清介の好サポートがあったことも言を俟たない。
  後、錣の難声はしかし浄瑠璃義太夫節として自然に耳へ入るし不安もない。要するに浄瑠璃が血肉化しており個性として確立しているのだ。ここが、若手陣―大音強声だが浄瑠璃義太夫節として不自然とか、そもそも旋律が辿れていないとか―とは決定的に異なるところである。このところ相三味線といってよい宗助がまたちゃんと弾くから、このコンビとして切場(後半)を勤めるのは納得がいく。作品が一流であるから、その一流であることをそのまま伝えればよいのであり、それが出来ている。しかし、このことは実に難しいのであって、大抵は活かしきれないか殺してしまうことになる(実力者だと我田引水になる)のだ。もっとも、津・寛治なら九郎助の描出などこれしかないと膝を打つレベルとなるのだが、とにもかくにも、布引滝三段目の切場が名作であり、何度も聴きたくなるものだとあらためて実感させ、満足のうちに打ち出しとなったところに、この床の真骨頂が現れているのだ。「死と再生の物語」、そういうことも頭へ浮かんだのは、この切場が相当の水準であったことを示している。それは直接的には小まんのことを指してはいるが、究極的には一段の立役である実盛のことを指す。「篠原の土となるとも名は北国の巷に上げん」と詞章にある通りである。そして、その詞章は中世の軍記に端を発して謡曲となり、近世にはこの浄瑠璃として、現代においても上演されているのである。
  人形陣について。実盛の玉男は叙勲に値する出来である。乗馬も見事であった。それでも敢えて故師との差を言うと、瀬尾の最期に体を背けているところ、縮こまっては葵御前や婆と同じになってしまう。馬上「加賀国にて見参見参」で扇を高く上げて極まるところが鮮やかさとキレに欠けていたというところか。他の人形は相応によかったが一点だけ。太郎吉が「持つた指を一本ずつ放せば放れる」との詞章をそのままやって見せたこと。ここは、「手をかくれば、たちまちに、五つの指は一度に開き」と書いてあるように遣わなければ、下座のドロドロも効かないし、第一に母の思いが通じる奇跡が無になってしまう。一本ずつ放そうとした指が手をかけるとパッとすべて開く、それに一瞬驚いてしかし旗をそのまま取るという遣い方でなければならない。これもまた何度も書いていることだが、人形が一字一句詞章を忠実に再現しなければならないというような表面的なことではなく、その通り遣わないと作意も主題も情感も伝わらないからである。戦後の心理主義的遣い方ならば、そのことは百も承知のはずである。詞章を何度も読み深く読み込まなければならないのは、人形遣いも同じなのだ。

第二部

「野崎村」『新版歌祭文』
 「あいたし小助」と別称があって勤め甲斐のある端場。ここも、松香や小松また相生に伊達路などが勤めていた時代は、まさにその通りであった。今回の睦勝平は顔順(経験年数)からして順当であり、とりわけ三味線は相応であった。太夫について、自身が訛りの不利を語っていたように(とはいえ、それを言うと古靱太夫も同じことになるのだが)未だにそこここに聞こえるが、問題はそれよりも深いところにある。それは、冒頭久作のコトバが一本調子とか、「ひよかひよか野崎村」「ホンニこちらのことに」の語りに違和感とか、小助への久作のコトバがただ説明しているだけとか、音の辿り方におかしなところが散見するとか、その類いのことではなく、とにかく聞き終わってほとほと疲れたということである。声が大きくよく通り低音も十分耳に響くからなどでは毛頭ない。マクラからオクリまでヒヤヒヤの連続で(とはいえ、もうこんなもんだと諦めて聞いているからヒヤヒヤしないというのとは違うからまだよい)、これだと眠くなることはないなどと揶揄するつもりはないが、聞いていて楽しむとか満足するとかの土俵には上がれそうもない。今のところ時代物初段か三段目の端場(掛合含む)以外は合わないのではないか。つまり、筋書きを整えるという点においては最適であるということなのだ。この九ヶ月真面目に稽古し精進してきたのであろうが、それは浄瑠璃義太夫節のシャワーを浴び続けることとは異なっていたのではないかと思われるのである。それは、以下の考察によっても導かれるものと思う。久作が小助に浴びせたコトバ「わごりよにはぐつと馳走もあれど」、この「わごりよ」を「わごれ」と語った(少なくとも自分にはそう聞こえた)ことをどうとらえるか。確かに丸本にも「わごれ」とあり、浄瑠璃本をきっちり読み込んでいる証拠でもあり、なるほど、この太夫はあの「身替音頭」復曲上演の際の端場を担当し、当日は床本を見ず暗記して語っていたほどの努力家なのである。しかしながら、これまで劇場の椅子やスピーカーの前に座っていて「わごれ」に一度も反応することがなかったのは何故かと自問せざるをえないのは、即座に確認できた音源では小松が「わごりよ」と語っているように、過去の公演でどの太夫も「わごりよ」と語っていたのではと思うからである。「わごりよ」いう語はたびたび出て来る語であるし、人称代名詞であるから使われる場所が面倒ということもない。いわば、浄瑠璃義太夫節を語っていく流れでそのまま自然に口をついて出て来るものだろう。今回の「わごれ」は故師直伝のものなのであろうか。あるいは、山城少掾の如き原典尊重精神の為せる業なのであろうか。そしてそれらは、浄瑠璃義太夫節のシャワーを浴び続けた必然的結果なのであろうか。こういうこともあるから、そして将来を期待される太夫であるから、常にヒヤヒヤしながら聞かざるを得ないのだ。訛の重いテツにしても、それを克服した太夫は数多くいるわけで、それこそ多く聞き多く語る以外のなにものでもなかったはずである。文楽に通い始めの頃、京阪電車を利用していたのだが、千歳の姿をよく見かけ、いつも彼は浄瑠璃義太夫節をつぶやいていた(本当は語りたいところだったのであろうが、さすがにそれは公共の場では憚られよう)。名人上手の録音を聞くことは、対面稽古である以上許されていないのかも知れないが、趣味で聞く分には師匠も咎めはしないだろう。巨匠ピアニストであったバックハウスは、暇なときには何をしていますかと問われ、ピアノを弾いていますと答えたのだ。さしずめあの時に見た千歳のあり方がそれに叶っているであろうか。と、ここまで来て、また書いてしまった、これで何度目だろうと反省せざるを得なかった。いい加減しつこいというか、執拗に過ぎるのではないか。努力家であり勉強家でもあることは明白ではないか。しかしそれでも、いやせめて今回は、コロナ禍を押して劇場を訪れたのであり、九ヶ月ぶりというブランクがどうプラスになっているかを見極めたくもあったから、お許しいただきたいと思うのである。
  前、「野崎村」は難しいと再確認した。とりわけマクラから供のおよしのコトバまでである。今回「切つても切れぬ恋衣や、元の白地をなまなかに」がどこからお染になるのかが判然としなかった(浄曲窟にあげた山城は「切れぬ恋衣や」から)。また、例の灸を据えるところ、まず久作の造形が相当の年輪を積まないと困難であることに加え、登場人物すべてにおいて、ありふれた日常風景でありながら非日常が絡んでいるという実に厄介な代物である。と、ここで思い起こせば、先代呂大夫の訃報を聞いてガックリとこの世の無常を痛感し、天道是か非かと叫ばざるをえなかったこと、そして今度は呂勢までもが病に倒れるという、もし万が一のことがあれば天予を喪ぼせりと慟哭し、もはや劇場に通う気など失せてしまうに違いないと落胆したのだから、今回の復活は何よりもうれしいことであったのだ。しかも、清治師がちゃんと呂大夫への思いまで込めて(たぶんそうに違いない)弾いているのだから、浄瑠璃義太夫節のマクラから前半がいかにしんどいものかというよく知られたことを、敢えてここに記す必要もなかったのだ。それでも書かざるを得なかったのは、この難題を解くことが可能な名人の域へとどれだけ近づいているか、期待するところ大であったからだろう。もちろん、その期待は裏切られたのではなく、次へ持ち越しというレベルのものであったのだが。しかし、その期待はお染のクドキに至って現前化した。極上と称して良い。詞章と節付が完璧に再現されていた。ということは、単に満天下の人々が風呂屋の湯船でサワリを唸るような名調子(現代の摂津大掾)というだけではなく、お染の衷心衷情が伝わることにより、久松はもちろん世の男どもはすべてお染との恋を貫き通す=心中を決意するに違いないと思わしめたのである。まさしく「悪縁深き契りかや」であり、後に久作の異見を聞いても「心の覚悟」が変わらないのは当然と納得するものであった。逆に、その分比較してお光の描出が物足りなかったことは否めない。
  切、婆が出る完全版であるが、婆が出ない「野崎村」は偽物であることが今回明白となり、婆を語れることが浄瑠璃義太夫節を語れることに他ならないという芸談の真意を知るとともに、紋下格を超えた受領級の語りというものを経験する奇跡が現出した。咲太夫と燕三の床である。久作が出るやそのコトバ「下にござりませ、下にゐや」、もちろんお染と久松への語り分けであるが、自然にして鮮やかゆえにハッとする。語り分けのないのは論外だが、作為的な語り分けではたちまち興醒めして舞台と距離感が生じてしまう。つまり、ここで早くもその語りに取り込まれたことになる。スッと浄瑠璃世界へ入れる、この幸福感はそうそう得られるものではない。久作の異見は緩急強弱硬軟自在の身にしみるものだが、前場でのお染のクドキが完全であることもあり、両者の久作への返答が実は互いの心の確認そのものであることが如実に伝わる。そして婆の登場となる。そのコトバの心からなる喜びが実に切ない。この婆のために話が暗く陰気に鬱陶しくなるから出さないということなのだが、今回の語りは聞く者の目を涙で潤ませるもので、これはあの古靱(山城)に比肩するものであった。ゆえに、お光の切髪を見たときの衝撃は、舞台上の三人はもちろん観客の胸にも起こったのである。これがお染久松の胸に突き刺さらないはずがない。加えて婆の述懐により悲哀が際立つから、「膝の堤や越しぬらん」との地の文が誇張でなく見事な比喩として聞く者の胸に収まるのであった。こうなると、お染は死ぬしかないと行動に走るのは当然(久松が動かないのは、これでお染の山家屋への嫁入りが名実共に決定的となったと自得するばかりであるから)、しかし「義理と情と恩愛の締め木にかかる久松お染」と詞章に書かれるとおり、「死ぬることさへ叶はぬ」のである。さて、段切はご存じツレ弾きの入る華やかな「野崎」であるが、このまま繋いではちぐはぐになる。そこで登場するのがお染の母である油屋お勝で、彼女によってこそ話は収束が付くのであり、ここがいい加減だと一段は取り散らかったままの状態になる。「イヤそれには及びませぬ。母が確かに受け取りました」この一言ですべてが手中のものとなる、いわば神の手の如き存在であって、この場の誰もが有無なくその言に服するのである。この威厳はそう簡単には出せないし、作為が見えればまとまるどころか空中分解してしまう。その後は「哀れを余所に水馴れ棹」から段切になり、「船にも積まれぬ」のコトバもノリ間で運ばれるから、変に情を伝えようなどとすれば瓦解すること必定である。このあたりもすべて咲太夫の語りは完璧であった。古靱(山城)―綱―咲と系譜が紛れもなく書き記されたのである。その場に立ち会えたこと、万感胸に迫るものがあった。なお、ここまで三味線について取り立てて言及していないのは、それが逆に咲太夫の相三味線・女房役として万全であることを意味しているのであって、燕三への賞賛は記して余りあるものであること言を俟たない。
  人形陣、主要の四人は敢えて言うに及ばず、今回は簑助師のお勝、ならびに勘寿の婆の名を書き留めておきたい。理由はもちろん、正真正銘の「野崎村」が完璧に上演された最大の功労者たるからである。

「釣女」
  今これを出す必要はどこにも見出せない。パンフレットに長官が「時代物、世話物、松羽目物」と書いているが、これはもちろん劇場側が用意した台本に従ったまでであるから、劇場側の意図が不明と言わざるを得ない。そのような三つ並びは常識でも何でもなく(歌舞伎のことは知らない)、そもそも狂言の力を借りなければ九ヶ月ぶり再開の幕を上げられなかったのかということである。しかも、この「釣女」の醜女を現代の観客の誰が笑い飛ばすことが出来るのか。いや、そんなことを言うのは浄瑠璃自体を封建時代の産物として忌避するのが当然などという妄説と同じではないか、との声が聞こえてくるが、両者はまるで次元が異なる。文楽の「釣女」は詞章はもとより節付や人形の型からも明らかなように、醜女を釣り上げた太郎冠者を笑うにとどまるものではない。執拗なまでに醜女を笑い飛ばすように作られている。いや、そんな堅苦しいことを庶民の娯楽である文楽に対して言うこと自体が的外れだ、と今度は言われそうだが、では、実際の観客にこの「釣女」で心底どれだけ笑えて(まさか、本作が笑いの底にある悲哀を描いたものなどという解釈はとれまい)、再演をどれだけ望むが尋ねてみればよい。それでも松羽目物が必須というのなら「靭猿」になるはずだ。コロナ禍にあってのこの話は観客の心に染み入るに違いない。いやいや、染み入るのは「野崎村」で追い出しは陽気かつ軽快にと言うのなら(まあ、この発言自体が「野崎村」段切の意味をそもそも理解していないのだが)、それこそ「釣女」の正体を暴露しているわけで、そのことは脇に置くとしても、該当する景事は他にいくらもあるのだ。ここのところ三年おきに「釣女」が上演されているが、時間調整以外の何物でもあるまい。観るのなら本物の狂言「釣針」か、現代の観客も心底笑えるよう工夫された歌舞伎舞踊「釣女」かのどちらかである。少なくとも、中高生相手の鑑賞教室に本作を出せば反応がどうなるか、言わずもがなであろう。
  ということで、三業の成果についてわざわざ触れる気にもならないので省略する。もちろん、上記について三業は何の責任もないのは当然のことである。

第三部

『本朝廿四孝』
「道行」
  これもまた、出す意味が時間調整のほかには考えられない。と書くと、四段目として通すという大義名分が目に入らないのかと嘲笑されそうだが、そもそも劇場側にこの種の大義名分があるかどうかは、これまでの演目の建て方を示せば一目瞭然であるし、だいたいが西亭作曲というところに、全段通し以外にここを出す理由は見当たらない。しかも、道行の持つ華麗さが微塵もないのはパンフレットの鑑賞ガイドにも記されている通りである。かつ、上演稀少演目という理由を持ち出すなら、なぜ「竹中砦」を自ら上演できなかったのかと逆に問い糾されることになろう。
  ゆえに、これについても三業への言及は控える。

「景勝上使」
  希と清丈、これまた顔順のみの割り当てかと、前場に続き無表情で客席に座り続けなければならないものと思っていたが、マクラを聞いた途端にその非を悟った。立派なものである。鬼一と文七と大舅のカシラしか出ず(「角立つなかに〜鋲乗物」は例外として除く)、しかも四段目の足取りにもならないこの場なら、それこそ「野崎村」端場の床と入れ替えるのが適切であろうと、九ヶ月前までの公演により経験を重ねてきた人なら誰もが考えるところである(加えて、「釣女」の美女を先刻聞いたばかりならなおのこと)。ところが、その予想は覆され、なるほど「三月聞かざれば耳掃除して聞け」と格言にもあるとおり、次席紋下による稽古に励んだ成果は、聴覚神経を通して見事脳内定義を新たにしたのである。と、この戯文的叙述は自らの誤判断を恥じ入ったが故の自嘲である。

「鉄砲渡し」
  前場に引き続き鬼一と大舅の腹の探り合い、しかもほとんどがコトバである。にもかかわらず駒太夫風に節が付け替えられている理由はただ一つ、次場「十種香」へここで四段目の足取りにして接続するためである。芳穂と清志郎はよく心得てその責を果たす。これは顔順もあるがその期待に見事応えたのがすばらしい。ただし、オクリを聞いた時点では危ういことこの上ないと感じられたのも事実であったが。

「十種香」
  非の打ち所がない完全体であった。これが五代目襲名披露狂言だと言われても全面的に納得できる。敢えて言えば「可愛らしい仲かいの」が物足りなかったということくらいだ。では、これで現代に摂津大掾と広助が再来したと言えるのかというと、それならば、浄曲窟にあげた春子と勝太郎による奏演の方がそれに該当すると述べざるを得ない。これはどういうことか。千歳が富助の三味線によって極上の「十種香」を語ったことは揺るぎようのない事実である。一方、春子と勝太郎に「ビードロ甕の中で金魚の泳ぐように」感じられたのも真実である。その違いは、時代性によるものなのである。
  「山科」は、降雪のあった冬の日もようやく庭木の雪が溶けるほどになり、和室(という言葉自体がすでに時代性の違いを物語っているが)の障子を開いた丸火鉢一つの暖の中、三人の女性(それぞれの立場と胸中の思いについてまでは言及せずにおく)が一室に集うという状況が実感できなければ、押し付けと仕返しの口論場に堕してしまう。漱石の「こころ」もまた、冬の日に昼前の長火鉢を挟んだ対話等々という各場面設定が胸に収まらないと(頭で理解するのではなく)、三角関係を巡る友人の出し抜きということで終了するだろう。漱石は「山科」の状況を自然に実感できたであろうし、昭和四十年代までの日本を体感している者ならば「こころ」の設定をこれまた普通に実感できるはずである。言わば、この二百五十年の懸隔は連続しているが、そこから現代まで五十年の間隔は断絶しているということになる。昭和レトロが令和の時代にウケているのは、それが通時的連続体にある古ぼけた過去ではなく、共時的に断絶した新しい異文化として受け取られているからである。宮部みゆきの時代小説を読んでも、現代の若手俳優陣が演ずる時代劇を見ても、違和感を覚えないというのは、それを後者と認識している(という認識は当人にはなく無意識のうちにである)からである。とすれば、文楽が生き残る道も自ずと示されていることになるのだが、その生き残りというものが連続体ではないということも忘れてはならないのである。
  もっとも、こんな考察をせずとも、千歳にはまだ安心してその語りに身を委ねることができないから、今回の「十種香」も一節一節二重丸を付けていくことになり、そのように感じられたのであろう。ゆえに、もう一度客席に座ればその床に摂津広助の幻を見ることにもなるのであろう。とはいえ、明治と昭和四十年代がともに毛筆の「十種香」であったなら、平成・令和のそれは美麗フォントのそれであると言わざるを得ない。これは、機械的だとかましてや非人間的とかいうことでは決してなく、年賀状がまさにそうであるからということに過ぎない。すなわち、「くわ」「ぐわ」音が語りから失われたのは、日常的にそうであるからということに等しい。太夫で言うなら、文字大夫と住大夫とは彼岸と此岸の関係にあるということでもある。次の「奥庭狐火」に関しても、落語の「七度狐」がさもあり得ることとして受け取ることができるかどうか、墓地に人魂を見、街灯のない真の闇とそれ故の月明かりを身に沁みて経験したかどうか(これは「富岳百景」に響く下駄の音、すなわち太宰の理解にも直結する)。もちろん、今「十種香」を語り弾き遣う三業はその経験を共有しているだろうが、問題はそこではなく、劇場を後にした帰り道にもはやそれらは経験できないということである。これは、音楽的側面にも当てはまり、小学生に自由に作曲させてみるとすべてヨナ抜き音階になっていたという時代とは、平成・令和の日本は完全に断絶してしまったということなのである。
  人形陣は、勘十郎の八重垣姫はその床と相まって初々しい恋心を見せた。これは「オボコな色気がなくてはイケません」(「素人講釈」)と大掾に語った団平の言が現実化されたことになる。これだけでも、今回の「十種香」が歴史に残る超絶名演であったことは間違いない。勝頼の玉助も上出来で、濡衣の簑二郎は、かの越路喜左衛門での文雀に比して千歳の濡衣として相応であった。もちろん褒詞である。

「奥庭狐火」
  勘十郎が遣い、藤蔵が弾いて、織が語る。このゴールデンいやプラチナトリオ(寛太郎のツレ弾きとともにカルテットとしてもよい―琴は名手との認識がなくクインテットとは書けない―)を見逃し聞き逃すのは一生の不覚である。これで打ち出されれば、世情の憂いもしばし忘れるであろう。これを今回の第三部に配したことは絶妙というしかない。三業の成果は、柝頭とともに起こった満場の拍手が如実に物語っていた。
  帰宅する電車の中、雑音よけの意味もあって前述春子勝太郎の跡場を聞いた。ライブ音源であるから、人形の動きも再現できる。と、これは八重垣姫が恋人勝頼の危機を救うため必死の言動を描いた場であることが前面に押し出されたのである。これも当然至極今更何をという物言いだが、床の浄瑠璃義太夫節が中心ならではの発言である。今回はどうであったか。跡場であるし勘十郎であるし狐であるし、人形が中心で何も問題はないし、問題どころかそうであるから客席全員がその芸に魅了されたのである。もちろん、黄金の床であるからに違いないのだが、この感覚もまた、毛筆という実感が春子勝太郎にのみ存在したことと同類なのである。幅とか奥行きとか深さとか、別に現代が狭く細く浅いというわけではない。価値尺度が異なるということである。そして、その尺度には二百五十年の連続と五十年の断絶とが存在するということである。ゆえに、今回人形が中心と感じたのは真っ当な価値観によるものであるし、床の奏演を過小評価していることにもならない。実際、この床ならずしていったい誰が今回の大成功を導くことが出来るというのか。しかし、この跡場が前述の意味を持つと第一義的に認識されたのは春子勝太郎の奏演によるものであるならば、やはり、文楽が現代日本で脚光を浴びるために取るべき方策は自ずと明らかになろう。過去において全国鉄道輸送に有用であった蒸気機関車は、すでにその目的を終えたが、観光用として現代においても限定的に有用となっている。では、文楽における過去と現代には何を比定すべきなのであろうか。ただし、過去からの連続線上にあることを良しとする者は、その答えを出す任にないことだけは確かである。