人形浄瑠璃文楽 平成卅一年一月公演(初日所見) 

最初にお断りしておくが、毎公演客席で視聴した詳細をメモしている床本を紛失したので、三業陣の実名を記すことは避けた。曖昧な記憶(しかも年々とりわけここ数年衰えている)を元にした評言であるゆえである。なお、イレギュラーであることを段落冒頭一字下げをなくすことでも示した。したがって、晴雨表も空欄のままとしている。

第一部

「二人禿」
弾き出しの三味線が鮮烈、二枚目以下もよく揃っている。そしてマクラで愁いを通奏低音として響かせる(あくまでも底を流れているのであり、表面化してはならないが、それもよく心得ている)シンの三味線の実力は確かである。シテの太夫は悪くないと思う。次回また掛合から卒業したら真価を確かめたい。もちろんそれでダメならもうずっと掛合要員ということになるが。人形は、片方が愛らしく可憐である、というかずっと見てきた禿の路線上にある。驚いたのがもう片方で、いつから二人禿は万歳になったのか。鈍重かと思えば急にパタパタと動く才蔵がそこにいた。これは足遣いにも責がある。この動きなら二人禿なんかやめてUSAを踊った方が客席もバカ受けしただろうに。惜しいことをした。

『伽羅先代萩』
「竹の間」
まず人形がすばらしい。八汐は人を人とも思わぬところが身体の傾きとアゴの上げ具合で如実にわかる。もちろん所作も憎々しいし軽薄卑近でもあるのは出自による。同じカシラでも岩藤とは異なるところだ。沖ノ井は凜として一本筋が通っている。色分けで言うと典型的な白方であるが、主役は政岡だからワキとして理想的な立ち位置にいる。この人はこうやってハッとさせられることがあり、これが常態化すれば幹部候補生だろう。小巻は本読みがよくできていて性根を見事につかんで描出できていた。若手のホープと言われ続けて久しいが、ようやく本領発揮というところか。次回公演でそれが本物であるかどうかが判断されよう。肝心の政岡はこの端場で書くのは控えるが、今回初めて乳母というのは地位身分としてそんなに高くないということがわかった。床は人形に準ずるが、鶴喜代で涙を誘うには至っていない。それから、ヲクリを「ふすー。まー」と語らず「ふすまー。あー」としたのがよい。ヲクリは最後の一字を次へ送るなどという妄説を脱したことを高く評価する。コトバ(地色詞の詞に限らない)はツメて語るものだ。と、感心していたら幕が締まるではないか。そういえばさっき柝の音が聞こえた気がする。いやいや、ここはヲクリである。まさかそんなと思っていたらここで休憩であった。ヲクリ=人物交代で幕を引いて休憩とは。せめて場面転換の三重に変えるべきだろう。もちろんそうなると、「御殿」で四段目風ヲクリが弾かれず「御殿」の格で始められないのは確かだが、そこはそれ、ここで幕として休憩を入れることにした方の責任である。無論、お食事タイムを入れなければならないのは必須、だからといって浄瑠璃義太夫節としておかしなことになってもよいというのは違うだろう。いや、おかしなことになっているとは思っていない気付いていない知らないのだろうか。お陰様で、こちら側の腹を満たした観客が舞台上でひもじい思いをする子どものやせ我慢を微笑みながら楽しむという前代未聞の情景が現出したわけで(舞台は「竹の間」のまま時間が止まっているのだから、「竹の間」抜きで「御殿」からを食事休憩後に見る場合とはまるで意味が違う)、長い間劇場通いをしていると、いろいろな新体験をさせてもらえるものだと、我ながら感心せざるを得なかった。

「御殿」
床は全体としての足取りがよかった。それゆえに退屈もせず眠くもならなかったのは一徳である。しかし、ざわざわした騒々しい御殿であったこともまた事実である。政岡という人は感情の起伏が激しいようで、これでよく千松惨殺に表情一つ変えないものだと、どうも二場で人格が分裂しているようにも思われた。また、これまでずっと御殿の場の三人だけの空間は一種のアジールだと感じられ、それだけに外部空間に対しての一種張り詰めたものと静謐さならびに神聖さ(真正さ)があったのだが、今回はその目に見えぬ外圧=毒殺騒動などどっかへいってしまって、空腹と握り飯を巡るお芝居になっていた。加えて小動物が活躍するものだから、客席も楽しく愉快に反応し、エンターテイメント御殿を初体験させてもらった。だからそこここで政岡が急に泣き出すのが何とも奇異に感じられたのである。人形もそれに引き摺られて気の毒であったが、人形自身も、例えばまま炊きの際の所作に疑問を感じた。随分慌てて作っていたが、のんびりしていられない事態というのはわからないでもない、とはいえそれが政岡がじたばたしているように見えてしまうのだ。袋から米を出すその音に気遣うのは当然だとして、それが政岡を落ち着かせて一層気を配らせるのではなく、慌てぶりに拍車を掛けるものとなっていた。ちなみに、千松も反応が遅れたりズレたりなかったりすることがあった。鶴喜代は何と言っても子どもであることはよくわかったが、あれでは政岡の育て方に太守としての配慮が少々足りないのではと思われた。結論としては、浮き足だった御殿と総括でき、なるほど人形の所作といい節付けといい詞章といい実はこんなに楽しく愉快で起伏に富んだ一場だったのだと、よくわかって有り難かったと感謝すべきなのだろう。これもまた平らに成った時代を締め括るものとして(起伏と平らは正反対ではないかと言われるであろうが、わかりやすい表現で陰影や深遠さがなくなったという意味の平らに成るであり、二次元化と言ってよいかもしれない)象徴的であった。

「政岡忠義」
切の字がつかなかったので奥ということになるのだろうが、それでは前の顔が立たなくなるから後と表記することになる。その後場は前場を喰ったと言っても差し支えはなかった。「竹の間」の描出がそのまま活きていて、「出かしゃった」で手が来たのも当然である。しかし、肝心のクドキの足取りはいただけない。あのように説明的に語ったのでは(文字通り口説いているのだからメッセージは伝わらないといけないが)浄瑠璃義太夫節が死んでしまう。古靱が清六の絃で文五郎の人形を動かしている映画を見たことがあるが、あの古靱がまさにここで伸び上がったり体を揺すったり見台をつかんだり叩いたりしていたのだ。それほどにこのノリは「出かしゃった」よりもはるかに重要なのである。今回、ひょっとすると前場がバタバタしたからこのクドキで心情説明を丁寧にしておかねばならないと思ったのかもしれないが、やはり、「千年万年待ったとて」と「ことわり過ぎて道理なり」で手が鳴らないようではいけない。まさか「情」を語る病に罹患したのではあるまいが。それにしても、人形はここでもというより前場以上にすばらしく、栄御前など完璧というか至高というか、大抵は権威に拠って男になるか奥方に傾いて権柄に弱さが出るかなのだが、両方を見事に体現していて驚愕せざるを得なかった。政岡は今回ワキやツレによってシテに仕立ててもらったという印象であった。なるほど、人形陣の中にあって自然と光り出してくるもの、それが人間国宝だと言うことである。もちろんこれは褒詞である。とはいえ、栄御前とは段違いの差があったことも事実である。それは人形遣いの個性によるものであるのかもしれないが。

『壺坂観音霊験記』
「土佐町松原」
御簾内は当然として舞台は黒衣にすべきだ。年々出遣いが増えておりさすがに目障りと某氏ではないが言いたくもなる。まあしかし、ここのところ文楽は人形陣で保たれているようなものだろうと反論さられたらぐうの音も出ないから、今回はこの決定的事実をお見せしたということなのだろう。さて聞いてみると、太夫は御簾内レベルではなく、三味線は手数を弾くところよりも一撥で情感を出すところに長じていてこれからが楽しみ。人形については別段語るところもないがそれでよいのである。

「沢市内より山」
前、弾き出しの地唄からこの三味線はただものではないと感じたが、三重まですっかり堪能し、これほどの三味線がかつてあっただろうかと、節付けした団平の意図を十全に表現したと言っても過言ではなく、かつ、三味線を際立たせて聴かせるというのではなく、一段の浄瑠璃義太夫節(この一段に必然的な自然な流れの中で)を見事に弾き活かすという意味での極上値であったから、盆が回るときに思わずうーんと唸り声が出てしまった。プログラム鑑賞ガイドに「地唄…自らの不遇やお里への負い目や嫉妬など沢市の複雑な胸中を暗示します」とあるが、まさにその通りであった。世話物の三味線として新元号随一と列伝中の人となることは間違いない。一々詳述したいところだが、メモしておいた床本を紛失したのが何とも残念至極。一点のみ記すと、「労はり渡す細杖の細き心も細からぬ」この細杖の細き心が三味線を聞いているだけで見事脳裏に浮かぶ(その象徴性とともに)という、もはや究極としか言いようのないものであった。そして今回、「壺坂」は沢市が語られていなければその極地に達することはできないということを痛感した。これは、お里と沢市の片方だけではダメと言う話ではなく、沢市の心情描出がこの作品を深めるツボだと言う意味である。太夫はさすがにこの三味線に対してはあまりにも若いし未熟ではあったが、しかし沢市が語られており映っていたから、この前場が活きたのである。そう言えば、津大夫が道八の三味線で語った「壺坂」も、沢市の真情がひしひしと時には剥き出しに伝わっているから名品になっているので(津大夫は他にも「吃又」の又平がすばらしく、これについては「文楽補完計画」で詳細に記した)、この若手ホープの太夫も、沢市の「生まれついたる正直」という基礎の上にある複雑な胸中を精一杯に演じて、この亭主に連れ添うからこそお里の値打ちは十倍にも百倍にも跳ね上がるのだということまでも実感させてくれた。
奥、とにもかくにも段切りの万歳が飛び切りで、正月公演の追い出し狂言としてこれほど相応しい演目はないと、もちろん観音霊験譚、至上の夫婦愛の描出と併せて、痛感することとなった。お里の表現も、団平が踊りながら殺したというそのところを見事に弾き活かし語り活かしていた。ただ、沢市については不足はないものの通常のレベルに止まっていた感があり、そのためにお里のクドキも観客が手を叩くというところには至っていなかったというところか。それが、作品自体の物足りなさとまで感じさせてしまうところが恐ろしいところで、これはまたよく言われる詞章の未熟さなど所詮は明治期の新作ということではなくて、床と手摺の描出力によって、この作品は大きくもなり小さくもなる。三大名作のように作品の力で三業が救われるということがないという意味において、試金石となる恐ろしい作品だというわけである。その点、前も奥も正真正銘の金でありメッキではないことは確かなのだが、前の太夫が鉱脈中の原石で、奥の太夫が延べ棒であり、両場の三味線こそが芸術作品として仕上がった黄金という格であったのだ。なお、人形に関してはお里沢市ともに床の出来に準じたものであった。

第二部

冥途の飛脚』
「淡路町」
またしても鑑賞ガイドを引き合いに出して恐縮だが、この一段を「不吉」の予兆や雰囲気や印象で片付けていることにはまるで納得がいかない。なるほど、当作や「天網島」の男に対し、こんなのと一緒になりたくないと言う女性陣というよりも常識的現代日本人の視点からすると、公金横領の罪で刑死する未来は不吉でしかないのは当然であるが、もし忠兵衛が常識人ならこの芝居自体が成り立たないし、八右衛門の言う大坂町人の嗜みとして遊郭通いをする程度のものであったら、梅川は田舎客に受け出されて終わりという、真実の恋に生きることができない結末になるわけで、それこそ「傾城に誠なし」を禿に唄わせる近松の意図も水泡に帰すことになる。第一、節付けにはそのような意図はまったくないので(もちろん、「御損かけては忠兵衛の首が飛ぶ」「六道の冥途の飛脚」と暗示的詞章は当然に用意してあるが、前者は忠兵衛の愚かさ―実は近松の筆はそれよりも深いところ、刀の威光という形式(法律や世間体)に縛られた田舎武士とは対照的な、柔弱であるがゆえに純であり、結果的に梅川の純愛を成就させる男―を浮き彫りにし、節付けからすると後者などはむしろ調子に乗って転落していく足取りになっている)、ガイドの記述は的外れと言わざるを得ない。それはさておき、三業の出来であるが、口の床は鮮烈よりも素朴が生きるという感じであり、口(端場)の使命である筋書きをきっちり客席へ届けるという点において合格と言える。したがって、冒頭飛脚屋の多忙さや引き続いて忠兵衛の色男に成長した様子、田舎侍・手代・使い・妙閑・丁稚小物など個々に際立たせるには至っていなかった。この場相応の格であり出来であったと言える。奥、まず三味線が秀逸。「籠の鳥なる」から音色と撥遣いで廓、梅川、忠兵衛の連鎖を聞かせる。これだけで並の三味線ではないことが一目(一聴)瞭然。駄荷の到着に活気付く飛脚屋の描出も見事だが、「金懐中に羽織の紐」からが極上で、これを聞くと、ああこの金こそが忠兵衛を梅川の所へ飛ばす翼なのだということが明快で、もうこの段階で忠兵衛の心は廓の方へ向いているのである。もちろん頭の中では理屈の上においては堂島の屋敷に向かうという設定にはなっているのだが。つまり、ここは奥の冒頭忠兵衛の出と対になっているのであり、その証左には、詞章上においても「忠兵衛はとぼとぼと外の工面内の首尾」と金に困っての帰宅と対応しているのである。同じ廓の音色と撥遣い聞かせる三味線も、足取りがまるで違っており、段切りはもう金を懐にした瞬間からふわふわと浮ついているのがよくわかる。それにしても、この羽織落としは詞章に明記はなくまったく舞台上独自のものだが、堂島屋敷へ行くべく結んだ羽織の紐がほどけるという見立てをして役者は流石である。犬に吠えられるのも浮かれ歩きゆえ、吠えられるのは当然警告の意を含むが、石を投げ付けるのも上機嫌だからこそ。ここで不吉を予感する観客がいるとすれば、よほど理性的な常識(社会制度に雁字搦めで、現実という座標軸によって定められた空間において、与えられた座標の一点にしがみつく)人で、心中物も教訓話として持ち帰るのであろう。太夫についてまだ触れていなかったが、八右衛門がよく映る。悪人ではないが陀羅助カシラだから善人に演じてはいけない(切場の太夫はそこに陥りかけていた)。ドラえもんのジャイアンのように俺様第一主義でワンマンショーを開くように自身をひけらかしもするのだから。しかし、男気があるのもまた確実で、「鬼とも組まん八右衛門ほろりと涙ぐみ」とある詞章通りに意気に感じ、「云い憎いことよふ云ふた」とは懐に飛び込んだ獲物は狩らないという項羽も然りの男なのである。ここを、見栄っ張りだからと片付ける大学人=研究者がいるようだが、文献学者が作品解釈に手を出して大火傷をするという典型例である。閑話休題、太夫について続けるが、忠兵衛の描出は文字通り軽い(フワフワと地に足が着かないという含意もある)優男そのもの、しかも自分が色男だとのぼせ上がってもいる。そこは見事だったがその一本調子で、八右衛門に頼むところが衷心衷情血を吐く如き訴えで「鬼とも組まん八右衛門ほろりと涙ぐみ」となるには不足があった。これもむしろ「また口先で済まそふや」の類ではと勘ぐらせるようでは不味かったと断じざるを得ないだろう。しかし、これが出来たなら切語り(もちろん襲名付き)だから、その時を楽しみにしてもそう遠くはないはずだ。とりあえず、現時点であの綱弥七の唯一無比超絶名品と比較するのは酷に過ぎよう。

「封印切」
正直なところ、胸に迫ったのは梅川のクドキになってからで、それまでは普通(といってもここは切場格だからそのレベルの普通)であった。これは人形にも言えることで、梅川の出は見世女郎には見えず、由緒ある娘が金に困って身を売ったかという気品があった。この人の持っているものであるのかもしれない。それ故に、心情を吐露するクドキには真実が横溢しておりその純情が真っ直ぐによく描き出されていた。さらに、忠兵衛から事実を知らされるところは、二人は身分も地位もそういう社会という蜘蛛の巣に絡め取られる格付けの一点から逃れた男女・夫婦(もちろん制度上の意味ではない)となっているから、これまた飾らない心の描出としてよく出来ていた。一方の忠兵衛については、傍らに座っていた客の言葉を以て代える。「二代目さんは色気がない」ということで、これまた同断である。

「道行相合かご」
復活といっても新作曲であり、例によって詞章のジグソーパズル化(創作ピースを含む)もあり、その上に場面が地味と来ているから何とも評しようがない。詞章が終わった後にメリヤスで人形が所作をするのは「天神森」と同じであるが、あれが文字通り心中絶命のところで息をのまざるを得ないのに対し、当作はいかにも付け足しの感がある。わざわざ休憩と休憩との間に挟んで上演するものでもない。そうそう、十分休憩はトイレのためだろうが、十分間では明らかに需要に対する供給の設備がない。間に合わない人が続出していたが、それでもいい程度のものという配慮だろうか。第一部の「土佐町松原」も全く同様の状態であった。

「琴責」『壇浦兜軍記』
鑑賞ガイドに「床で奏でる三曲の美しい響きに乗せ、阿古屋の人形がまるで楽器を弾きこなすかのように見せる耳目ともに美しい一段です。」とある。まことにその通り、天晴れお見事、看板に偽りなし。大したものである。とりけ胡弓は今回特別バージョンだったから、これを逃すと一生の損ということになる。インタビューを始め散々言われている阿古屋の出についてもクリア。床は胡弓>>>三味線>琴。ちなみに、岩永もよかったが、見立て火箸で遊んでいたから袖が燃えて煙がという笑わせ所の一つが、自然でなく人為的すぎた(手間取った)のが惜しまれる。重忠は検非違使カシラなら十全だったがこれは貶詞ではない。あと、榛沢の太夫が耳に残り、この人いよいよ大物になる可能性が明らかと聞こえた。なお、これは言わずもがなとは思うが、「七福神」との差異を形作る判決理由とか大和風とかノリ間とか、そういう類をお求めの場合は、国立自らが発売したSP復刻CD=古靱錣新左衛門他の奏演をお聴き願うしかない。何せ、劇場側は明確に今回の上演意図を明示しているのであるから。