人形浄瑠璃文楽 平成令和元年七・八月公演(7/29所見)  

第一部

「渡し場」『日高川入相花王』
  開幕に先立って小住が説明をする。これがよくできている。人形浄瑠璃文楽についての簡単な言及に続いて、演目の場面に至る経緯を話すのだが、簡にして要。とりわけ、日高川に行き着いた清姫の心情をわかりやすく述べるので、ガブの蛇身に変化する際に誰もが納得がいくし、それ以前に姫のクドキがすっと耳に入るようになっている。これは演じる三業にとってはこの上もなく有り難いことである。このアドバンテージをもらってさあどうなるかと期待していたら、何のことはない、この良く出来た解説は三業の出来を知っていたからこそ何とかしなければという義心のなせる技だったのである。
  夏休み親子劇場でこの景事を出す理由はただ一つ、人形浄瑠璃文楽の魅力をまずは実視聴体験してもらおうということに尽きる。なるほど、ガブのカシラで蛇身に早変わりして泳ぐところは親子ともども興味深く見入っていたが、そこまではほぼ無反応であった。無反応というのは寝ていたということではなく、人形の動きを見ながら耳には太夫の語りと三味線=浄瑠璃義太夫節が聞こえているということである。それはまさに人形浄瑠璃文楽そのものであるが、逆に言うと人形浄瑠璃文楽とは文字通りそういうものだという理解で終わってしまうのである。要するに、伴奏付ナレーションで人形が人間みたいに動くということがわかったら二度は観劇する必要なしということである。具体的には、浄瑠璃義太夫節の素晴らしさ面白さが伝わってこなかったということだ。
  清姫の三輪は詞が上手い、しかし昔から景事や掛合で女を振り当てられることが多く、細いが高い所へ行く声によるものであろう。が、中心となる女の心情は本質的に地とフシで処理されるのであって(『菅原』「安井汐待」における苅屋姫などが参考になる。詳しくはhttp://www.ongyoku.com/hokan/sugawara03.htm)、そこに不安が(今も)残る太夫を当てるなどニンではないのである。むしろ、三輪には相生―松香の後を襲わせるべきで(その意味で茶屋場の九太夫は良い)、今回なら船頭が適役なのであった。この清姫はそれこそ美声を振り回すくらいがよいので、高い所も楽々届き、観客が思わず床に目をやるほど(土佐、春子、南部、嶋)でないと、わざわざ親子劇場の最初に出す演目ではない。どこまで高音が出るのだと驚くほどの歌手がいつの時代にも人気を博していることは今更言うまでもないし、少なくともこの清姫にはそういう節付がされているのである。もちろん、事は音の高さだけには留まらない。クドキになって安珍恋しさの回想がうっとりと夢のごとく流れるところも、それが地獄の業火に焼かれてもかまわないという激情に至るところも、聞いていて苦しいという感じが先に立った。もっとも、それが詞に転じるところへ行くとピタリ映っていたのではあるが。
  船頭の芳穂もいただけない。川の流れを隔てて話をするのだから大声になるのはわかる。そして、大声になると嵌まる罠の一つが厳しく聞こえることである。なるほど、ここは眠りを覚まされての怒りそのものではないかと言われるだろうけれど、詞章にあるとおり無愛想で突っ慳貪な呟きが、船頭であるゆえに百姓で言うところの野良声になるのである。そしてそこには、卑俗性がへばりついていなければならないし、それが観客の耳にはチャリがかって聞こえもする。厳格に戒めているのでも、攻撃的に反論しているのでもないのである。したがって、顔順を無視してでも清姫と船頭を入れ替えた方が、親子劇場の皮切りとして有効であったと言わざるを得ない。「浄曲窟」に二度もこの渡し場を別音源で示したのは、このことを示すためである。
  とはいえ、やはり主体は人形の清姫であって、これが遣えていれば太夫の問題は棚上げしてもよかったのだが、上述くどくどしく書き連ねたということは、人形の文昇にまず言わねばならないことがあるわけだ。かつて鷺娘を遣ったときに評したことが、どうやら一過性ではなく本質的な問題であるようで、景事の娘はやめた方がいいということになる。この清姫などは派手に鮮やかに遣ってなんぼのものであことは、今更言うまでもない。親子劇場のツカミOKこそが第一なのであるから。その上で、清姫の衷心衷情がもちろんのことながらひしひしと迫って来るのである。今回はただもたついているという感じが先に立ちどうしようもなかった。与市兵衛女房を遣う簑二郎と変え替えにすればと思ったが、今回の忠六ではそうもいかず(詳細は後述)、結局は歯車が噛み合わないという状況が続くことになってしまったのである。文字通り歯がゆくて仕方がなかったのである。ちなみに、船頭の人形は勘市であったが悪くなかった。
  なお、三味線陣については、団七以下団吾清馗友之助と揃っており(あと錦吾)、問題ない弾き方であったが、上記太夫と人形の欠を補うには至らなかった。

「解説 文楽ってなあに?」
  客席から人形が登場するのは悪くないが、それなら各種ライヴ公演のように派手に登場して(スポットライトなど)、観客(子どもたち)とハイタッチくらいはしてもらいたいものだ(後半は玉誉、前半の玉翔がどうやっていたのかは知らない)。それでこそ工夫・趣向と言う語が使用できるのである。また、裸人形を遣って見せたのはアイデアだが、最初に裸人形、その後で衣裳をつけた人形とすればよかったのにと惜しまれる。今や伝説となった国立劇場制作映画「文楽」(もうロビーでも映してはいないし販売もされていないから知る人の方が少ないだろう。一説に、上映しなくなった理由として、あれを見聞きさせてしまうとその後本公演の三業はとても語り弾き遣うことなどできなくなるからという話がある。宜なるかな)の中に、故玉男師が裸人形を遣って見せるところがある。天神森道行がバックに流れてくるや、映像は一瞬にして本舞台の人形と切り替わり(重なり合い)、以下舞台上の人形として映像は進行していくのだが、その切り替わった瞬間に、人形はまるで意思と感情を持った人間そのものへと自然に移行したのであった。もちろん、後で種明かしをする方法も悪くはなく、事実観客も解説付きの動きに見入っていたから、マイナスではないので、むしろ「文楽」の演出が奇跡を起こすほど秀逸であったということになり、故玉男師が稀代の人形遣いであったことを再認識させられたと言うべきなのだろう。
  なお、公演中展示室では三業の体験が日替わりでできる企画が催されていた。次年度以降も継続してもらいたい。劇場側も努力していることがよくわかった。

「かみなり太鼓」
  佳作。いや、親子劇場向け新作としては秀作と言ってよい。新作に多い欠陥、詞章文体の支離滅裂、節付の無味不興、全体として人形浄瑠璃文楽との違和感を見事に免れている。それどころか、全体を通して弛みがなく、浄瑠璃義太夫節の聞き巧者=聴く耳を持った者も感心するほどで、新作物の中では『瓜子姫とあまんじゃく』に続く二番目に順位付けられよう(先行作を踏まえない物の範疇では。ちなみに、『雪狐々姿湖』などは文芸色が強すぎるし、内容はもはや古典世界のものである。すなわち、昭和の旧作をわざわざ上演するくらいなら、江戸・明治期の古典で十分である)。なお、新たな視覚効果については、わざわざ書かずとも一目瞭然であるから省略する(これは褒詞である)。宙乗りの玉佳は出遣いならもっと愛想も振りまくべきで、人形遣いにそれは無理というのなら黒衣にすべきだ。もう芝居の外側なのだから。
  三業の成果。織と清介のコンビは「にほんごであそぼ」での手腕そのまま、それ以上に、本作の成功は清介による節付の賜物と言ってよい。トロ吉は今回の再演により織の自家薬籠中の物となった。清丈、寛太郎、清公と顔順ではあるが適材適所(あと後半は燕二郎)、父親の希はナニワの亭主としてのユルさが嵌まっているが、たった一箇所「お前晩飯の支度ええんか」の逆襲が活きていない。母親の小住は肝心の雷の落とし方が不十分、織の落としたところの方が客席も応えていた。子供の碩は島之内というより北側船場のぼんのような感じ、とはいえ世俗性は今望まない方が本人のためだろう。

第二部

『仮名手本忠臣蔵』夏之部
「出合」
  小住が素質の良い将来有望の大型新人という位置付けであることに異論はないが、今回ここ(立端場の端場だから小揚)だけを聞くと、木偶の坊か独活の大木かと感じざるを得なかった。マクラの地から違和感を抱き(「山崎の」など酷く、「この山中の」からは愕然)、詞になればと思ったが「さ言ふ貴殿は〜」など決められた集合場所で落ち合ったような語り口、「胸に忘れぬ無念の思ひ」に至ってもう諦めた。以下聞いているこちらが棒になるのみであった。しかしながら、これは小住の罪ではなく、もちろん三味線勝平の責でもないし、まともに稽古をつけていないのではと師匠を疑うのも間違っている。要はこの場を語るまでに至っていない、早すぎたんだという一語に尽きる。浄瑠璃義太夫節が血肉化しておらず、三味線との不即不離が未熟、そんな太夫の持ち場ではないということである。これまでここは津国が勤めることが多かったが、思えばさすが年功の成せる技だった。今回なら茶屋場の十太郎と入れ替えるべきであった。あんまりだから、浄曲窟にお手本紹介と考えたものの、ここをわざわざ残しておく音源があるはずもなく、通し狂言から引き出すとなると著作権年限延長=黒鼠病に罹患するから不可能。引退した松香のを聞くだけでも明らかなのだが、残念であった。

「二つ玉」
  靖ならピタリという予想は両方向に外れたが、三味線が錦糸であることを忘れていた。ならば納得も行く。まず、定九郎の極悪非道さが際立っていた。世が世なら家老の息子でやりたい放題、江戸の町なら旗本奴というところが、浪人となり勘当されても性根が変わるはずもなく、「刀も抜かず芋ざし抉り」がこれほど残酷に聞こえたことはかつてなかった。この定九郎、賤しい現状が卑俗味を帯びることと、直後に猪と間違えて撃ち殺されることにより、道化役的悪党になってしまうことも多いのだが、「ぎよろつく目玉ゾツとせしが」の詞章通りで、納得のいく語りであった。逆に与市兵衛はピンと来ず(決して悪いわけではない)、「二尺八寸拝み討ち」に続いて絶命の唐竹割りを逃れたオロオロとした必死のクドキが応えず、第一に手負いのイキになっていなかった。これは若手太夫が老人の声色使いに陥ることを戒めたからであろうが、「取り乱したる恩愛の心」を伴わない語りでは事情説明に終わってしまった。以上収支決算はプラスマイナスゼロ、よりは、定九郎の新鮮さが勝っていた分の黒字というところだろう。
  人形は、老人の亀次がよく、定九郎の玉輝も床とピタリだったが、一箇所「背骨をかけて〜あばらへ抜ける二つ玉」が半身になっていたために中途半端になった。五十両が手に入り猪も難なく除けて見送る調子の良い背中へズドンと来なければ、「心地よくこそ見えにけれ」とはならない。和生師の勘平は前場からの心得があり言うことはないのだが、これも一箇所「こりや人」で逃げ出そうとしたのはいただけない。切場の詞章に「南無三宝誤つたり。薬はなきかと懐中を探しみれば」とある通りで、人とわかって愕然とするが、咄嗟に懐中の薬を探すのである。最後も逃げるのではなく、「天の与えと押し戴き、猪より先へ飛ぶが如きに」「天より我に与ふる金と、直ぐに馳せ行き」の詞章と一致する通りである。人形は詞章通りに遣うものではないとの意見もあろうが、人を誤射して条件反射で逃げようとするなど武士の魂がない者である。前場で「鷹は死しても穂は摘まず」と辛うじて命を繋ぎながら「心を砕く折柄」(にもかかわらず、切場で郷右衛門から「渇しても盗泉の水を飲まず」と言われては無念この上なく腹を切るしかあるまい。実によく考えられた詞章なのである)、一世一代の汚名返上名誉挽回の「御用金」という機会を偶然にも与えられた勘平である。帰宅して「言ひ聞かさば」に「明々日」と日を限って約束(武士に二言はない)したからは、勘平の心中は御用金に凝り固まっているわけである。交通事故を起こしたドライバーが直ちに被害者救済を試みるように(それを怠り保身へ走る者もいたようだが、そんな物(者ではない)は人非人である)、勘平も同様であったがしかし御用金に支配されている以上、懐中の金が郷右衛門の宿所へ飛んでいかせるのは当然であった。さて、弟子のミスであろうが四月には紋(衣裳)違いもあったことであるし、故師匠の二代目を早く襲名してもらいたいものである。何と言っても、人間国宝認定者であり受勲者であるのだから。(追記:いや、後述は誤認であった。認定も受勲も後継者育成と文化財保護のためであるから、個人の芸力に帰してはいけない)

「身売り」
  従来美声家の持ち場とされるが、今回は次段と併せて与市兵衛女房=婆が主役という捉え方であり、又平カシラが登場することと併せて咲太夫師(三味線はもちろん燕三)が勤めてこそである。その一文字屋はチャリに寄りかかることなく(言葉遣いがチャリがかって聞こえるのは当然)、生き馬の目を抜く商売人としての非情(ビジネスライク)もそこここに感じられ(人形の簑太郎(後半)もよく心得ていたが、出のところは尻込みした感があった)、その分だけ母子別れの悲哀(勘平はそれどころではない)がより迫ってきた。

「勘平腹切」
  至上の出来。舞台(床+手摺)に集中している客席の張り詰めた空気が劇場全体を覆い、段切でフゥーッと息が(うーむと唸り声が)出て割れんばかりの拍手と歓声(これこそ大当たりに相応しい)、評者一人ではなく観客全体が、そして三業の一人一人が実感したはずである。これはもちろん三業の成果であるが、やはり床の足取りとツンだ語り口によるものである。浄瑠璃義太夫節の音源保有で日本(=世界)一、二を誇り、自身も戦前から劇場に通って古靱→山城から綱以下住に至るまで聞き込まれていた方曰く、山城は芝居になってしまったし住はお話レベルだと(最晩年の住まで聞かれていたならばその評は変わっていたかもしれない)、文楽を歌舞伎のついでに鑑賞している人々どには理解不能なこの評言(ちなみに綱は天才だったとも)は、音曲の司として浄瑠璃義太夫節を認識しているかどうかの試金石ともなっている。今回清治師の三味線で呂勢が語った忠六は、古靱清六3の録音、綱弥七舞台中継のものとともに、音楽ホールでの奏演にも叶うものであった。すなわち、三味線の主奏による太夫の語りが人形を動かす(舞台を進行させる)という人形浄瑠璃本来の形を体現したものであった。もっとも、平成に入っての文楽はストーリーを追うもの=三業は同格あるいは舞台の人形が主体の見るもの=演劇ホールでの上演のみ可能として捉えられていたというのであれば、令和元年に現出したこの奏演は文字通り画期的であるし、だからこそ本来の形(人形遣いは黒衣たるべき=出遣いでも黒衣として認識される=語りが人形を動かす)と言えるわけである。これをもたらしたものは、清治師の運び(足取り、間、変化)であったことは間違いないのだが、呂勢の語りが婆を主役と捉えていたこと(これも師の指導であろうけれど)も大きい。このことは和生師の遣う勘平を見てもわかる通り、勘平がまったく動かなく(動けなく)なるのである。この勘平は至芸である。加えて、厳しいが慈悲深い玉也の郷右衛門と、どこまでも真っ直ぐな弥五郎の玉勢(今回初めて玉勢という人形遣いを記憶に留めておこうと思った)の人形をも活写したことにより、腹を切らざるを得ない勘平の苦衷がひしひしと迫ってきた。婆は簑二郎が遣っていたが、前場の出から動くというかなるほどお軽の母ならこうであろうと思わせる遣い方とも相俟って、確かに世話物の婆としては耳に厳しく響いてきたとはいうものの、責める(責められる)のも当然(自然)と、観客までが動けなくなってしまったのである。舞台と客席が一体化するという(芝居やお話の巧みさに観客が感動させられるという外→内の構造ではない)稀有な状況。それは、音曲の流れの中にあったから起こりえた(クラシックコンサートやレコードCDでも起こるが歌舞伎や演劇では起こりえない、演者が消えて奏演そのものだけとなる)現象である。其日庵風に言うと、語り捨てたからだということになろう。ゆえに、現実へと引き戻す段切の柝頭が象徴的に響いた(強く印象付けられた)ことは言うまでもない。このことは、新年之始乃波都波流能家布敷流由伎能伊夜之家餘其謄、すなわち万葉集の年である令和の人形浄瑠璃文楽が新生し寿がれているということなのかもしれない。
  ただ、腹を切ってからの勘平には不満が残った。古靱は無実と知れた後と血判が済んだ後の詞、綱は申し開きと絶命前の詞が、それぞれ無類で落涙するより他はないのだが、呂勢の場合は婆と二人侍を含めた舞台全体の悲哀(それはそれで並大抵のことではないのだが)であって、勘平自身に焦点化されるには至っていなかった。それとやはり婆が尖り過ぎた感は否めない。とすると、口に出せば嘘になる「情」という浄瑠璃義太夫節の究極地点にはまだ距離があるということになろうか。それでも上記の現象が段切まで破綻しなかったのは、婆の愁嘆と二人侍の働きそして段切の旋律進行による。幕となって後部座席の観客(今回が初めてらしく予習もしてきた様子の男女)の、よかったわ、それにしてもお婆さんが一番かわいそうやった、との言がすべてを物語っていたと言えよう。加えて、呂勢が本読み百回を実践している証拠として、「撃ち止めたるは」を繰り返して「金は」を繰り返さなかった点がある。この繰り返しは手負いの勘平の心身ともの苦しさを表現するものであるが、「金は」を繰り返すと金が四十七回出てくる工夫を無にすることになるからである。なお、「勘平御身はどうしたものだ」は入れ言葉であるが、原典主義によりこれを省いた郷右衛門の詞で勘平の腹を切らせられるのは古靱や綱のレベルと判断した結果であろう。

「茶屋場」
  まず、二階で酔い覚ましに風に吹かれるお軽、簑助師によるこの姿態はここだけ切り取って額縁に入れても国立博物館の国宝展示室に飾られるものであるから、別格とする。第一は勘十郎による由良助が酔態の柔らかさである。これは酔拳の達人と共通するものがある。まるで酔っているようにではなく、まして酔ったふりなどでは決してない。まったく酔っているのである。生理学的に言えばアルコールによるトランス状態(各種エクスタシー状態とも共通する)が、正気の中に現出しているわけだ。「丹波与作が歌に」「蚤の頭〜」「〜太々神楽〜」これらがわざとらしくなく酔態そのものに見えたのは、故玉男師以来であるし、かつて大西重孝が書き残した初代栄三の遣い方もこのようであったろうと想像されたのである。やはり動く勘十郎は人形そのものを体現しているというより他はない。文の包紙の処分を如何にせんと考え火にくべる所作や、身請けすると喜ばせたお軽は切り捨てねばならないという苦衷など、神経が隅々にまで行き渡っているところも流石は勘十郎である。ただ、べらぼう眉に象徴される孔明カシラという狂気(酔態)と正気を併せ持つ大きさ(しかもこの大きさには境界線というものがない、すなわち宇宙空間と同質)に至るには、上記すべてが腹芸として収まらなければならないわけで、今後の課題(観客からすればお楽しみ)である。とはいえ、腹芸にしようと酔ったふり=擬態で遣おうものなら観客はおろか九太夫にさえバレてしまう嘘(似非)に堕してしまうから、茶屋場の由良助は厄介至極な代物なのである。それを語る呂は何といっても現状第一人者(咲太夫師は別格)、前後通しては初役の由良助を難なく語ったのは流石に切語りレベルいや今や座頭格である。人形ともピタリ一致する。その分やはり孔明カシラの大きさまでには至らなかったが。第二は平右衛門の玉助(後半)、何よりも気持ちが良い生一本、忠義一途も妹思いもそのまま真っ直ぐ観客の心に届く。卑俗が親近感となって伝わるのがまた素晴らしい。藤の語りは大きく実直そのもので好感が持てるが、もう少し平右衛門でも複雑な感情はあるだろうとも感じた。そして九太夫の勘寿が由良助の本心を探りに来た曲者らしさをうまく遣い、太夫の三輪も先述したようによく嵌まっていた。その相手役伴内は文司で祇園通いの気取った趣を活写するが、語りの希が平板すぎて如何せん映らない。謎掛けは力量的に無理と省略したことをむしろ褒めるべきか。力弥の玉翔と咲寿はこれだけでは評しようがないが悪くない。人形の方は九段目で真価を問いたい(遣わせてもらえるなら)。仲居に対する客席の反応が良かったのは碩の一徳だろう。そしてお軽の一輔は自然体と言えばそうなのだが、もっと積極的な女のはず。語る津駒はさすがに気の毒(現陣容かつこの建て方では彼をおいて他にないから)と思っていたが、寛治師に長年弾いてもらっていただけのことはあり、問題なく勤め果せた。彼の年功もまた本物である。もっとも、お軽で堪能させるというところへは至っていないから茶屋場の魅力半減ではあるのだが、節付すら再現できない太夫だと目も当てられぬ次第(というより耳障り)となるわけで、由良助平右衛門と並べての出来に差はなかったと言って良い。三味線は宗助から清友であったが、この二人が茶屋場の前後を弾くことになったかとの感慨(良い意味で)と、三業全体としての格に収まるものであったと評するのが的確であろう。今回の「茶屋場」、予想(危惧した)以上の出来であったと総括しておく。

第三部

『国言詢音頭』
「大川」
  端場だということもあり、睦と清志郎のコンビとして問題ない出来。中でも、マクラ「初秋ながら」から菊野の描写が出来ていたのが驚きで、初右衛門の大きさも表現できていた。奴言葉の伊平太はさすがにもっと動かなくてはと思ったが、船上町人の詞はかつての睦にすればよくなっているし、ここは多くを望まず次に期待すべきである。とはいえ九月東京は道行のシンで思いやられるから、時代物の(立)端場が割り振られるのがその時である。

「五人伐」
  床とすれば、奥よりもこの中の方が聴かせどころもあるし語りが主導権を握れもする。かつて聞いた故呂大夫(三味線は清友)が抜群であり、今でも耳に残っている。今回は織が藤蔵の三味線で勤めるが、とにもかくにも世話物の足取りが抜群で、このコンビが近松物を中心となって勤めるようになるのも時間の問題だろうと感じさせた。マクラの巧みさ、初右衛門の大人(大尽)ぶり、町人一同の軽さ、そして仁三郎と源之助がよい。この男二人が語れることでこの端場は存在意義が出る。ただ、菊野については些か少女的というか擦れた感じがしなかったが、これは声質にもよるだろう。仁三郎と「したたるいほどくさり合ふ」ところを描き切れていれば、抜群であったのにと思われてならない。
  奥は千歳を富助が弾くという、すっかり住(錦糸)の後継者である。このB級キワモノを語れれば、千歳の幅が広くなった証拠だが、それは成ったとしてよいだろう。もちろん、太夫が引っ張ったというよりも三業の共同成果ではあるけれど、下手が語るとこの夏狂言の雰囲気が台無しになるから、企画制作側の期待に見事応えたということになる。冒頭の奴はそれなりだが、初右衛門がハラを割らないのがよい。ただし「名残り」だけはフラグだから笑う前にちゃんと仕掛けがしてあることをわかっている。続く仁三郎菊野のじゃらつきは今一歩だが、これが語れれば世話物大将だから簡単ではない。この奥で唯一聞かせるのは次の女二人、菊野と御寮人(おみすという名よりまさに御寮人)が衷情を述べ合うところであるが、これがしみじみとよく語れていて、前任者以上の出来であった。続く菊野の悶々たる独り寝はやはり語れれば世話物大将というところで、そこまでには至らない。とはいえ、前者と併せ、これまでに世話物大将を聞いたことはないのだから贅沢は言えない。ここが語れていると、続く「秋の風」以下が最大限に際立つのだが。もちろん、千歳もここから殺し場だとの変化は出来ている。絞首に苦しむ菊野の息も十分に描出できているが、以下はやはり人形が主体となる。詳述には及ばないが、「我人につらければ人また我につらいぞよ」この詞が理屈でなくぞっとするほど応えたならば、受領級である。段切も同断。全体として、現陣容でこの千歳以上に語れる者はいないから上出来である。富助の指導が引き続き素晴らしいことは言うまでもない。
  人形について。玉男はサイコスリラーの主役として相応の働きを見せた。人形が物語を主導するとまではいかないが、三業の成果として十分であるし、詞章と床に沿って物語を完結させたことは評価に値する。実際に評者もゾッとした(表情がゆがんでいたことと思う)のだから。この初右衛門、田舎者の下級武士としては見栄えの良い男であったから、大坂でのモテぶりも接待ゆえと頭では理解していても、自分は特別だと思い込んでいたはずである。だからこそ、その思い込みが崩れ去ったときに内へ内へと思いは巻き込み、陰惨な爆発という形を取ったのである。それをこうやって記せたのも、玉男の人形と床の手柄に他ならない。菊野は清十郎、もとは腰元でありしかも男をその許嫁に譲るという性根はよく遣えていた。ただし、仁三郎と腐り合う桜風呂遊女の表現には至らなかった。仁三郎の勘弥もよい男ではあるが、同様の不足感を抱いた。伊平太は玉志で主人大事の若党として十分であった。源之助の清五郎も誠実そのものでよかった。実は、客席の反応が面白かったので書き添えておく。菊野惨殺の臓物と胴真っ二つで笑う観客がいたこと。これはホラーとしてはよくある反応で、USJのゾンビなどでも恐怖の余り涙を流して逃げ惑う者もいれば、平気に笑い飛ばして楽しんでいる者もいる。つまり、当作上演が成功した証左だと言える。ちなみに、かつて中国には腰斬刑というものがあり、巨大な押し切り機で切断するため、人体が刀身で止血され十数分は存命したとのことであるから、切り離された後の失血前数秒は胴から下が足だけで動くこともないとは言えず、それを知っていると、この場の凄惨がノンフィクションとして観客に襲いかかることにもなる。武助を唐竹割りは人形全体が真っ二つに裂けて左右(前後)に倒れるべきところを、梨子割りで済ませたため、ユーモアの笑いになってしまったが、これも詞章通りにしてみるのが面白いだろう。ただし、いくら人形芝居でもそこまですると吐き気を催したりパニックになる観客も出てくる可能性があり(そうなればそうなったで空前絶後の出来ということになるが)、本物は水のみにして洗い流しつつ涼をもたらすという思いつきはなかなかのものだということになる。もっとも、初右衛門が物凄いと、この雨もその音とともに不気味さを増大させる効果をもたらすから、どこまでも恐ろしいものになれる芝居ということでもある。
  これについて、故玉男師を例に別の場面の所作で触れておく。復讐に燃える初右衛門が登場する場面、ここで刀を抜かずに鞘割りして刀身を晒すのだが(現玉男も踏襲するが、鞘割りでうまく刀身が外れないので何度もガチャガチャと音を立てていた。これはいただけない。ここで初右衛門が苛ついてはまるで興が削がれる。一気に叩き割るから恐ろしいのだ。小道具がうまくいかないのはどうしようもないというのなら、鞘の先端を足で踏むなりそのまま切戸をこじ開けたりすれば始末が付く。こういう形だけを真似して遣っているようでは故師の域に達することは困難と言わざるを得ない)、詞章には言及がなくどこで刀を抜いたかさえ不明である。ではなぜこの所作を取り入れたかというと、「大川」のヲクリ前「胸の空鞘打ち割りし、心の寝刃研ぎ澄まし」とある詞章に気付いたからに他なるまい。まさに本読み百回そのままの実践である。すなわち、「大川」では心中に復仇(屈辱を斬罪に処す)を決意するだけで、実行は巻文や土産の算段を整えて美しく立ち去るまで待たなければならず、暴発は許されない。その胸中に堪りに堪った鬱憤瞋恚をいよいよ外へ存分に吐き出すことができるこのとき、「研ぎ澄まし」た「寝刃」の切れ味を発揮すべく、まずは実際の「鞘打ち割」って見せるのである。初右衛門としては、刀身=武士の魂を覆い尽くしていた鞘(しかも朱鞘である)を一気に叩き割ることが、菊野以下の断罪(初右衛門としてはあくまでも処断である)を象徴していることにもなる。加えて、鞘は本心を覆い隠す見栄えの良い朱塗りのもの、刀身はギラギラとした本心そのものの象徴としても捉えられる。そして、一気に叩き割る激しさはこれまで堪えていた地中マグマ噴出の巨大さをも表現することになり、観客はこの時点で怯えることになるのである。B級作品も演者によってA級いやS級にまで変ずるわけだ。その意味からすると、今回(中でも主役の玉男)はB級そのままに見せたのであって、C級に格下げされなかったことをよしとする、すなわち相応の出来として評価するということなのである。