第一部
『仮名手本忠臣蔵』
深手の三浦が気付け薬、独参湯の効き目は抜群で、『忠臣蔵』はやはりこの国の魂である。平成から令和へ一時代が移り変わるその両方に跨がって上演される今回の『忠臣蔵』。通し狂言との看板に偽りある羊頭狗肉、義臣ならぬ疑心の偽臣は九太夫同然、床下に潜む卑屈が畳を通す芋刺し抉りの断末魔に終わる醜態、とはなるほどもっともではある。しかしながら、ここは新しき御代を寿ぐ恩赦大赦を以てその罪は許され、むしろ、平成令和貫く棒の如きものという視点、かつ、春に始まり冬に終わる、日本の四季を下敷きとした物語として、今回は捉えるのが相応しかろう。こう書いたのも、屁理屈や言葉遊びではなく、初日を見聞して、三業の頑張りがすばらしく、ことに懸念された太夫陣は想像を遥かに超えた出来で、総合的に過去に比して勝るところも多い、すぐれた成果を挙げていたからである。毎回公演評の度に記していることではあるが、人形浄瑠璃文楽とは、劇場の椅子に座ってみなければわからない、文字通りのライブ=生きている存在そのものであることを、今回あらためて確信した。
「兜改め」
今日、大序から上演される演目は多くはないがそれなりに存在しているものの、浄瑠璃五段構成の発端として文字通り「大」「序」の格に相応しいものは、三大狂言の中でもこの忠臣蔵をおいてより他はない。菅原は省略されることが多く、千本桜は無理解なカット版で演じられるからである。「雖佳肴有」から始まる詞章も格調高くして巧みなものであり、中国古典を範とするこの国の伝統的表現法がいかに優れたものであるかをあらためて実感させるものでもある。国書ましてやわが国固有などと揚言する人間こそ、この国の伝統に悖った昏い蒙昧の徒であることは明かで、平成最後にして新たな令和の御代に繋がる本公演が、その愚かさを思い知らせ妄言を改めさせる絶好の機会ともなっていることは、快挙と言ってもよかろう。
床、碩は耳も良く師匠譲りの音遣いに早くも大成を待ち望ませる域にあるが、今日師匠の苦悶を考え合わせると、腹力=イキと腹の強さを何としても自らのものとするよう、日々修行を積み重ねてもらいたい。亘は素直かつ着実に力をつけてきており好感が持てる語り口、自らの個性を何処に見出すかが今後の課題となろうか。小住は大器であることを実感させ、これを用材とせず腐らせるようでは令和の文楽に明日はない。咲寿はデビュー当時からビジュアル(自己存在の発信を含む)が先行する印象があったが、ここのところ確実に進歩の跡を見せ、今回も「兜改め」というこの段で最も聞き所となっている(節付からしてそうなっている)割当箇所を見事に聞かせたことは、あらゆる意味で大きな意味を持つ喜ばしい結果となった。若手の成長という、層が薄くなった太夫陣の未来に対する光であるのはもちろんのこと、(若い)女性層の取り込みが何にしても最重要となっている現代日本である以上、格好も良く実力もある太夫が複数存在することになるのは、令和時代を迎える文楽にとって望まれる最高の姿とさえ言ってよいのである。その女房役、清公が抜きん出ていて、前記「兜改め」の手柄の過半はその三味線によるものである。清允、燕二郎はともに筋がよく、錦吾は鋭さに欠けるが世話物を聞いてみたい。
「恋歌」
師直の津国は強いが嫌らしさがあれば。顔世は南都だが女形に使うのはどうかと思う。あの「合邦」の端場をどう聞いているのか。若狭助の文字栄は一本気と言えるが、「ガッ」とせきたったり還御に緊張感がないなど如何ともし難い。むしろ、この三者をまとめ上げた三味線の団吾を良とすべきだろう。
人形は、師直の勘十郎が大きく強いが、(色)欲にまみれた感には欠ける。顔世の簑紫郎は苦悶の描出が内向していてよし。若狭助は文昇だが「今一言が生死の」境と言うには物足りない。直義は「千本桜」で言うと義経の立ち位置だが、そう考えると玉勢には風格が足りない。
「力弥使者」
大阪国立が等閑視し続けたこの場、当然今回の上演が今後一定の指針となるものであるが、芳穂と清丈を配したのはなるほどと首肯できる。下人の捌き方、後妻に引き上げられた戸無瀬の押さえ方、そして肝心の力弥と小浪の恋模様「梅と桜」はその声質声量、三味線の柔和さから十分で、注目の役場を為果せた。ただ、本蔵の描き方については、不十分とは言わないし物足りないと言うものでもないのだが、どうも胸にストンと落ちないのであった。しかしこれは、この床の責任ではなく、本蔵をどう語り弾くかは実に難しいものであるというところに至る話である。これに関しては松切で詳しく記す。
「松切」
時を経て歌舞伎芝居の方が映るようなやり方となっているが、それでも今回印象に残ったのは、若狭助の描出が秀逸であったからである。詞に定評のある三輪が、滋味のある三味線清友を得て語り活かした。一徹短慮な若き猪武者、まったく詞章の通りで、人形(文昇)の面目躍如に絶大なる功を上げた。前場で使者口上の一間へ自身が乗り込んで軽々に応答するところからの、若狭助の人となりがそのまま見事に引き継がれていたとも言える。見事なものである。ただ、やはりここも本蔵の描き方には賞賛を贈るとまでは行かない。冒頭まるで子どもをあやすかのような対応、主君に例の一徹短慮が現れ出て昨日の事情を踏まえると落ち着く先は見えるのだがさあどうするかと脳内処理をするところ、馬上の人となっては妻子を撥ね付ける厳しさ、これらはもちろん本蔵その人がそれぞれの場面状況に応じて自然に出した言動ではあるのだが、それをひとまとめにして性根として提示しようとするとなかなか複雑なものとなる。カシラは鬼一で、強剛でも滋味深くも腹芸も出来る人物であり、もちろん家老であるから主君(お家)第一であることは確かである。前場まで合わせ見ると、「和らかに」ではあるが下人を叱り、妻子の出にまず不行儀とたしなめており、しかもそれは主君(とその奥方)を思えばこそでもある。通常は、こうやって詞章から読み取れるものが舞台上で活写されることにより、人形浄瑠璃としての面白みが増すのであるが、今回はどうも鬼一カシラの家老というところ(カシラは見ればわかる、家老は二段目冒頭で語られるから聞けばわかる)でとどまっていたという印象なのである。この原因は多分に人形遣い(玉輝)にも求められるものであるが、人形にダメ出しをするものでもない(乗馬の不手際も、人形を遣うということが一筋縄ではいかない難しいものであり、逆に言えば常に鮮やかな乗馬捌きを見せていた先代玉男の芸がいかに抜群のものであったかを、あらためて再認識させるという類に属する)。その点、九段目の本蔵の方が、偽りの悪口雑言の後は衷心衷情をさらけ出すという、表裏が明白な分、遣いやすい(その偽装と本心を描き出せるかが問題なのはそれとして)とも言えるのである。
二段目の人形の残り、何と言っても力弥の玉翔がその出から颯爽たる美男子を見せて鮮やか、自身もイケメンだからよく心得て遣えたというところかもしれないが。戸無瀬を遣った簑一郎はこれなら九段目に出てもお石との差が印象づけられよう。小浪の紋臣はなるほど力弥に惚れているのは明白で、「赤らむ顔のおぼこさよ」は出来たとして良いが、「それでナア母様」「逢はばどう言をかう言を」「お前の口から私が口へ直に仰つて下さりませ」この三様の違いと各々の心情が浮かび上がってこない。このまま九段目を遣うと、冒頭の羞恥は表現できても、悲嘆から思い詰めての覚悟のところは不十分であろう。
「進物」
夜明け前の下馬先に、師直伴内と本蔵の男三人、四つ足に賄賂の段とあって、薄暗い感じがうまくマッチしている。大舅と鬼一の語り分け、軽薄伴内の面白さ、これができていた小住と寛太郎に言うことはない。加えて、師直の詞「手の裏返す挨拶」とある変化も感じられたとあっては、早くこの二人にはもっと大きな段を勤めてもらいたいと思うばかりである。
「文使い」
前段と場所は変わらないし、伴内はそのままで勘平と判官が出るのも男ばかりである。眼目は腰元おかるで、これでこの薄暗く地味な場がパッと明るく華やかにならなければならない。その出、「風が持て来る柳陰」にシャランと弾いた三味線の清馗の音がもうその登場を描出し、続いて語り出す希も柔和な感じを出せていた。つまり、これだけでこの床は合格なのである。敢えて言うならば、「その首尾ついでに」と誘惑する小悪魔の色気が出来ていたら、極上だったのにというところである。
「刃傷」
序切。今回の番付で見ると、昼夜併せて切場を任されたのが、咲、呂、千歳、津駒、そしてこの呂勢であって、一応五段構成の格にはまっている。序切は言うまでもなく五段構成という屋体における土台あるいは骨組に相当し、ここがしっかりと据えられていないと、各部屋はどんなに飾り立てどれほどの家具を持ち込んでも、ぐらぐらと不安定なものになってしまう。加えて、『忠臣蔵』の場合は観客もよく知るあの刃傷の場面であるから、期待も一層高まる。さらに、四段目で顔世が「え堪忍なされぬはお道理でないかいの」と言い、判官自身も「師直を討ち洩らし無念骨髄に通つて忘れがたし」「無念、口惜しいわやい」「我が鬱憤を晴らさせよ」と三度も口にする詞の数々が、真実として響くかどうかはこの序切刃傷の出来如何にかかっているのである。そのためには、師直が憎々しくなければならないし、それも「あちらの喧嘩の門違い」が発端であり、また当然ながら「出頭第一」の権勢と大きさを描出しなければならない。腹が出来ていないと叶わない一段である。清治師の三味線で呂勢がどこまで語れるかに注目が集まったが、驚いたことに、この師直が出来ていたのである。しかも、大笑いまで難なくこなして拍手喝采となろうとは、誰がここまでの出来を予想したであろうか。「帯屋」でチャリを我が物にし、今また大笑いで観客をうならせる、これはもう切語りに手が届いたと言ってよかろう。最初配役表を見たときは「爪先鼠」と入れ替えるのが適切だと思ったのだが、序切がこれだけ語れる=三段目切場も射程圏内、どちらへ回っても語り果せるとなると、摂津大掾すなわち紋下格ということになるではないか。このところ長足の進歩を見せているのは、清治師の三味線による薫陶がようやく現出化した証拠であり、高みへ上る前のいわゆる平坦高原期をようやく抜けた(というよりもこの高原期がなければ頂上には至れないのであるが)ということになろう。無論、間や足取りや変化などは文句の付けようがないものであった。こうなると五月東京「山の段」の定高を聴きたくなるのは当然のことであるが、もはや全日満席でそれも叶わず、夏公演の配役を楽しみに待つほかあるまい。なお、今回の工夫としては若狭助の詞「いやいやそれほどでもござらぬ」を、もう怒りは解けてしまった体で語ったところであろうか。ただ、この後に「迷惑ながら若狭助」とあるから、そこは含んでおくべきであったろうとも感じた。
人形は一大珍事が出来したのでその点についてのみ記しておく。「ほどもあらさず塩冶判官、御前へ通る長廊下」で下手から登場した人形、見ると肩衣の紋が四つ目ではないか。実はこの種の誤りが他にもある。『カラーブックス338文楽―鑑賞のために―』(昭和50年10月)に「侮辱に耐えかねた判官の脇差の糸口が切られた(三段目―刃傷)」とある写真を見ると、上手にいる四つ目紋の武士(作十郎)が右肩衣を肩脱ぎになって脇差しに手をかけるのを珍才がとどめており、下手では師直(亀松)が両手を挙げて押さえ平伏しようとしている。この侍は紛れもなく若狭助である。この間違いが生じるのは、判官も若狭助も短期者で師直に切りつけ(ようとす)るのだし、検非違使と源太のカシラは瞬時に違いがわかるほどの分別性もないからである。もとより、師直が上手か下手かなどはよほどの芝居好きでないとわかるはずもなく、逆に考えると、それゆえにこそ「あちらの喧嘩の門違ひ」が際立つことになるともいえる。さて、今回の珍事を声高にあげつらわなかったのは、人形がその遣い方からまぎれもなく判官だと理解された(詞章通りという以上に詞章を遣い活かすとの造語を用いたい)からである。和生師でなければ紋からしても若狭助と見えたであろう。芸の力の偉大さはこういうところにも如実に現れ出るのであった。
「裏門」
素敵な一段。序切跡は三大狂言でとりわけその魅力が輝く。本公演のプログラムで燕三がインタビューに答えているが、その中に「「裏門の段」なんかがつくと嬉しくて」と述べている。その通りだろう。浄瑠璃義太夫節が本当に好きか聞く耳を持っているかは、この(とは本公演の床と手摺のことを指しているのではない)「裏門」をいいと思えるかどうかで判断できる。その逆に、歌舞伎好きなら当然旅路花聟の面白さに敵うはずもないと一笑に付すだろう。それでよいのである。文楽と歌舞伎は似て非なるもの。オペラは歌舞伎よりも文楽と相似形である、そう感じる者は音曲の司たる浄瑠璃義太夫節がわかっている者である。それが歌舞伎とこそ比較されるものと思うのなら、文楽鑑賞は歌舞伎鑑賞あっての二次的なものであるに違いない。
この「裏門」、睦が配されたと知って、顔順なら納得せざるを得ないが、まず、下手をすると旅路花聟に取って代わられるのではないかとの思いが過ぎったのである。とはいえ、三味線が勝平だからそこに確変の可能性を期待した。さあ、盆が回って口上が終わると三重から気合いが入っている。「立ち騒ぐ」は上三重、以前なら早くもここで閊えて犬吠埼(調子の外れ)になるところだが、よく突っ張って慌忙感を引き取る。以下、間、足取り、変化と浄瑠璃義太夫節の三大急所を押さえてきっちりと語り進め、しかも前述した「裏門」の面白さまで出ていたから、よくここまで稽古したものであると感心した、というよりも嬉しくなった。この太夫は何としても三段目切場語りにまでなってもらわないと困るのだから、その道筋が開けたと感動すら覚えたのである。客席も伴内のところで笑いが来たし、その引っ込みの後、三大狂言の序切跡にのみ共通に節付されている三味線の合の手が印象的に弾かれ(どういう意味合いを持つかを三味線弾きがわかっている証拠)、段切りの情感も出ており、魅力的な「裏門」を語り果せた。この一段、成功裏に終わったと評してよい。太夫の努力を賞賛すると共に、ここまで引き上げた三味線(もちろん三味線自身も素晴らしい)の力を褒め称えたい。勝平を継いで一段の高みに至ったことは間違いない。
人形は、おかる(一輔)勘平(玉佳)の評価は六段目を遣ってどうかというところだが、今度の建て方では夏に遣わせてはもらえないだろうから、今回は及第点という評価を下しておく。問題はないが鮮やかに目に留まるとまでは至らないという意味である。もちろん、序切跡の格としては十分な遣い方である。伴内は文司で、前受けでなく飄々としてチャリを遣うのが人形浄瑠璃文楽の伴内に相応しい。引っ込みで手が鳴ったのも首肯できる。
「花籠」
藤太夫を襲名して先祖を顕彰する心掛け。浄瑠璃義太夫節の芸系ではない名を用いるのはどうかという声もあるようだが、長年の軛というものを考え合わせると、円熟期への第一歩を踏み出した象徴として、今回の襲名を捉える方が斯界のためであろうと思われる。披露がこの「花籠」というのは何とも地味だが、そこが飾らず誠実で虚名などには左右されないこの人にはむしろ相応しいとも言える。三味線が団七でこの場の重要性を理解した配され方となっており、事実、下三重からマクラへ弾き出し語り出されると、ただ事ではない雰囲気が満ち満ちてくる。続く「掛かる折にも」からは和むけれども、同じ女性の登でも、おかるとは違う。それは身分差の問題ではなく、置かれた状況が問題なのである。「生ける人こそ花紅葉」とは御前様や女中の華やかな美しさを語る詞章であるが、その節付が低い音を辿るように付けられており、浮かれた調子にはならないのである。もちろん床にはその心得がある。驚いたのは簑助師の人形で、顔世御前の心労が滲み出ていたのである。もちろん、籠一杯に咲き乱れる桜花と御前自身の美しさは眼前にあるのだけれども、前述した深刻な状況が心に応えているのであった。昨年の栄御前もそうだが、簑助師が遣うと脇役レベルにも一本筋が通るのである。次に、郷右衛門と九太夫という老武士二人の詞による掛け合い(言い争い)となるが、これが難物である。前者を白に後者を黒にして描くのは容易だが、九太夫は重役であり、かつ事実を偽らず語っているから、悪役仕立てで品がなくなると性根を見損なうことになる。これを藤がうまく捌いた。もちろん団七の指導もあろうけれど。このように見てくると、この場は通常の二段目切場前の端場とすることはできず、本来ならば切場を勤められる床や手摺が配されているということの意味を、あらためて感じ取らなければならないのである。
「切腹」
通さん場、白木の見台、これだけでも一段が特別なものであることがわかる。そして、とにもかくにも観客は目に涙が浮かび、無念の心中を思って歯を食いしばり、由良助とともに復仇の決心をする、そのように作ができているのであり、それを以てしてもこの一段がよく出来た人形浄瑠璃であることを理解できよう。当然のことながら、床は紋下格が勤める。咲太夫と燕三である。これだけで評になっていると思うが、何らか述べておくと、太夫は「恨むらくは館にて〜」の詞、こう語られると、半年以上先の九段目に大きな意味を持つことになる。三味線は「ぐつ/\と引き回し」のところ、この弾き方には刀を引き回す判官自身の苦痛も描写されているのである。和生師の人形はというと、一国一城の主としての切腹が格別であり、待ちかねた由良助の到着への満足感、そして遺言をする目力、これが人形のカシラ(と肩などの動き)で表現できるというのが、恐ろしいところである。その由良助は玉男だが、判官最期の対面の場は言わずもがな、「力弥参れ〜」のところ、単に葬儀の段取りを指示しているわけではなく、複雑に絡み合った心理状態が底にあっての詞とわかるのは、その遣い方に奥行きと深みがあるからである。
「門外」
三期に分けて全段を上演する、しかも「力弥使者」と十段目の原点回帰があるというのなら、ここも丸本通りの「城明渡し」でやってみてもよかったのではないか。所作事になっているのは歌舞伎からの逆輸入だが、由良助の人形によほどの肚がないと生身の人間芝居の下風に立つことは避けられない。それゆえに大道具方も工夫をしたりするのだが、今回は、大星の心中如何と想像させるものであったと言えよう。悪くない。
第二部
『祇園祭礼信仰記』
時季に叶った演目である。満開の桜、それが散っても雪舟伝説が控えているから万全である。しかし、第一部が独参湯(用量は三分の一とはいえ)であるから、ただでさえ人の入りが悪い第二部に回ってはどうであろうかと危惧されるし、勤める三業にしても損な役回り(注目度からしても)と言わざるを得ない。しかしその出来は見事なもので、独参湯はこの桜花と次の猿回しを以てこそ抜群の効能を表すというものであった。
と書いてはみたが、昼から大作『忠臣蔵』を存分に味わってからとなると、懐石料理の後にフルコースをいただくようなもので、結構というより先に堪らないというのが実感である。『忠臣蔵』三期分離上演の非は、実は第二部(夏公演は第三部)への影響が大きすぎるという点にあるのかもしれない。その夏の『国言詢音頭』など、惨憺たる客の入りになるのではないかと今から心配をしてしまうが、おそらくは勘十郎に初右衛門を遣わせるのだろう。キャッチコピーをどうするか。ただ、勘十郎は根っから光と明と実の人だから、「五人伐」は鮮やかでも初右衛門のおぞましき非道が出せるかどうか。『油地獄』の与兵衛があれだけのものだから大丈夫というのは、与兵衛のカシラが源太であることを忘れている。若さ、この表現も勘十郎は優れているからである。そこで、玉志に遣わせるという手もある。まあしかしこれは玄人受けというか、集客力は望めないから口コミに期待することになるが、文楽の口コミ数がどれほどのものなのか、こちらも甚だ心許ない。話を元に戻すが、初日の第二部の空席を見た限りでは、やはり第二部は酷い目に遭ったと言わざるを得ないのである。
「金閣寺」
この演目が出るとわくわくする。此下東吉が登場してからの碁立、そして碁笥の件の面白さ。加えて、マクラからの雄大さがこの一段への期待感を盛り上げる。ここを勤める床には当然その大きさや強さや幅が要求されることになるが、織に藤蔵というのは現陣容として最も望ましいというよりもこれより他はない配し方である。事実、上記の諸点が現在化した。本来なら、ここでつらつらと述べ立てるところだが、如何せん第一部を堪能した直後(入れ替え時間は初日の実際で三十分弱、第一部の途中休憩で食事をとらない当方としては、昼夕食をかき込んでとなる)だけに、よかったと記すのが精一杯なのである。ご容赦願いたい。
「爪先鼠」
駒太夫風にして四段目の風。駒太夫という人は座頭ではなくナンバー2的存在。その語り場も、切場としては二段目と四段目で、立端場にも面白いものが残されている。要するに、力で圧倒するのではなく技の利いた、相撲で言うと横綱ではなく三役格の捌き方が相応しい。したがって、この一段も切場だからと構えて入り、口明き文七の性根云々と力を入れすぎると、失敗に終わることは目に見えている。四段目の風において駒太夫風に語るときにはじめてこの一段は成り立つのである。具体的に言うと、天下を狙う松永大膳の大きさ、これはマクラの「後見送つて大膳が」の悠然たる足取りと浮いた音遣いによってはじめて描写されるので、続く詞が「サアこれからは雪姫に閨を見せう」と色模様になることからも、突っ張ったりわめいたりしては台無しになることは当然である。ここで勘違いしてはならないのは、詞章が色模様だから強剛的になるなと捉えるのは正しくないということである。この詞章は、この四段目が雪姫と松永大膳との絡みに此下東吉の活躍を中心に描かれていることによって、構成上必然的にそうなったと言えるわけで、加えて、ここを駒太夫が語るからこの詞章になったと言えるのである。すなわち、四段目であり駒太夫風であるということが、この一段を(詞章も含め)支配しているということなのである。
さて、そうなるとここを任された事実上の(ここ数公演の語り場からしての)第一人者となっている千歳と彼をここに至るまでに育て上げた富助に、その「風」の再現を託したことはある意味当然であり、別の意味では不安材料でもあった。前者は音遣いができるから、後者はかつて語った駒太夫風「流しの枝」が不十分だったからである。加えて、段後半に聞こえてくる語りの苦しさとそれによるもがき、これは空中浮揚的趣のある(弥七も同様のことを述べている)駒太夫風には致命傷となる。今回、この両方の思いとともに客席に着いたが、結果は、前述マクラの音遣いを聞いて安心し、かつ、後半の東吉も武張ったり威勢に任せたりせず「風」のうちに描出できており、「「風物」と称する特殊な曲は、音楽的旋律を以て曲を進行さす事を主として居り、従って拵らえを設けたりして露骨な劇的表現がある程度制限される」との鴻池幸武評を裏付けるものでもあった。聴く耳を持つ、音曲の司として浄瑠璃義太夫節を捉えられるかどうかは、このように決定的なのである。「むざんなるかな」からの表具も印象的であった。ただ一箇所、「狩野之介直信が」の変化が乏しかったのは残念であった。
跡、以前の公演の際にも述べたが、詞章の時間感覚が無視されているのは残念この上ない。切場雪姫緊縛の件が夕景で、陽春の傾く夕日に照らされる桜花と雪姫、まさにピンクの世界。そして夜更けた漆黒の空に輝く星の光と、燃え上がる合図の狼煙に白煙、もちろん桜花もその炎によって妖艶に浮かび上がる。この魅力的な光景を等閑視してしまったのは、歴史的には必然的経過があったにせよ、現在の照明環境ならば容易に再現できるはずだ。そうすればセリ上げの大道具はより印象的となるであろう。もはや、この程度の大道具では驚愕もしなくなった時代にあっては、この黒地に金(加えて炎の赤と煙の白、桜のピンク)の色彩感覚こそが求められるのではないか。従来省略されてきた立ち回りを復活させ、梨割りカシラで客席を惹き付けた功績の大なるを思うとき、次回こそはこの詞章に明示された=作者にとって重要な趣向である時間感覚が、眼前の舞台で表現されるものと信じる。さて、今回は芳穂に清志郎が勤めるが、ベストな配置である。多くの登場人物の交通整理は言うまでもなく、段切「ここは都の金閣寺、庭の桜の春かけて詠を残し帰りける」との四段目の終わりに相応しい優美かつ鷹揚たる詞章を体現した床は、中堅として切語りを見据えた力量を確かに感じさせた。
人形についてまとめておく。雪姫の清十郎、端正な美しさで雪舟の孫にして雪村の娘たる格も滲み出て、ソメイヨシノが春の日に咲き誇るの感を抱いた。ただ、緊縛時における紅枝垂れ桜が夕陽に照らされた妖艶の趣には至らなかったように感じたが、しかしこれは、人形遣いの個性というものであろう。松永大膳の玉志は、四段目駒太夫風での口明き文七として心得ていて十分、此下東吉の玉助はこの人形が次代の立役が遣う役所そのままに、颯爽として凜々しくもあり、『信仰記』全段の狂言回し的意味での中心人物(『千本桜』の義経に同じ)たる東吉として見事に遣った。
『近頃河原達引』
「四条河原」
切場の格を高めるためにここを出すのはわかるが、今回の配役ではその必要がない。にもかかわらず出すのは、時間の帳尻あわせか、ストーリー性重視か、これまで見聞した経験からしてもそう思わざるを得ないのだが、今回、錦糸の三味線で語る靖を聞いて、初めてこの段の存在意義を理解した。もちろん(立)端場であるから切場に匹敵することはないのだが、この一段なくして切場なしを、筋立てということではなく実感したのであった。それは、伝兵衛の性根と衷情を描き出したという点である。これにより、切場では座してばかりで俯き加減の(脇役扱いといっていい)伝兵衛の存在が生き生きとし、後述するような驚くべき結果を生み出したのである。前公演「壺坂」での沢市の描出同様に恐れ入るしかない。それでも、最初から例によってきっちりと箍がはまった語り方で、官左衛門など以前ならもっと鮮明に陀羅助カシラが浮かび上がったであろうにと感じたが、この官左衛門は屋敷勘定役であり、軽薄に扱ってはそのことを見失う恐れがあることに思い至った。そうなると、なるほど武士と町人との差は歴然で、この行き方はもっともである。いずれにせよ、大成するまでは箍を外させないとの方針の正しさが、いずれ切語りとなる頃には見事その語り口によって立証されることになるであろう。今後も劇場へ通い続ける理由の一つである。それでもしかし、久八と勘蔵はもう少し動いてもと思わざるを得なかった。
「堀川猿回し」
寛治師亡き後の前公演「葛の葉」、大和風に留意して語り果せた津駒と、その時の三味線だった宗助とのコンビ。難声はマクラから苦しいが、地唄鳥辺山から調子が出てくる。老婆と小娘との掛け合いは見事なものとなった(ツレ弾きは清公)。これにより与次郎の出からも自然に聞き入ることができた。聞き所であるお俊のクドキも、繁太夫節をうまく捉えてしっとりと聞かせ、母の詞「遠い国にでも〜」に娘を思う衷情が描出できていた。すなわち、切場前半をクリアできたわけで、上位五人の実力者のうちに数えられよう。
鐘の音描写の印象的三味線で盆が回り、後は呂と清介である。弾き出し語り出したのを聞いた途端に、耳も目も活き活きと鮮やかに床と手摺を捉えだしたのはどういうことか。文字通り、パッと明るくなったのである。この明るいとは感覚と対象を隔てるものがなくなった、あるいは客席の向こう側で行われていた芝居が(もちろんそれは当たり前のことで、演者と観客の区別がなくなっては人形浄瑠璃文楽ではなくなる)、「いま・ここ」において手に取るように感じられるようになったという意味である。むしろ小音の太夫であることを考え合わせると、これは浄瑠璃義太夫節の真髄に関わる重大事ということになる。もう一つ驚いたのが、お俊の書き置きを読む件が素晴らしかったことである。読む伝兵衛の心中がそのヨミからうかがわれたのである。これは前述の「四条河原」で伝兵衛の性根がきっちり描かれていたことによるもので、伝兵衛の胸に突き刺さるお俊の書き置きの文句が、どこでどのように突き刺さっているかが、読み手伝兵衛の心情が伝わってくるゆえに、そのまま観客にもわかるのである。これはかつて経験したことがなかったことである。猿回しと段切と有名なお俊のクドキ、これが後半のヤマと思っていたのだが、そのクドキはむしろ走ってサラサラと、これがピタリと嵌まったのも、書き置きにおけるお俊の衷心衷情が語り活かされていたからである。加えて、母の述懐とクドキが胸に応え(これは人形=勘寿の燻し銀の芸に負うところが多い)、都鄙境界堀川の貧家で盲目の老女が語る精一杯の詞は、ちゃんとノリ間で処理されながら、決して表面的に流れず、溢れる涙の粒立ちとして聞く者の胸を打ったのである。もちろん、猿回しと段切の泣き笑いは絶佳であり(ツレ弾きは友之助)、柝頭とともに芝居の内側から現実へ戻った頃には、昼の部終了時から引き摺って『信仰記』まで影響を及ぼしていた堪らない感じは消え失せ、満足感とともに劇場を後にすることが出来たのである。これほどの力量を持つ太夫が切語りでないというのはどういうことか。三味線も当然切語りの合三味線であるべきなのに、何がそれを妨げているのか。恣意的なものさえ感じられ甚だ不審である。帰路の陶酔を中断したのはこの一事であった。
人形は、与次郎の玉也が前受けとも悪乗りとも無縁で、誠実で小心な兄を正面から遣いきって、人間味も滋味もある、そして猿回しという芸の持つ悲喜交々の感情、「さる引の猿と世を経る秋の月」と芭蕉が付けた句も思い合わされ、しかも時は師走十五夜という、一層冴え渡る=悲哀寂寥が際立つ月の下とあっては、付け句以上にその情感が身に迫るものとなった。秀逸である。母の勘寿は前述の通り。この人がいるかいないかの差は歴然たるものがある。伝兵衛の勘弥は「四条河原」の床もあり、切場では手紙の読みといい、媒体としての役回りをよく演じた。お俊の簑二郎はなるほど心中(心の誠)を遂げようとする器量が描出されていた。ただ、遊女という点の遣い方は弱かったようにも思われ、ここは師匠を見習うより他はないだろう。