人形浄瑠璃文楽 令和元年十一月公演(初日所見)  

第一部

『心中天網島』
「河庄」
  中を織清介。「口三味線」と別称があるこの端場に最適のコンビであることは間違いないが、いざ聴いてみると河庄の端場=場全体と小春と孫右衛門の造形が確かに示されるという第一義が達成されていた。これはまさしく端場の何たるかを如実に示しているものであるから、今回はこの場の床として完全体であったということになる。まず、マクラの浮かれ調子で新地茶屋の様子を、しかも陰も感じさせて夜と闇を滲ませる。小春の出ではすでに薄幸の運命を暗示しているが、ここは端女郎としての口調を確認すべきである。しかも治兵衛との関係は真実を言わない。太兵衛(人形は勘寿で燻し銀)は近松心中物に定型の敵役であるが、『曽根崎』の九平次のように不正や悪巧みをした男ではないのであって、嫌味を前面には押し出さず、金持ち独身で親戚なし最強モテ男の自信家がなぜか小春には愛想尽かされているという姿を描き出す。小春が治兵衛に惚れるのは見た目色男の「僭上」ゆえと踏むのだが、この何もわかっていない「(心魂ではなく)身振りばかりは男を磨く」男の口三味線であるから余計滑稽に映るわけである。ここの「悪口雑言、堪ゆる小春」という詞章は、この時点ではおさんの状を守り袋に入れていることを知らない観客(もちろん小春以外の人間すべて)にとっては、太兵衛の嫌がらせを我慢するとしか捉えられないところが味噌である。いわば、小春の人形遣いだけが知っているのであり、それ(治兵衛への悪口が治兵衛の家族≦おさんを如実に意識させることになる)を所作として描出するかどうかは、筋を割ることとの関係もあって、難問なのであるが、簑二郎は詞章通りに遣っていたのでどうということもなかった。とはいえ、その出にある「いかうやつれさんした」と見えなかったのは至らなかったと言わねばなるまい。さて、口三味線に戻ってこの床はまず足取りがよく、口捌きと詰んだ語りも平成に入って耳にすることがなくなっていたものである。丁寧に碁盤上へ石を並べるようでは間延びしてしまい、一字一句聞き分けられるのがよいというのは語りをアナウンサー化してしまうだけである。もちろん、不明瞭がよいなどと言っているのではなく、義太夫節浄瑠璃の流れを第一としなければ、「音曲の司」に値しないという意味である。ただ、昨年あたりから改善(というより本来のあり方に戻っている=SPレコードを聴けば判然)されつつあるのは喜ばしいことである。続いて、「所柄とて馬鹿者に〜無挨拶なる折節に」の変化(間と足取りも)がすばらしく、ここから奥へ直接繋がるということになる。次に来る小春との死に方問答、これも一筋縄では行かない。孫右衛門が後で口にする理解の通り、観客もこの言葉を治兵衛との心中を仄めかしたものと受け取るのであるが(おさんからの状通を知らされていないから)、これは太兵衛に請け出されてからの自死を言っているのである。治兵衛を殺してくれるなとの頼みに応えるには、治兵衛との関係を絶つしかなく、それがそのまま太兵衛の身請け成就になることは明らかである。小春が真実の愛(来世の生)に生きるための現世の死=治兵衛との心中を、軽々に口にするはずもない。これも前述の件同様難問の類であるが、人形の遣い方もどうということもなく、ここに記すにとどまる。とはいえ、以上のことを書く気になったのは、とりもなおさず織清介の奏演に拠るところであって、優れた床を聴くと、テキストを素読しただけでは届かない所へ連れて行ってもらえるということなのである。
  奥は九月東京に続いて(と言っても東京遠征はせず聴いてはいない)呂勢を清治師が弾く。このところ現状実力第一の座に至ったと言って良い呂勢、無論ここまでに育て上げたのは清治師の三味線であるから、この床で「河庄」がどう奏演されるのか、これ(と「天河屋」)を楽しみに来阪したのだが、何と呂勢は休演であった。確かこれまで無休であったからまずひどく心配になる。彼が休演ではどうしようもない(咲太夫師と呂太夫は超越の域であるから別)。一刻も早く(完璧な療養と完全な回復の後に)と願うばかりである。代役は津駒であった。「天満に」は下から出る越路師の行き方で、以下マクラの三味線が得も言われぬもの。治兵衛を遣うのは勘十郎だが、その出は詞章通りのすばらしさ(以下詳細には記さないが最後まですばらしかった)。とはいえ、この「魂抜けてとぼとぼ」は「うかうか身を焦がす」に繋がるもので、決して俯いて足取り重いものではない。「毎夜毎夜の死に覚悟」というのは嘘ではないが、心中する前には小春に直接会えるわけで、「堰かれて逢はれぬ身となり果て」た治兵衛にとって、この出がどういうものになるかは想像に難くない。また、本当に死ぬ者には死の意識がないとはよく言われることで、「大和屋」の治兵衛などまさにそれなのである。この「河庄」では非日常の死が非日常のまま、言うまでもなく日常とは生きて「逢はれぬ身」「身を焦がす」今である。清治師の三味線は繁太夫節のクドキでまた一段の冴えを見せる。この「河庄」は小春だけが表裏ある状態であり、このクドキもそのように奏演されなければらない。裏に入らなければならないわけだが、裏が表に現れてはならないから難しいのは当然である。津駒は詞が苦しく違和感があるものの、地(色)やフシはうまく、クドキも裏にまでは至らないが小春の言葉相応の情は出ていた。人形はその後の「泣きゐたる」で袖を口(端の針に掛け)にするのは納得だが、手先が袖口から水平に出ているものだから、不自然なことこの上ない。巧者簑二郎がどうしたことか、今回はその出から首をひねらざるを得ない遣い方が目立った。後半から師匠が勤められるということでそれこそ「魂抜けて」いたのかもしれない。太兵衛善六は孫右衛門の働きを客席に見せれば用済み、そしていよいよクライマックスとなる。
  小春の人形が簑助師となると、たちまち孫右衛門の異見の間も小春の心中が透けて見えるようで(といっても複雑であって明瞭ではない)、「我が身の上は得も言はず〜皆お道理とばかり」の詞章が如実に描き出されていた。治兵衛は単純(純粋)であるからたちまち起請文を放擲するのだが、毎月月初めに取り交わした二十九枚を肌守りにしていることが大馬鹿者(狂人)の証拠である。借金証文でもあるまいに、遊女との起請文など有効性もないただの紙屑なのは言わずと知れている(治兵衛は紙屋である!)。しかも、後で舅五左衛門の言うように治兵衛自身「阿呆狂ひする者の起請誓紙」でもある。ところが、まさにその「狂者」であるがゆえにこでの起請も真実の書と反転するのである。おそらく、小春も最初は子供(治兵衛は確かに子供心の持ち主である)遊びのお付き合いで誓詞を取り交わしていたであろうが、そこに直情の書き出しを感じたが故に、遊女としてはあり得ない真の恋を確信したのである。このどうしようもない治兵衛に惚れる女などどこにいるか、いや現に少なくとも二人いる。それは、狂言綺語荒唐無稽の浄瑠璃だからだろうと言えばおしまいだが、世に真実がないゆえにこそ文芸作品に真実が描かれるのであり、もっと言えば、核心の真実があり得ないからこそ、他の部分はあり得る世の習いとして描かれるはずだ。「DEATH NOTE」に登場する弥海砂がキラこと夜神月に恋心を抱き、されるがままになると言うのはなぜか。それは、人間として生きるこの世への絶望から救った男であるからに他ならない(年齢とか見た目とかの付帯事項はあるにせよ)。「人を誑すは遊女の習ひ」「真実のないは女郎の常」である時、小春に偽りでないものを体感せしめたのが治兵衛なのである。おさんの場合は筒井筒的要素が濃いのであろう。とはいえ、治兵衛が褒められた者でないのは言うまでもないし、小春が請け出されるのが本当のことでもないのは太兵衛を見れば明らかである。しかしながら、苦界浄土が封建時代特有の別世界と切り捨てられないのは、現代日本の苦海浄土を一例として挙げるだけで十分のはず。まあ、阿呆の治兵衛は仕方ないとして、偽りは苦界の外の世間も同じことと小春が諦観していれば話は別になったということである。と、長々書き連ねたが、この種のことは一流作家たちが男女を問わず著していることでもあり、無用の言であった。要するに、簑助師の遣う小春を核として、勘十郎の治兵衛、清治師の三味線(加えて玉志と津駒の健闘)により、このように筆が進むことを得たということであり、とりもなおさず、孫右衛門が涙する前に孫右衛門の詞=小春に涙したということでもある(ポケットにハンカチは小学生でなくとも忘れてはならない)。この感動は、綱弥七のレコードを聴いて以来であった。

「紙屋内」
  口は希清馗、取り立ててどこがどうと書くこともないが、人形陣のお蔭で引き上げられたというところ。少なくとも、この人形陣の支障となることはなかったという点で評価することになる。さて、この一段の主役はおさんである。誓紙への血判に「心落ち着き、子中なしてもつひに見ぬ」とは、傍証のようでいておさんの心の声そのものなのだ。奥の冒頭詞章からも、布団にころりは「まだ曽根崎を忘れず」文字通り魂抜けて商売にも身が入らない状態と捉えているのである。それほど小春との心中が現実味を帯びて感じられていたということだ。これらは、人形を遣った清十郎によってよく示されていた。
  奥、呂団七。前段遊郭での男女の恋模様とは対照的に、町人家庭での夫婦(子供)の姿を活写する。一言で評すと、よく行き届いている。単純明快な治兵衛、正論の五左衛門(人形は玉輝で納得)、倅勘太郎も丁稚と下女も性根をよく描き出しているが、やはりおさんが見事であった。もちろん、質草のところも哀切きわまりなく、それゆえに段切のやるせなさは如何ともし難く、炬燵で治兵衛が涙など流さなければと思うことさえ空しく感じられたのである。なお、この涙の所作を遣った勘十郎には驚愕するばかりで、初代栄三〜初代玉男〜三代勘十郎と名を後世に留むることは間違いあるまい。土門拳なら究極の一枚としてシャッターを切っていたに違いない。この一段、おさん(そして小春との関係)について書くべきことは山ほどあるが、「河庄」の轍は踏まず、「近松物語の女たち」(水上勉)などに任せることにする。要するに、床の味わいは当然にして切語り第一人者のそれであり、清十郎のおさんがすばらしかったと総括するものである。

「大和屋」
  綱弥七の超絶的名演奏レコードがあり、覚えるほど聴いてしまったのであるが、今回の咲太夫師と燕三はそれに匹敵する出来であった。とりわけ、前半二カ所の情景描写、この一段がもはや人智に関わることを超越していることを示しており、そこの奏演など抜群であった。ゆえに、後は登場人物各人各様の現状を描けばよい(もちろん、これだけでも一流でなければ不可能なことである)。ただ、小春が抜け出す車戸の件が、例のレコードでは緊迫感に手に汗握ったのが、劇場ではイライラと間延びを感じたのはどうしたことであろうか。
  この一段についても、祐田善雄や広末保が詳しく述べているので贅言は差し控える。ただ、後者は文学作品としての読みであるから、浄瑠璃義太夫節を聞き込んでいればなあと思うところが多々あった。ちなみに、もし床本―丸本・五行本―を戯曲として読む人はどうかというと、それは聴く耳を持たないから―というよりも耳を待たないから戯曲として読んでしまう―としか言いようがない。もちろん、その人物が俳優をはじめいわゆる演劇界上の優秀な人物であろうことは想像に難くないのであるが。

「道行」
  ここまであまりにもよく出来ていて、道行が蛇足に感じられるのも致し方ないのであるが、「仏は愚か地獄へも暖かに二人連れでは落ちられぬ」ことを、「十夜の内」でさえも眼前にまざまざと示しておかなければならない。その意味からも、現行の道行は弱すぎて温・緩い。これがまた、中途半端な締め括りとの印象を強くしてしまう。近松の筆が厳しすぎるから、とても舞台化できないというところだろうが、この完璧な近松心中物を完全体とするには、少なくとも、「離別の女に何の義理〜」と「七転八倒こはいかに〜暫く苦しむ生瓢」は見聞かせなければならないだろう。そうしない限り、『天網島』は丸本で(文学でも戯曲でもなく)読むに限ると言われ続けることになるのである。とはいえ、人形浄瑠璃は聴覚と視覚を駆使したエンターテインメントであるから、現行は一つの着地点として許容される。それにしても、近松は舞台にかけられる人形浄瑠璃として本作を書き上げたのであるから、人形浄瑠璃というものをどのように捉えていたのかという根本のところを知りたいと強く思うのである。
  床は清友がシンで二枚目以下団吾友之助などと続き、シテの三輪にワキの睦を靖と小住が固める(文字栄がトメ)。睦はやや苦しかった。
  人形は既に述べたとおりだが、特記しなかった人々もこの人形陣と舞台を共にしたことを誇りとしてもらいたい。

 

第二部

『仮名手本忠臣蔵』
「道行旅路の嫁入」
 津駒、織、宗助、清志郎以下。高速参勤交代ではないが、道行全般が昭和四十年代までと比べてどんどん忙しくなっている感があるのだが、今回は足取りもよく替え手も的確でさすがは団六(故寛治)師の弟子である。人形が和生師の戸無瀬に小浪が一輔で、母の想いと娘の純情が床ともどもよく伝わり、道行そのものの魅力とともに、四月の二段目以来の(さすがに長すぎてよほどのファンでないと繋がらない)力弥をめぐる恋の綾が蘇り、大場九段目への確かな伏線ともなった。若手太夫と三味線もなかなかよかった。大道具の富士が琵琶湖と転ずるのも面白かったが、浮御堂の描き方と奥に比良山がなかったことがやや残念に感じられた。こういうものは、実景写真などではなく近江八景の浮世絵などを参考にすればよい。

「雪転し」
  これから書くことは、以前も同じようなことを書いた気がするので、結果として繰り返しになるかもしれないが、前回評は読み返していないので、その意味するところは「雪転し」のツボであると考えていただければ幸いである。今回は芳穂と勝平が勤めるので出来が悪くなるはずもない。が、「折角面白う酔うた酒醒ませとは」「アヽヽ降つたる雪かな」のカワリ、「朝夕に見ればこそあれ…」と言ったばかりであるのに何故か、そして、意味は明快だが「オイこれこれこぶら返りぢや」へのカワリ、これがともに出来ていない。前者については「塩茶酔醒まし」の詞章が読み込めてもいない。中堅若手の俊英からしてこうである。いかにここが難しい場であるか。豊富な陣容で経験を積んだ老練の小結格が勤めなければどうしようもないというところか。かつてなら、松香、相生、伊達路、小松、三味線は叶太郎などであろう。とはいえ、由良助が目を覚ましてからはこの床らしくきっちりと収めていた。

「山科閑居」
  「みんな勝手なことを言っている、と聞こえないように」「けんかをしても、がさつになるようではいけない」と、今回勤める千歳が新聞記者の求めに応じて語っていたが、首を傾げてしまった。なぜならば、これまで何度も名人上手たちの「山科」を聞いてきて、そのようなことを(傾向でさえ)感じたことは一度もなかったからだ。ところが、実際に客席で聞いてみてようやくその意味がわかった。千歳の語りがまさにそうなる危険があったのである(残念ながら一部はそうなっていた)。自分のことをよくわかっているという点では、さすがに現状紋下格の場を任され続けている太夫である。しかも、富助の三味線によってここまで鍛え上げられた千歳である。マクラから「イヤそのお詞違ひまする」と怒鳴るまでは、よく行き届いた実に立派なものであったのだ。「谷の戸あけて鶯の」からの小浪の描出、お石の素っ気ない冷淡さ、千石違う由良助の妻お石よりは年下かつ後妻ゆえの戸無瀬の意識的膨らませ方、等々よく練り上げられており感心した。ところがそこへお石の怒声である。戸無瀬の言い切りをきっぱりと否定し押さえ込んで皮肉に突き放したもの、とは到底思えない乱暴なものであった。たった一つの言葉を取り上げて針小棒大にとの非難は当然あるだろうが、小浪のクドキに可憐さが感じられず、「早う殺して下さりませ」「オヽよう言やつた」では人形とのズレが生じ、「コレ小浪アレあれを聞きや」では柄杓を思わず取り落とすところが、もう使わないと投げ捨てる所作になり、全体が「がさつ」に支配されてしまったのであるから、そう言わざるを得ないのである。このあたりになると、男女の区別さえ語りからは曖昧となり、ドラマチックと言うと聞こえはいいが、その実はなんとも騒がしいドタバタ劇の印象すら持ったのである。かつて、東京で故住大夫師がここを語った(三味線錦糸)時は、暖房は火鉢のみの開放的日本家屋における寒く静かな凜とした空気感を感じ取ったものだが、地球温暖化が進んだ令和ではこのような事態になるのかと、呆然とするのみであった。あの高木氏をして「このまま小さくかたまらねば末恐ろしい」と言わしめた四半世紀前の評、これが師を失った後にあらぬ方向へ進んでしまった気がしてならない。
  後半は藤と藤蔵、これはピタリだし面白くも期待もできると喜んでいたのだが、いざ盆が回り本蔵とお石の立ち回りになっても気が晴れない。三味線は掛け声も大いに出ているのだが如何せん語りがもどかしいというか薄紙が張り付いているというか、後半の開放感がまるでない。とはいえ、本蔵の独白になってからは情愛も乗ってきて、娘に対する父の思いが観客の胸に届き、涙を催すまでに至った。しかし、その後「底意を開けて見せ申さん」と障子まで開くというのに聞く者の胸は開かない。一方、人形は戸無瀬が手負いの夫本蔵に、肩を使えと手で叩いて示すなど、いくらなんでも開けっぴろげ過ぎるというか、逆に言うと語りだけが置いてきぼりを喰うという何ともアンバランスなこととなり、師直館の地図の件も雨戸を外す工夫の件もカタルシスに達せず、不完全燃焼のままオトシまで済んでしまっていた。ところが、由良助が虚無僧姿となってお石が「ご本望を」と嘆く件になると、お石の切なる思いが伝わり、嘆きの段切へと連なった。これなどは「情を語る」をモットーとした師を持っただけのことはあると感心するばかりである。全体としてこういう結果になるのなら、前場と後場の太夫を入れ替えればよかったのではとさえ思えたのであった。
  九段目は紋下さえ一度は遠慮するという、形式だけでなく真実のところ難しい一段であることがよくわかったが、綱弥七、越路喜左衛門+津寛治などは聴いていて難しいというよりも面白さが先に立っているので、やはりこのクラスとの差は歴然としてあるのだということを再認識したことになる。昭和四十年代以前と比較して寿命が延びた分、成熟も先延ばしになったということであろうか。観客も精一杯長生きしなければなるまい。
  人形陣について。三業の中心となってとりわけ太夫を引き上げた感はあるものの、やはり語りが主体となっているだけに、その出来不出来が反映されて見えてしまうのはどうしようもないところである。ゆえに、以下に記す内容も、それこそ床が綱弥七、越路喜左衛門+津寛治などであったなら、当然にして変わったであろうことは言うまでもない。由良助は玉男で、四段目や七段目に比べると遣いやすいとはいえ、孔明首のすべてを理解している大きさに加えて、敵討成就に向け常に心魂を傾けている内面と、本蔵や判官への苦衷なる思いが滲み出ており、故師先代の域に迫るものとなっていた。本蔵は勘十郎、「忠義にならでは捨てぬ命、子ゆゑに捨つる親心」が出来たのと、「こなたの所存を見抜いた」とある、その敵討成就を雪の石塔と竹とで眼前に確信した本望(それゆえに「かほどの家来を持ちながら〜」の悔しさはあるが)も老練武士の魂を宿す鬼一首で描出されていた。和生師の戸無瀬は前述の通りで、二段目や八段目での言動とも一貫性があり、納得させられる緋色の遣い方であった。お石は勘弥、戸無瀬とは対照的に黒が似合い、朝帰りの夫と戸無瀬小浪のあしらい方が的確、その上で雪の五輪塔に一子力弥、虚無僧姿に旅立つ夫と、それぞれに図らずも溢れ出す情をよく遣って見せた。秀逸な出来である。小浪は一輔でこのところ持ち役となっている武家の娘=ヒロインを自然体で勤めている。もちろん亡父一暢の跡をよく襲っているし、いずれは亀松襲名となろう。足し算でも引き算でもなくニュートラルな遣い方とでも言おうか。したがって、存在感が出る(主役という意味ではない)までにはまだ至っていない。力弥は玉佳、どこがどうと論うような役ではないが、由良助の息ならばこうであろうと思わせるものであった。

「天河屋」
  本公演での目玉はもちろんここ、完全復活した十段目である。東京十二月中堅若手中心公演の時、十段目が出るというので高熱を押して(インフルエンザではなかった)新幹線に乗ったのがもう四半世紀前になろうとしている。あのときの落胆は今でも覚えている。いくらなんでも改作にはどこか改作なりの良いところがあるものだが、ひとつもないただの贋作との印象しか残らなかった。それゆえに、今回の期待度はとてつもないもので、このところ文楽公演鑑賞は一度でいいとしているのだが、この一段は二度行こうかと思いを高めていたのである。もちろん、高まっている分だけ萎むとなると悲劇的なことになるのはわかっているのだが、これは杞憂に終わった。本公演中第一の出来だったのである。
  端場を小住と寛太郎が勤める。顔順として妥当だが、それ以上に若手でこの場を任せられるのはという意味で最適である。鹿踊りで始まり人形廻しの二上り説教も魅力的、一段は世話場仕立てで聞く者を引きつける。と同時に阿呆(丁稚長吉と同じ首、簑紫郎が遣う)の伊吾がよい味を出して見る者も目が離せない。郷右衛門と力弥の登場は時代に傾けさせるものではなく、討入道具の確認というはなはだ散文的なものであり、逆に世話の感じを高めている。ここで「天河屋の義平は武士も及ばぬ男気な者」の詞章が早速出てくるが、すでにその出から渡海屋銀平を彷彿とさせる大きさで納得のいくものとなっている。これは一にも二にも玉也の遣い方の見事さによる(三は床の奏演)。その後の問答も義平が依頼の討入道具一式の支度をいかに心得ているかが如実にわかるもので、一層義平を大きく立派に見せる。その分だけあの郷右衛門と力弥が大したこともなく見えるのだが、これはこの一段の重要な仕掛けでもあり主題でもある。具体的には、奥での由良助の詞に明白となる。ヲクリで人物交替、それだけ語り分け弾き分けが重要な端場ということがわかる。ここで登場する了竹は首からして曲者悪者とわかるが、この短いやりとりだけで性根を明確にするのは難しい。とはいえ引っ込むともう登場しないから、後のおそのの件の伏線のためにも観客の心にしかと印象づけをしておかなくなてはならない。が、退場時の皮肉な負け惜しみも今ひとつ不明瞭で、全体として中途半端な人物造形となってしまった。他がきっちりと語り分け弾き分けられていただけに惜しまれるが、このあたりは復曲でもあり何度も語り込み弾き続けていくうちに定まるものであろう。了竹以外は、端場の役割を十分果たしたと言ってよい。
  奥は復曲した錦糸の三味線で靖が語る。ヲクリから乙の音で苦労するが、高音は修行で出るようになるとは越路師の話、では低音はどうなのか。と思いを巡らす暇もなく、捕手が押しかけて場が緊迫する。一子を人質にとられるところなど猟師芝六に共通するものの、彼は義理ある故に心迷いがあり、義平の場合は実子でもあり端場で覚悟もわかっているから動じないのは当然である。続いて由良助が長持から登場して長台詞を言うところが前半部のヤマであり、義平に対しては真実真意であり形だけの褒め殺しになってはならないが、一味徒党へは皮肉としても十二分に効かせなければならないという意味がある。難しい詞だが、由良助の品位を落とすことなく、義平の大きさを第三者的にも再認識させ、かつ古朋輩を恥じ入らせるものとなっていた。これだけ語れる靖とそこにまで導いた錦糸は大したものである(この評言はもちろんまさにこの由良助の詞と同様の意味を持つ)。もちろん、人形を遣った玉男の実力は今や揺るがないものとなった。続いて義平の応答となるが、この詞も単なる謙遜となってはならず、真実真意町人では敵討に加われない苦渋を表現する必要がある。もちろん、「武士も及ばぬご所存」がこの詞にもそのまま当てはまらなければならない。これもすばらしく、ヲクリに至る前半部は復曲本公演初日の段階で満足できるものであった。後半部、おその(人形は文昇)と阿呆との掛け合いから始まるが、切実と滑稽とが自然に描かれなければならない。「鈍なことに」が「どんなことに」と聞こえたのは失点で、伊吾の人形も義平の声からおそのに隠れるよう仕向けたのは阿呆ということを忘れた勇み足であった。とはいえ、その他はよく語りよく遣えていた。続く義平の詞、まったく今回は義平の表現が手摺・床ともにすばらしく、ここも悲哀に落ちてはならないが、子を持つ親の言動はしっかりと届かせなければならず、妻に対しては薄情ではないが敵討成就という重石が胸に据わっていることを忘れてはならない。何とも難しい詞だが、人形ともども確実に観客へ伝わった。そして、戸外に残されたおそのはもちろんクドキとなる。これがまた良い節付で、上モリ下モリなど定番の旋律を組み込みながらも、詞章(時間)が短いこのクドキを魅力的なものにするように出来ており、それを三味線主導で客の心を陶酔させるところにまで到達させたのは、さすがは錦糸と絶賛するのみである。続いて本読みだけではドタバタのさすがにあざとい仕掛けと感じざるを得ないところを、足取り(間も)よく捌いて段切は由良助の詞で仕上げとなる。「討ちおほせた後」からパッと晴れやかになるのが見事としか言いようがなく(これで先刻の茶番が祝祭として昇華される)、「天」「河」合言葉の件も心地よく進んで、三重の終曲に至っては「大当たり」と声を掛けたくなる出来栄えであった。人形浄瑠璃を聞きに見に行く楽しみは、一芝居終わっての充実した満足感が得られるかどうかに拠ることを、如実に証明してくれたと言ってよい。これはもう一度劇場へ足を運ばなければなるまい。幕見席とはまさしくこういうときにもってこいなのである。

「引揚」「焼香」
  この二場を連続で上演することに意味があるらしいのだが、通しとのうたい文句ならそれは当然のことであろう。それならば、絶えて久しい「討入場」を復活させた方が理に叶っているのではなかろうか。正直なところ、「焼香」では今更早野勘平を持ち出されてもとの感が強く、通し三分割作戦の大団円としては疑問符が付く結果となったのである。これは、夏公演評でも述べたように六段目や茶屋場の出来はすばらしかったのであるから、責をそこに帰してはいけない。敢えて言えば、この場の太夫の語りにもう一段の工夫が足りなかった(真実味に欠けた)ということになるのだろう。この両場、若手太夫の二人(咲寿・碩)が、富士の嶺の朝日に高く照り映え、路上の雪の光り輝くが如く、清新にして勇みも張りもある語りで大健闘であった。それに引き立てられるかたちで、中堅の睦もベテランの津国も好ましいものとなった。清丈もよくまとめ上げた。人形陣も敵討成就にふさわしく凜々しいものであった。ただ、焼香場は太夫のために若干損をしたと言わざるを得ないが。全体として、「君が代の久しき例竹の葉の栄えをここに書き残す」と詞章にあるように、日の本における人形浄瑠璃文楽の存在感は確かに示されたのであり、あらためて『忠臣蔵』が独参湯であることも再確認した。ただ、将来の繁栄はどうかというと、呂勢の病気休演も含め、心配と不安が残るのである。

 さて、鑑賞ガイドについてである。聴く耳を持っているかどうかは問題にするだけ可哀想というか仕方のないことであるから、テキスト読解という点に絞って苦言を呈しておく。何と言っても、ほとんどの観客がこのガイドを「正しい」作品解釈としてそのまま頭に入れるのであるから。
・「本年は二人の三百回忌に当たります。」…本公演が仏事供養の営みに相当する≠道行冒頭部「悪所狂いの身の果てはかくなりゆくと定まりし。釈迦の教へもあることか。」
・「横恋慕する江戸屋太兵衛が身請けを画策するために、二人は逢瀬も文通もできず」…〜ために、二人は〜できず≠詞章「登りつめたる揚句にはえて怪我のあるものと、堰くはどこしも親方の習ひ」
・「帰る間際の治兵衛の空虚な笑いなどについて、このようなうぬぼれた人物の描写は考えてできる種類のものではない」…空虚な笑いなどがうぬぼれ≠本文「いうことが、「心の内はみな俺がこと」、何といううぬぼれた。こういう所は考えたらいえません。」
・「この場面は治兵衛、小春、孫右衛門などの人物の変わり目が難しいと」…この場面≠本文「「中太夫の四季変り」という言葉が、この河庄に限って使われています。それは治兵衛、小春、孫右衛門など人物の変り目に、非常に難しい技巧がいるわけでございます。」
・「治兵衛の涙が恋心でなく、太兵衛に悪評を立てられて町人としての面目をつぶされる悔しさにあると知り、おさんは小春へ文を送ったことを明かします。」…〜と知り、おさんは〜明かし≠詞章「隠し包んでむざむざ殺すその罪も恐ろしく、大事のことを打ち明ける。」
・「近松の心中に対する心境が、時代とともに変化した様が窺えます。」…時代とともに変化≠「「曽根崎心中」の昔から見て、非常な成長ぶりといわなければならない。」(『近松浄瑠璃集上』日本古典文学大系)
  今回の劇評がこの時点ですでに四百字換算で三十枚に達しようとしているので、『忠臣蔵』の方は書くのをやめる。各人でお考えいただきたい。
  N氏が勉強家なのはよくわかる。ガイドの字数制限が厳しいことも痛いほどよくわかる。歴代ガイドの継ぎ接ぎではなくオリジナリティーを出そうと懸命なことなど痛々しいほどよくわかる。しかし、一言で表現すると短絡の極み。下世話な話で恐縮だが、京大や阪大の二次試験対策講座を何十年と任されてきた者として、制限字数での内容要約・説明記述がいかに厳しいことであるかは身にしみている。勢い、添削も厳しいものになるのであるが、そこで自尊心を傷つけられたと遠ざかる者に栄冠が輝いた試しは無い。悔し涙を何度流したかわからないと語るのは合格報告者のみなのである。