「瓜子姫とあまんじゃく」
プログラムの鑑賞ガイド、実際の奏演を想定して書かれているということはなく、むしろ耳にした床とはとんでもなく乖離していることも多い。これは、鑑賞ガイドが作品鑑賞となっているからで、テキスト上すなわち大学の日文演習室で輪読しているような場合には有効という形だからである(ちなみに、視覚的対象=人形についてはわかりやすいから書ける)。実際のところ、この鑑賞ガイドを書くに当たって過去の奏演や舞台を参照する書き手が、過去に(無論今後も)存在したであろうか。まさか、そんなもの必要なく、これまでの視聴体験により脳内再生できるなどと豪語可能な書き手の文章を見たことはない(いや、正確には過去に二人そういう書き手が存在した)。今回は喜左衛門と越路の話が載っているが、これも過去の記事を探し出したという功績は大いに評価するが、それが今回の床に再現されるから持ち出した訳ではなかろうし、まさかその再現を努力目標として設定して見せたなどということがあるはずもない。ということで、いつものような(当方としては百も承知千も合点の)解説だと読み流し、さあ開幕だとプログラムを鞄にしまい込んだのだが、清介の三味線から呂の語りが始まって驚いた。何と、これは鑑賞ガイド記載通りの、すなわち初演当時のポイントが再現されているではないか。まず、マクラの地色の処理がすばらしかった。ちゃんと浄瑠璃義太夫節になっていて、しかも新作口語体の文章をきちんと客席に届かせている。そのためには、間と足取りそして音遣いという、太夫(もちろん三味線も)にとっての要諦が十二分に駆使できなければならないのであって、その意味からして、この床はやはり切場格であることは確定したのであった(それ以上の紋下格にまで達したかもしれない)。あまんじゃくの説明箇所に用いられたメリヤスの処理も抜群で、三味線によるこだまが印象的なのは節付の妙はさることながら、ツレ弾き二人も褒めなければならない。シンの指導よろしきが故であることは言うまでもない。
今回、このようにすばらしい床を得たことで、作品の内容にまで思いを馳せることが出来た。まず、繰り返されるという意味では、先読みと後追いは同一であるということ。人間がそこから逸脱するというのは、閉鎖的円環を打ち破る創造性を備えているということでもあるし、循環的豊穣を逸脱する破滅性を抱えているということでもある。原作者の意図は後者であるし、近年の自然現象に起因する人工的災厄(津波による原発事故等)を鑑みると、この山父の言葉には重みと深さがある。次に、動物たちとの心の交流。動物が神仏の化身であることは各種縁起によっても示されているところであるが、本作での鶏・鳶・烏もまた、瓜子姫救う存在として登場しているのである。そこには里山の思想というものも当然活かされている。したがって、最後の鸚鵡返しの場面は重要な意味を持つのであるが、如何せん原作者が浄瑠璃義太夫節というものを知らなかったために、ずいぶんと冗長なくどくどしいものになってしまった。周囲の子どもたちを見ると、腕白男児(もはや死語か)は仕方ないとして、女児の多くが物語世界に引き込まれ、笑ったり、ドキドキしたり、なかなかの反応(両親や祖父母の方を振り返り同意を求める仕草を含めて)を示していたのだが、それでもこの場の繰り返しの長さには退屈していたのであった。ちなみに、もう一カ所飽き飽きしていたのがあまんじゃくが去るところであった。ここは人形浄瑠璃文楽の常道として面白可笑しく引っ込みを見せるところだが、どうしても様式美になってしまい、ここまででもうあまんじゃくについては嫌というほど見せられているから、むしろ詞章にある「誰(つばめ=越路はきっちり「たれ」と語る)も見たことのないほどの速さで」を床と人形で描出(繰り返しなく)の後―客席から笑いが起こるのは必定―、即座に場面転換して機織りのメリヤスにするのがベストであろう。
ともあれ、今回の床は初演当時を彷彿とさせるもので、現行文楽において、両人の持ち場として確約されたと言ってよい。とはいえ、この床の最終目標は別のところにある。もちろん十一代目襲名披露である。この夏に素浄瑠璃の会で「市若初陣」が取り上げられたのは、その先触れとして評価すべきなのである。人形陣は一々名を挙げないが、黒衣で全体が統一されていたことが、そのまま遣い方まで連携を取れていたという、むしろ個々に言及しない評言をよしとしたい。
「解説 文楽ってなあに?」
剛毅ではなさそうだが、木訥近仁ということで好感の持てる玉誉。女形遣いではないこともわかった。子役の人形で体験させたことは高評価。
「戻り橋」『増補大江山』
親子劇場そして鑑賞教室でこの手の景事をかけるときは、「五条橋」が唯一にして無二の狂言である。青少年にとっては中間部に入る舞踊と前後の色模様を持て余すのである(実際、今回も女児たちでさえ退屈―脚をぶらぶらさせたり―していた。敢えて次点を挙げると「紅葉狩」、その理由は侍女と山神の賑やかしがある)。それはそれとして、今回はシテの芳穂が若菜の出から秀逸(冒頭は「夜は往き来の人もなし」など不安定)、艶で豊かさもあり四段目語りの王道を歩んでいる。ワキの綱は「武骨者」とある通りに津国が十分。右源太の文字栄も存在理由はある。左源太の碩はやはり若手最右翼の座は譲らず、あと一年もすれば二、三人は追い越すだろう。三味線は清友がこういうときに重宝がられるのはわかるが、興味はむしろ素浄瑠璃「市若初陣」にあるから、今回もまたご苦労様というところであるが、後進の指導をよろしくお願いしたい。
人形は、綱の文司が武骨者かつ家臣連れの年を食った落ち着きを見せる。むしろ景事物の派手な動きには不向きなように見えると表現した方が適切かもしれない。この人の使い所を間違ってはならない。二人の家来は颯爽とし活力もあってよし。若菜は簑二郎が簑助一門の動きの良さを見せてくれるが、カシラの仕掛けのためかネムリ目になっていることが多かったように思う。同じ角出しのガブでも岩長姫の方が数段魅力的に見えたのは、人形遣いの実力差はそれとして、どうもカシラの作りが一段劣るように思われてならない。とりあえず当方には魅力的とは思えず(別に個人的な趣味を持ち出しているのではない)、綱も最初から妖魔の出現を予想していたから、女の魅力に誘われたのではない。そうなると、先にも述べた長々とした色仕掛けはまったくの無駄というもので、その点に関して言うと、女児達がその本質を聡くも見抜いて退屈していたとも言えるわけだ。最後の立ち回りはなるほどスペクタクルだったが、それも第三部にとんでもない代物が用意されているから、何とも損をしたと言うより他はない。やはり、ご苦労様なのであった。
「柳」『卅三間堂棟由来』
中、途中何度「いい加減にしろ!」と叫ぼうと思ったことか(いや実際交代時につぶやいてしまい隣席から奇異な目で見られてしまったが)。叫ばなかったのは劇場関係者や警備員によってつまみ出され出入禁止の処分を受けるおそれがあったから、ではない。それでもこの太夫の素質(体格・音量・低音部音質)の良さは惜しいし、悪党の表現に一日の長が感じられるようになったし、今回は平太郎の足取りがなかなかのものであったしと、まだ将来性に期するところがあったからである。それにしても、浄瑠璃義太夫節には聞こえないというかなっていない。「光当殿の祭祀なるか」をはじめとする大量のテツ(磁石を身に付けていたらどうなっていたことか)、「余寒をしのぐ〜」の長地―優しく艶やかな旋律型で浄瑠璃義太夫節の急所―が酷すぎて情緒も何もない、その後のお柳のクドキはいったいどこから声が出ているのだと訝るほどの惨状で、とにかく耳障り(普通は耳触りが良いなど「触」の字を使うが)この上なく、いったい自分の語りを自分で聞いたことがあるのかと、落語「軒付け」の世界に迷い込んだような気さえした(次回からは糠味噌を持参しようか)。この御仁が、師匠の十八番あの「鳶田」(駒太夫風の極致)を弟子ということで語っているのだから、全く迷惑千万である。これを聞くとそれこそ浄瑠璃義太夫節は「情」が第一だ(無論、情が語れているのではなく、非音曲的であるが故に音楽性が切り捨てられ、逆のストーリー性=情を持ち上げざるを得ない)などという誤謬が罷り通る結果となってしまうのである。「情」は最後に滲み出てくるものであって、それを目標として語るものではない。第一、播磨少掾にしてからがライバル豊竹座の若太夫に劣等感を抱いたがために持ち出したのが「情」であるのだから。そして彼は見事にその通り成功を収めたところが一流なのである。この太夫については、引き続き先輩の三味線陣(今回は宗助、九月は清友だが「志賀の里」のシンを勤めさせるなど幕内からして何もわかっていない)に徹底した指導をお願いするより他はない。そして今回のこの「悪口」(となるのは相手が同等か格下の場合であって、素人が玄人相手に言う場合は風刺とか諫言になる)が、三段目切まで語るに至った者の若い頃を聞き誤った評言、僻耳の愚管と後の世に一蹴されることを望む。
切、マクラを聞いてホッとする。これこそ浄瑠璃義太夫節である。お柳が姿を消しそれを探し求めるところの間と足取りの面白さ(詞章・内容としては悲哀的であるが、それゆえにこそ節付の妙が感じられるのである。つまり、浄瑠璃本を読むに際してはその奏演が脳内に再生されなければならないのである。もちろん黒朱を見てそうなれば大したものであるが、とにかく聴き込んで聴き込んで覚えるくらいにならなければならない)。流石という表現より他はない、紋下格咲太夫と燕三の床である。
奥、騙りと知った平太郎の詞に立腹から無念への変化が出来て、母のクドキに哀感が漂い、盲目平太郎の脆弱から開眼平太郎の立役肚への表現、和田四郎の身顕しで時代物の貫目が出て(ここも鑑賞ガイドがピタリ)、熊野牛王の縁起は堂々と立派、木遣り音頭の魅力に惚れ惚れし、母子対面の音頭には哀切が籠もるという、今回の決定版「柳」の奥にこの床が当てられた訳もまた明白となった。清治師の三味線に呂勢の語る床ならではであったし、何よりも「情」が滲み出つつあるのが頼もしい限りであった。この太夫に「情」が備わればもはや怖いものなし、摂津大掾の再来も夢ではない。これに「くわ」「ぐわ」音が加わるから、もはや名実ともに紋下の資格を有することになる。
人形陣は、和生師のお柳の儚さが得も言われず、平太郎の玉男はあくまでも正直一本で脇役に徹しているところがこの決定版においてとりわけよく、母の文昇もどうやら婆がニンになりそうでもある。和田四郎の文哉は身顕しまでは悪くなかったがその後でカシラがぐらぐらしたのはいただけない。蔵人の勘市もあれでは孔明カシラをわかっていないと言わざるを得ない。どうやら中堅陣は上下で大分差が開いているようである。
『大塔宮曦鎧』
「六波羅館」
前回東京での鑑賞時にどういう評を書いたのか、まるで思い出せないが、それでも今回の方が作品の面白さがより際立っていたことは確かである。まず、竹本座初期の節付の簡潔さと明快さ(清潔さと凜々しさと称してもよい)、そして詞章の巧みさと面白さ(大近松添削の跡かもしれない)、これらがこの立端場から確かに伝わってきて、この段階で既に復曲は成功したと言える。
中を咲寿と清馗、ということは、咲寿を本格的に八世綱太夫家の一員として育て上げると宣言されたわけで、咲寿自身もまた織の次代をしっかりと継ぐ太夫として成長しなければならない。ソナエからのマクラ、格式を心得て語るのは見事だが、「時は駿河守」ではいけない。その駿河守の詞の最後「君が方より」も意味が通じない。しかしまた、その欠を補うほどに、盲目の恋にぐにゃぐにゃの口あき文七と頑固一徹岩より硬い鬼一カシラをよく語って、客席の笑い(太夫への信頼の証でもある)までも誘ったのは上出来であった。地色の処理も西風には肝心要の急所だがよく語った。アイドル系男子に実力が伴ってくるとなるとこれまた無敵には違いない。
三段目立端場の奥を常時勤めるようになると、かつてなら序切格すなわち切語りの末席に加わることを意味する。確かに、靖の好成績は三味線錦糸による指導の賜物で、まだまだその絃による雁字搦めの状態ではあるのだが、それはまるで古靱が三世清六に鍛え上げられていた時を彷彿とさせるものでもある(この話柄は既に何度か取り上げてはいるが、その語りと三味線を聴くたびにそう思えるから、決まり文句ではなく常にリアルタイムな表現なのである)。今回も「大将範貞面色変はり」のところなど、惚けて伸びた鼻毛面が、天下を手中にする傲慢不遜かつ強大な力を持つ口あき文七カシラ本来の性根に戻るところだから、もっと明確に落差を付けて表現するべき(しかも靖にとっては得意なはず)なのに、物足りないもう一つ面白さに欠けると思わざるを得なかった。三重前の斉藤と花園との争いももっと鮮やかで面白いはずだ。とはいえ今は只管待つ時である。ようやく低音部も何とかなるかもしれないという光が見えてきたのだから、促成栽培で助長すれば根が切れてオシマイになり、得意の方面を自在に語らせれば曲がった松の木はもはや柱にならず、ということだけは避けねばなるまい。もちろん、締めて語るのは西風の極意でもある。さて、ここでもまた作者(添削)の筆は冴え渡り、思わず笑ってしまう皮肉な詞章がそこここに散りばめられている。「渋いに甘い柿の本、ほのぼのほの字」とは見事に連ねたものである。しかも最後までちっとも飽きさせないというのは、簡潔さと明快さの極致であるし、近松添削の効果でもあるかもしれない。
「身替り音頭」
中、三段目切場の端場を担当するということは、かつてなら大序を抜けた有望株ということになる。三味線が勝平であるのがその証拠でもあるし頼もしい限りである。師匠没後果たして如何にという視点にも立たざるを得ない小住だが、その進捗たるや恐ろしいほどであった。マクラの厳しさ、右馬頭音頭の面白さ、そして全体に質実剛健の語りは西風にも叶う。これに、若宮の秘めた愁嘆と花園の出の変化と夫婦の腹芸が描出できるとなると、一気に中堅の仲間入りをするであろう。とはいえ、前回までそこここに感じた違和感は消え去り、原木としての白木から品物になる様相を呈してきたから、期待が現実になる日も近いはずだ。三味線の勝平―喜左衛門の系譜は文字太夫時代に縁が深く、また文楽系統の中心ともなった野沢の一党として、小住に添わせる女房役にはもってこいであり、将来の三段目切場語りとしてその先の紋下格まで見据えた指導の継続を求む。
奥、結論から言うと、肝心要の音頭から斉藤の述懐そして段切の車尽くしと、あのように声が潰れていてはどうしようもない。もとよりこれは綺麗に語れなどと言っているのではないことは、聞く耳をお持ちの方々には自明のことである。では、誰に語らせればよかったのか。かつてなら津太夫で決まりだがタイムマシンがない。そこでまず織の名が挙がるが、この柾目の杉板で組み立てられたような当曲に、彼の語りはいわば檜であって香りが立ち過ぎる。顔順で行くとしてもあの音外れではダメだから、いっそ若手公演にして弟子に語らせるのも一興だが、それではさすがに杉板張りでもがらんどうの空間になるだろう。では、「善知鳥安方の安き間もなき」を三重にして「親心」から奥を語らせるのが上策ということになろうか。ならば今回の端場から続けて奥まで丸ごかしでも面白い。と、妄想はここまでにしておくとして、現実的には文字久以外には考えられないところだ。これなら段切(これがどこからかは詞章ではなく節付でこそはっきりする、それと知らずに字面―大学の日本文学科の演習なんかでやっているテキスト読解:ストーリー展開+心情把握+蘊蓄披露―で判断すると聞く耳を持っていないことが露見するから要注意である)直前のオトシで客席から手が来たであろうし、三味線は清志郎でも、段切の魅力すなわちカタルシスを完結させるべく音曲的な詞章(今回は車尽くし)とともに弾き倒してもよいところだから、師匠譲りで観客を満足のうちに追い出せることであろう。
それはそれとして、三味線の富助と前半部分までの千歳の語りによって、この典型的な西風が見事に描出されたことは高く評価しなければならない。女のクドキがくどくどしくなくアッサリしているのも特徴的で、とにかく飽きることがない。そして第一に詞章のさっぱりとした面白さがある。復曲上演に漕ぎ着けたのは正解であった。次回は是非、眼目の音頭から段切までを堪能させていただきたい。
人形、斉藤の玉也は上述の通り見せ場の床があれだから相応の遣い方としか言い様がない。無論、上々である。腹を割るところもなさそうに思えるが、三位の局のクドキを黙然として聞き、花園の哀願に「鬼にも涙〜と詞たるめば」とあるのを見逃してはならない。ここでカシラの俯き加減からそれと知らせよと詞章自らが述べているのである。もちろん、語りがその描出をしてこそ人形との一体感を見るのだが、床はここも強固一本であったから仕方あるまい。右馬頭の玉志はこういう時の定番カシラ孔明をきっちり遣い、流石は名人玉男の弟子であるが、端場での音頭の件や宮御親子を前にしてのところは腹芸が欲しかった。誠実一本なら検非違使カシラで事は済む。花園は一言すると前へ出る強気の女。勘弥は孔明カシラの妻として叶っていたが、もう一歩しゃしゃり出てもよかった。立端場で斉藤とやり合うところなどもっと面白くなるはず。対するに三位の局は位十分の清五郎。とはいえ、クドキはその詞からも取り乱しているから、そこにはやはり不足を感じた。駿河守は玉輝、色に絆された巨悪カシラをうまく遣うが、真実を知ってたちまち怒りに転ずるところは、ああこれで宮方(天皇方)は破滅だと思わせるほどの恐怖心を観客に起こさせればと惜しまれた(もちろんこれもそう語る床があってのことではあるが)。
「野崎村」『新板歌祭文』
中が済むと津駒で後が三輪。この二人の端場を文字久が勤めるというのは納得が行かない。今回はリハビリということか。それにしてもせめて段書きはすべきところであろうに、嫌な顔一つしないのはあの駒太夫の志に匹敵する。あるいはあの古靱のように切場を喰うつもりではと期待も掛かる。もっとも三味線は清志郎―寛治師―団七だから、太夫陣地位下落の今日にあっては考えられなくもないということか。何にもせよ、その語りを聞くに如かずと客席に座ると、弾出しに続いてマクラからすでにもう浄瑠璃世界の住人となっていた。流石である。その語りについても、二十年近く随分なことを書き連ね言い立ててきたが、大器晩成の言葉通りに今日その語りを聞くにつけても、感慨深いものがある。今や安心してその語りに身を任せられる太夫の一人となった。故師の語りの片鱗が聞こえてくるのも、地道な努力の賜物である。今回は久作が映るようになっているのがまた一段の円熟で、故師の一番弟子であった証左でもある。久松が来たと聞いて戻ったその詞の安心感と、おみつとの祝言を喜んで語るその出所とは軌を一にするものであることが、その語りからたちまち納得させられる、これなども通り一遍の語りでは到底無理なレベルなのである。ともあれ、今回は慣らし運転(もちろん手を抜くなどとは無縁)だったから、次は是非とも時代物三段目(切場)を聞いてみたいところである。
前、言わずと知れた名作であるし、寛治師の三味線でお染のクドキの入り方をあらためて知らされたし、津駒の難声ながら義太夫節に聞こえるところも周知の上、あれもこれも納得のうちに盆が回る。
後、ついに三輪が切場(後半ではあるが)を語る時来たれりである。九月東京も道具屋の奥でそのお目見えとなる。眼目は久作の異見で、太夫の難声(詞については逃れている)にはこちらも慣れ(馴れ)たものだし、三味線はベテランの団七が段切シフトで弾いており、この節付だけで歌舞伎とは雲泥の差がついている。年功とはここういうものだと感じているうちに幕となった。
人形は、久作の勘寿が白太夫カシラの性根をきっちり遣う。これが「革足袋」だとこのカシラの強い一面がより強調されるのであろう。久松の文昇とお染の一輔コンビは新時代の到来を感じさせた。おみつの清十郎は「在所に惜しき育ちかや」とある通りに「孝行臼の石よりも堅い行儀」がよく映る。圧巻は、「膝の堤や越へぬらん」のオトシで手が鳴ったからそんなに素晴らしかったかとわが耳を疑ったが、見ると簑助師のお勝が駕籠から登場したところであったこと。なお、小助はあ痛しを自らぶつかりに行っては話にならず、儲け役の船頭はそれをよく承知して存分に遣うのは悪くないが、いつものように現代感覚でやるものだから時代考証大いに問題あり。とはいえ、宮部みゆきの時代物が普通に受け入れられる当今であるから、その前受け狙いも故師譲りのサービス精神の現れとしてプラスに受け止めなければなるまい。
「大蛇退治」『日本振袖始』
綱弥七の原版を聞くと隔世の感がある。とはいえ、現代日本で再演して高評価を得ようとするなら、このようにわかりやすいストーリー仕立てにした上で、舞台人形のスペクタクルにお任せという手法が最も有効である。であるから、振付も今回の方が効果的なのは言うまでもない。床もシテとシンが織と藤蔵で文句なく、躍動する一幕に仕上がって成功した。もちろん、勘十郎の人形があればこそだが、具体的に一点記せば、動と静の対比。あれだけ動いてしかも止まるところがピタリと極まって美しい型になるというのが、天才的な遣い手であることを如実に示していた。スサノオの玉助もスペクタクル人形劇のワキを固め、稲田姫も芯の強さがちんとあった。なお、爺はダブルキャストの後半であったが、詞章の読み込みが不足を露呈した遣い方であった。「おいたはしい」は「さりながら」の逆接で「疑ひなし」と強く肯定されているのである。
さて、叢雲の剣からの連想などでは決してないが、豪雨被害義捐金を募るに際し、幹部級が積極的に呼びかけていたのは、初日や楽日でもない平日でもあっただけに、文楽人の気取らない親しみやすさが印象的であった。芸人は芸人であるのに、何か特別な世界の住人であるかのようにお高くとまった業界人がいるが、河原者として所払いを喰らった頃の方が、見識も演技も上だったことは言うまでもない。先代寛治の話し振りや応対の仕方などを思い出すと、本物の芸人はいなくなったとつくづく感じるのである。もちろん、それと同様に本物の学者先生もいなくなってはいるのだが、こちらはまだまだ肩書きだけで生きていけることは、文楽を例に出すまでもあるまい。