人形浄瑠璃 平成三十年四月公演(初日所見)  

第一部
『本朝廿四孝』
「桔梗原」
  口、マクラが出来て、八汐と老女形の会話が十分となると、次は「草履打」が語れて「政岡忠義」まで視野に入ってくる。すなわち、四段目語りの誕生であり、今後の稽古上達次第では摂津大掾の再来まで見越せるかもしれない。そのためにも、指導者的立場の相三味線がほしいところである。もっとも、今回組んだ団吾がいけないということではない(ただし音色がポコポコ言っていたから拵えは不十分というべきか)。しかも立端場の端場としてあくまでも軽く捌くという大原則も外さずで、いずれ嶋太夫門下四天王の一人と呼ばれるようになるだろう芳穂である。
  奥、ずっと師匠木瓜紋の見台を使っていたが、今回酢漿草紋の紫房で蒔絵も美しい新調の見台であった。もちろんそれに相応しい語りで、文字久という幼名をいつまでも引き摺っている場合ではないと思うのだが。冒頭「こゝに信州〜」のヨミに注意が払われ、慈悲蔵のコトバに真情がこもって、随分と上達したものだと感じる。「包み廻せし絹の香の」以下の足取りが面白く、ここらすべては三味線団七の指導の力も大きいのだろうと思わせた。越名弾正の出となり、今この大きなカシラを作らずに語れるのは彼のみと言ってよく、自然に映って面白い。全体として、切語りが余裕を持って立端場を勤めている感じにまで至っているが、それだけに切場の前ではないし遠慮せずより開放的に動いてよい。
  人形は、丸目の金時高坂弾正に魅力不足を感じたが、それは文司がやはり前受けを望まないタイプなのかもしれないが、せっかくの美味しい役どころしかも床が十二分に働かしてくれる状態であるから、損をしているようで勿体ない。なお、大道具の背景が近代日本画然としたものであったが、書割としてはどうであろうか。考え方には二通りある。

「口上」
  ずらりと並んだ人形陣。玉助は近代の大名跡と言ってよいが、この若さだから行き着く先をまだあると考えてかもしれない。大きく、良く動いて、荒物遣いもと、玉助の名にふさわしい希望が述べられるが、幸助ならばと期待を抱かせる。

「景勝下駄」
  織を寛治師が弾いているのは、ここが「下駄場」すなわち染太夫風のやかましいところであるからだ。詞章もヲクリから「ゆゆしけれ」で、マクラ一枚が「降り埋む雪」「男のすなる名を名乗る」「岩間の水の音絶えて」「木の葉の谺二つ三つ」と実に厳しい。見台なら白木が似つかわしいが、語りを聞くと塗りがしてある。母の慈悲蔵への当たり方も強からず、そして、アゴの遣い方も未だしで、普通の浄瑠璃なら十分合格だが、このままでは、「風」のある一段としてハコに入った三味線弾きの手を煩わすにも及ばないではないかと評さざるを得ない。その三味線、冒頭慈悲蔵の出「ゆがまぬ武士の〜押し包み」の足取りや変化を聞いただけで、歴然と違いがわかる。

「勘助住家」
  半通しではあるが、三段目切場(の前)を勤めるということは正真正銘の紋下・櫓下格であることになる。ますます祖父に似てきた魅力ある呂であるが、今回その地位が形式的ではなく実質的なものであると聞き取れ、ここに至るまでが実に長かったと、感慨も一入にならざるを得なかった。とはいえ、「和田合戦」を語って十一代目を襲名したその時こそが、この太夫の完成形であることに変わりはない。が、その道筋はついてあると感じさせる出来であった。「一人には辛く一人には甘い」という母のツボがきっちりと語り出されており、横蔵の文字通り横柄さも描出しながら味のある人物像に仕立て、「捨ててしまうたか」で腹を割ることも忘れない。唐織が出て格がつき、夫婦の苦衷に「見合はす顔に降る涙」で床と手摺、三業の三位一体は、昭和四〇年代までなら確実に拍手喝采が起こったに違いない。ここから盆が回るまでは三味線清介も一段と冴えて、天晴れの床であった。太夫に切の字がないのがいかにも不審である。
  後は、昨今の陣容なら文字久藤蔵がピタリだろうが、襲名インタビューを読んで、ここがニンではない呂勢に回ってきた理由が飲み込めた。要するに清治師の三味線を聞くということである。とはいえ、春子といい先代清十郎といい、人形浄瑠璃文楽の屋台骨である三段目切場や立役を、元々の芸風からはニンではないが、嘱望されて役が付けられた例もあり、今回も呂勢にはそこまでの期待が掛かっているとみることもできる。結果として、よく健闘したという評価である。というよりも、足取りと間と変化が十分なら、声量や性質はさして問題とはならないということが、前場も含めて今回の三段目切場の語りによって証明されたと評した方が適切かもしれない。「因果」(いんぐわ)、「すかしても返らぬ昔」のウレイ、など細部もきちんと語っていた。一点、「名将の一言心魂に徹し」が深くしみいってウレイになってしまったのは要工夫。
  人形陣。玉助は大きいし気持ちよく痛快。まだ豪壮とか豪快とかには至らないが、いずれ時がもたらしてくれるだろう。それは簑助師が段切を締め括ったことからも保証されている。そこまでの勘十郎も、「一人には辛く一人には甘い」を明確に示した。慈悲蔵の玉男とお種の和生師は助演男女優賞級。唐織の簑二郎はよく遣った。景勝の玉也はここだけではもったいないが、襲名披露を固めるには欠かせない役どころである。

「千本道行」(『義経千本桜』)
  祝言の寿という趣向。それに恥じない出来であった。これで、フシヲクリの替え手がより華麗であれば言うことはない。三味線は燕三をシンによく統制されているが、個性の重層化という究極にまでは至らない。太夫陣は咲太夫が道行には道行の語り方があると聞かせ、ワキの織もよく支える。ツレの津国は年の功、南都はこの人にはむしろ渋い場の方がよいと正月に感じたことを再確認した。人形は、勘十郎の忠信が主役で、例の扇も、来るぞ来るぞのポーズなど見せずに、しかも難しいところを見事にキャッチする(しかもちゃんと忠信の人形がそうしている)という、天才ぶりを存分に見せた。清十郎の静御前は、これが通し狂言なら納得で、狐の段などとりわけ良いのだろうと想像出来た。今年は桜の開花が早く、世間はすでに葉桜だが、劇場内は八分咲き(満開とするにはちと不足)という趣向に図らずもなっていたのが、八世綱太夫家(と敢えて言わせていただく)の徳を物語っているのかもしれない。

第二部
『彦山権現誓助剣』
「須磨浦」
  ここから「毛谷村」までが戦前までは人気曲だった理由がよくわかる。浄瑠璃として後半期の作だけに節付がたまらない。が、それを語れる太夫が存在するか、そして何よりもそれを楽しめる客がいるかどうかに、現在との落差がある。この一段は、三下り唄で始まり、詞章からも都落ちの気分が出る。友平はお菊と弥三松への応対とアシライから、奴とはどういう存在であるかが明快である。が、小住は真っ直ぐな忠義の下僕であることはわかるものの、性根をつかんでおらず実感に欠ける(故米朝の芝居噺「本能寺」のマクラにこの奴のサワリ―歌舞伎芝居だが―を出すが、それを聞いただけでも)。お菊は最初から死亡フラグを立てており、悲哀一方であるが、それだけにクドキで存分に聞かせ所が用意してある。それこそ戦前までなら客がワーワー声をあげたであろう。後半は口惜しさと無念さと必死さと、残酷美でもあるのだが、このコトバは三輪が存分に語った。京極内匠は色悪だが、造型としては現代でいうとサイコパスに相当する。したがって、これが完璧に演じられると、芝居であっても受け入れられない観客は見たくない聞きたくないという者まで出てくるはずである(例えば屍姦への言及や仕種とか)。対象として目を付けられたが最後、夜間一対一で対峙するなど空恐ろしいという点では、「油地獄」の与兵衛と並ぶ性格(というよりも人格障害系)であろう。今回は睦が代役で勤めるが、依然として浄瑠璃義太夫節とは聞こえないところがあり、テツ(「太刀の板も」ほか)も耳障りで安心して身を任せることは出来ないが、声質声量そして体躯に抜群の素質を有しており、あの静太夫の大隅くらいの域にまでは達することはできよう。もちろん、そこへ導く三味線が付いてくれればではあるが。さて、今回の語りであるが、ゾッとする不気味さ気味の悪さ、「念の入った極悪人」の性根を感じさせたのには驚いた。そしてコトバが動くようにもなっていた。ひょっとするととんでもないところにまで至るのかもしれない。浄瑠璃義太夫節のシャワーを浴び続けて耳を鍛え、かつ不断の稽古によって浄瑠璃義太夫節が血肉化すれば、その素質からしてたちまちに三段目切場を一人で語り切る紋下・櫓下の地位に就くことは間違いない。しかし、現状のままその素質と顔順だけで安易に大きな一段をあてがうと、「腐ってやがる。早すぎたんだ」という結果に終わるから、文字通り大器晩成で劇場側も観客側も付き合っていかなければならない。すなわち、劇評中の悪口雑言は、愛の鞭というよりも、安易な妥協と拙速を戒めるためのものなのである。弥三松の咲寿は、公演記録映画会から判断すれば、今の津駒と同レベルに至っている。これらをまとめあげる三味線は清友でピタリであるが、初日はまだ指導中という印象であった。段切「いたはし菊が亡骸を」〜「是非もなくなく」の三重まで、あの「組討」に似た節付になっているのは、場所が須磨浦ということにも掛けてあるのだろうが、哀感漂う実によい旋律だからである。これも含めて、千秋楽には幕見が満席になるほどに語り弾き活かせるようになってもらいたい。それほど魅力的な一段なのである。

「瓢箪棚」
  中、こういう風俗や地口を楽しめたのも戦前までだったのだろう。この場が映るのには相当の人生経験を必要とするが、場格からして中堅までが勤めることになるから、戦後の観客では何のことかさっぱり実感が伴わなくなる。戦前の大所帯だった頃にそれこそ序切に押し込められたベテランが語ると独特の味わいが出て、なかなか面白いところだったに違いない。日本の伝統は昭和四十年代を以て断絶したと司馬遼太郎が言った通り、今日省略されずに残っているだけで有り難いことなのである。今回は希と寛太郎。三味線が祖父の直伝だけあるからか不思議としっくり来る。太夫も人物や詞の多いしかも軽妙さを要求されるこの場を意外とよく語っていて驚いた。この太夫は毎回上手いのか下手なのかよくわからないところがあるが、今回は上手い方だった。早く安定してもらいたい。
  奥、五段構成にすると三段目切場に相当する。なるほど長丁場でもある。とはいえ、設定からすると立端場という感もある。友平が出てくるまでを端場、ツレ弾きが入っての立ち回りからを跡場と考えて語ると、切場として際立つだろう。となると主眼はお園と友平の絡みであり、当然それぞれの心情表現も必須となる。まずその端場、お園が夜鷹に出る様子をわざわざ描く必要はない(なお、ヲクリ交替前の場面についてプログラムのあらすじ解説は間違っている。「祈願の妨げになるとして追い払われている」のでなく、そんな狭量かつ我が儘な願主の祈りなど神が聞き届けるはずがない。夜鷹にも施しをするような人物だから神の思し召しにも通じるのである。が、実はそれはお園と鉢合わせしないようにとの配慮なのであった)。当時の身近な庶民風俗を見せることによって、客席をリラックスさせるという工夫である。最初に出てくるのが、落語「五人廻し」「酢豆腐」にも出てくるキザな男で、円生の語りがまざまざと浮かび上がってくる。次の相撲取りは「千早振る」でも一本刀土俵入りでもよいが、これは体格がいいだけに目立っていたものでもあろう。鬼若カシラだから浄瑠璃好きならもちろん放駒長吉が一番に出てくるであろうが。伝五右衛門の描写には、本物の心棒が入った武士というものに襟を正される思いにもなる。かつ慈悲も情けもあり、花も実もある侍とは良く言ったものである。三人の中ではやはりこの人物造形に目がとまる。乗馬も見事で天晴れ武士道の体現者、ここは人形の玉佳を第一に褒めなければならない。ここまで津駒は無難に勤める。そうして、眼目の友平とお園の絡みとなるが、一連の流れは掴んでおり可と評してよい。しかし優良そして優秀には至らないと言わざるを得ない。もちろんそれは絶対評価であって、相対評価なら優秀となるものである。津太夫そして春子太夫(三味線はいずれも勝太郎)のを聞くと、文字通り必死であり真情が切迫してくる。順に挙げると、まず再開というよりもはや邂逅といってよいほどの喜び、お園の何心ない問い掛けが胸に突き刺さり、発語の助字「は」に万感を込める友平、せりかけられて「お妹様」ではなく「無念な」と発する心の内、客席から手が来るはずの「お道理だ」は、前段で弥三松に向かうものと同じではいけない。それは相手が違うと言うこと以上に、ここではお園の激情を受け止めかねているし怪力で締め上げられてまずは声にも出ないのである。これが出来ていない時点で、秀はもちろん優もそして良すら付けられない。友平の独白には血が混じっていなければならないし、守り袋が手掛かりにならないと知った瞬間、それはがっくりなどではなく自死を決意した瞬間なのである。又助の「思はず溜息ほっとつき」と同種同類と言ってもよいだろう。そんな友平は眼中になく妹への思いを深くするお園への節付が魅力的であるのは、ここが前段からのカタストロフィであり、三段目切場の山であることを意味する。続いて武道師範の家、仇討ちというものの壮絶さ、友平の腹切は勘平のそれと同じく凄絶の極み。そして京極内匠が明智光秀の遺児と判明するという、とんでもなくスケールの大きな時代物へと進んでいく。こんな浄瑠璃を真っ向から語っていたら命が削られるのも当然で、春子は舞台で死ねとの大団平の遺訓そのままに、津の場合は息を詰めて弾く相三味線が次々と倒れるとうことになつたのである。観客もまた友平とともに無念の涙を食い縛り血圧上昇するから命懸けである。そんな体験が昭和四十年代までは劇場において現実に存在したのである。しかし今は「舞台で死ね」などハラスメントかつ人権軽視であるから、時代が違うのである。三業の責任ではないのだ。瓢箪棚の上下で繰り広げられる立ち回りを面白く見られればそれでよい。その意味では、この一段今回成功したと言ってよいだろう。三味線の藤蔵については、この一段を弾けるのはこの人しかいないという評に尽きよう。
  ここまでの人形、お菊は夫に死に別れての子持ちしかも虚性での敵討ちの旅、心身共に疲弊しきったいる。しかしその分それだけの美しさが際立ち、かつ京極内匠に惨殺されるがゆえの倒錯美も付加されるといものであるが、勘弥は前二者については確実に描いてみせたものの、後二者については物足りないというより、そこまでの解釈は必要としないという遣い方であった。友平の文昇は太夫と同様に奴というものの遣い方には至っていない。現陣容では玉佳が最適であろうか。

「杉坂墓所」
  口、御簾内。それに比して出遣いが多すぎる。少なくとも「須磨浦」は黒衣にすべきだし、観客の反応が人形遣いの登退場(床もこれに準ずる)の際に拍手するのみという現状にあっては、いわば楽劇をぶちこわす方向性に傾いているとも言えるわけで、その意味からも出遣いは控え目にすべきである。いっそのこと、すべて黒衣(床の方は御簾内だと音声が遮られることにもなる)にするという英断が必要な時期かもしれない。さて、三業の成果だが、亘はマクラに不安が残るが、主眼である六助の描出に関して好青年という印象を残せたのは良しとすべきである。錦吾はどういうところがないということを大器晩成型と見て今後に期待したい。
  奥、靖は前回確か口を勤めたから、二階級特進ということになろうか。低音部の苦しさは依然として克服されていないが、六助と内匠の語り分けを、足取りや間、ここでは時代と世話のそれによって成功させ、それぞれの性根(内匠の場合は孝子の虚像であるが)を描き出した力量は大したものである。もちろんいつも通り三味線錦糸の指導よろしきを得ているのは言うまでもないが、毎回成長していることが(今回はコトバ)喜ばしい。相三味線を見ただけでも将来を嘱望されていることは明白であり、その重責に負けず研鑽を積んでもらいたい。

「毛谷村」
  中、睦の本役で三味線は喜一朗改め勝平。冒頭の典型的な官僚武士二人が語れており、弾正の張り子の虎ぶりも出来、以下、次々に登場する人物がカシラと違わず認識され、想像以上の出来であった。芸に進捗がみられるのは頼もしい限りである。ただし、「切る者乾しに」のテツ、「オヽ品に寄ったら」の「オヽ」がどういう感情の裏付けでどういう心境から発したものかがまるで不明、等々の看過できない、放置すれば致命的になりかねない誤り(欠陥)がそこここに散在しているのは、はなはだ心許ない。本役でこれということは、身に付いてしまったものを削ぎ落とすところから始めねばならず、前途は厳しいが克服される日を待つことにする。三味線は襲名が芸を大きくする見本で、四代目襲名に向けて更なる努力を切望する。
  奥、千歳と富助の持ち場で、四段目切場の格である。太夫は前半がすばらしい。マクラの情感、母を慕うしんみりとした描出、六助の共感、一転してお園の出から六助との掛け合い、「悦ぶ体に偽りなき真実見ゆれば」の詞章ピタリのコトバ、そしてお園のクドキまで、切語りとしてよい出来であった。三味線はマクラの「鶯の囀る声に」とかクドキの「出づるも散り散り」とかハッとさせられ、何度も言うが千歳がここまで語れるに至ったのは相三味線が富助だったからである。ところが、後半は太夫に例の病気が再発してガタガタに崩れたのは残念であった。まず、六助が「かかる憂きには」からも前のコトバを引き摺ってうれしそうに語るから中落シが決まらない。母が「今こそ親身」云々と語って一味斎の妻としての立場を正しているのにこれまた前のおかしな感じを引っ張っており、人形の勘寿が折角燻し銀の芸を見せているのに大迷惑である。斧右衛門は百姓だし段切近くだから節付が面白くしてあるとはいえ実母を亡くしたものの哀れが浮き出てこないと、「呼子鳥谺に響き〜見えぬらん」の詞章が虚言となる。そして、段切を颯爽と痛快に十分語り終えられないようでは竜頭蛇尾で、段切がなぜあのように節付してあるのかその意味が観客に伝わらず、ひいては客を育てその耳を養成するという重大な役割を放棄することにもなろう。となると、このままではやはり切の字は与えられないということか。
  人形は全体として六助の玉男が十分で前回よりも自然に映り、とりわけ敵討ちを決意してからの強さがよく応えていた。お園の和生も絶妙で女丈夫そのままは例の鴨居を片手であげるところで客席から嘆声が上がったことからも明白である(瓢箪棚の立ち回りはもっと派手でもよい)。六助を意識しての女ぶりも面白かったが、「瓢箪棚」「毛谷村」ともにその愁嘆に真情が見えた。京極内匠は玉志、この人おそらく黒衣の方がよりよいのではないか。出遣いだと今ひとつ思い切れていない感を持つ。とはいえ、「須磨浦」でのゾッとする異常者ぶり、「杉坂墓所」での誠実風偽孝子、そして「毛谷村」で権威を得た横柄さと、なかなかの遣い方で、故師玉男の優れた技芸の一端を着実に自分のものにしている。現状では人形遣いの方が太夫より上だから仕方ないが、国宝級の太夫が語ったときにその遣い方はいっそうの高みへ至るものと思われる。その意味からも、太夫陣の奮起を強く望みたい。人形浄瑠璃文楽の未来はやはり太夫にかかっているのだ。