人形浄瑠璃 平成廿七年四月公演(4日・18日所見)  

第一部

「靱猿」
  松羽目物で、本行では付祝言にもなるから、今回は二代目吉田玉男襲名披露を見据えて建てたもの。大名の睦は詞に張りがあり、また世情に疎く形式的かつ尊大な貴種の性根をよく語り出していた。もちろん、後に哀れを知るところの変化も十分で、優良な出来映えであった。人形の文昇も初日は生硬な感もあったが、前述の性根を堅実に見せるようになっていた。太郎冠者は始と勘市で、家来であり、のさ者呼ばわりされる個性を、きっちり捉えていた。シテは猿曳である。主眼はもちろん猿を射殺さねばならぬ愛惜の情で、三味線の藤蔵が見事にそれを弾き出すのに驚きつつ、咲甫の語りと清十郎の人形(眉の遣い方など)によって、哀感が客席にも十分に伝わった。大名からの助命への感謝は、大げさにするわけにはいかないものの、もう少し喜びが強く、感情の解放が明快であるとよかったのではないかとも思われた。猿の玉翔も文字通り猿真似を無心にするあたりの悲哀に加え、畜生でありながら人間に近いがゆえの不気味さとでも言うべき、猿が持つ特異な雰囲気を、何と言うことのない仕草や歯を剥き出して威嚇するところなど的確に描出していた。祈祷になってからの動きがよいのはもちろんで、ユニゾンたる咲寿、小住、団吾以下の三味線も祝言曲らしく晴れやかで結構。休憩を挟んでの口上にきちんと繋いだ。

吉田玉女改め二代目吉田玉男襲名披露「口上」
  太夫部が嶋大夫、三味線部が寛治、人形部は同期の和生と良きライバルの勘十郎、司会は千歳。先代の思い出と二代目入門当時のことを語られたのが印象的であった。待望と言うよりも新時代への転換となる襲名であろうとあらためて感じた。

『一谷嫩軍記』
「熊谷桜」
  宗助の指導(と名実共に言えるほどになったのは、その三味線を聞けば明らかである)で、希と靖が公演前後半交替で勤める。まず希であるが、マクラが立派で格式があり、「若木の花盛り」のカワリも出来て、「遙々と」から相模の出のハルフシもよかった。藤の方も貴人の奥方としてよく映ったが、それに比すると、相模の表現が足取りも含めいささか上品に過ぎたように感じ、両者の区別が今一歩鮮やかではなかった。しかし、以前の平板さからは長足の進歩で、この個性が大家の風、すなわち不動の風格にまで至れば、とんでもないことになろう。靖は、やはり詞に動きがあって面白く、ツメなどはもう術中にある。藤の方に比してややくだけた感じの相模も説得力があり、「今来て今の物語」からの聞かせ所も、不即不離が出来ていて感心した。その浄瑠璃義太夫節にこなれている感じは、逆にマクラやハルフシの格となるといささか及ばなくなる。しかし、これも希同様太夫の個性という範疇であり、この若手有望株のライバル関係は、今後の成長にとって必ずや有意義に違いない。毎公演切磋琢磨しての向上が楽しみである。三味線は、前述の指導力に加え、例えば「積もる言の葉繰り返し嬉し涙の種ぞかし」など、魅力的な節付けを浮かび上がらせ、段書きがある端場の値打ちをきちんと聞かせてくれたのである。襲名披露お目見えの、そして座頭格切場の端場として、その責を果たしたと総評できよう。

「熊谷陣屋」
  朱塗りで綱紋の見台は、玉男紋の肩衣を着用していることからもわかるように、襲名披露狂言の床だからである。もちろん、初代玉男へと繋がる芸の伝承を象徴しているとも言えよう。いずれにしても、咲大夫でなければ不可能であり、良い女房役としての燕三の三味線があればこそでもある。初日の感としては、ニュートラルに語り弾いて、二代目玉男の人形に対し自由に仕事をさせてやろうという風に聞いた。もちろん、浄瑠璃義太夫節の骨格なり一段の「風」は踏まえてである。したがって、観客としては全面的に手摺の人形、すなわち玉男の熊谷がどう遣われるかに集中することになったのである。かつて綱弥七が、「文楽浄瑠璃集」(岩波日本古典文学大系所収)掲載「寺子屋」解説のために為した録音に関し、適当に奏演したという趣旨の話をしているが、これは手抜きだとかいい加減だとかいうのではなく、対象に相応しい文字通り適当な奏演をしたということである。今回も、それと同様なのである。中日を過ぎて再び客席に座ると、熊谷と相模のやり取り探り合いが実に面白く動きがあり、物語では我が子を討ったという事実が回想的真実の裏にしっかりと貼り付いていて、二人の人形もその床と絶妙にマッチしていた。そして、あっという間に盆が回ってしまう。今をときめく全盛の床であるから、ここは一段丸ごかしで聞きたかった。とはいえ、襲名披露狂言の床として、長く記録にそして記憶にとどめられる奏演であった。
  後半は清介の指導の下で文字久が勤める。詞はやはりなかなかのものだが、初日も中日過ぎも喉を痛めているのではと感じた。しかし、これが本調子というならそれはそれなりとして認識しなければなるまい。ただ、今回はやはり苦しいなあと耳に障る箇所が幾つもあったから、個性として定着させるには不足なり不満がまだまだ存在する。例えば、相模のクドキで涙を催したのも、人形と三味線の手柄であった。とはいえ、公演中も進歩していたのはまだまだ前途有望で、中日後は以下の通りであった。マクラが引退した師匠を彷彿とさせる、弥陀六に力感がある、「虫が納まった」の変化と心情が出来た、義経の詞が素読から納得のいくものになる。そして何よりも、これは初日からでもあるが、「十六年もひと昔、夢であつたなあ」が、熊谷真情吐露の最大眼目としてこちらへ伝わってきた。とはいえ面白いとまではまだまだ言えず、文楽を聴きに行くというのは、三味線にはほぼ当てはまるにしても、太夫は人形入りで観に行くという方が勝っていた感がある。英が実質切語りであり、津駒ならびに千歳と呂勢が三味線の指導よろしきを得て、これまた切語りの地位を確固たるものにしている現状にあって、文字久の地位がどのように定まるのか、興味を持って彼の浄瑠璃を聞き続けていきたいと思う。ちなみに、初日大当たりとの声が飛んでいた(随分と生硬な形式的なものであった)が、あれは後半の太夫については割り引かなければならないものであろう。
  人形陣、二代目玉男の熊谷は、相模を強く意識しての物語、首実検での種々の型、有髪の僧体での述懐など、要所を的確に押さえつつ、こせつかずに立役としての大きさを見せた。なお、先代は懐手しての登場や、若木の桜を見る後ろ姿から、すでにこの一段での熊谷の性根を感じさせるものであったが、奥の心理描出という点では、まだまだこれから、というよりも、どのように遣うか二代目としての個性の確立という点から、今後注意して見ていきたいと思う。ともかく、当代立役としての地位は固まったとしてよいであろう。相模の和生は、口上の舞台で大柄な人だと驚いたが、女形の人形を遣うとまったくそうは感じさせない(舞台下駄での調節などという話ではない)というのが、黒衣たる人形遣いの範とでも言うべきものである。端場から、夫と我が子に会いたい一心と、妻として母としてそれぞれを自らの誇りに思う情感が滲み出ていた。夫に探りを入れる場面、物語を聞いて夫の代役として藤の方を諫めるところなど、後の悲劇への伏線となる箇所の遣い方にも神経が行き届いていた。眼目のクドキでは客席に涙をたたえさせ、胴欲なと夫に詰め寄る唯一の自己主張の強さなど、二代目玉男の相手役として文雀師の一番弟子という、これも新時代を眼前に感じさせてくれた。藤の方の勘十郎は、これまでもこれからも良きライバルとして文楽を盛り上げるという意味での、いわば相伴役としての立場と見てよい。とはいえ、その微に入り細を穿ちながら煩瑣でも神経質でもない遣い方は、ここでも明白であった。藤の方がシテとなる場面は当然のこととして(無論そうはならない人形遣いが大半であるのだが)、例えば、相模のクドキという、藤の方としては何もせずとも別段指摘もされないところ、相模の詞によって首が敦盛ではなく小次郎のものであると理解し共感して悲哀に沈む一連の遣い方は、TVや映画ならば演技派女優を彷彿とさせるもので、人形カシラの上下左右の角度とそのタイミングによって描出してみせ、前代未聞かつ空前絶後の驚きと感心を持ってそれに見入らざるを得なかった。弥陀六の玉也は、すっかり老け役が板に付いた感があるが、このただ者ではないクセのある老人の性根を、端場から自然体で見せていた力量は、人形遣いとしてもただ者ではない。敢えて言うならば、宗清と正体を現してのタテ詞で、石屋の親仁などという枠にはとても収まりきらない、激情迸る様を見せても、遣い過ぎにはならなかったように思う。しかし、この新生文楽の舞台上に確固たる位置を占める一人と、認識され登録されたことは間違いなかった。義経の玉輝は、源太カシラの性根云々というよりも、大将たる大きさと存在感を示せていた。梶原は、「鮓屋」の平三景時ではなく平次景高であるから、裏もなく深くもなく、虎の威を借る狐であればよく、かつカシラが金時なので陰湿に見えてはいけないのだが、玉志も幸助もそれぞれに出来つつある個性に応じた遣い方で問題なかった。軍次は家の子たるに相応しく、よく気が利いて仕事ができる若手。玉佳に動きがあり玉勢に品があったのも、これまた個性の範囲内で然るべき遣い方であった。この四人には、襲名披露狂言という、新時代文楽の舞台に一役を担っていたということを、今後とも肝に銘じて修業に励んでもらいたい。この陣容での、我等が時代の文楽がどのようなものとして定まるのかを、毎公演期待しつつ客席から見つめることになろう。

「平太郎住家より木遣り音頭」『卅三間堂棟由来』
  簑助師のお柳と寛治師の三味線のために用意された追い出し付け物であるが、これはもちろん観客としてはこの上ない喜びである。また、先の襲名披露狂言を後詰めや殿軍の役として、きっちり正しい位置に収める意味もある。この押さえがあればこそ、新時代文楽の開始を言祝げるわけである。
  端場を芳穂と清馗。四人の人物そして詞色地の語り分け弾き分け、中堅陣への仲間入りも射程圏内に収め、東風の曲調と足取りをもよく心得た好演であった。
  奥、寛治師の三味線は、冒頭お柳の苦悩から出会い回想のロマン、そして散り来る柳の神秘から再びお柳の苦しみから悲しみへと、その三味線を聴き詞章を繰れば状況がありありと浮かび上がり進行していく。もちろん、津駒の語りもそのようであって、悪いはずがない。中日後は調子が上がっての木遣り音頭がとりわけ美しく、緑丸の唄では哀切がこもっており、すばらしい仕上がりとなっていた。要するに、寛治師の指導の賜物なのであって、「仏果」(ぶつくわ)一つを取ってみても、津駒はこの相三味線として戴く期間を一刻たりとも無駄にしてはならないのであるし、現にこれまではよく応えてもいる。また、毎公演ごと何度も言うが、名人団平以来の彦六風の伝承や、津大夫系の継承についても、津駒は今や重要な地位を占めているのである。しかし、こういう事柄を脇へ置いて、江戸期からの人気曲として聴いても、なるほどと納得できるものなのであった。
  と、ここまで書き進めてきたが、本来ならば、また鑑賞における印象度からしても、最初に簑助師のお柳について、筆を執らなければならないであろう。それほどに、人間国宝の力量はとんでもないものであった。端場、「心ありげに携へ出て」に母からではなく直接自ら夫に言いたいとする、その退っ引きならない心情がまず出る。そして、緑丸の寝顔を見る夫の横顔に、自らはうつむくその表情。奥になって、前述寛治師の三味線の流れと相まった所作と表情。消え失せる時にはもはや木の精としての性根が表れ、再び姿を現してからの永遠の別れにおける情味のほとばしり等々、筆舌に尽くしがたいとはこのことで、これは実際に客席から舞台をご覧戴くしかないのだ。一言で表現すれば、絶対的な存在感であり、大きさである。しかも、今回は木の精としての一面による、儚さの絶対性とでも言うべきものまでが描出されており、これは人間の役者では到底表現不可能であろうと、恐懼するまでの芸であるとともに、それを「いま・ここ」において経験できている至上の喜びをもひしひしと感じたのである。平太郎(簑二郎)と緑丸を弟子の二人がよく勤め、ワキに蔵人を紋寿、母を勘寿で固めた舞台は、文字通り一世一代と評してよいものであった。

第二部

『絵本太功記』
「夕顔棚」
  松香清友で、年功者の端場はよいものである。まず、一段に耳障りや破綻や違和感を覚える心配がないということ、つまり、浄瑠璃義太夫節に身を任せることが出来る。次に、それは人形との調和を生み出して舞台空間が安定し、観客は自然と物語世界の住人となることが可能となる。冒頭のツメ人形から、初夏の季節感の中で女三人、老婆の一本芯の通った強さと、妻の手慣れた身のこなし、嫁の初々しい生硬さ。一癖ある旅僧の登場から、戸外の光秀と、孫十次郎の凜々しさ。この遅速強弱変化して、それがそのまま登場人物の有り様でもあり心情として(劇音楽として当然のことではあるが)、きっちり聞く者に伝わってくるのであった。

「尼ヶ崎」
  麓太夫風、前公演「駒木山」でも記したように、高音から低音まで声量・腹力とも剛強かつ上品、つまり、たまらなく魅力的かつ圧倒的な浄瑠璃義太夫節なのである。それだからこそ、杉山其日庵も中興の祖と呼んでいる。今回、前を呂勢が後を千歳が担当したが、これは的を射た配し方であり、二人合わせて麓に広がる裾野という印象を持った。至らぬまでも、方向や角度は間違っておらず、この浄瑠璃の威容は明らかに感じ取ることができたからである。
  呂勢は如何にしても清治師に弾いてもらっているが故である。とはいえ、三味線は太夫の個性をよく知りそれを伸ばそうとしているから、聴いていて無理も違和感もない。以前鑑賞教室で聞いた時は、人間国宝の相三味線だけに立派なものであったが、何とも窮屈で面白みも快感も覚えるには至らなかった。なるほど、相三味線とはよくしたものである。この前半、初々しい男女の恋模様を戦いという修羅(これは後半で前面に出てくる)の外枠に覆われた中で描く。「残る莟の花一つ、水上げ兼し風情」とは第一に母と祖母への孝ゆえであるが、第二の恋こそが十次郎萎れの主因である。当時の倫理道徳において、この順は絶対的なものであるから。ゆえに、節付けも「討死と聞くならばさこそ嘆かん不憫やと孝と恋との思ひの海」が聞き所で、「恋との」が高音を辿って聞く者の琴線に触れるようにしてある。以下、初菊のクドキでの心情流露は涙のそれでもあり、「胸は八千代の玉椿」でその思いは質量ともに昂揚し、「散りてはかなき心根を」で一転哀れの欠片となる。この辺りの情感は得も言われぬもので、清治師絶妙の三味線に呂勢が自らの長所美点を伸びやかに表出して、文楽を聴きに行くという言い方が死語ではなく、確かにいまここで存在感を示したのであった。人形抜きで、すなわち素浄瑠璃で、あるいは戦前ならそのままSP盤にプレスして発売され、各家庭の蓄音機からその浄瑠璃義太夫節が流れてくる。これを聴いたら、素人衆は確実に自らも語って(唸って)みたくなったであろう。それはもちろん、節付けや作品のすばらしさを見事に再現して聴かせたということでもある。呂勢はこれに「情」が自然に乗っかるのを待つばかりであるが、ここにはまだまだ鍛錬と修業が必要であることもまた事実なのである。しかしながら、ともかくも第一義的に、浄瑠璃義太夫節に身も心も持って行かれる、すなわち、越路師匠の言っていた「義太夫節菌」に冒される(「情」に感動するのは別範疇)奏演が現出したことに、驚嘆と無上の喜びを抱いたのであった。
  千歳は三味線富助の指導によって、ようやく(嘱望されていた割には遅く)切語りへの道がついた。俊才は小さくまとまらぬようというのが課題であったろうが、その克服が、異様な強弱差や汚らしいまでの仰山な喚き散らしなどとして現出したのは、不幸を通り越して不快そのものであった。これが、越路師匠の白湯汲みをした若手有望株の成れの果てかと、一時は落胆と悲哀と憤懣やるかたない思いを重ねてきたが、相三味線によるリハビリによって、次代の希望が見えたのである。千歳が呂勢よりも先んじていると感じるのは、部分的にしても「情」が観客をとらえて涙させるところへ来ているということにおいてである。例えば、十次郎が瀕死の重傷で肉親・恋人に別れを告げるところ、素浄瑠璃では省略される老母最期のクドキと十次郎の絶命の箇所、前者では「もう目が見えぬ」からの詞が堪らず、後者は良い節付けに滲み出る情味を観客に聞かせ、越路門の有望株は見事に成長したと思わせるところであった。段切の爽快感もよく認識している。光秀も豪放磊落を絶叫せず、大落シも乱暴にはならずに強さと大きさを示しており、ここ数年とりわけ批判してきたものが、克服されつつあるのは、その次の切語り(次は英でもう実力的に確定)それも三段目担当としての地位を約束してもよいのではないか。襲名披露で人形陣は新しい段階に入った今回の公演で、肝心要の太夫陣において、このように前途が開けたことは、何よりも嬉しい限りである(三味線陣については中堅若手まで問題ない)。それにしても、相三味線(とりわけ太夫が格下の場合の指導力)というのは重大な意味を持つものであると、再認識させられた。
  人形陣。まず、手摺全体が息の合っていることを挙げなければならない。十次郎が正気付くところなど、一幅の絵を見るように極まっていた。また、型はもちろんのこと、情の通った人形は、三人遣い文楽が木偶芝居とはまったく違う芸術性の高いものであることを、観る者にしっかりと印象付けた。光秀の勘十郎は、人間光秀の心の機微が伝わって舌を巻くのは才能の為せる業だが、公演初日には主殺しの悪名をものともせぬ決然たる姿には至らず、例えばかつて初代玉男が「退りをらうと光秀が一心変ぜぬ勇気の顔色」で極まると、妻操は勿論のこと観客までが思わず仰け反ってしまうような、文七カシラ立役遣い座頭たる偉大さを感じるには至らなかった(これなどは、二代目玉男の方に軍配が上がるのだろう)。歴史の大歯車に敢然と挑む一個人の力(もちろん最後は小栗栖でそれに呑み込まれてしまうのであるが)、その潔さと感動こそ、時代物最大の魅力なのである。母皐は和生の代役(とはまったく感じさせない出来)だが、「見たところが上方で歴々のお衆」とあるように、武士の家系に連なる姿が端場から一目瞭然、かつ、孫やその嫁への情愛がよく伝わり、光秀登場までの主役に相応しい存在感を見せた。妻操は勘弥。安定性に加え、神経の行き届いた遣い方は、やはり勘十郎と組んだ芝居で一層その個性が輝く。手負いの母に驚きそれが夫光秀によるものとわかっての悲哀など、その典型であろう。端場での対姑対嫁における気遣いもよく、手摺全体を見渡して遣えている。後は、立女形となって芝居全体を引っ張る時が来るのを心待ちにしたい。嫁初菊は一輔で、ともかく初々しくそしておぼこ娘(初々しいというより控えめで世慣れず洗練されていない)であることを前面に出した遣い方であった。ただ、武士の娘としてもう少しキッとしたところが見えてもよかったかとも思うが、これを個性としていくのも、女形は激戦区でもあるから首肯できる。十次郎が幸助でこれが秀逸。元よりその遣い方には天性の良さが感じられたが、ここ数公演で着実に力を付け、前受けではない存在感のある遣い方は、次次代の人形陣を背負う位置にあるとまで感じさせた。この人も、相手役や手摺全体との関係において自らの人形を見据えることが出来るから、今回の布陣では抜擢なのであろうが、十二分にこれに応えたと言える。ただ、それだけ分別に落ちるきらいもあるわけで、二月東京での和藤内は落ち着きかえって見えたし、十次郎も端場での恋模様や出陣において(萎るるばかりの思案が底にあるとはいえ)抑制が効きすぎていた感はある。とはいえ、玉男が名跡になった現代において、玉助そして玉造(玉蔵)の大名跡を復権させる期待を掛けてもいいのではないか、そう思わせた実力は確かなものであった。久吉は文司で狂言回しだが、これまたこの布陣にあって違和感ないが、前半で軽妙さ、後半で威厳がもう少し明瞭に見えれば言うことなしというところであった。
  全体として、この人気作が、世代交代の陣容で、二十一世紀平成の時代、文楽騒動後の大阪国立において、肯定的に受容されたことは、三百年の伝統の力強さと共に、その歪みのない更新に将来への可能性も感じさせた。四月公演は襲名披露のない第二部においても、成功したと言ってよいだろう。

「紙屋内」『天網島時雨炬燵』
  改作は改悪であり原作が上演される(完全なものではないにもせよ)以上は無用である、改作は改作で楽しめばよく現にここまで残っているのは観客に親しまれてきた証拠である、そもそも江戸期の庶民にとって改作こそが原作なのでありこれが文楽の本当の姿である、とそれぞれ主張がある。いずれにせよ、三業がどう聞かせ見せてくれるかによって、観客は感じ取るところがまるで異なってくるのである。
  中、原作上の巻はなまいだ坊主の一くさりをこちらへ誇張して割り付け、奥と合わせて、一芝居として独立させられるようにしてある。したがって、「不心中か心中か誠の心は女房のその一筆の奥深く誰が文も見ぬ恋の道」と次段への伏線を張り、幕が開くと打って変わって生活臭のある紙屋内における、蜘蛛の巣の如く張り巡らされた人間関係と治兵衛の位置付けを提示する、近松の筆の見事さを求めることはできない。そうなると、改作独自の世界を展開させている中と奥とが、原作を意識する上では、眼目の切場以上に重要となってくるし、そこにこそ江戸爛熟期の庶民が求めた文楽の姿が如実に現象化されることにもなる。この場で言うと、ちょんがれ坊主がそれである(太兵衛の手紙を巡る件は世話物のそこここに類型がある)。咲甫と喜一朗は遠慮無く(まさに伝界坊に遠慮のえの字もないように)この猥雑で俗悪な臭気漂う存在を活写する。それも、相手の強弱、貧富を自分の損得勘定でただちに処理して振る舞うのを、見事に演じ分けていた。江戸庶民文化史の一端を垣間見たと、笑っているうちはよいのだが、いつの世にもどこにでもこの輩は存在するのであって、もし自身が治兵衛あるいはおさんであればと、不快感に襲われるところまで、床の奏演は仕上げていたのである。これらはまた、当然のことながら師匠による指導の賜物でもある。チャリという捉え方をすれば、故綱―咲―咲甫の系譜が確かに感じられもした。孫右衛門の男気も含め、これで咲甫はいずれ「油店」を語る日が来よう。その時は立派な切語りとして。
  切場は嶋大夫錦糸で、この床より他はない。改作はそれでも聞く者の胸を打ち、「面倒ながら真実の妹持つたと思うて」など、あるいは父五左衛門に対し夫治兵衛の廓通い始まりの真実を切実に訴えるところなど、おさんの衷心衷情は余すところなくこちらへ伝わった。「情」第一に語られた証左であろう。とはいうものの、改作のあざとさゆえの節付け、「憎いさうな」から始めて「明けて取り出す染小袖」など、奏演もあざとくなければ面白みは当然に低減する。今回の奏演は、原作「紙屋内」ならさぞや名演となったろうと思わせるものだったが、名演はあり得ない改作物の場合(例えば、治兵衛の「そんなら暫く別れてゐよ」以下の詞章など呆れて口あんぐりである)は、快演となってこそ十全なのだろうと感じた。SPレコード(復刻版あり)の駒太夫才治の奏演などは、まさにその快演であり、浄瑠璃義太夫節の魅力である片面、文楽を聴きに行くとの言葉が真実であった時代の大きな一面を聴かせてくれるものである。
  奥、これがまた改悪とされるドタバタで、究極は、太兵衛と善六を殺めた治兵衛は小春と心中をするより他はないというオチである。この、やり方によっては白けて阿呆らしくなる場を、英と団七は何と観客をその場に立ち会わせているかのように、聞く者見る者をリアリズムで納得させてしまったのである。治兵衛とおさんの間の子二人を抱き子守唄の中での小春のクドキ、三五郎は阿呆だがそれゆえに裏も何もなくホッとさせる、それと対比的な「一本花や〜胸迫る」の情感、手紙の読みもあざといが小春と治兵衛の読む順が十二分に腑に落ちる、そして「おさんが尼になった」である。冷静に考えれば金も調ってこれで治兵衛は小春を身請けして収まる段取りとなったわけで、ご都合主義もここまで来れば近松も苦笑するしかなかろうというところだが、そんなことを客席ではこれっぽっちも思うことはなく、身請けの金が用意されたところまでの展開が、この一言でぷっつりと中断され、治兵衛と小春の放心とその後の錯乱の涙に加え、この場に不在のおさんへの不憫さまでもが、床と手摺と客席全体に広がって共有されたのである。かくまで堪能させられると、オチなどは文字通り落ちればよいのであって、瑕瑾でも何でも無くなる。英と団七の実力をまざまざと聞かされ、初日客席に付く前は一度で十分と考えていたものが、見事に覆されてしまった。これだから、文楽劇場の椅子には座ってみなければならないのである。住大夫師引退で切語りが二人になった時点で、英は切語りに昇進すべきであった。それとも、この至芸は時代物通し狂言における各段の切場に当てはめず、立端場等の魅力ある一段を以て当てるつもりなのであろうか。たとえそうでも、若大夫襲名より前に切語りとなるのは当たり前のことであろう。まあ、裏事情は詮索しても無駄事で、客としてはその日を待つしかあるまい。
  人形陣。改作物だけに典型的な世話物のパターンであり、床が前述の通り見事にその改作物を語り活かし弾き生かしているので、それに嵌まって遣えばよく、観客としてもごく自然に舞台と一体化することができた。各人形とも、それぞれの性根をとらまえた遣い方で、治兵衛の二代目玉男、おさんの和生、小春の清十郎、五左衛門の玉也は原作「紙屋内」の方でその真価を見届けたい願望はあったが、中堅と若手はこの改作を改悪駄作呼ばわりさせぬまでには良く遣えていた。

「火の見櫓」『伊達娘恋緋鹿子』
  段書きがすべてである。文五郎が地方の人形浄瑠璃で見たものを文楽座へ移入したということであるが、この、いかにも人形ならではの工夫を見せる舞台はやはり素晴らしい。シンが振袖娘のお七であり、恋心一筋、空から雪片が舞い落ちる中を、櫓を登る後ろ振り。床は当然高音で琴線に響かせることになる。様式美の最たるものであるが、登るのはお七の激情でもあるということになると、公演後半の人形に感じさせるものがあった。剣を巡ってのドタバタは前段が無くては目も当てられないが、お七の命を賭した行動の背景として、プログラムの解説を読んで予習をしておくより他はないだろう。いや、それほどまでしても、この「火の見櫓」は見ものなのである。国立劇場制作によるフィルム「文楽」(最近では視聴経験者もほとんどいないのではなかろうか。あれを視聴させた後で本舞台をやると映像の中の方が立派すぎでどうにもしようがないという声を聞いたこともある)冒頭も、まさに「火の見櫓」から始まるのであるから。ただし、それが決して櫓を登る人形を見せるのではないというところに、国立劇場開場時における人形浄瑠璃の偉大さを痛感することにもなるのであるが。

 四月文楽襲名披露公演は成功裏に終わったとしてよいだろう。夏は親子劇場に「膝栗毛」、名作とレイトショーに「朝顔話」と、企画制作は久しぶりにいい仕事をしたと積極的に評価出来る。今から楽しみである。