人形浄瑠璃文楽 平成二十七年十一月公演(初日・14日所見)  

第一部

『碁太平記白石噺』
「田植」
  口、三下り唄から始まり鄙びた雰囲気に包み込むが、続く詞章は百姓仕事の誇り、というよりも近世都市住民である浄瑠璃作者による、皮肉交じりの警策というところである。小住と清公にそれを描出する力は無論まだ備わっていないが、素直な三味線に太夫の真っ直ぐ伸びやかな、そしてこの経験年数で三味線との離れ方に留意する語りは、将来性を感じさせるとともに、舞台上に田植え時分の賑やかな農村風景を現出させた。加えて代官の詞中三味線のアシライに音遣いを聞かせる地色の表現も破綻なく、今後の大きな飛躍を期待させるものでもあった。
  ただ、今回の床に限らず、こういう御簾内で問題ない口の場の足取りや口捌きが平成以降とりわけ緩慢になっているのは、丁寧さと誤解したものであって、それがひいては浄瑠璃義太夫節の主導権を太夫が人形に握られる結果になってしまう(現にそうなっている。これを力量の差にのみ還元するのは、的外れである)。戦前のSPを聞き直すべきというのは本質的ではあるものの酷であろうから、せめて昭和四十年代の公演記録を見直すだけでも、平に成ってしまった「わかりやすい」と言う名の問題点を正すことは可能である。そうでなくても、字幕を付けたことにより、耳から入る浄瑠璃以前に目から入る文字情報によって笑いが起こってしまう、文楽劇場の「異様さ」を「わかりやすさ」に置き換えている現状があるのだ。もちろん、もはや素人浄瑠璃は絶滅危惧種となり、聞く耳の衰えは如何ともし難いのだから、当然の配慮に伴う副作用と許容すべき(とうよりも、観客自体が何とも感じていないから無問題)という認識であろう。しかし、今期もう一つの芥川賞という有難くもない呼称を頂くことになった作品を持ち出す訳ではないが、過剰な手助けよりも自立支援的な行動が取られるのが介護現場の正しいあり方である。寝たきりという行き止まりの事態となってはどうしようもない。観客の(というよりこの国の人間全体の。これだけ音楽活動が盛んであるのになどという発言はまさか文楽関係者からは出て来ないとは思うが)「聞く耳」を鍛える方策を採らなければならないのである。
  奥を松香清友という理想的な床が勤める。口は丸本を復活させての節付けゆえに、時代による練り上げはない。盆が廻ってからがいよいよ「白石噺」である。まずマクラで与茂作のアウトラインを描いてその登場を待つ。節付けも巧みというより自然に詞章へ寄り添っており、優れた床であれば、それを聞いただけで人物像が作り上げられるもの。今回はまさしくそれであり、俗に言うマクラ一枚を聞いただけで、床の実力が分かるというレベルの高いものであった。更に、小作人と庄屋が出て来てからは抜群であり、二本差しの侍代官を前にして一歩も引かず、かつ建前上の身分は越えない知恵のあり方を聞かせる。段切りはまた良い節付けがなされており、悲しみを前面にしながらも真っ直ぐな心の誠が必ず敵討ちを成就させる大団円への予感がある。それを公演後半には見事奏演するに至ったのは、この床が浄瑠璃義太夫節の姿というものを現出させる実力を備えているからである。本を素読みしても頭で知り心で感じ取ることはできる、が、それ以上のものを聞かせてくれた。まさに、浄瑠璃本は浄瑠璃義太夫節で聞かせるためのテキストであると(これが当たり前のことでないのは、本読みして劇場の椅子に座ればよくわかる)。望蜀を書けば、この段の主役である与茂作をより突っ込んだ表現をしてもよかったろうと思う。とりわけ元武士という点に関して。

「浅草雷門」
  口、希龍爾。冒頭どじょうの詞は平凡だが、引っ込んだ後の宗六そして観九郎の出の三味線と語りがよく心得てある。そして観九郎の詞、初日には平板だったが、二度目に聞くと驚くほど上手くなっている。それは声真似が出来たからではなく(太夫はアテレコ声優などではない)、足取りと口捌きが格段に上達したからだ。義太夫節の真髄にぐっと近付いたとも言える。稽古の賜物であろう。それはとりもなおさず師匠の大きな存在を示すものでもある。さらに、おのぶの出、文弥による節付けは常套ではあるが、情感を描出するには実力が必要である。それも出来てかつその詞も届いたから、この若い二人は将来性を十二分に感じさせた。
  ただ残念だったのは、この肝心の出の後ろ半分が笑いによって掻き消されてしまったことである。もちろん客に罪はない。目に入った情報による感情の率直な発露に他ならないからだ。また、発信者の手摺としてもどうということもなかろう。立端場の口、御簾内レベルなら何の遠慮も不要であろうから。しかし、視覚は聴覚の比ではない強さを持つ。人形浄瑠璃文楽とは、床の奏演によって人形が動く古典芸能である。そのことを忘れてはならない。歌舞伎役者と竹本との関係とは全く異なる。敢えて喩えれば、オーストリアはザルツブルクにあるマリオネットオペラということになろうか。人形芝居は確かに驚嘆すべきレべルのものだが、それをオペラにして見せるのはとりもなおさず過去の名演奏なのである。もし、文楽劇場が視覚の絶対的優位を誤解するならば、文楽は物珍しい古典人形劇に堕し、丸本歌舞伎の風下に立ち続けることになろう。その弊害は観客にも及ぶ。耳を退化させ目だけを発達させた果てがどうなるかは、典型的な宇宙人の顔を思い浮かべるだけでよい。もっとも、それを人間の「進化」した姿だとするならば、私は喜んで「人間」をやめる方を選ぶ。
  希と龍爾には気の毒であった。しかし、禍福は糾える縄の如し。この床は、是非とも素浄瑠璃の会で聴きたいと思う。そして、ここに再びいや何度でも、以下の発言を引用しておかねばなるまい。
「今日は『文楽入門』ということなんですが、人形がないじゃないかとおっしゃると思うんですけれども、呂大夫さん、だいたいこのねえ、義太夫というものはもともとこの太夫と三味線の語りだけでできていたのに、その理解を妨…、あの、助けるために、この人形があとからついたということをよくうかがいますけれども、やはりその一番の中心になるのは、人形ではなく太夫さんだと思うんです。そう、そうじゃございませんか?」(「題名のない音楽会」企画・司会黛敏郎/1995.8.27放映)
  奥、寛治師の三味線に津駒病気休演に付き咲甫が代役。彼はこれで都合三つの段を勤めることになる。しかも、三味線が錦糸に藤蔵そして寛治師。呂勢が清治師、千歳が富助の相三味線により、いずれもどんどん腕を上げているが、咲甫もそうだ。この段は実質チャリ場仕立てになっているが、それはまさに自家(綱―咲)薬籠中の品物である。しかし、それ以上にこの段は宗六の男気とおのぶへの憐憫を観客の胸に染み込ませることに主眼があると、三味線と語りによって再認識させられたことが、一番の喜びであった。あの情感の描出が今にも耳に残っているし、詞章により鮮やかに蘇ってもくる。一期一会ゆえの永遠性が、劇場の椅子に座ることによってもたらされる。重要無形文化財保持者の至芸は、まさしく「いま・ここ」に存在するのである。

「新吉原揚屋」
  美声家の語り場である。南部(燕三・松之輔)が耳に残っているし、松大夫清六の録音は何度も聞いた。今回、清介の三味線は当然だが、英が勤めるとは思わなかった。美声はもちろん朗々と響かせる声の持ち主でもない。正直拍子抜けをしていたのだが、それはとんでもない思い違いであったと、客席で思い知ることになった。
  冒頭の三味線は万灯会よりも夕闇を底にした弾き方。太夫を立てる女房役をよく弁えている。おのぶは訛り散らす可笑しさよりも、真っ直ぐで自然な物言いが客席へと伝わる。もちろん女郎衆には笑いの種となるが、それを受けての宮城野の述懐がじわと染み入って来たのに驚いた。英が不思議なのはどの三味線でも違和感がないところで、今回の清介に以前の団七そして清友等々、いつもしっくりくる。姉妹の語り合いは、「懐かしながら油断なき」が効いておのぶの造型が鮮明になったが、「姉さアでござるかいの」が芸談にある通りの高みにまでは至らず。しかし、父の死を聞いて差し込む癪に苦しむ姉の介抱に、真実親身の情愛が溢れ出、懸命なクドキは涙を誘うものがあり、その結果「末の松山」が見事聞かせ所となったのである。こうなると、続く宮城野のクドキは応えるに決まっていて、その上に三味線が情感を描くにすばらしく、しみじみと衷心衷情を感じ取ることができたのである。
  観客から手が来るのは当然だが、客席全体はどうやら浴びせ倒しの力技にしか反応しないらしく、国技大相撲の横綱が今や勝てば良いとのレスラーになったのも、あながち力士や協会側の姿勢に拠るものばかりではないのだなと、客の耳を育てることの重要性に改めて思いを致す結果となった。とはいえ、今や地域はもちろんラジオやテレビのスイッチをひねっても、日本音楽はなかなか聞こえてこない。そもそも、その日本音楽という言い方そのものが、現状を如実に物語っている。戦前いや昭和四十年代(司馬遼太郎が言うところの、日本の伝統文化が断絶した時期)までは、日本音楽は音楽という普通名詞であり、西洋音楽はその下位に当たる分節名称であった。邦楽・洋楽という言い方も同様である。日本の耳は日常生活の中で養われ育っていったのだ。もはやそれを望めない以上、義務教育において日本の伝統音楽が必習となった世代が、人形浄瑠璃のファンとなるのを待つべきなのであろうか。かつて越路大夫は客に対し太夫を育て上げる厳しさを要求したが、現在そして将来もむしろ太夫が客の耳を育て上げることに重点は移るであろう。ただ幸いなことに、ここ数年来浄瑠璃義太夫節のCD化が続いているから、その音源を聞き込むという王道は存在する。慈雨のない旱天となった現代日本においては、浄瑠璃義太夫節のシャワーを意図的積極的に浴び続けなければならないのである。もっとも、それもTPPによる(というよりも、TPPで更なる収奪を狙う黒鼠集団に代表される某国による)著作権延長で、蛇口をひねっても一滴の水も出ないという状況が訪れるのは間違いないが。某国によって亡国とは、洒落にもならない事態である。
  さて、全一音上がってから宗六の長い詞が始まる。「つどつどに」「読み切り講釈一方」なのであるから、姉妹はもちろんのこと観客もじっと耳を傾けることとなる。「曾我物語の引つくくり」を珍しく面白く聞くことはできるが、ここはもちろん宗六が姉妹の敵討ちを曽我兄弟に喩えているのだから、過去の物語が現在の状況に応えなければならない。まして、途中に駆け落ちを思い止まらせるべくの説得も入るとなればなおさらである。その点、英の宗六は合点がいくよう胸に染み込むように語り聞かせた。さすがの力量である。ただ、もう少し強さと揚げ方と動きがあれば、この宗六だけで客席を唸らせることができたであろう。今回、英の語りはここにも典型的であるように、玄人好みのいぶし銀であった。三味線の清介がそれを弾き立てつつも、段切など華麗に聞かせたことによって、見事な仕上がりとなり、予想以上のすばらしい「揚屋」となったのである。もはや若大夫襲名は当然の帰結となるであろう。
  では、人形陣をまとめて記す。第一は宮城野の清十郎である。その出から位のある心棒が通った全盛の、といってもそれに驕り高ぶってはいない、存在感のある姿を描出した。加えて、御用達の貸本屋すなわち文字が読める知性と教養を兼ね備えていることも、わきまえあって美しい振る舞いに見て取れた。その貸本を読む姿こそ清十郎の真骨頂で、妖艶というよりも凜とした気品に満ちた遣い方となった。これらは想像の上を行くもので、いよいよ人形陣中核の一人と確定した。豊松清十郎という名は、ここに確固たる地位を占めることになったのである。もちろん、後半妹との情愛やクドキの哀切もしっかりと伝わった。その相手役おのぶを一輔が遣うが、これはまた詞章に描かれた通りの賢く率直で精神力も備わった妹姿を活写した。田舎娘の滑稽さを誇張せず、自然な振る舞いの中に、女郎たちとの落差から生じる笑いを見せたのも手柄であった。亀松の名が復活することへの期待は、必ずや現実のものとなるであろう。宗六の勘寿は今回の語りとぴったりで、格好良さよりも真情が滲み出るものであった。台七の文司は悪い奴だが代官という役職に留意し、侍をはみ出るような軽薄さも見られず、好ましかった。欲を言えば、与茂作殺しに一層の冷酷非道さと、犯人逃れの言い回しに悪知恵の働きが研ぎ澄まされていたら、心に残るものとなったに違いない。その与茂作は玉輝で実直な百姓姿であったが、やはり代官とのやりとりに更なる気骨を感じさせれば、客は目を見張ったであろう。 観九カは玉勢、どじょうに騙される件で、我が子我が親への素朴な(生物的本能とも感じられる)思いの発露に、個性を出したと見えた。どじょうは勘市が巧みな手さばきで観客を沸かせた。デパートの紙袋なども工夫である。折角なら、文楽座も自助努力を強制されている現状を鑑みて、各デパートから後援資金を調達し、その見返りのコマーシャルとして、百貨店の紙袋を出した後に、現在開催中のイベントやお買い物情報を即興で太夫に語らせればよいのではないか。日替わりでも公演前後半別でもいいから、近鉄や阪急阪神など複数に声を掛ければ、画期的なものとして必ずや取り上げられるであろう。

「鰻谷」『桜鍔恨鮫鞘』
  漱石は『猫』の中で、この「鰻谷」を嫌いだと苦沙弥先生に言わせているが、確かに、積極的に好きだと言える文楽ファンもいないだろう。陰惨で救いようのない話は、「片腕落ちて甲斐なき」の掛詞もむしろゾッとせざるを得ないあしらい方で、とても百人一首「かひなく立たん」の鮮やかな面白さに比せるはずもない。実際、近年だけを見ても上演回数は極端に少ない。ところが、前記の漱石は摂津大掾の東京下りでの演目の一つを言っているので、あとの二つは「堀川」と「柳」なのである。こうなると、「鰻谷」が聞けない者は浄瑠璃義太夫節を解せない輩だと決めつけられても仕方のないことになる。SPに大隅清六の録音が残されているのも、当時のレコード事情からして、大隅の最も得意としたもの、かつ相当に売れる見込みがあった、すなわち客から絶大なる支持を得ていた曲であったことの証左である。
  そこで、かの『素人講釈』を持ち出して来ざるを得ない。長くなるが引用する。其日庵の問いに大掾が答えるところである。「一体綱さんの風と申すものは,私でも大隅でも、兎ても習得する事の出来ない筋合を備へて居り升、故団平師は曾て、私に親しくいはれました事が厶り升。『東西を通じて綱さんの風を語り得る太夫を以て一人前としたならば、太夫ではアンタの師匠春さん限りであり升、私が今斯ふ朱を調べて残すのを、弾く三味線弾は出来るかも知れぬが、語る太夫さんは六ツヶ敷いと思ひ升』と是は師匠春太夫の風を、命懸けで勉強して居りました私と大隅とを前に置いての申分で厶りました。夫で私も大隅も綱太夫風に付ては、疾うに団平師に見限られたのに相違ない人間で厶い升が、其困難である、学び難い、といふ所は、ドンナ所かと申ますれば、夫丈けは両人共克く分つて居り升。綱太夫風と申升のは、先づ御分り易く申せば、太夫が十分腹が締つて、出来る丈け淋しく語りて、其間に掻き除ける事の出来ぬ、人情が漂ひ出し、三味線は又出来る丈け派手な音をさせて、夫が腹の締め方で、太夫の腹とからんで皆芸の活地となる、是が綱さん一生の心掛けであつたと、師匠に聞いて居り升」
  やはりとんでもない曲なのである。しかしそれゆえにこそ、その真髄に達したものは、「音曲の司」浄瑠璃義太夫節として、この上なく面白い心に染みる傑作となる。戦前かの鴻池幸武も、「鰻谷」の真価を知ろうとしてついに叶わなかった品物である(客席に涙させ喝采を浴びた三代津太夫のものでは納得できなかった)。やはり綱太夫風が語り切られなければならないのであろう。個人的には、耳にし目にしたものの中で、綱弥七による前半(後半の津寛治は太夫が未だし)と津晩年の前後半通したもの(三味線は団七)、この二つが「鰻谷」なるものを感じさせてくれた。極言すれば、八カ兵衛が描けたかどうかである。とはいえ、ここは秋公演劇評の場であるから、とりあえず順に今回の出来を書き進める中で、上述の点にも触れることになろう。
  中を靖清丈が任された。現在の陣容および両者の実力からして不思議ではないが、ここは立端場語りのレベルを要求される。マクラ一枚の情感描出、十兵衛の詞の捌き方、母と弥兵衛の性根の掴み方、そしてお妻のクドキとヲクリ前の地の雰囲気、等々手強いことこの上ない。しかも、魅力的な節付がすでにこの端場からなされているから、ここでつまずくと切場での立て直しがよほど困難となる。この難所を両者は真っ向勝負で、つまり声色やうわべをなぞるではなく、納得のいくレベルで勤めたのである。とりわけ、簑助師のお妻からダメ出しがなかったろうと想像されたことが、第一である。
  切場の前、まさか呂勢が勤めるとは思いも寄らなかった。もちろん、清治師の三味線は当然のことであるが、太夫のニンではないことは衆目の一致するところであったろうから。しかし、三味線を聴くだけでもこの一段は価値がある。ヲクリから格が決まり、続く唄の魅力に、人物関係が絡み合い出すと、その足取りと間が絶妙でたまらない。世話物はこうでなくてはならぬ。しかも姉さん女房としてぐいぐい弾き進めていくから、弛緩することなど一切無く鮮やかにドラマが展開していく。そして、お妻がお半と二人きりになっての情愛と哀切さを聴かせ、二度目の唄への入りも抜群、クドキはと言うと三味線の手だけで言うとノリ間で踊っているようとまでも感じられるのを(この辺り「壺坂」お里のクドキに通じるものがあり、団平の手が加えられた可能性もある)、切羽詰まった衷心衷情の吐露として弾き聞かせるのである。まさに、前述の芸談「三味線は又出来る丈け派手な音をさせて、夫が腹の締め方で、太夫の腹とからんで皆芸の活地となる」の体現である。となれば、本公演中隨一の出来となるはずなのだが、如何せん太夫の力量がさすがにその域には達しない。もちろん、呂勢は「楼門」「浜松小屋」と魅力的な立端場を、清治師の三味線にただ圧倒されることなく語り勤め、録音して発売してもよいほどに仕上げた太夫であり、浄瑠璃義太夫節の音曲的構造を理解し、「風」にまで踏み込むことが出来るという、紋下櫓下への道筋も見えている実力者である。しかし、この「鰻谷」に関しては、聞き終わった印象が、賑やかな浄瑠璃であったというのが偽らざる感想である。もちろん、声柄にない弥兵衛も母も足取りと間できっちり届かせ、最も優れていたお妻の表現が、美しさと悲しみと切なさを口と心の裏表とともに出来ていたことで、当然優良な語りであることに間違いはない。しかし、前述の芸談「太夫が十分腹が締つて、出来る丈け淋しく語りて、其間に掻き除ける事の出来ぬ、人情が漂ひ出し」に至らないと、「鰻谷」はもう一度聞きたいという浄瑠璃にはならないのである。その原因は、やはり八カ兵衛の描出に不足があったことに見出せよう。冒頭お妻の鬱ぎを不審に思いあれかこれかと語りかけるところ、自然に語るのは至難の業であるが、それ以上に、「膝立て直し」とある詞章から「引き裂くやうに思へども」で出て行くまで、後場で殺人に転化する感情の起伏を描出できたとは言えなかった。期待外れというよりも、「鰻谷」の厄介さとそれゆえの魅力を再確認した奏演となった。ちなみに、前述の芸談の最後で摂津大掾は以下のように語っている。「夫が私や大隅のやうに、派手になるか、ギゴチナクなるかの片輪者では駄目で厶います」とすれば、呂勢は明治期の大立者まずは越路になれるということでもあろう。あれだけ三味線に弾き立てられても現在の実力相応たる自分の浄瑠璃として語り果せたというところに、太夫の実力はやはり明白なのである。まずは南部大夫を襲名しそれから越路大夫ということになるだろう。
  切場後半が、咲大夫と燕三。次の正月公演も「野崎村」の後ということを考えると、どうも太夫が本調子ではないと考えられる。殘念であるとともに甚だ心配である。亡父八世綱大夫の紋下・櫓下就任が流れて以來、戦後が未だに終わらず引き摺り続けている文楽座にとって、咲大夫が十世を襲名するとともに紋下・櫓下に就くことこそが、古格に復しかつ未来へと続く唯一の手段方法なのだから。それはまた、浄瑠璃義太夫節が再び「音曲の司」と名実ともに呼ばれることを示し、「風」をしっかりとその心棒として位置付けることでもある。
  今回の「鰻谷」は切場前後半通して聞かせてもらいたかったし、割るのなら前半に廻っても欲しかった。しかし、後半を聞くだけでもその第一人者ぶりは如実に聞き取ることが出来た。まず唄は、恨みを包むという真意を響かす詞章を届かせ、続く八カ兵衛の詞に、何とか理由を付けて眼前に降って湧いた事実を納得させようとする、主人ゆえの忠義と寝取られ夫の面目を保とうとする、傍の他者からは滑稽とまで見える人間の生の姿、男の有様を見事に活写する。その八カ兵衛がキレてから(この追い込まれて狂気と化す男の表現は四世津大夫が空前絶後で、「吃又」「鎌腹」なども絶品)死骸に取り付き嘆くまで、まさにドラマチックな展開となるが、お妻のクドキがよくある手負いになって十数分ではなく、一言で絶命するから、お半の無心ゆえに聞く者の心に突き刺さる書き置きの件は当然として、ここは銀八を描けるかどうかが肝心要となる。八カ兵衛への窘め、お半を庇ってあやす振る舞いに、「父はナ半分気違ひのやうになつてゐるわい」と「わりやまあ年端も行かぬに親ゆゑ苦労するな」この詞が眼目で、切なさ辛さ哀れさが、他者を見る客観的視点からではく、自己を他者へ同化させての共感の発露であるところに、究極の情感が通奏低音として流れることになる。もちろん、誇張してやれば芝居のセリフになって声は掛かるかも知れないが、浄瑠璃義太夫節の詞ではない。ここが語れているのも第一人者の証拠である。さらに、段切の詞章「肝に貫く八カ兵衛が涙の時雨古手屋の昔も今も哀れなり」を丁寧に思いを込めて語ったのが、冒頭「昨日と今日の飛鳥川歌も古手屋八カ兵衛」との応対を意識したもので、浄瑠璃義太夫節の全体構造まで目も耳も行き届いているという、紋下・櫓下にあるべき太夫たることを、あらためて感じさせた。三味線の燕三は病気平癒したと思われる弾き方で、かつ太夫の現況をよく把握し、相三味線として理想的な納まりを聞かせた。
  人形陣。筆頭は簑助師のお妻。玉男、文雀そして先代勘十郎等と共にあった時も、その女形遣いには目を見張るものがあったが、ここ最近は際立った存在感と圧倒的な説得力を見せ、まさに殿堂入りの芸が舞台上に屹立している。一世代下との相対的比較もさることながら、玉藻前や衣通姫ではないが、内側から光り輝く人形であるから、絶対的な違いが自然と感じられるのである。一例を挙げれば、端場で娘お半の髪を梳かしながらの述懐、素浄瑠璃で聞いても絶妙な詞章と節付けによって感嘆するところであるが、そこに簑助師が眼前で素晴らしい人形を遣うのである。劇場の椅子に腰掛けている者だけが享受できる至福の時空である。また、口と心は裏表が如実に表現されたところとして、弥兵衛との同衾を延引しようとする(死んでも操は貫き通したい)詞を語るところと、それをはね除けて強要する弥兵衛の詞を聞くところとに、身を穢したくないという夫への貞節と、おぞましい欲の塊弥兵衛へ身震いする嫌悪感とが、頭で考えた倫理ではなく、妻として女としての自然な心身が生みだしたものとして、見事に描出されていた。至芸とはこういうものを指すのである。八カ兵衛を和生が遣うが、語り相応と言うべきか、普段の姿にこそ、見るべきものがあった。銀八の玉志は敢闘賞、床によく応えた。その点弥兵衛の玉佳は(十兵衛の簑紫郎も)損をした感がある。母の簑一郎は強欲で無慈悲な悪婆に遣えば前受けもするだろうが、当然そのような誤りは犯さなかった。ただ、「見合はす母の顔形」で腹を割ってもいいのではないかとも思う。

「団子売」
  別に景事を一部二部必ず出すこともないのだが、今回は昼の追い出しに附けられていることと、出演者とりわけ人形に注目すると、その意味が見えてくる。まず、「鰻谷」の切が第一人者の語り場であるということ、そして、番付相応の景事にしなければならないということの二点である。であるから、床も三輪団七のシンに芳穂団吾のワキ、咲寿龍爾(清允)のツレと揃えてある。何よりも、杵造の玉男にお臼の紋寿というのが、披露狂言やこけら落としでもないのにと驚嘆せざるを得ないが、ここは制作側と玉男の意気に感じた点を見なければなるまい。評すべきこともないが、「見てもうまそな品物め」の詞章が活き活きと眼前に展開されたことを、祝福しておきたい。なお、勘十郎が紋寿休演の代役で出たのも、意気に感じた結果だが、加えて観客へのサービス心に感服するばかりである。

第二部

『玉藻前曦袂』

 珍しく半通し上演だが、『玉藻前』の全体構造が反映されているわけではなく、文字通り玉藻前に焦点を絞った、すなわち勘十郎の遣う人形に焦点を当てた結果の狂言建てである。そして、それは正しい。今や勘十郎は人形遣いのスター以上、文楽界の大スターなのであるから、その力量からも、また需要と供給の関係からいっても、さらに二部不入り克服という劇場側長年の課題解決という点から見ても、建てられるべくして建てられたと言える。また、勘十郎の遣い方からして、明治期の親玉と呼ばれた玉造、あるいはもっと遡って忠臣蔵騒動の文三郎という、ケレン味もたっぷりの巨頭達と肩を並べる存在になったと言っても、過言ではなかろう。実際、客席からは感嘆と賞讃の声があふれ出ていたし、外国人観光客もクールジャパン=ニッポンカルチャー(玉藻前すなわち九尾の狐伝説が、妖怪ウォッチのキュウビ、いやそれ以前にポケモンのキュウコンの大元であると知った時、この国の歴史と文化の有様自体が、クールそのものであると嘆息せざるを得ない)に、驚くと共に大喜びしていた。これほどまで活性化された劇場の夜を、われわれは以前いつ体験したであろうか。文楽は聞きに行くもので見に行くものではなかった。文楽は今や見に行くものである。それは誤りであるとか本来のあり方ではないとか、それ以前に、文楽座の賑わいが「いま・ここ」にあることを、その本来のあり方への奇貨とすべきであろう。そして、最も忘れてはならないのが、勘十郎の『玉藻前』を目に焼き付け(られ)た観客は、必ずやリピートするであろうし口コミ(SNS含む)で広めてもくれるであろうという点である。そして、最初は勘十郎の人形が目的だった観客も、早晩浄瑠璃義太夫節の魅力に何らかの形で気付くに違いない。そう考えると、勘十郎にどの床を配するかも、今後は十分に考慮しなければならないのである。

「清水寺」
  通常の建て方ならば、切場「道春館」を控えての立端場となるのだが、今回は「道春館」自体が玉藻前入内の前提となる位置付けのため、それへ繋がるというよりも、後段「神泉苑」での叛逆実現を納得させるためと、大団円の「祈り」を成就させるための導入部分である。従って、重要度は皇子・犬淵、采女、桂姫となる。冒頭のソナエで勧善懲悪を高らかに宣言した後に、皇子による帝位簒奪の叛逆心と、犬淵による金毛九尾の狐が魔界支配の企みを追従口する、ここが重要なのである。通常は次の桂姫の首討てと金藤次に申し付けた詞と、その桂姫と采女之助による恋模様が眼目なのであるが。今回、そういう意味で采女之助の文字栄と桂姫の希は首肯出来たが、逆に皇子の津国にはまさしく国崩し口開き文七の大悪を傲然と描出してもらいたかったし、犬淵の南都にも文字通りイヌたる小悪党の上に諂い下に居丈高たる嫌らしさを前面に押し出して欲しかった。三味線の寛太郎はこの掛合を見事に捌くとともに、前半の悪後半の恋そして立ち回りと弾き分けた実力には感心した。来たる正月公演の曲弾きを今から楽しみにしている。

「道春館」
  節付けはいいし変化に富むし面白く魅力的な端場でどうにもたまらない、そういう印象を抱いて臨んだのだが、どうもおかしい。取り立ててどうということもない端場なのだ。確認してみると、公演記録の嶋重造の床が耳に残っていたのだ。これはどうしようもあるまい。決定的に異なるのは足取りと間、強弱明暗緩急の変化。要するに平板だったのだ。こうなるとありふれた端場に聞こえるのは当たり前で、決まった節章の組み合わせで浄瑠璃義太夫節は出来ている。逆に言えば、その足取りと間と変化にこそ浄瑠璃義太夫節のツボが存在するのである。芳穂清馗の床は若手のホープと言って良いのだが、それにしても道遠しである。しかし日暮れてではなく、日出でてまだ午前中の二人である。しかも、正道を歩み志は高く稽古熱心でもある。方向は間違っていないのだ。長い目で見守りながら、期待しよう。いつか、あの白黒映像から流れてきた珠玉の浄瑠璃が、客席上手の床から聞こえてくる日を。とはいえ、今はやはりもう一度公演記録を視聴してみたい。重造の三味線に導かれ当時中堅美声家であった嶋が語る、歴史に残る珠玉の端場なのである。簡単に触れておくと、冒頭初花姫と腰元に桂姫が絡むまで、桂姫と采女之助の恋物語、そして萩の方登場と鮮やかに三転する。とりわけ、萩の方の登場(古歌の吟詠と三味線の手から)により甘美な世界が一変し、ここが右大臣の館であるという重厚さと格式が加わり、大変厄介な事が起こっているところへ油断ならない展開となるという、ただならぬ雰囲気が充ち満ちる。これでこそ、盆が回って切場へスムーズに繋がるわけである。このように、いくらでも劇評が書き進められるとは、テモ恐ろしき芸力ぢやよな。
  奥は千歳でもちろん富助が弾く。ここは越路(つばめ)喜左衛門の名演が残され定番になっているので、それを上書きするのは容易ではないというよりも不可能だ。別の個性を模索するより他にない。初日は前半部よく語っているが物足らず、桂姫のクドキも届かないから続く初花姫の派手なノリ間の節付けが踊り出しそうに聞こえてしまい、そのまま「父ぢやわやい」の強引な小手投げへと行ったから、普通は応えるはずもないのだが、相手が素人力士ならそれでも土俵にねじ伏せることは可能だ。ゆえに客席から拍手が湧き起こる。しかしすでに取り口は乱れているから(実はここに至るずっと前、「『サアサア姉様がお勝ちなされた』と首差し伸べて覚悟の体」とあるのに、急き込んだ調子に流されて絶叫の如くなってしまっていた。母と姉妹の他に第四の女でもいるのかと思わず舞台を見渡した)、肝心眼目の「焼野の雉夜の鶴」(かの紋十カも舞台中継でここを聞かせ所と述べていた)も諺をただわめき散らすだけに終わり、続く萩の方と初花のクドキは話にならず、結果として大落シで手が来ることもなかった。そうなると、段切でこの太夫の難点(しかしこれはどの太夫にもあることで、かの山城でもべっちゃりした娘声、近くは住の検非違使カシラでの一本調子等々)である推声成分が耳に障ることともなってしまった。これではとても成功とは言えまい。それでも、二回目に聞いた時にはマクラから一層丁寧に東風のギンに留意して語り進め、「死出の晴着」の説教も哀切な印象を与え、そのまま桂姫のクドキが良くなり、双六の地合、悲劇を見捨てて行く金藤次の「立ち出づる」のウレイ含み(ここは人形の玉男も秀逸)、こうなると金藤次のモドリが胸に応えて、「父ぢやわやい」も真っ向勝負の取り口で拍手はもっともと思われた。以下段切まで初日の乱れた汚さを克服して、実力相応に納得出来る仕上がりになっていた。加えて、今回ここが三段目の切場であることを、そのいい意味で力感溢れる奏演から再認識することができたから、千歳が今後襲名するならば越路ではなく、染大夫(かつてつばめが師から襲名を打診されたことがある)あたりが適当ではないかと思わせた。これは、この太夫の個性を活かすことにもなるであろう。小手投げは横綱相撲ではないが、しっかり相手のまわしを取ってからの投げ技なら立派な決まり手である。三味線の富助には、その見極めをも含め、千歳が切語りとなるまでにしっかりとした方向性を定めて、導いてほしいものである。
  ところで、小さくまとまるのは太夫として大成せず、千歳は若くしてその危険性を指摘されていたから、今回を含め客席からちゃんと拍手される「大きな」語りは、乱れようが汚かろうが問題ないのではないかという声が聞こえてくるかもしれない。これについては、明治大正から昭和前期に至る人形浄瑠璃黄金時代にあった人々が適切に解説してくれているから、長くはなるがそれをここに引用して、劇評ならびに説明に代えることとする。

まず、団平の詞から始まる『道八芸談』。
「『太夫は浄るりを語つたゝめに声を潰すといふことは絶対ないのが本道や』と常にいふて居られました。全くその通りで、病気なれば知らぬこと、浄瑠璃を語つて咽喉を害した場合、音遣ひのどこかに無理があつたに違ひないのです。力を入れすぎて――力を入れるのはよろしいが――間違つたところへ入つて、きばつてしまう、それがいけないのです。だいたい我々の声帯――のどぶえといふものは細いもので、極く弱いものださうです。だからそれへ力を注いで無理な遣ひ方をすると一度で潰れてしまひます。力は丹田に入れて、上半身は出来るだけ軟らかく構えるのです。殊に眉に力が入つてはいけません。腹から声を出して第一に顎で音を遣ひ、次に鼻ヘぬく音、舌の音、唇を遣ふ音、歯を応用する音、これが五音で、これを遣ひ分け、息と腹とでつめて文章を語るのが太夫で、それによつて『風』が定るのです。」
続いて『素人講釈』「道春館」の項。 
「最後に困難なのは、余りに舞台面が上品で、殊に出る人形が上品な者斗りで、金藤次、萩の方、桂姫、初花姫、采女、御勅使、丈にて下女も下男も出ず、照応の標準がなく、上品な人形五人の中にて各々特に異なりたる人格を現はす事の芸力の技倆が、甚だ困難な事業であるのである。(中略)其外の難局を云へば。例へば、浮浪生活の金藤次が皇子の見出しに遭うて大出世をなし、大得意にて右大臣道春邸に上使に来る、其得意の相貌意思を尤も濃厚に顕はして居た所に、後室萩の方の咄を聞き、自分が浪人中に棄てたる児が桂姫にて、其拾児に義理を立てて、実子の初花姫を以て身代にせんとする、日本道徳の尤も強烈なる電気に触れた金藤次が、二度目に発言する、即ち『云はせも果てず声荒らゝげ』の詞以下は、如何なる息、如何なる声調にて語れば、金藤次の心裏を聴衆に会得せしむることを得るかと問はれたらば、如何なる大家にても、直に其困難なる事が分明するのであらう。『金藤次は斯る大恩家とも知らず、其不幸に乗じ、即ち右大臣道春の死後、孤児と寡婦とを恐喝して追害を加へ、其朝廷より預けられたる獅子王の剣を盗みて、其家を滅亡の危運に陥入れ、其上に其愛嬢の首を刎て、皇子に媚るの手段となさんと謀つたのである。夫が俄然、此後室の物語りを聞いて、其首を刎ねんとしたのは自分の娘であり、況んや後室が夫を自分の肉身の娘を犠牲として捨児の姉を助命せんとする苦衷に対して、彼は自己積悪の懺悔と共に、一死を決して其罪を謝せんとする其心情を不言の中に語り出さねばならぬと云ふ』夫を困難と云ふのである。」

以上、越路喜左衛門の奏演はここまで達していたことを改めて知る。そして千歳の今回は、やはり何とか殊勲賞を呈することができようというレベルであった。引き続き富助の指導による更なる飛躍を期待する。

「神泉苑」
  口は御簾内でよいと思われるが、出語りの咲寿錦吾。前半はよくある仕丁の無駄話。故米朝曰く、これは客席のざわざわを鎮める役割である。大概一方が可笑しな事を言うのだが、その甚太平で笑わせたのは、チャリが師系統の十八番でもあるから。ということは、稽古の賜物として評価してよい。とはいえ、この口の眼目は、その後に満を持して登場する金毛九尾の狐。ここは三味線コワリのツボによる不気味さが出ていた。
  奧、咲甫を錦糸が弾く。前半は普通の浄瑠璃義太夫節で、クドキも用意されている。難なくするすると進むが単調ではなく弛緩もしないのは、三味線のアシライがピシピシと太夫を引き締めているからである。そして妖狐の登場となり(詞章も節付けも口とほぼ同じというのは芸がない)、玉藻前と変じてからが眼目である。最初の出会い、鬼薊と姫百合の恋模様はすっと納得したが、本心を互いに明かしてからは物足りない(とはいえ、初日よりも二度目聞いた時の方が良くはなっていた)。「日本の天魔、異国の邪神」しかも「神道仏道破却して魔道を立て」「百虫の血汐をもつて鏡を穢さば世は常闇」とは、春長はおろか時平や入鹿の叛逆なども児戯に思われるほどの悪逆非道なのである。もちろん、皇子と后の格は守らなければならないが、通奏低音として流れる漆黒の悪を感じさせ、観客を身震いさせるほどでなければ、この一段は成功したとは言えないだろう。逆に、お芝居だから大袈裟になっているのだと、対象化されてしまうようでは、それこそ人形浄瑠璃文楽が円環的閉鎖的な内部世界となり、観客との有機的交流が妨げられ、ケレン味たっぷりでごちそうさまと評されておしまいになってしまう。これが、映画であったなら、3Dスクリーンでさぞや観客の度肝を抜くものが制作されるであろう。媒体が異なるから比較にならないのは百も承知だが、それでもやはり、カシラ面の転換が鮮やかで嘆声が観客の口から漏れたことのみを以て、満足としてはならないと考えるのである。

「廊下」
  ぶっちゃけてしまえば、玉藻前が光り輝いたこと(に加えてその経緯)を見せれば目的達成の段である。それでも語り所はあるのが浄瑠璃義太夫節である。マクラの豪華絢爛、しかし舞台は渡殿、すなわち床の奏演のみで客の脳裏に描き上げなければならない。続く上臈の嫉妬は下々の焼き餅とは異なりそういうものかと納得させられるか。皇后の嘆きはそれに数倍する複雑さで、一段の格の違いも感じさせなければならない。天候急変と真の闇、「危ぶむ気色」もなく登場する玉藻前、そして光り輝く姿を恐ろしいまでに感じさせられるか。始と清志郎に任されたが、どうにもならない。もちろん、目的は達成させたし、ここが四段目であることも奏演からわかったので、相応の力量があることは確かである。とはいえ、一段終わって脳裏に焼き付いたのは、光り輝く玉藻前に皇后と上臈達の嫉妬という事実であった。床はよく勤めたのだ。ただ、やむを得ざるところとしか言いようがない。それにはまた、松之輔の補曲が今一つうまくいっていないということもある。「神泉苑」から「祈り」まで通して。

「訴訟」
  五段目。東京では大団円まで見せることも間々あるが、大阪ではほとんどない。それは通し上演でも見取りに慣れた観客が首尾一貫よりも耳目に面白いことを優先するからで、「入鹿誅伐」「大内天変」などがそれである。しかし今回は勝手が違い、勘十カが遣う九尾の狐玉藻前を見せることが主眼であるため、四段目切場を捨てて五段目を出すのであり、それは全く正当なことでもある。さて、ここは段書きの通り、「公卿武官の公事訴訟、傾城遊女の取り捌き、前代未聞のことなりける」が作者の工夫であり、そのまま見どころ聞きどころとなる。そういう意味では、睦に喜一朗は責任を果たしており、客席からも笑いが起こり、成功裏に終わったと言える。とはいえ、前半部の遊女亀菊の酔態、実質四海を手中にした皇子の扱い、またこの二人の絡みに、各々の出を三味線と語りで観客の脳裏に描かせる等々、残念ながら至らなかったのは力量相応と言わざるを得まい。太夫はこれまでむしろ美声に適した方向性を取られてきたわけだが、今回以外にもコトバこそ適しているのではと新たな可能性を聞くことができた。四段目語りの芳穂、三段目語りの靖と揃う中にあっては、先輩というだけで優先的に役場を与えられるのも見かけ上に過ぎない。実際、今回「廊下」以下はまったく勘十カのための建て方であることを考えると、見事語り果せた場合、順位は「道春館 中」「鰻谷 中」「廊下」と付けられるであろう(ちなみに、今回の結果は「道春館 中」が一番右に移動)。この太夫、二の音を大切に伸ばし、詞語りとして育て上げると、面白い成果が出るのではないか。前回東京の「姫戻り」なんかは芳穂に廻してしまう方が、余程本人のためになると思うのだが。なお、三味線は才もあり筋も良いのだが、時折気のない弾き方をすることがあるので、しばらくじっと辛抱し腕を更に鍛え上げるべく修行に邁進すれば、必ずや四代目を襲名し、披露時に一列ずらりと空席などという事態も起こらないであろう。ともかく、今回の床は「訴訟」の段として合格と称せるものであった。なお、二件の訴訟の内一件目は笑いが来たが二件目はむしろ客が引いていたのが印象的であった。

「祈り」
  文字久と宗助。仮に音源CD化(映像DVDではなく)したとして、「鰻谷 前」「道春館 奧」「祈り」のどこが売れるかというと、結果は明らかである。失礼を承知で言えば、いくらなんでも人形だけでは文楽にならないから、床の奏演が当てられているという段である(「神泉苑」以降)。だから、心身の調子次第では二度の来場はなくてもよいかとも考えていた。しかし、聞いていると亀菊が映っている。となると自然に聴き入ることとなり最期のクドキまで応えたのは、五段目とはいえ切場を勤めるべき力量があるということだ。もちろん、三味線の手腕は言うまでもない。いつも残り枠に当てはめられているように見えて、破綻させられないポイントに配置されている。制作側に信頼されている証拠であろう。さて、段書き通りの祈りの場になれば、人形と三味線に任せて語り進めていくだけである。玉藻前憤怒も伝わってさあ耳から目へ神経の重点を移し、このまま宙乗りと思ったその時、「ひと声『カイ』」と叫んだのである。これはどういうことか。
  いや、だから「くわ」「ぐわ」音の伝承は途絶えたのだから仕方ないということだ。本当にそうか、ならば尋ねよう、これはうちの子が幼稚園で歌っていたのだが「かえるのうたが、聞こえてくるよ。クヮックヮックヮックヮッ、ゲロゲロゲロゲロ、グヮッグヮッグヮッ」。これを「カッカッカッカッ、ガッガッガッガッ」と歌うだろうか。仮に歌ったとしてそれは「かえるのうた」だろうか。違うに決まっている。つまり、狐の鳴き声を「カイ」と叫ぶのは(こんな例は寡聞にして知らない、浄瑠璃義太夫節を四十年近く聴いているが)、文字情報として「クワイ」と見たからであって、耳で聞いた情報ではないということだ。百歩譲って、狐が「クワイ」と叫ぶことを知らなかったということだ。まさか、そんなことはあり得ないだろう、芸歴からしても師系からしても。しかし事実は事実だ。いや、事実だったと過去形にしなければならない。二度目聞いた時は「クワイ」と叫び、「九尾のキトゥンネと変じ」と改まっていた。それでよいのだろう。ただし、これからも浄瑠璃義太夫節のシャワーを浴び続けるという条件付きで。そしてそれは、師匠からの稽古という当然の事項は含んでいない。

「化粧殺生石」
  増補通りにやると、追い出しの景事は地味に過ぎる。何度も言うが、今回は(半)通し狂言ではなく、人形遣い勘十郎の九尾の狐・玉藻前のためにある。そしてそれは、人形浄瑠璃を取り巻く状況にあって絶対的に正しい。鑑賞ガイドに言う、殺生石と化した妖狐の霊魂が七化けして踊り狂う趣向とは、新作の牽強付会にも程がある。詞章もそして西亭の節付けもそうだ。しかし、それゆえにこそこの一曲を三味線が弾き切り、この一場を人形が遣い切れば、とてつもなく面白い一段に仕上がる。そして、観客の大歓声のうちに幕となるのである。三味線のシンは藤蔵しかないだろう。人形は叢薄を上手下手に配しての早変わりで工夫通りに見事なものであった。第二部すなわち夜の部の不入りという、長年の難題は今ここで克服されたのである。ちなみに、七化けの各姿は江戸庶民文化史格好の材料となるもの。ただし、時代の変化ということを持ち出せば、日本の伝統断絶境界である昭和四十年代から半世紀近くも隔たった今日、この一段は書き直されるべきであろう。正直、現代の観客には、眼前に展開されている様々な姿が字幕を見ても何のことかさっぱりわからない。むしろ増補の丸本をもとに、金毛九尾の狐を派手に活躍させる方が、理解もスムーズになる。毎年夏に新作を出すくらいだから、決して無理はないはずである。

  では、人形陣に移ろう。観客を大切にし、文楽を未来あるものにすべく大車輪の活躍を見せ、一座を牽引する勘十郎には頭が下がる。ただ、人が良すぎる。それゆえに、幸兵衛を大泣きさせ(まさに今月のカレンダーがそれを見事に写し撮っている)、老女岩手に剣を呑み込ませず、そして玉藻前に魔界妖狐の極悪が欠ける。とはいえ、観客の目当てはそこにないのだから、容赦の「ある」勘十郎には、これからも輝けるスターであり続けてもらいたい。そう、日本語で遊ぶ子どもたちを楽しませ、心からの喜びに包み込むよう。決して怖がらせることはなく。なお、今回の玉藻前に関して、「廊下」で光り輝くところの見せ方は工夫がない。強烈なスポットライトを外から浴びせただけであるから、客席から何の反応もない。ここは、何としても人形の内部から光り輝かせ、観客をあっと驚かせるとともに嘆声と賞賛の拍手を導き出さなければ。勘十カなら出来るはずである。もう一方の巨悪薄雲皇子の玉也は、初日やはりもの足りなさを感じたが、二度目見たときには吹っ切れたのか、亀菊を惨殺するところなど、ぞっとするものが伝わってきた。その亀菊の勘弥は酔態に色気あり、最期のクドキに衷情も見えていた。泰成の勘寿はなくてはならない存在。妖力を打ち破るであろう重みがある。美福門院の清五郎は后の格が確かに他の上臈とは一線を画していた。さて、金藤次の玉男は娘と気付いてからが良く、拍手半分の手柄がある。ただし、その出から善人風が垣間見えていたのは如何であろうか。ただし、これは最近の鬼一カシラに共通して感じていたことでもあり、カシラそのものの作りに原因があるのかもしれない。人の良い、容赦のある現代人が彫ると、どうしてもこうなるのであろうか(今回のが伝承のカシラであったなら、評者の目が節穴である証拠だと嘲笑されるが)。萩の方の和生、太夫が人形を動かすという点で如何ともし難いところはあるが(太夫の劇評を参照)、もう立派に文雀師の二代目であると不動の地位を築きつつある。やはり感動の中心は娘二人を思う苦衷の表現にあった。桂姫の簑二郎は采女之助へのクドキなど動きのある(金藤次の血を引く証左とも言える)遣い方に心情の迸りが鮮やかで、初花姫の文昇は対照的に落ち着いて穏やかな、右大臣夫婦の実娘でありどこまでも姉を第一に思う真情が感じられた。中納言の亀次も段切りを引き締める。源太カシラ采女之助の幸助は、桂姫との恋模様あるいは亀菊との絡みよりも、金藤次や皇子犬淵を向こうに回しての武士魂に見どころがあった。その他、どんな役どころでも工夫して見せようとする若手には、人形陣の層の厚さと今後への期待を感じされた。ただし絶対条件として、本読みと床の浄瑠璃義太夫節に耳を傾けることが必要である。