『菅原伝授手習鑑』
「茶筅酒」
ここは、二度三度と視聴するたびに感慨が深まり、端場と切場とが互いに連関していることを痛切に感じることになる段である。とりわけ、段書きの「茶筅酒」とある詞章において嫁八重と舅白太夫が笑いを交わす睦まじさは、切場での悲しい涙と鮮烈に対応することになる。ただ、通しで見た場合、二段目「安井汐待」(良い節付けがしてあるにもかかわらず最近はここが出ないから、桜丸の存在感も切腹の必然も弱々しい。ここで桜丸は、「これより姫君と御縁をお切りなされ、他人となつてお願ひあらば、よもや叶はぬ事もござりますまい。再び丞相様御帰洛あつて後、表向きの御縁結び、暫しの間のお別れ、御聞き入れ下されよ」と、身に掛かった切なさから懇願する。それは、とりあえずの善後策などではなく、三段目切場で「宮姫君の御安堵を見届け、義心を顕はすわが生害」と語るように、死を覚悟した嘆願なのであった)に続いて、「車曳」での無念の告白(「せめて御祝儀祝ふた上と、詮なき命今日までも、ながらへる面目なさ」)を目の当たりにしている観客は、ここで桜丸が死ぬことになるという意識を底に持っている。ところが、マクラで春先の駘蕩とした描写に冒頭十作との軽妙なやりとりとによって、登場した八重ともども桜丸の死は意識しないという仕掛けになっているのである。すなわち、白太夫は桜丸の死を包み隠し、八重はまるで心にもなく、観客はそれを忘却する、三者三様の笑いとなる。そして、切場の悲哀で端場の笑いを思い起こすことになるのである。もっとも、通し狂言でない今回については、この笑いの時点で心底に悲しみを感じるのが当然であろう。
奏演は松香に団七というベテラン。雰囲気も出ており悪くないのだが長ったらしいと感じた。それがのんびりとしたというものであれば、曲調として当段に相応しいと評してもよいのだが。伊達(路)大夫でずっと聴いてきた耳が、そう反応したということである。
「喧嘩」
変化の段。端場が静―動と来て切場というのは、よく見られるものだ。他段なら杖折檻―東天紅―丞相名残もそうだし、他狂言なら椎の木―小金吾討死―すしやもそうである。時間的にも、静が長く動は短い。格としては下だが、中堅の期待株が勤めることが多い。いつも喧嘩だなこの太夫は、と役場を見て思ったということは、文字久がその位置にいるはずだということだろう。ここは前述の意味からも切れ味やスピード感が必要とされるが、前回まではどうも鈍刀を振り回す感じがした。今回はカワリ・足取りをはじめ総体として(細部では、例えば松王が女房千代への発言を、最後に梅王妻お春に振り向ける変化など、指摘すべき点はないとはいえないが)上出来で満足できた。三味線清志郎の功も大なのは当然だが、力が入りすぎて三味線を取り替えることになったのは珍しい光景だった。交換後、三味線の事前の調子合わせがいかに重要かもこの耳ではっきりと理解することができた。
人形については最後にまとめて述べるが、松王の空胴をしたたか見せられたのは、その体勢から仕方ないとしなければならないのだろうか。あと、梅王に米俵を投げ付けるところ、あれは「勝負つかでは無駄働き」だから、取っ組み合いでは駄目ゆえにこれなら応えるだろうと投げ付けたもの。それを見事受け止めてビクともしないから、それならば我もと持ち合って押し合い突き合いするのである。素手では勝負がつかないから、米俵で勝負してみようではないかと、梅王に投げ渡すのではない。だから、喧嘩相手の梅王が手元まで届かない米俵をわざわざ受け取りに行ったのは苦笑するしかなかった。そう言う時は、手前に落ちた米俵を見て嘲笑し、それを軽々と拾い上げ松王を挑発してやればよいのである。こういうまさしく臨機応変な遣い方、誠実実直な玉輝には難しくとも、才気ある幸助には可能かとも思ったのだが…。とはいえ彼の力量は、梅王の極まり型が絶妙であるところなどに見て取れはした。
「訴訟」
切場の前を千歳が分担する。最近この形が多いのは、もちろん大御所を気遣ってのことであるが、千歳にすれば主眼の三段目切場を語るわけだから、これほどありがたいことはない。とはいえ、そこまでの力がないと、鼎の軽重を問われる結果となる。さて、今回はマクラ一枚を語って前段喧嘩で舞い上がった埃を鎮めたのにまず感心した。続いて八重のクドキがすばらしく、これほど魅力的な節付けがしてあったのかと、清友の三味線ともども胸に響いてきた。ところが、代官所の格で裁きを告げ始めるところから手応えがなくなり、梅王への怒りはまるで届かず、松王に対しても同じで、詞章「これも手強う決め付けられ」が手弱く聞こえるようでは、如何ともしようがない。要するに老父の強さが表現できていなかった。強く語ると老人の作りが壊れるからであろうけれど、それではここを語るにはあと十年は必要だということになる。加えて、「くわ」「ぐわ」音は一切関知しないという語りでは、とても次代の旗手は任せられない。師匠在世当時は、五十も半ばになってこの状態であろうとは思いも寄らなかったが、義太夫節というものの空恐ろしさをも実感することとなった。
「桜丸切腹」
越路大夫が引退披露にここを選んだのは、従来なら「丞相名残」が持ち役となっていただけに、やはり三段目の切場を語れてこその浄瑠璃太夫だからではないか、と昭和の終焉とともに再認識させられた。それまでここは津大夫の持ち場で、なるほど時代物三段目切場なのだと、津の語りによって感じ取っていた。それが住師の語るところとなり、もともと三段目は時代物(王朝物)でも世話掛かっているという定石作劇法がクローズアップされ、中でも白太夫に抜群の存在感が出てきたのである。錦糸も野澤の家らしい三味線がピタリと合って、義太夫節の一つの世界が完成した。進化系統樹の一極北と言っていい。平成の太夫はと問われて出てくる答えは、一も二もなく住大夫となろう。
ここで、人形陣を総括する。簑助師の桜丸は覚悟の腹が据わっていてしかも大仰にも悲壮にもならないのがすばらしい。切腹の型も見事。春と千代に十作は相応、松王梅王は既に述べた。残るのは白太夫と八重である。和生も簑二郎も性根をふまえているし、よく遣っているとしてよいのだが、切腹から段切までの所作に問題がある。と言っても、従来からあった型(例えば岩波大系本文楽浄瑠璃集にもその記載がある)であるから、解釈の問題という範疇であるのだが。
桜丸が自身で再三語るように、ここでも「身近く召され」た「下々の下々たる牛飼舎人」という自意識は強い。だからこそ、「下郎ながら恥を知り義のために相果つる」べく、武士のみに許された切腹という形式(あくまでも型である。腹へ刃物を突き立ててもそれは切腹とは呼ばない。「勘平腹切」「弥作鎌腹」がそうである)を願い出たのである。白太夫も、それゆえに撞木を刀として介錯の役を務める。一方の八重は、眼前での夫の自害を受け入れられるはずもなく、九寸五分に縋り付いてでも止めようとするから、桜丸はそれを右膝に押さえたまま腹へ刀を突き立てる、というのは自然な成り行きであろう。越路大夫引退披露時もこの遣い方であった。しかし、それが見苦しい未練な形を伴うものとなっては、切腹の作法を乱し単なる腹切りに堕してしまいかねない。世俗的で若い八重(この性根は初段「加茂堤」でよくわかる)ゆえの衝動的行為は、よくその心情を表すものではあるが、ここは夫桜丸に、作法に則った立派な切腹をさせてやらなければならないところなのである。理屈になるが、膝にひしがれたままでは「喉のくさりをはね切つて」の血潮にも染まろう。また、「弓手の脇へ突立つれば八重が泣く声」と詞章ではなっていて、現行の遣い方でも八重はその通り泣くのだが、ではそのタイミングがわかるのは何故かというと、桜丸のイキと刀を腹に突き立てる音が耳元で聞こえるからである。これではあまりにも生々しい。もっともこれに対しては、歌舞伎ならいさ知らず人形はそこが間接的になるから問題ないという指摘も出てこよう。しかしながら、位置関係はどうにもならない。現に公演後半、勘弥が遣った八重は桜丸の切腹を掣肘する形になり、簑助師から注意されていたではないか。本質的には、切腹前の「もうこれ今が別れか、と泣くも泣かれぬ夫の覚悟」から下手へ離れて堪え忍び、前記のタイミングで泣き声をあげるということだと思う。
もう一つは段切白太夫の動きである。出立するも後ろ髪を引かれて桜丸にもう一度別れを告げ、梅松桜三本の愛樹に向かうのは納得できるし、最後はやはり、下手近くで西国への旅立ちの体を見せるというのも道理である。ところが、その往復が肉体的にも精神的にも厳しい老体とは思えない、素早さを見せるのは気に掛かってならない。これも、諦めきれない悲しみと未練と、それを敢えて断とうとする振る舞いであるのはよくわかるのだが、ジタバタと右往左往しているとなっては、「白太夫は片時も早く菅丞相の御跡慕ひ島へ赴く現世の旅立」の詞章にも背くことになると思われるのである。しかしこれは、端場「茶筅酒」において田畑を現役で未だに扱う足も軽い爺さん、という動きを見せておいたので、今回も公演後半にはクリアされていた。それよりも問題と指摘したいのは、段切の白太夫である。昨今乱れているとはいえ、詞章に基づく床の奏演に合わせて決まる柝頭(人形の極まり型に合わせるのではない。床の奏演に人形の型と柝頭とが別々に決まったのがピタリと合うのである)は、劇に没入している観客を現実に戻すものだから、それより後に人形が「新たな」動きをしてはならない(床は物語を知る神の視点で収めるから、当然詞章を語り続ける)。しかも、「佐太の社の旧跡も」と縁起が語られている(過去が現在化、すなわち舞台上を客観化している)のに、屋敷を後にして西国へ旅立つ行為を桜丸への未練で打ち消す遣い方には、やはり疑問を呈せざるを得ない。とはいえこれも、情愛第一ということであって、現代の観客からすればむしろ当たり前の行為として受け取られるであろう。だが、この柝頭も神の視点も考えない所作は、浄瑠璃文学そして語りという形式を無視する結果になるのである。通し狂言なら、直後の(仮に一部二部とここで分かれていても)「天拝山」冒頭にて、在郷唄で牛を引く白太夫の姿を見る観客は、これまたスッパリと気分転換して、と拍子抜けもするだろう。しかし、「桜丸切腹」の段切詞章通り遣われていれば、悲しみの清算は余韻を引きずりながらもその場で行われているのだから、観客の心もまた、柝頭とともに佐太村を離れて筑紫に赴くことができるのである。「情を語る」ことを強調しすぎると、「いま・ここ」にべったり付くことにもなる。段切のテンポが昭和40年代以前と比して遅くなっているということも、大きく関係していよう。ますます内向き指向となり、外部とのコスモロジーを失った現代日本人の、精神病理の一端をこの段切に見ることが出来る、としてはさすがに言い過ぎであろうか。観客に尻を向けて幕となる白太夫は、菅丞相に対しても尻を向け、物語を統括する神に対しても尻を向けていると、やはり言わざるを得ないのである。
『卅三間堂棟由来』
「平太郎住家より木遣り音頭」
追い出し附け物を語るとは、津駒の切語り昇進は時間の問題となったことを意味する。もちろん、主眼が寛治師の三味線にあるにせよである。しかしながら、そのことは師の下にあってこそという現状を意味しており、今後ますます精進して、文字通り独り立ちの太夫として切場を任されるようにならなければならない。
端場を睦と喜一朗が担当する。喜一朗のこういう役回りもずいぶん長くなったが、清志郎と役回りで差が付いてしまった気もする。ここは番付上は中だが、嶋大夫が切場なら当然に口となる。気が付いてみれば、先輩の始は休演続きで、つばさはいなくなり、とりあえず睦の立ち位置は安定したというところ。もちろん、それ相応の力は見せていて、声量もあるし声質も悪くなく、懸命に真正面から語る姿勢も評価出来る。その分、一本調子で今回のお柳など耳にキンキン響きもしたが、大きく前へというのは初歩の時期には絶対必要なことだから、今後を見守っていきたい。掛合から抜け出したとまで言うにはまだ早かろう。
奥、まずニジッタ音を始めとして三味線のすばらしさに耳が行く。足取りや間も抜群で、この一段が、木遣り音頭のオマケがつくのはそれとしても、人気であった理由がよくわかる。お柳の詞章は太夫が未熟で一本調子なところもあり、音遣いも苦しく感じられもしたりと、うっとりまたしっとり聴かせるには至らない。とはいえ、一音上がっての木遣り音頭はなかなかのもので、みどり丸のウレイも効いた。となると、現状では立端場が相応という実力判定が下ろう。まだまだこれから、道遠くとも日は暮れずである。今回は、やはり寛治師の木遣り音頭で追い出されたからまず満足というところだった。
人形は、文雀師が狐葛の葉とは違う精霊の楚々とした感じを、自然に表現するという至芸。平太郎の玉也は現在浪人中なれど歴とした武士に繋がる端正さを見せる。蔵人は孔明カシラでは荷が重い玉志だが、検非違使で忠勤な役人の遣い方は出来よう。
「河連法眼館」
端場を咲甫と宗助が勤める。結論から言うと、「八幡山崎」と段書きしてもよい出来であった。というよりも、「八幡山崎」と呼ばれる理由がわかる奏演であった。まず、マクラから四段目金襖物の風格が定まる。三味線は二の音がやや薄かったが公演後半には改善、ただし強く響かせようと皮を叩いては打楽器的要素が加わるから、このマクラでは不可とうのが難しいところだ。「忍び駒」後の合も今一歩。亀井駿河の両人は陀羅助との語り分けがいささか不分明。一音上がってハルフシからが今回この床の主眼。節付けの妙を実感させる手腕は、静の地で美しいと思わせることで明らかとなる。三味線も、「初手は思ひ二度三度〜六度目はには怖気立ち」の弾きわけがすばらしく、静の心情がその音色で感じ取れたのは上級であった。
上演史の過程で中が切場に昇格した形。それゆえに、さあ切場だと身構えて聞くと物語全体のカタルシスに欠けて物足りなさを感じる。しかし、初音の鼓そして狐忠信の件に関してはカタルシスとなるから、今回のように、道行(できれば二段目「伏見稲荷」を事前学習―NHK発売のDVD『義経千本桜』―しておくとなおよい)から仕立ててあると、その方が好都合とも言える。この一段は、狐の少年期から青年期、そして自らも子を持つ親の立場となり、ようやく巡り会えた親狐としての初音の鼓、やはりその長い述懐がどれほど胸に響くかである。ただし、狐としての様々な来歴や背景はすっと耳に入りにくく、しかも、人形は随所にケレン味があることにより、客の心情も収斂よりは拡散に向かう。加えて、前述の事情から、切場の愁嘆に用いられる節付けはなく、フシオチも狐の段独特の手となっているから、情で泣かせることは困難を極める。実際、録音に残る名人たちのものでもそれは至難の業であり、やはり元々の格相応の、狐物語を聞く人間が我が身に置き換え、その悲愁を共有することができればよしとしなければならないだう。静は「彼が誠に目もうるみ」、義経は「恩愛の節義身にせまる」のである。その意味からも、勘十郎が公演前半で見せたフトオチ毎の狐の生態を、後半に従来の型に戻したのは、情感の継続を意図したためであろうが、以上の理由からあまり効果的ではなかったと総括したい。むしろ、人間を恐れる動物の本性が(二親を狩られて鼓の皮にされたのでもあるし)、語り終わるたび無意識の内にも一瞬の動作に現れるという解釈も、決して床の奏演を妨げるものではないはずだ。NHK教育テレビで放映中のアニメ「日常」で言えば、はかせが発明したスカーフによって人間の会話が出来るようになった黒猫の阪本さんが、年長者らしく威厳をもって振る舞おうとするものの、目の前にボールや消しゴムなどがあるとついついじゃれ合って猫の本性を晒してしまうという、そのネタとも共通するのである。孔明カシラにしてあるのも、その人間ならざる超越性を示すためのものであろう。それにしても、段切の宙乗りで桜吹雪を降らせたその軌跡が、青空を背景にして一筋の流れのように美しく見えた時には、感嘆の声をあげるしかなかった。「さくら花ちりぬる風のなごりには水なき空に波ぞたちける」(紀貫之)。
床は咲大夫と燕三で、観客をして悲愁の共有にまで至らせてくれたし、何よりも勘十郎が気兼ねなくケレン味を発揮出来たのは、この床だからである。「くわ」「ぐわ」音の存在はまた、紋下櫓下を復活させるに相応しい第一人者であることを示している。他の人形陣であるが、義経の文司は最後のクドキでのウレイが良く出来て、亡師の跡目相続も問題ないと思われた。静も端場からここまで常にでしゃばらず安定していたのは、地味でもなく好感が持てた。忠信の実直律儀、亀井と駿河は役割を入れ替えると、陀羅助カシラが動きすぎて嫌味になり、検非違使は逆に引っ込んでしまうことをわかっての配置だろうと納得した。
『壷坂観音霊験記』
「土佐町松原」
プログラムの鑑賞ガイドには妙なことが書いてある。「目の不自由な夫の世話と内職に追われるお里でしたが、参詣人から掛けられた勧めの言葉の端から信仰の灯がともります」。すなわち、通りがかりの他人に言われて、壺阪寺へ祈願に行くことを思い立った、と。これはおかしい。「山路厭はず三年越し、切なる願ひにご利生のないとは如何なる報ひぞ」とお里のクドキにある。つまり、参詣客から観音を頼めと言われ、「少しの暇もない私、また春永にゆつくりと」とは、三年に渡る一心不乱の信心も何の利益もないという事実を押し殺し、参詣客へ挨拶をした方便なのである。もしここで、すでに願掛けしていると言えば、当然その効果を聞かれるのは目に見えている。その際に、観音に利益なしと愚痴など言わぬのがお里であるから、叶わぬ胸の苦しさをお里らしくもない「春永にゆつくりと」という言葉ですかしたのである。となると、その直前に沢市の盲目を惜しいと言われ、涙を笑いに紛らしたお里の心中には、まさにこの三年の信心が何の効果ももたらしていないと言う現実が、あらためて思い出さされたということになろう。つまり、この端場は立端場として、切場でのお里の衷心衷情の吐露がすんでのところで零れ落ちて露わになりそうになるという、大きな意味を持つ一段となるのである。ただし、これを床や手摺がそれと示すと、いわゆる筋の底を割ることになるから、有って無きが如しで御簾内黒衣の一段として済ました方がよいとも言える。そう考えれば、鑑賞ガイドのように誤って捉えることの方が、作品全体の解釈としては正しいということにもなる。団平と千賀女がここに仕掛けたもの、それは実にとんでもない代物であったのかもしれない。
実際、床も手摺もそんなことは関係ないと、どうということもなく語り遣う。公演前半の希はどうともとらえどころがなく、後半の靖はツメを上手くつかまえて語ったことに感心した。寛太郎はそれなりである。
「沢市内」
源師と藤蔵。冒頭二箇所の地歌が、これから始まる一段の雰囲気と、沢市の鬱々悶々たる心境をよく伝えてくる。国宝の芸である。加えて「くわ」「ぐわ」音は、三百年の斯芸の伝承者として最重要の地位にあることを示している。三味線は、「明けの七ツの鐘を聞き」の後の合に絶妙の音を聞かせ、血統と実力とを知らしめた。
「山」
嶋大夫・富助。道具返し三重の後半を、いつからこのように溜めに溜めて弾くようになったのか。「沼津」の千本松原に変わるところの三味線で比較すると、なるほどと面白い結果も見えてくる。沢市はいろいろしゃべるが、覚悟は決めている。自分に対し決定的に嫌気が差した上に、出来ることといえばこのお里を他の男へ嫁がせるために自分がその場所を空けるだけである。そしてそこには純粋で一筋の狂とでも言うべき詰めた思いがなければならない。お里はもうもう狂気の如く嘆き悲しむのみで、踊りながら死ぬと称される所以である。三重後半に段切万歳の弾き方からすると、「ほんに思へば」からのクドキはもっと畳み掛けてもよかろうと感じた。
人形は、沢市の玉女が盲目を常に意識しながら意図的には感じさせず、源太カシラの若さも忘れない。お里の紋寿はこの人の芸が仕上がった一典型として記憶しておいてよいものだった。
加えて、今回この作品が明治期の新作なりの器であることと、さすがに団平の節付けで千賀女も才のあることと、その両面が納得出来たことは収穫だった。