平成廿二年七・八月公演(初日・24日―第二・三部―所見)  

第一部

「解説 文楽へのご案内」
 時間と予算とその他の諸事情により、これが最終形態となるのだろう。しかし、登場時は床の奏演とともに立ち回りと型を見せ、その後簡単に床の説明をして盆を回せばいいように思う。やはり、人形は床によって動くものでなければ、人形浄瑠璃文楽ではないからだ。実際に見ていても、無音の時空は拍子抜けで退屈した。解説担当、公演前半しか見ていないが、紋臣は好感が持てた。

『雪狐々姿湖』
「崑山の秋」
 「死ぬは一定、花も実もならぬ終りじゃ。死のう前に生きてみい」白百合の祖母であり、狐一族の長たる白蘭尼の詞である。そして、ご神体とも言うべき宝珠を差し出し、「この宝珠は何のために大事じゃと思う」とまで語るのだ。人間の男に恋をした娘狐が、老狐の訓戒を聞く耳持たず、こっそり宝蔵から珠を持ち出すという設定にはなっていない。そしてまた、通常の異種婚姻譚すなわち動物の恩返し話とも異なる。タブーが犯されて正体が露見し別れるというのは、考え方を変えれば恩返しの期限満了を設定するためということにもなるが、白百合は恋をしたのでありそこには期限などありはしない。となれば、これは完全に民話の型を借りた人間ドラマ、生きよという積極的なメッセージとなる。しかも、望み通りに生きるためには、伝家の宝刀を抜いてもよいという全面肯定でもある。したがって、この一段は物語の核心を突く白蘭尼の詞にすべてが掛かっているということになる。それを語る文字栄に年輪は感じられたが、力強さや奥深さが欠けていた。というよりも、そこまで考えて役割を振っていないのだ。故貴大夫なら、ひょっとするとそこへ届いていたかもしれないが、この陣容では仕方がないということになろうか。他の太夫陣はそれぞれにわきまえて問題なかった。三味線もシンの宗助がよくまとめ、団吾以下きっちりと付いていた。

「猟師源左の家より冬の湖畔」
 教訓話にするのなら、「わしゃ人間になったをしんから喜んでいるわいのう」を全くの己語りとし、「わしはもう崑山に戻る心はない程に」と冷たく突き放し、追い返された右コンが足を挟むところを酷さの哀しみと語ればよいのだが、もちろん嶋大夫はそんな浅い解釈はしない。「白百合涙を押し拭い」この語りがとてつもなく難しい。そして冬の湖畔。「源左の嫁で死にたやな」白百合の願いは成就した。これを、「募る思いは人間で死にたいという事ばっかり」が現実化したと取れば教訓話にはなるのだが、「死ぬは一定、花も実もならぬ終りじゃ。死のう前に生きてみい」との白蘭尼の詞を観客は思い出さなければならないはずだ。すると、源左から女房だと呼ばれて湖に沈む姿をどう描写すべきなのか。そして、段切に「今は心も澄む水に」とある詞章の心とは、当然白百合のものであって、だからこそ狐火が燃えてもいるとすれば…。
 動物を主人公とした民話調の物語だから、お子様にも親しみやすいとするのなら、次回もこのままの演出でかまわない。昭和三十一年初演の佳作を確かに伝えるということでも、文雀師の衣鉢を継ぐ和生の白百合に、越路師の衣鉢を継ぐ嶋大夫と、その相三味線として好演の清友という今回の陣容はベストであることに間違いはない。しかし、生きるとは何かというメッセージを伝えるのなら、作品解釈を一から始めなければならない。その場合、白百合の人形は勘十郎に遣ってもらうしかない。そして、床は(今のコンビなら)清治師と呂勢に任されることになるだろう。ここにこそ現代的解釈が生まれるのであるから。夏休み親子劇場に掛かった演目の再演を望むことは、これまで一度もなかった。だが、この作品に関しては、次回どのように聞かせ見せてくれるかを、大いに期待したいと思うのである。
 

第二部

『夏祭浪花鑑』
「住吉鳥居前」
 マクラ一枚が難しいというのは、こうやって颯爽たる若手が勤めているのを聞くと端的に理解出来る。こなれていないと言えばそれまでなのだが、ストンと胸に落ちてこないのである。それが可能になったときこそ中堅ということになるのだろう。まず、寛太郎の三味線に素質の良さを感じる。間や足取りそして変化など、さすがに門前の小僧にしてかつ修業の成果と聞こえる。太夫のつばさもそこに意を用いていることが明白で、詞も三婦に工夫の跡が見え、このところの成長ぶりを今回もそのまま持続している。ただし、ヲクリの「入る間」を「ハイルマ」と語ったのには耳を疑った。これはどうしたことかと、敢えて厳しく書き晒しにしたが、そのままであったから、太夫個人に還元できる問題ではないと悟った。若手太夫が独断で語りを変えられるものではない、つまり、「ハイルマ」との語り方が継承されているということである。
 まず、「入る間」は「イルマ」が正しいということから解説する。ここの詞章は「入る間程なく」とあるのをヲクリで分けてあるのだから、「イルマホドナク」と語調からして自然にそうなる。もっとも、「入る間もなく」であれば「ハイルマモナク」ということになるから、一事が万事「イル」と訓ずるわけでもない。が、それ以前に「入る間」とあれば「イルマ」と読むことは少なくとも古典作品では当然であり、自明なことである。それでは、なぜその当たり前のことがおかしくなってしまったのか。それは、ヲクリに関しての誤った認識が広まってしまったからである。すなわち、最後の字を次へ送るからヲクリという妄説が罷り通ると、「イルゥーー、マァーー」と語ることとなり不自然に感じられるから、勢い「ハイルゥーー、マァーー」と語るのが普通だとなるわけである。加えて、ここにはもう一つの原因がある。それは、現行の「鳥居前」が松之輔によって補曲されたものという点である。通し狂言を復活させる際に、断絶した曲を補うのはやむを得ないことである。その際、上演時間の関係等から詞章の刈り込みが行われることも多く、この序切に相当する一段もそう処理されている。この「入る間程なく」は丸本では「待つ間程なく」である。これから見ても「マツマ」と対応するのは「イルマ」であることは当然であるが、肝心なのは丸本ではフシのところをヲクリに変えたことにより、復活当初より「入る間」「程なく」と詞章が分断されていたということである。そして、先に述べた誤認が加われば、語りの伝承が途絶えていることもあって、容易に「ハイルゥーー、マァーー」とされてしまうのである。ひょっとすると、現代語では「入る」は「ハイル」と読むから、安易に「ハイルマ」と読んだのかも知れないが、あまりにも無知をさらけ出しているわけで、通常は考えられないことである。が、可能性は否定できないであろう。ともかくも、この誤りが継承されているのは忌々しき事態である。即刻正さなければならないのだが、問題は当該場所が若手の勤める端場であるということなのである。一旦語りの伝承(というよりも無知の垂れ流し)が確立されてしまっているものを、下の者が勝手に、それが真っ当なことであるにしても、変えるのは許されないことなのであろう。然るべき者による適切な対応を望むものである。
 奥は文字久を富助がバックアップする形で、この序切を捌く。ところが、ここでも前述の「ハイル」問題が現出している。「江戸を知らぬ者と牢へ入らぬ者とは男の中の男ぢやないと言ふ」の箇所である。ここは「知らぬ」「入らぬ」で対になっており、「イラヌ」が当たり前である。ただし、これが三婦の詞であるところが曲者で、「ロウヘハイランモントハ」と流して語ると、さも三婦のセリフのように聞こえてくるのである。しかも、この場合「ロウヘイランモントハ」とすると、唱歌という美しい文語体からも遠のいた現代人の耳へは、一瞬意味が通じにくくなるというオマケまでついてくるのである。だが、ここで留意しなければいけないのは、この一節は諺の一種すなわち定型文なのであるから、三婦も引用するように語らなければならないということである。三婦の造形に気を取られて語り崩してはならないのだ。そこが理解されていれば、難無く「イラヌモノ」と語ることになるはずである。しかし、これについても改善はされず、やはり誤って語られ続けてきた過去があるということであろう。そしてここにもまた、丸本詞章の切り貼りが関係してくる。参考として岩波体系本『浄瑠璃集』所収「夏祭浪花鑑」の記載を見ると、「江戸見ぬと牢へ入(いら)ぬとは男の中じゃないと言〈い〉ふ」とあり、凡例により、「読みにくい漢字には歴史的仮名遣による振り仮名を施し」た「入(いら)ぬ」と、「仮名を漢字に改めた場合に付けた振り仮名」の「言〈い〉ふ」であることが理解される。「入」が読みにくい漢字とはどういうことかと言えば、「ら」の送り仮名が記されていないために、「入ぬ」が読みにくいと判断されたために違いない。とはいえこれは、浄瑠璃作品を読み慣れていない読者に便宜を図ったものであり、浄瑠璃太夫であれば、当然のこととして読めるはずのものに違いない。しかも丸本は、先に述べた諺定型文の形がより明確となっている。それを補曲の際に、いかにも三婦の会話であるかのように改訂したものであるが、これは間違いなく蛇足であり、スリムなボディにブヨブヨの贅肉が付いて醜い姿となったものと言わざるを得ない。しかしながら、今回の問題が丸本絶対主義や現代風改良批判と一線を画すものであることは、念のため述べておいた方がよいだろう。「イルマ」「イラヌモノ」を「ハイルマ」「ハイラヌモノ」と語るやいなや、違和感を感じ、気持ちの悪い虫酸が走るのが当たり前のことなのである。真っ当な義太夫浄瑠璃節を毎日シャワーの如く浴びている者にとっては。つまり、その補曲が行われた時からそう遠くない時点において、すでにその天然の恵を受け付けないカラダを持った人物が存在したということである。無知は一生の恥である。この機会に何としても、本来の正統な語りに立ち帰るべきであることを、力説しておきたい。
 三味線が気合い十分で、この太夫の三段目語り―静から大隅となったあの太夫を彷彿とさせる―への道を用意する。その太夫だが、団七・徳兵衛の達引よりも佐賀右衛門と駕籠舁の方が際立ったのは、まだ至らない証拠。また、序切の段切はたいてい面白い節付となっていて、ここも「気遣いは微塵もない」と徳兵衛の詞をしまってから「裏表なき気の広袖」「松の住吉」「緑変らぬ袖袂」「引き連れ我が家へ」とカワリも間も足取りも絶妙なところである。がしかし、面白くない。このあたりがきっちり出来ないと、いくらセリフで客を掴んでも、浄瑠璃義太夫節を語る「太夫」とは認め難い。まあ、芝居の役者に竹本をくっつけたようなものとしてなら、それでもいいのかもしれないが。この人には、演劇を捨てて音楽をという言葉を敢えて贈りたい。

「内本町道具屋」
 端場をこのところ急成長の相子が清馗と組む。マクラはやはりストンと落ちない。若手の中でいち早くこのマクラを語れるようになった者が、中堅へと駒を進めるであろう。お中の造形も難しい。大店の娘だからお染と同じでいいのかといえば、それよりは影も薄く堅くなければならないし、もちろん武家の娘になってはいけない。これも課題として次回へ持ち越しである。とはいえ、男四人の語り分けはまず出来たし、綱師の預りとなってから進捗著しいだけに、今回は御簾内格でもあり、括弧の中へ入れておくことにする。三味線は自然に聞こえた。
 奥は英と団七の熟年コンビ。何でも勤めるし独特の風合いまで醸し出すに至っている。今回も殊更作り立てず、儲かるチャリも自然な流れに任せて引き出すという、まさに大人の芸を聞かせた。ただ、二段目切であるからは、団七の苦衷で客の心を抉る必要はあるだろう。次の切語りの地位は間違いないのだが、故伊達大夫がついに切の字が付かないという不当な扱いを受けた(本人はそんなことを気に留める人ではないということは重々承知している)のが、然るべき時にその地位を与えなかったがために、ずるずると遅きに失したという事態に収斂した結果であると考えると、もう一段の高みに到達していることを是非とも知らしめてほしいと願うものである。

「釣船三婦内」
 芳穂・喜一朗の端場。マクラは同前。ここは未だに、越路師匠の前であった千歳の語りが忘れられない。その時に感心した磯之丞と琴浦の痴話喧嘩だが、今回もまずはよかったと言えるものであったから、合格としてかまわないだろう。
  切場、住師に錦糸はもはや確定事項である。これまでは、お辰の胆力と三婦の心情に感銘を受けてきたが、今回もそこは当然ながら、徳兵衛を心底愛している女房のお辰としての女心、そこに強く印象付けられた。確かに、お辰の心意気は驚くべきものであるが、それはいわば突っ張っていれば何とか保てるものでもある。それに比して、恋女房としても常に美しくありたいと願う心(任侠の女が美に対して如何にこだわりを持っているかは、近年の映画を見ても一目瞭然であろう)を垣間見せることは、あってはならないことであろう。お辰の詞のうち、立つの立たぬのは前者に属するものであり、「親の生みつけた満足な顔へ」以下こそ、後者が思わず漏れ出たものなのである。「我が手にした事」から笑いに紛らして「一間へこそは連れて行く」のフシ落までに、美しくも切ない哀感ゆえの涙を湛えたことは、今回が初めてではなかったか。それはまた、登場してすぐの詞「女房の思ふ様にもない」以下で、お辰の心情をきちんと捉え描き出していればこそだったのである。今回、それらが重点的に語られていたわけではない。サラサラと三味線ともども進んでいたものである。粘り気は看経の念仏から後であり、ここは例によって客席も即座に反応をしていた。ともかく、これでようやく三婦とお梶と同じ心持ちの涙を流すことができたわけで、この切場評釈もこれにて卒業させてもらえるのではないかと思う次第である。もちろん、簑助師のお辰に色気があるからこそ、ここへ至ったのは言うまでもない。
 跡を希と龍爾が引き受け、詞など平板だが声色に陥っていないところを評価すべきだろう。三味線の足取りとともにモタモタしなかったのも良とする。

「長町裏」
 千歳の団七は想像以上に骨太で、ここまで嵌るとは驚いた。松香の義平次も、とりわけ怒りの凄味は肝を寒からしめるものであった。三味線の清介の捌きはまた見事であった。しかし、なぜかその床が印象に残っていない。敢えて言うならば、人形が語らせたようにも感じられたのである。齟齬を感じると床の方が気になったのは、まさにそのことを如実に物語っていたといえよう。つまり、今回は人形を語らずして、この一段を語ることは出来ないのだが、人形は最後に総括して記すので、ここではもう筆を止めることにする。

「田島町団七内」
 世話物はリアリズムである。この一段を聞いていると、しみじみとそう思う。もちろん、すべては仕組まれたことであり、段切には屋根の上での大立ち回りという、視覚的にも工夫された場面が用意されているけれども。この場の団七はまるで格好良くない。三段目は劇として最高に面白いし、団七の舅殺しも、相手が悪人であり自分に正義があるから、観客が素直に自己没入できる。ところが、この四段目になると、完全な脇役に回る。団七は主筋である磯之丞の一件が片付くまでは死ねない。舅殺しはあくまでも事故であるから、ここは逼塞しているより他はない。女房子にはもちろん、義兄弟にも真実を語らないのは、信用がないからではなく、なかったことにするのが得策だからである。とはいえ、それで逃れられると思うのは本人だけであることは、いつの世いかなる場面においても同じことで、妻のお梶は気付いているし、徳兵衛や三婦は天網恢々疎にして漏らさずが目の当たりになることを実感しているのである。そうして、何とか団七の命を一日なりとも延ばし、もしもの時は他に累が及ばぬようにと、苦慮する人々の衷心衷情が浮き彫りになり、それが語り弾かれ人形の動きとなる。これこそが世話物の真骨頂であろう。
 さて、この一段は滅多に出ない。泥場の後というのが、時間的にも興行的にもカットされる原因なのは明白であるが、それだけに勤める方も儲かるよりは損を覚悟ということになる。それを咲大夫と燕三が勤めるが、通奏低音としてサラサラと流れゆく上に、お梶に徳兵衛そして三婦の湿度の高い情味が描かれ、それを団七そして市松の何心ない乾燥した語りが対置されていた。それはまた、夫唱婦随、兄貴分と弟分、母と無邪気な子、そして人生を知り尽くした老爺と、それぞれの立場が現れたものでもある。これだけを捌きながら、しかも前半徳兵衛の心情吐露で涙を催させ、男女の痴話で笑わせ(越中がまだ死語ではなかったことにホッとした)、抜き身の争いに緊張感を漂わせたのは、さすがに来るべき櫓下である。最後に三人のクドキと立ち聞く団七の男泣きがあり、クリ上ゲフシもオトシも用意されて最高潮を迎えるのだが、ここまでもってくるには相当の密度が必要で、客席もさすがに疲れが見えていた。通しでの「忠九」や「伊賀八」と同格というのが、じっくりと改めて聞いた実感である。
 跡、読本なら芳流閣の決闘というところ。始は大音強声で清志郎の三味線も鋭いから、きっちり始末を付ける。これで追い出しだから、短くても一杯に勤めたのが好ましかった。
 では、人形陣を総括する。
 今回は一にも二にも勘十郎の団七九郎兵衛である。とりわけ泥場では、その人形を前列正面からまじまじと見ているうちに、これまでは考えもしなかった新たな思いが浮かんできた。床を聴けば人物の動きや表情は目に浮かんでくるから、未熟な人形はかえって邪魔になる、これまでは何度もそう言ってきたし、それが本道でもあるはずだ。ところが、今回は、その団七を見ているとその時々の心情がことごとく伝わってきて、この表情だからこの言葉が、この仕草だからこの表現なのだと、むしろ人形が浄瑠璃を引き出すように感じられたのである。しかし、考えるまでもなく、人形は人間ではないのであって、それほど多様な表情などあるはずがない。にもかかわらずこれほどに富んでいたのは、カシラでいえば仰角俯角に左右あるいは斜度、それらが微妙に調整されているからであり、そこに肩腕手や胴体以下の動きを加えて組み合わせれば、なるほどそれも可能だということにはなる。だが、それは理屈の話であり、神経質に遣ったところでせせこましく不自然になるだけで、何らの情感も描出されない結果となるだろう。つまり、勘十郎の素質と腕によって為された業であって、この類い希な瞬間に立ち会えることを幸福と思うよりほかはないのである。もちろんそこには、床を無視した独断専行などはなく、ただ先にも述べたように、人形遣いが太夫を語らせているように感じられたということだ。しかも、舞台空間や大道具の使い方は抜群で、人形美の骨格をなす極まり型も惚れ惚れとするのもので、とにかく驚愕の手摺であったと端的に表現し抽象化しておく。二度目は普段通り舞台に見入ったものの、床の方が何度か気になったのは、その表現が手摺に追いついていなかったためであろう。義平次を遣った玉女にもそれは共通しており、今回の「長町裏」は完全に彼此の力の差があったと言わざるを得ない。その義平次は故師匠ほどの嫌味や凄味はないものの、舅としての虎王カシラの性根を掴んで、小悪党に矮小化されなかったことを評価したい。三婦は紋寿。老け役が似合うようになったと言っては失礼であるが、矍鑠たるという辞を前に付けると、なるほどと納得されるであろう。十一月大阪は「堀川」の与次郎だが、「陣屋」の弥陀六を遣ってみてはとも思う(故玉男師の持ち役でも老け役を玉女に遣わせるのは、よろしくないのではと考えていることもあって)。一寸徳兵衛の玉也、玉昇の弟子として面白い存在で、師匠譲りの動きも見せてくれるが、ここのところ準主役級を遣うからか、いささかおとなしくなってきたのは功罪両面あるだろう。この徳兵衛など、兄貴分の団七との比較もあり、何より若さを前面に出して、それこそ故師の巧みな動きそのままに遣ってもらいたいところだ。颯爽として鮮やかな青年侠客には今一歩ではなかったか。お梶は清十郎、序切の仲裁は物足りなかったが、「団七内」では、登場時点から愁い掛かっているのが本筋で、あくまでも団七の妻であるという立場がよくわきまえられていた。徳兵衛との絡みはお互いもっと男女の色気がないと面白くない。磯之丞を文司が遣うが、上から割り振った結果として仕方ないところか。徳兵衛を遣わしても抜擢とまではいかないのにと思うが。要するに優男だが、「道具屋」で武士の素性を言い立てるところを鋭く遣えていれば、悪くはないという評言にはとどまらなかったであろう。あとはそれぞれ難無く相応に遣っているが、番頭伝八の勘緑が儲け役ながらよく映っていて、その嫌味な三枚目は、現在彼がモノにしているところだとあらためて感じた。三善清貫や村上義清など余人を寄せ付けない。ただ、遣っている本人が無表情になり切れておらず、この嫌らしさは本人のものではないかと思わせられるのは、してやったりではなくよろしくないはずだ。本当のところどうなのか、その答えは九月東京で判明するだろう。長吉は愚かでも決して嫌味ではないからである。
 なお、簑助師のお辰については、すでに住師のところで触れた通りである。
 

第三部

『菅原伝授手習鑑』
「寺入り」
 何心もなくするすると進むが、千代には深い思いがある。「かゝ様わしも行きたい」この詞も無量だが、ともに底を割るわけにはいかない。わずかに「大きな形して跡追ふのか」で表に出るだけ。下男が途中で居眠りをする、そういう中で必要最低限の心を伝える、段書きもされるほどの至難の端場である。十年前の千歳か呂勢が勤めるほどの陣容であればよいのだが、若い二人はよく健闘したものの、二の音といい足取りと運びで聞かせるなど、まだまだ修業はこの先続いていく。「跡追ふのか」も斧の跡がはっきりと見えてしまっていた。

「寺子屋」
 時代物、西風、そして四段目。この足取りが叶わないと、険しく窮屈なものになってしまう。有名な「せまじきものは宮仕へ」はもちろん、「機嫌紛らす折からに」「小太郎連れて引き合はせど」など、切場に入って早々にその風を決めてしまわなければならない。当然マクラの三味線もそのように弾く。ここを綱師と清二郎が勤めるのは当然のことである。また、劇的な志向が今回は強く、三味線も気合十分で応じていた。源蔵戻り、そして首実検と引き付けて離さないものがあった。気が付くと盆が回る、やはりここで切ると緊迫感が途切れる。
 後半を津駒が寛治師の指導の下、「いろは送り」までの期待を抱かせて語り始める。いつもの通り伸びやかさに掛ける語りだが、松王の述懐から胸に響き、千代の詞で涙を催すに至り、客席からもいいタイミングで手が鳴ったのは、館内が一体化していた証拠である。(ちなみに、第二部の「三婦内」で待ってましたと初日に声がかかったが、ノロマで腑抜けた最悪のものであった。こういうところ、不自然な作為はたちまち馬脚を現すのである。)続く松王の泣き笑いも、技巧云々でなく真情が込められており、ここまでで眼鏡をずらす手巾を当てるなど、客席の感動もまた真情そのものであった。そして、一音上がってからの三味線、もはやこの世のものとは思えないもので、段切はこのようにして愁嘆を昇華するのだというお手本となるもの。団平が「壷坂」でお里を踊りながら谷へ落ちるが如く手を附けたのも、前半西風で後半東風という節付けをふまえたものでもあるのだが、この「寺子屋」の後半もまさしくそのようになっている。透明な悲しみ(お里の場合は沢市、松王千代の場合は小太郎が、一時半時の間にこの世から姿を消したのであり、心の濁りは浄化させるより他はどうにもならないのである)は、美しい旋律によって空の彼方へ吸い込まれていく、門火の煙とともに(お里の場合はそれが観世音の元に届いたわけであるが)。そして涙は、流れ落ちることにより心を清めるのである。今回の「いろは送り」、やはり寛治師の三味線がいかに義太夫節の本筋をとらえているかを、あらためて確認させられた形となった。「楼門」、「琴責」そしてこの「いろは送り」と、永遠に記憶に残る奏演を聞くことが出来たことは、何ものにも代え難い喜びである。二度目に聞いた時はちょうど劇場による録画の日であったが、記録より記憶に残る義太夫節とは、まさしくこれを言うのであろう。
 人形。まず文雀師の千代。これがなければ、「寺子屋」後半の感動は生まれては来なかった。松王丸、我が子への情愛第一、検視の役目を偽る配慮が第二、これは今回の床とも一致しており、玉女の型と記憶しておいてよいだろう。源蔵の和生、主命とあらば冷酷にもなる侍の道、その厳しさは物足りないと見えたが、誠実な検非違使カシラであった。戸浪は勘寿、元は御殿勤めの女中も、今は片田舎の子ども相手で世話に砕けた様子、適応能力の高い女性の姿が眼前で、流石に年功であり技量である。こういう人がいるといないとで、芝居の引き締まり方が違ってくるのは当然であろう。玄蕃の玉輝は、大きくがさつでそれでいて嫌味はなく憎めない金時カシラが、思いの外よく遣えていた。九月東京が儀兵衛で十一月大阪が花菱屋、真価を問われることになろう。なお、よだれくり他の手習子は、どうみても現代の塾通いするガキであり、小太郎との褒貶に揶揄するフリを見せたのは、外見田舎育ちが内面都会擦れしている(要するに均質化した現代マスメディアの影響を受けた形そのままな)わけで、不快に感じた。ジャイアンとスネ夫の悪い所を合体させたキャラクターなど、どこへ出しても忌み嫌われるだけであろうに。若手によくある目立ちたい精神であるのなら、もっと工夫をして望むべきだ(素人の感想文であってもこのように書かれて腹が立つなら、そのエネルギーを修業へ振り向けてもらえれば結構である)。ちなみに、この若手も自分の表情がそのまま露骨に反映されているから、やはり端場は黒衣でやるのが正統だと再認識した。

「大蛇退治」(『日本振袖始』)
 人形入りの上演こそ絶えて久しいが、浄瑠璃義太夫節としては確実に伝えられてきた曲である。昭和十一年四月三日の大阪BKでも、吉弥・八造他の三味線に角・富等の太夫が出演して奏演されており、当時の評には「東京の勝鳳老師の手許に、此の朱章のついた本のあることは、嘗て聞いた事がある位」と、やはり珍しさが強調されている。実際耳にしたことがあるのは、先代綱大夫・弥七、およびそれを受け継いだ越路・弥七のものであるが、ともに今回の曲の根本を成すものであることは一聴して明らかであり、これは、プログラム中で清治師が述べておられることとも一致する。確かに鼓との掛合を聞くべきであるが、謡カカリで古代神話を題材とする荘重性を帯び、二上り説教で哀傷と民俗性が加味される点も高く評価されるべきである。補曲たる前半の振袖の縁起に至る件、後半の様式美・形式美・構成美に焦点を当てたスサノオの立ち回り曲と、むしろ自己主張を抑える形で文字通り補ったことは、原曲の素晴らしさをよく知っているからこその快挙である。清治師は清六そして弥七の両師に教えを受けるという、今となっては空前絶後の経歴を持つ。今回は、もちろん後者の教えを継承しながら発展させたものであるが、前者の、三味線の器楽性を追究しようとした姿勢もまた、例えば「山水の波にもまるる柳の髪」の描写などに、強く感じ取ることができた。この成功によって、また一つ景事の上演曲が加わったのである。再演再々演は当然となって定着するに違いない。そのシンを勤めた呂勢は、綱そして越路の後を継ぐ形となったが、よく重責に応え、節付に込められた情感を表現したと言ってよいだろう。ワキの咲甫、相子や二枚目清志郎以下の諸君は、この記念すべき公演の一翼を担うことになったのを名誉に思い、ますます志を高く持って修業に励んでいただきたい。なお、清治師の次回は九月東京での「桜宮物狂」である。シンの呂勢をはじめワキ二枚目はこれまた同様の布陣。伝説の仙糸が模様を弾いたという、その再現がなされるのかと期待するところ大である。『鰯売恋曳網』では「どこになんの作品の節が使われているのか、文楽検定の問題のつもりで考えてみてください」との挑戦を受けて立たねばならないし、東京文楽土日祝はプラチナチケットという万難を排して、何とか客席に潜り込みたいものである(「平治住家」も捨てがたいが、家の芸と言ってよい津大夫寛治による名演―運びが抜群で、治郎蔵など音の中から人物像が立体化してくる―があるし、お半長はいささか食傷気味なので)。
 人形であるが、第一に岩長姫すなわちオロチの化身を取り上げるべきはずだろうが、床に比してさほど記すほどのものではなかった。これは力量云々ではなく、人形の所作がうまく付けられているという点で、従という立場にあって十全だった(それを遣い果せた勘十郎ももちろん)という意味である。今後何度かの上演を経て、より個性を発揮出来るようになるだろうから、評言はその時でよいだろう。それで言うと、スサノオの初日は酷いものであった。人形遣いが慣れていないというのではなく、所作のそこここに意味不明で未整理な箇所が残されていたからである。しかし、これらは二度目には見事に改善されていた。スサノオのオロチ退治は節付でも述べたように、見た目の派手さや激しさまた面白さではなく、「型」「形」の象徴的意味が重要なのであるから、肚が要求されるところでもある。玉也はよくこの大任を果たしたと言えるだろう。稲田姫の簑二郎、爺の玉佳も、記録に残るこの一場に起用されたことを誇りに思ってもらいたい。もちろん、いずれは記憶に残るような至芸を見せてもらえるはずだと期待している。
 ちなみに、民話の近代文学への焼き直しは今では古くさく、むしろ奇怪譚の方が超現実的で可能性があるから、本作の第一部での上演が考えられないこともない。しかし、これほどの節付を親子劇場に限定するのは、小判や真珠の撒き散らしに他ならないのだから、やはり追い出しが相応であることを付記しておく。