人形浄瑠璃 平成廿一年四月公演(4日・25日所見)  

第一部

「寿式三番叟」
 戦中に古靱・道八のシンでレコード録音されたものがパブリックドメインで聞くことが出来る。究極の完全版であるが、面白いのは、古靱の足取りと間が神妙玄妙との言に尽きるのに対し、ワキ以下は単に保ち切れぬ鈍重なものがほんんどいうことだ。今回、初日に綱大夫師の翁を聞いて、この足取り、間があってこそ、荘重にして正格たる本作の十全な表現が可能なのだと痛感した。三味線の清治師も綱師と組むと女房役の本領を発揮して、中堅を鍛える鋭角的で息もつかせぬ行き方とは異なってくるのがすばらしいところである。ちなみに、前述のレコードにはこれまたとんでもない合評記があるので、是非とも一級図書館で「浄瑠璃雑誌」を紐解いていただきたい。
 その綱師休演で呂勢の代役となったが、齟齬を感じさせなかったのは実力である。「恐れあり」の引き字などよく行き届いていた(これで息が続けば切語りへの道)。今回は「八幡山崎」よりもこちらの出来が上であった。千歳役に文字久が入るが、自然に映って驚いた。「道行」もだが、声の使い方を感得したとなれば大化けするだろう。三番叟の二人も真っ向正面力一杯でよい。三味線も二枚目が清二郎だとこれほどのものになるわけだ。人形陣は、あと十年もすれば四天王と呼ばれることになる人々。翁の和生は面を着ければ神格化されるのはよしとして、舞終えて去る時に年寄り臭さが乗り移っていたのは興ざめであった。千歳の清十郎は従来の清新に艶と格が加わって珠玉、白尉の玉女と黒尉の勘十郎とはこのコンビしかないという理想郷が現出された。今回は開場四半世紀を寿ぐものだが、確実に次代を予祝するものとなっていたのは慶ばしい限りである。ただし、この印象は劇場を後にする頃には、また別のものになっていたのだが…。

『義経千本桜』(通し狂言)
「堀川御所」
 何とも中途半端な印象に終始した。序切だから立派な一段であり、床も相応以上の実力があるにもかかわらず、平板というか熱がなかった。とはいえ、静の舞から丸坊主で出されては語りようがないことは認めるが(プログラムで省略箇所を写真付きで紹介しているのは大いに評価する)、それでも何とかするのが十一代目権利者の意地だろう。川越の出までが変化にならず未整理で、義経との問答に切羽詰まった緊張感がなく、ようやく川越の居直りから気合が見えたが、「皆夢の世の有為転変」等の絶妙な節付けが再現されず、結局こちらの胸に応えないという総評をせざるを得なかった。前回が嶋、その前が伊達、十九、そして織。それらとの懸隔甚だしいとなれば、襲名は未だしであろう。もっとも、それで芸格が上がるという例は多いのだが。果たして如何であろうか。人形、静の簑二郎は腰元程度にしか見えず、ここらが中堅への壁か。義経の勘弥と川越の文司はともに存在感まで今一歩。きちんと遣っていることはわかるが。卿の君の一輔君には家の復興を懸けて今後の活躍に一層期待したい。
 跡、「是非もなき」から三重で始めて、背景は堀川館奥庭の景とすべきである。明治・大正期はずっとそうであった。昭和期の長い断絶によって、詞章上からヲクリとし、歌舞伎を真似て塀外としたのは、上演史を顧みない素人仕事である。さて、相子は一本調子だが正攻法で悪くない、清馗はよく弾いた。「裏門」「築地」とともに、序切跡は面白いし力試しにもなる。人形は弁慶がやはり玉昇の後は無人の感を否めぬまま。公演記録を観られたい。例えば、段切りの乗馬にしても鮮やかでなく、腰を落として座ってはめり込んで見え、馬上の扇も高さと大きさが決定的に不足している。象徴性というものの意味を身に付けていただこう。勘緑・玉志ともにであるが、師匠筋の違いによる個性はこのまま大切に育ててもらいたい。

「伏見稲荷」
 逸見藤太の出からは面白くできた。「福徳の三年目」思えば「筆法伝授」の端場左中弁希世の詞に感心したのは何時のことだったか。今回も「小金吾討死」で聞かせた三輪である。喜一朗は筋も音もいいはずなのだが、やはり熱が感じられない。両者ともに、段切りの魅力的な節付けが現出できれば、次は道行の床に昇格なのだが…。人形陣、静はやはり遣い手の格がものをいうのだろう。普段はあれほど遣える人にしてこれであるのだから。速見藤太の紋秀は性根の描出○。

「渡海屋」
 口は新人の登竜門。その意味で始は、マクラにも不安を抱えているがよく稽古できており、弁慶・相模五郎・銀平と応えたから入門として合格。清志郎は先達としての任務完了。
 中、初日はまだまだであったが、楽日前には力感もあり自分のものにしていた。節章の正確なトレースの上に情感も工夫も乗せるのであって、まともに音高も辿れないようでは、それは義太夫節ではないのだから。無論咲甫と宗助は十分義太夫節であるのだが、次に一層期待したいということである。
 切、咲大夫が銀襖なのは謙遜だろうが、是非とも次代に紋下を復活させ、その披露狂言で金襖を背にしていただきたい。亡父は織太夫時代から紋下を期待され約束もされた人物だったが、敗戦がすべてを無にしてしまった。文楽の戦後を終わらせるのは、咲大夫の仕事であると確信する。今回は人形の玉女とともに懸命に勤めてはいても、まだまだ模索は続くというところ。その玉女は、むしろ魂を入れないという行き方がよい。立役肚は出来るもので作るものではない。勘十郎はスタイルを確立したが焦る必要はない。人形欄の書き出しは、いずれ二代の玉男であるのだし、今回も文七のワクは確かに出来ていたのだから。そして、もちろん床がいなければ始まらない話であるわけだ。三味線の燕三は名実ともに切語りの相三味線である。それにしても、この二段目切は厄介だ。真ん中の局と幼帝との所作が長く感じられてならない。というのも、局のクドキにはカタルシスはなく、知盛の立ち回りも修羅の象徴であるから、一段の眼目はやはりその二人、おりうとお安ではない安徳帝と典侍局による、格も品もある静謐さを通奏低音にした、情感溢れる対話と心象風景の描写なのである。三大狂言で比較しても、「扇ヶ谷」は判官の切腹が執行されるし、「道明寺」も菅丞相が流罪は夜明け早々なのに対し、ここでは入水が現実化しない。つまり、舞台を通して客席へと緊張感を醸成するには、三業がそのようにもっていかなければならないのである。無論人形に文雀師ありで、その心情は十分見て取れたが、今回は全体として次回を期待する出来であった。

第二部
「椎の木」
 ここから始まって、すしやまでの三段目、つくづく良く出来ているものだと感心する。幕を引かないで場面転換する妙まで考えて見事に作られている。これを、かつて友次郎が古靱に対しても伸びているといった切場を語り捨てることが出来れば、2時間半など長いとも感じないであろう。
 口は津国にカワリが見え、団吾が確実に弾いていた。
 奥は松香病休で英の代役だが、こちらが本役の出来。三味線の団七とはツーカーであるし、立端場の格として安定したものである。大人の芸としてよいが、これが隠居芸に聞こえると話はまるで変わってくる。

「小金吾討死」
 ここは一人で語ると儲かるところ(儲けられる太夫であればの話)だが、近年はもっぱら掛合である。小金吾の三輪は前述のように詞が利く、内侍のつばさは初日と比して聞かせるほどにまで至った楽日前、弥左衛門の文字栄は掛合にすればこそである、あとは呂茂がブランクを挽回中。これを清友が面倒を見るのだが、「八幡山崎」で呂勢を弾いてもらいたかったというのが本音である。人形は、小金吾の幸助が前髪立若武者の性根を活写し、前段に続いてこちらは見事主役を勤めた。猪熊は玉勢が自然派で簑紫郎が技巧派だが、これもまた師匠筋のしからしむるところで、各々の個性を伸ばしていってもらいたい。立ち回りでメリヤスが変化するところ、いつ聞いてもゾクゾクするし、この一段は上演を重ねる中で完成していった佳品である。

「すしや」
 ここは住大夫師を措いて他になく、正確な音高トレースの上に情感と工夫が乗るという、義太夫節の極致を唯一維持し続けてられるという点からだけでも、超越的存在である。色や詞へ滑らせて自らの得意へ導くのも、それ故に許されるのものなのであり、通常の太夫ならば我田引水となろう。錦糸は住師のすべてを知り尽くしている。今回も大家最晩年の奏演として、そのCDはベームやバーンスタインとともに陳列されても至当であろう。
 後半を千歳が珍しく清二郎の糸で勤めるが、初日は見事なものであった。盆が回るとたちまちにその足取りを構築し、ぐいぐいと聴く者を引き付け、梶原の大舅カシラはさすがに至らないが不自然ではなく、権太の述懐からはついに観客をして落涙せしめ、父母の情愛も極まり、切場を勤めて情を語り感動を与えるという究極の語りを、この公演で実現するに至ったのである。ただ、楽日前日はいつもの痛みようで、それでも涙は催させたが、それは浴びせ倒しというべきだろう。すかしたり、上手ぶったりするのは論外であるが、故師匠の五代目継承の可否がここにも横たわっていることは事実である。それにしても、清二郎の三味線は実に気持ちがいい。流石、浄瑠璃義太夫節が背骨となって人間となっただけのことはあるのだ。段切りの快楽という、故井野辺先生もご指摘の王道が存亡の危機を迎えている中にあって、彼の存在はまさに貴石といってよいのである。無論、こちらは襲名の域に達してもいる。
 人形陣の総括。簑助師のお里、町娘や田舎娘は独壇場である上に、維盛へのクドキからはわきまえあって見事なものである。権太の玉也、才をもてあまして小悪党に甘んじ、小心者でなく善心の泉が堰き止められたと見る解釈は正しい。「椎の木」では小金吾という青二才の誠実を手玉に取る描出が性根であった。変にコミカルにならないのもまたよい。切場後半の述懐で観客の涙を誘ったのは実力である。名脇役に収まるかと思っていたが、もう一皮剥けるならばこの上ないことだ。弥左衛門の和生は、維盛を前にしての述懐こそ本領と見た。婆の玉英は嘆息するほどピタリであり、梶原の玉輝は、床との関係でせわしない動きになるところの処理が難しい。そして弥助の維盛は紋寿、玉男の持ち役を引き継ぐという難しい役回りで、弥助の時の方がより似つかわしかった。とにもかくにも、全体として成功裏に終了したとしてよいだろう。

「道行初音旅」
 寛治師の三味線に尽きる。次公演は「浜松小屋」、当HPが口を酸っぱくして訴えたところでもあるが、ようやく掛かることになった。しかも、チラシで大いに宣伝までしてある。節付けもよく情感にも溢れた一段、今から大いに楽しみとしたい。津駒には精進を重ね背水の陣で臨むことを期す。万が一にも語り殺すようなことがあれば、もはや「浜松小屋」は二度と公に姿を現すことはないだろうから。もちろん、当HPも沈黙せざるを得ないのである。さて、この道行は伸びやかで解放感があって、例の弾き倒せばよいとばかりに急速調へ流れることもなく、春らしい長閑さを聞かせてくれた。シンの津駒はとすがに寛治師の三味線がわかっているし、ワキの文字久もどうやら道行の語り方を体得したようで、絢爛とまでは行かなかったが、十分好ましい出来であった。簑助師の静はその一瞬一瞬が美の極致であり、狐忠信の勘十郎が絶頂期にあるだけに、至福の半時間は贅沢この上ないものであった。合戦物語の掛合など、師弟の連携は打ち合わせでなく心の交感に違いない。

「河連法眼館」
 「八幡山崎」は呂勢が勤めるが、最善の配役である。全一音上がっての静の出からが本領発揮だが、むしろそれまでの緊迫感に聞くべきものがあった。「式三番」の翁がよく映って感心したことと同期しているのかも知れない。というのも、声に荒れ成分が含まれているというか、艶やかで完全なる球体を期待したものが尖ったざらつきを感じ取ったということなのである。無論、声屋で終わるような素材でなく、果ては紋下となるべき太夫であるが、その道が三段目を通らなければならないとしても、南部そして摂津大掾であってほしいと望むのである。宗助はよく勤めよく心した。初日から楽日前への進歩の跡がそのことを証明していた。それにしても、いい節付けがしてあって、これで四段目の雰囲気がピタリと決まり、次の狐別れへと繋がる手筈になっている。次回通しの時は誰が勤めるのか。かつての陣容ならば、横綱にはならぬ三役格が勤めてこそ輝く一段なのであるが、それはもはやあり得ないとするならば、この一段もまた、その本領を理解されず前説扱いとされて行く運命にあるのだろうか。
 「狐別れ」、ここは明治後期に染太夫が勤めた後は、昭和六年に古靭太夫が語るまで(端場が駒太夫で絶品であった)掛けられていないという、一癖も二癖もある一段である。そしてまた、昭和40年代での再演は、確実に歌舞伎を意識したものであり、これまた厄介なところなのである。床と手摺の分離と言ってもよいし、逆に両軸が幸福に交わった結果と呼んでもいい。実際、いい節付けがなされているわけではなく、詞が肝要の一段なのである。今回、嶋大夫師は気心の知れた富助の三味線とで、その年功を以て語りきって見せた。もはや一言もない。人形は、静の清十郎が得意の品格に色香と愛嬌が滲むようになって、「式三番」の千歳と同様、襲名による+効果がはっきりと見て取れた。そして、一も二もなく勘十郎である。鼓抜けから始まり、変幻自在はまさしく源九郎狐そのもの。ついに、「文楽は観に行くもの」と言わしめるとは、もはや頂点に君臨している人形遣いである。しかも、それが自己顕示欲ではなく探求の成果であるのだから、こちらとしては、ただただ見とれるより他ないのである。豪華絢爛たる一面の桜の中を舞うその姿は、本公演の大トリに相応しいものであった。なお、情愛がどうだとか、初段での義経の述懐との照合云々については、その過半が床の責によるものであるから、空の波を泳ぐ方へ問い掛けるのはまったくの筋違いであり、それは段切り前の義経の述懐ですでに昇華されているはずのものなのである。国立文楽劇場四半世紀という現実は、この通し狂言を再び掛けることによって、如実に示されたと言ってよい。その意味では、劇場側の企画はお手柄であったと総括出来るのであった。