平成十六年七・八月公演(前半:2日目、後半:8/3)  

第一部

「解説」
 勘市、現状のやり方でいえば、もうこれ以上望むものはないほどの出来。が、やはり体験が中途半端で時間ばかり喰ってしまうので、太夫・三味線の解説もうまく取り入れた方法を模索したいところである。その点では鑑賞教室の方法が好ましかろう。その分本編の時間は短くなるが、子供たちにはそれくらいでちょうどのはず。それと終演後出口で人形が送り出していたが、狭くて大混雑してしまうから、写真撮影や握手など、ロビー全体を使うとかの方向で検討頂きたい。もちろん第二部入れ替え時間との兼ね合いもあろうが、その分も含めて余裕をもたせればよかろう。 

『西遊記』
 これももう一定の完成型である。人形はもちろん、太夫三味線も誠実かつ熱心に勤めていた。だが、猪八戒・沙悟浄と出会って天竺に行くだけにあらだけの時間がかかり、途中退屈と睡魔が襲ってくる。詞章を口語体を基本に全面改定し、場面も取捨し再構成すればと思うが、それだけのエネルギーを注ぐ価値があるかどうか…。ちなみに無料貸出のイヤホンガイドは好評(中1女子)だった様子。なお、昨年「えぴそーど1」で今年は「完結篇」という点については、「過則勿憚改」の実践と解釈しておく。ただし、次年度以降はきちんと考えていただきたいものである。

「一つ家」
 伊達・清友。さすがに立派な浄瑠璃だ。老婆の表現、毒に悩乱する玄奘。こんなところを語らされ、もったいない限りである。『安達原』四段目切を勤めていただきたい。それに未だに切語りでないというのが不思議でならない(もしこのままなら何とも嫌な意図的な臭いを感じる)。ちなみに、客席には猪八戒が姿を現す段取りが意味不明で、結局大蛇と悟空との戦いしか頭に残らない。次回上演までに改訂の要があろう。

「流沙川」
 松香・宗助だが、ここも沙悟浄が加わる一件があっけなくしかもよくわからない。床の味を出せず仕舞い。瓢箪船もメリヤスを弾いて待ち合わせにし、じっくり見せないと。骸骨ネックレスも前列でないとはっきりせず。

「火焔山〜芭蕉洞」
 英・団七、当世風の入れ事もあり好評。この両人はこの「西遊記」の立役者、さすがである。火焔山の舞台「見ているだけで暑い」とは小学生の言葉、成功だ。羅刹女と牛魔王の場、今回はここだけが真っ当な一段だったという印象。

「祇園精舎」
 破れ船はその意味が客席にはわからない。悟空の術くらいにしか考えられていない。一層の工夫が必要である。

 人形は悟空の勘十郎に尽きる。サービス精神にあふれ、いかもそれがいやらしくない。あくまでも悟空の人形の動きとして納得のいくものであった。玄奘代役の玉女は風格あり、猪八戒(文司)沙悟浄(勘弥)ともに敢闘賞。羅刹女(清之助)牛魔王(勘緑)も同断。
 

第二部

『生写朝顔話』
 夏狂言なのはそれとしても、大阪の場合三部制に限定されてしまい、「浜松小屋」が上演されないことになる。この上演形態が薄っぺらいことは残念ながら事実である。義太夫浄瑠璃として魅力のあるこの一段をカットすることが常になるというのがどういうことか、21世紀の文楽というものを考える上で実に有意義であると思われる。

「宇治川蛍狩」
 まず、浅香の南都、以前とは別人かと思うほど。これならば掛合専門を脱して端場を語れよう。とはいえ油断すると例のモノマネになる危険と隣り合わせではあるが。呂勢は深雪を魅力的に描いた。惚れ惚れとまでには至らないが、「お慮外ながらお盃を」での三味線との不即不離が出来ている。三輪の詞ははさすがによく利く。津国、文字栄、ほめることが逆に申し訳ない役だ。始、相子、この調子でどんどん行ってもらいたい。三味線の宗助は一段をよく束ねて弾いている。全体として悪くはないが、掛合ではこのあたりが限界だろう。歌舞伎の割台詞に堕しかねない。

「明石浦船別」
 南部・重造で聞いたあのマクラが耳に残って離れない。弾き出しでこの一段の足取りと間が決まるや、意図的な技巧など全く必要ないことがよくわかった。今回は何と嶋大夫・清介が勤める実に贅沢な限りであった。琴(清丈)はまだ不安定。

「嶋田宿笑薬」
 中を文字久・喜一朗だが、すばらしい。もう立派な中堅クラスだ。もたれずこだわらず浄瑠璃の流れが出来ていることに驚いた。「一つに寄ると男沙汰、下女の習ひぞかしましき」の不即不離も習得している。文字・勝平を襲名させて一層の上を目指させるのもよいのでは。
 奥は咲・燕二郎。眼目の祐仙の笑いはよく研究されたリアリズムでさすがである。燕二郎もよく弾いている。人形の紋寿は登場からヤクザな卑しい雰囲気、性根の表出を見せた遣い方なのだろうか。しかし納得がいかない。端場で引っ込み切場で出るところがまるで同じウケ狙い。「エヘン奥に入る」障子にぶつかるのは何故。そして薄茶の手前になるが、茶筅を転かし云々はあまりにも汚らしい。少なくとも茶を嗜む者のすることではない。どうやら祐仙は毒茶を仕込むため見よう見まねの作法で立てているらしい。これを代表例として「しかつべらしく振り立てて」という詞章とは無縁の所作ばかりだが、意図した「前受け」が成功して客席は大爆笑だったから万々歳というところか。徳右衛門に迫るところ、もともと卑しくヤクザに遣っているのだから、まるで面白くない。笑いになって「果ては茶箱を踏み散らし、笑ひ入るこそ正体なき」は立ち上がろうとする足拍子のみ。医者として「身分も教養もある身にして笑い薬に悶え苦しむ祐仙」(鑑賞ガイド)とあるのは、先代勘十郎の遣う祐仙にこそあてはまろう。人形の表情一つとっても、今回ほど卑しく下品な祐仙を見たことがない。「ある種の哀れさも感じる」(同)こともなかった。先代勘十郎(おそらく当代も遣えるはずだ)の祐仙は、自らお高く止まっている医者が形式張って真面目に茶を立てる仕草が、自然に笑いを誘うというものであった。ところで、この「笑ひ薬」をチャリ場の典型のように言うことがあるが、それは正しくはなかろう。この一段、今回や十年前のように演ずると、義太夫浄瑠璃の流れが中断し、人形芝居になってしまうのだ(そうならならかった床として記憶するのは、綱、伊達路)。「音曲の司」としてのチャリ場は「宝引」に極まる。ただ、人形第一の現状にあっては無意味な詮索というところだろうな。

「宿屋」
 岩代のすばらしさは無類。夏狂言ならば「古市油屋」を是非勤めていただきたい、住師には。それにしても今年の夏は猛暑である。大師匠方の健康を大いに気遣い申し上げる。夏公演に際しては、斯界のためくれぐれもご留意いただきたい。三味線は例によってヲクリの途中などに個性的な間が入るヴィルトゥオーゾ錦糸。琴唄は明瞭で無機質。この琴唄は深雪が金銭を頂戴する糧として唄っているのではない。「やつれ果てたる身をかこち、涙に曇る爪しらべ」と詞章にある通り、深雪が己の境遇を調べに乗せて独白したものが、そのまま唄として聞く者の心を打つのである。清志郎の琴は以前から弾き過ぎる嫌いがあり、競争曲に聞こえてしまう(琴を聞かそう聞かそうとしている)。なお、段切深雪の半狂乱は十分で、下座の雨音とともに鬼気迫るものがあった。それはまた簑助師の深雪がすばらしかったためで、盲目の描出など自然な完璧さという神の領域であった。

「大井川」
 今回は川渡しを見せたが、雑。やるのなら丁寧に。岩代で笑いを取るだけのものに見えた。
 津駒を寛治師が指導するというのが、ここのところ定型になっている。その成果であろう、徳右衛門には感心した。慈悲と情愛のこもった語りに涙が滲んだ。が、肝心の深雪がいけない。高音が出るものの線が細く喉にひり付いて快感に至らない。「天道様聞こえませぬ」も切迫感なく、「ひれふる山の悲しみも」で人形が極まるところも手が来ない。どうやら次は呂勢しかないようだ。

 人形、簑助師は別格。とりわけ天を仰ぐ型の陽性の女性がピタリ(俯いて耐える女性に相応しいのは?)。玉女の駒沢は実に端正である、が胸中には空洞ありか。玉也の岩代は十分。敵役でも歴とした大内家の侍である。そして何よりも勘十郎が代役を勤めた徳右衛門。「大井川」で深雪の言葉を聞いての一連の動き、「笑い薬」では岩代と駒沢を見送るところ、注目されない何でもないところにまで神経が通っていてしかも自然。無理なく納得できる、虚実皮膜論を実践するが如し。あと、お鍋(簑一郎)の人形がよかった。関助(玉志)松兵衛(玉佳)も。
 

『一谷嫩軍記』
「熊谷桜」
 驚嘆の端場、千歳・清治。完璧にしてしかも雁字搦めに非ず。まず三重の三味線を聞いてのけぞってしまい、マクラ一枚で完全にやられた。「シャン平家は屋島の波にチーン漂ひ」「中に若木の花盛り八重九重も及びなき」マクラで浄瑠璃一段が決まるという好例。「遙々と」のハルフシもすばらしい。このままこの床で切場を勤められれば。清六指導の越路大夫という…。しかし、日が重なると千歳の悪い粘着癖が出る。詞尻を常に押し上げて語るのもいただけない。そんな語りは風でも何でもない。まさか匠の跡らしきものを見せての自己主張でもあるまいに。これが実にイヤラシイ(三味線の錦糸にも通じる)ところだ。「『はつ』と吐胸の」も真っ向勝負というよりは汚らしく聞こえる。「くわ」音もまったくダメ。次々代の黄金床はこのレベルで聞くことになるのであろうか。

「熊谷陣屋」
 今回は人形の方に目が行った。文吾の熊谷、人間的感情に満ちた遣い方で、本公演中第三部を輝かせた殊勲。熊谷の出、なぜ若木の桜をじっと見つめるのか、綱大夫清二郎の床とともに、胸にストンと落ちた。相模との応対、煙管をあれほどクルクルもてあそぶと軽薄に見える。「聞いて直実吃驚し」相模と目を合わすと夫婦の愛情がありあり、文吾の真骨頂。物語、型が美しく極まるようになった。そして小次郎を回想しての悲嘆、だから相模を意識せざるを得ない。よくわかる。首実検、ずいぶんと相模を意識するのはそうだろうが、「ご批判いかに』と言上す」で義経を横目で見るのはまったくいただけない。まず、主君に尽くす鎌倉武士にあるまじき振る舞いであるし、もうこの時点では相模も義経も半ばは察しているのだから、熊谷は堂々と義経の方を向き、制札を渡された真意を推し量り見事に実行して見せた自らを正面からぶつけるべきなのだ。ここに至ってまで相模や藤の方を気にするようでは、サムライでなく軟弱男だろう。認められまい。鎧櫃を運ぶところはちゃんと直っていた。相模に「叱るばかりが手柄でもござんすまい」と詰め寄られて反省ぎみなのはどうだろうか。「十六年も一昔、ア夢であつたなあ」、我が子小次郎への父の愛、胸中の想いを観客すべてが共感共有した。人の情溢れるところ、文吾の右に出る者はいない。「柊」無論鎌倉武士、「初雪」清澄無垢なる胸中の涙の結晶、「日影に融ける」親子衷心衷情の熱い愛の象徴である。ここは床の富助がまた見事であった。段切は柝頭で自然と手が鳴る上々の「陣屋」であった。玉男師の弥陀六、これまで弥陀六は誰が遣っても動きすぎと見ていたが、今回、石屋の隠居親爺が往時を思い出しての無念苦衷の表出と実感された。それにしても玉男師の遣う人形の型は美しい。見事にしかも軽々と自然に極まる。石投げなどほれぼれと見とれてしまった。文雀師の相模がまた母として妻としての自然な情感にあふれ、小次郎の首を持ってのクドキにはやはり涙の玉が浮かんだ。このクドキこそ一段の核なのであるから。和生の藤の方はわきまえあり、院の胤を宿す上臈はかくもあらんと納得させた。義経の玉輝も大将格が出て立派。軍次の幸助は今回も実に行き届いた解釈を見せた。ただ、遣う自分が表情を動かすのには苦笑するが…。
 以上、書き込んでもおいたが当然のことに床の功績を忘れてはならず、前半の綱大夫・清二郎は気張らず粘つかず恣意的にならず、音曲の司の王道。ヲクリの「奥へ〜」これだけで、ああ通常の西風三段目ではないなと聞き取れるのだ。後半の富助との異名に違わぬ出来で、無理なく大きさと力強さが出る。とりわけ今回文吾が遣った人間味あふれる写実的熊谷とはぴったり(逆に綱清二郎とはいささか齟齬がある。この床には玉男師の熊谷であろう)で、感動をもたらした。ただ、相模が藤の方を止める敦盛幽霊の詞は、平板で説明的であったが。   

『きぬたと大文字』
 詩情ある一景に仕上がったのは三業の成果である。とりわけ、呂勢と清之助。そそくさと電車に乗って帰るには惜しい、そう思わせた余情は見事。舞妓(清三郎・和右)も。ただ、二度まで残ろうとは思わない。景事は景事である。

 今年の夏は猛暑であった。それを吹き飛ばすほどの…であったかどうかは、この劇評の密度をご覧頂ければ…。ほとほと疲れました。