平成十五年一月公演(6日所見のみ、*25日は流感のため行けず)  

第一部

『花競四季寿』

「万才」
 門松、熨斗目、九重、万歳、げに正月とは流れ行く年月に節目を入れて、まさしく月を正すの意。その心用意ある奏演は、咲富助をシンとして、千歳燕二郎以下、荘重に格式高く勤めたのは立派なものである。人形は太夫文司才蔵簑二郎とも、その床に気圧されたか、見ていて肩が凝った。

「海女」
 三下り。磯辺に打ち寄せる波にも似て緩急緩急と進むが、とりわけ「思ひしことは仇し野の」以下の緩徐部分における千歳燕二郎の奏演が、海女の思いと浜辺にたゆたう波の様子をも描いて秀逸。人形一暢の復活は嬉しい。

「関寺小町」
 まずは人形の文雀。まさに人生かな年輪かな。この一段は、三味線は高く太夫は低くと老残の小町が己を顧みるところに、振り返った恋の思いに我を忘れてしまうという、ここは太夫三味線調子を揃えて描出する乱れが挿入されているのだが、咲富助の実力はとりわけ前者に聞き取られた。

「鷺娘」
 二上り。地味に過ぎる。人形和生も同断。
 

「中将姫雪責」(『ひばり山姫捨松』)

 嶋大夫の健康を気遣ってということもあろうが、切場の前半を割って津駒清友が勤める。ここは、女房二人の詞争いから、「一度に下りる縁先は花と花との桜台」と音を遣って朗々と語るところ、縁先では地合での所作争い、紅白梅花の対照と、中に消息文を開いての極め型は、例えばかの摂津広助ならば、ここまでですでに客席をヤンヤと言わせたものであろう。現に節付けはそうなっているし、人形の型も美しく工夫されているのだ。中将姫と岩根御前が登場する前にこのお楽しみが用意してある。ところがそれが感じられない(まだ人形の方は悪くはない)。姫登場までの仕込みというだけでは是非もなかろう。
 嶋清介はやはり切語りの床であり相三味線の格である。中将姫の悲哀真情、岩根御前の風格と憎々しさ、桐の谷の衷心衷情、そして豊成公の懊悩苦悩に真実心ありと、見事に一段をまとめ上げた。並の力ではいくら声を振り絞っても白々としたヤラセにしか聞こえないところを、客席を堪能させた実力はありありである。息継ぎ節回し等さすがに苦しかろうと聞こえたが、浄瑠璃を語り活かすのはなるほど美声でも小手先の技でもないのであった。人形もよく遣い、紋寿の中将姫はその出「七日七夜は泣き明かし」から眼前にありあり。文吾の継母はこれまた何という憎々しさ、思わずこちらまでゾクッとした恐ろしい遣いぶり。清之助の桐の谷と玉幸の豊成もよく、その他浮舟に奴二人と広継も悪からず。ちなみに奴二人のうち幸助は多分に感情を移入して遣っていたが、清五郎のようにむしろ為すところもない無造作というのもよいのだ。端役は端役でこういうところが難しい。
 

「吉田屋」(『廓文章』)

 口を呂勢と清太郎。清新にして快調。いい端場である。(前回は千歳燕二郎で、なにがしか言及したのであるが、はて…)人形のお松(簑紫郎とや)、何故かしら得も言われぬ面白みがあって目に留まった(儲かる所作だけがその原因ではない)。
 切場綱大夫清二郎。まず何と言っても吉田屋主人喜左衛門がすばらしい。揚屋の亭主という者、どうあるべきもので、また逆にこういう人物でなければ勤まらぬということを、すでにその最初の詞で如実に描き出す。人形浄瑠璃をよく耳にする人であれば、この語り口人物造型があの白石噺の大黒屋惣六を彷彿とさせるもの(織大夫時代に燕三の絃で語った時のことが思い起こされた)であることもわかるはずだ。次に伊左衛門の詞が優れる。「七百貫目の借銭負うてびくともせぬはおそらく藤屋伊左衛門、日本一の男、この身が金ぢや、総身が冷えてたまらぬ」など、これだけでその性根境遇を活写する見事なもの。夕霧の事を聞き出しての笑い泣きも上出来で、「無用の涙で紙衣の袖を濡らした」とある詞章がそのまま眼前、見る者の胸にも応えるなど、ただの切語りではとても出来ない。紋下格ならでは叶うまい。すね廻る様も、「折角御機嫌よかつたにまた例の御癇癪」と喜左衛門に言わせる様も、大できである。これで夕霧の語る地合が存分ならば完璧な仕上がりとなるのだが、そこが今一歩。上滑りに流れ気味に聞こえたのが何としても惜しまれる。座敷唄のところも同断。三味線の清二郎は、いつも言うことだが、あの若さで公演毎の大曲一段よく弾いていると感心する。今回もその例に漏れないが、如何せん届かないところも無論ある。夕霧の出と伊左衛門の出は、一方が外着飾っても内に病ありだが、方や外はみすぼらしくとも内は大尽様の心根を持ち続け、と、両者ともに陰陽両極を含んだまるで逆さまの造型をその地合で表現してしまうという、この一段きっての聞き所がどうも面白くなかった(前回は団六当時の寛治が聴かせてくれた。無論先代喜左衛門師の録音などは言うまでもない)。あとは前述夕霧のクドキ、太夫の至らぬ所は三味線に乗せて聴かせるうちに彼我一如となる、などという芸当はハコに入るほどの三味線でなくては望む方が悪かろう。
 人形は玉男の伊左衛門に簑助の夕霧で「決定盤」の名に違わず。これも毎回書いていることだが、つくづく玉男師遣うところの源太かしらの絶妙さは他に決して例を見ない。世紀の至宝である。簑助師の傾城かしらも、より貫目と鷹揚さが備わり、そこへ例の鋭くかつ微妙繊細な心理描写が眼前に展開されるのだからたまらない。そして何と言っても、この両師の遣う人形がそっくりそのまま夕霧伊左衛門であるということ。角書きにある夕霧伊左衛門がまさに眼前の手摺に生きているのだ。詞章に沿って詳細に述べれば、それこそ「文楽人形の演出」の現代版が出来上がるであろう。が、これは当方の任ではない。あと、亭主喜左衛門の紋豊がよく遣い、さすがに年季の入ったところを見せた。もちろん床の名演が動かしているところも大である。
 

第二部

『祇園祭礼信仰記』

「金閣寺」
 今回はマクラの後通常省略される箇所も丁寧にたどるので、これが東風四段目であるということが手に取るようにわかる。もちろんそのように語り弾いてこそであるが、そこは寛治の三味線がちゃんと足取りと間で描出し、英もまた「遊興に月日も立つや弥生の天罰にゆとりある間の栄華なり」との詞章を語り活かして、まずは順調に滑り出したのだが、さて肝心の「碁立て」である。これがどうも面白くない。この一段やはり「碁立て」が楽しみだから、こちらとしては、さあ面白いぞさあここからだぞさあいいぞさあさあ、と期待感一杯に乗り出して聞いているのだが、一向にその姿勢を戻してくれない。つまり、床の方で連れていってくれないから、こちらはそれに身を任せればよいという快感に至らない。唐突な例で恐縮だが、ベートーヴェンのイ長調交響曲を聞きに行って、さあ「舞踏の聖化だぞ」とこちらは身も心も乗っているつもりが、気が付けば演奏終了。さっき舞踏の聖化と聞いたのは、それは自分の頭の中に拵えたイメージの音楽に他ならなかった、とでも言うような感じであろうか。どうにも手応えのない現実感に乏しい一段であった。なお、東吉が碁盤を掲げて極まるところのカゲ打ちが下手だったことを付け加えておく。

「爪先鼠」
 駒太夫風はオクリから明白。さて、今回もそうだったのだが、どうにもこの一段が良くてたまらないという経験がないのである。清治が悪いのではない。綱弥七の録音で聞いてみても、ああ面白かったとはいかない。では駒太夫風がいけないのかというと、かの「流しの枝」はそれはもうもう今こうやって文字にしただけでも、とろけるように私の心を虜にする、最愛の一段であるのだから。となると、この一段の構成とそれぞれの節付けとをよく読み取り聞き込んで、どこがどうだからここはどうで、と考察をしなければ、二回目はそう心して聞こう、と思っていたのがインフルエンザである。かくしてまた頭の痛い宿題が残されたわけである。
 跡は文字久と宗助。このコンビも最近定着した感がある。以前よく千歳と組まれていたが、その宗助の実力が文字久をもうまくひっぱりあげているようである。文字久も例の気になる点がなくなったとは言えぬが、慶寿院も変に作らず語るなど、着実に力を付けてきていよう。
 人形は、玉女の大膳は代役であるが、いったい今師匠の玉男を除いてここまで遣える者がいるかと考えると、玉女は十分なのである。これで口あき文七大膳の性根が完全に描出できるなど、それはむしろ変なのである。「大方この碁もおれが勝ち」の悠然から「負け腹の投げ打ち」へ一転する怒りと不快、また、倶利伽羅を抜いての自慢高慢に雪姫を足下に踏まえるところの無慈悲さ、等々、これはと目を見張る出来であった。文吾の東吉は大きさがあり天晴れ大丈夫なのだが、智将としての鋭さとか軽妙さ機転の効き方等の点に欠けていて、いかにも重く見えたのは至らなかったと言わざるをえなかった。文雀の雪姫はと言うと、前述の通り浄瑠璃への不完全燃焼のために、どうこうコメントできるまでに至らなかったので、何とも。軍平の玉也、鬼藤太の玉輝、その他も印象として定着出来ていず、失礼。
 

『壷坂観音霊験記』

「土佐町松原」
 公演前半(新・清志郎)しか聞けていないが、この太夫は義太夫の声を無理に作らないでいて、どこか剽軽な味わいもある。まずは(遠い)将来の立端場語りか。ともかくも、このクラスでどうにも義太夫を語っているとは聞こえない声の太夫が間々見受けられるということである。
 それより何より、「春の野も」からの呼び出しで上手から登場した女形の人形を見て驚いた。このつやつやと輝いた存在感のある美しい人形はどうだ。無論お里であることは百も承知だが、それを遣っているのは誰だ、ということである。第一部からここまでの人形遣いを順に考えてみてハッとした。ひょっとしてこれは簑太郎ではないか。そうなのだ。やはり、簑太郎であったのだ。この、人形(しかも端場の黒衣)の出からハッとさせる存在感があるというのは、並大抵でお目にかかれるものではない。そういえば、亡父勘十郎の遣う人形もまたそうであった。四月の襲名披露がもっともであるということを、こんなところで知らしめられようとは。

「沢市内より山」
 伊達喜左衛門が前半。二上り弾出しの地唄からしみじみと二人の境遇を描き出す。滋味深く慈愛あり。温かい心が通っている。聞いていてとりわけ沢市に同化していく自分がいた。
  切場後半は住大夫錦糸。沢市は、これが盲目の語りというものであるということがよくわかる。耳の方から近付いてゆく、相手との距離感がない一定の大きさと調子の声。さすがに紋下格である。お里、世話の型、気働き、誠一筋。三味線の錦糸は実にもうなくてはならない存在である。住大夫の女房役として最たるもの。で、やはり最初の地唄から住大夫「壷坂」の世界に浸ってみたかった。年齢体力その他それらは重々承知しているのだけれども。逆に段切の万歳は伊達喜左衛門で聞いてみたかったと思う。
 人形は簑太郎のお里に尽きるが、玉女の沢市にもハッとするところがあった。お里が沢市をおいて一旦家へ帰るところ、「笑ひながらに女房が跡に心は置く露の」で下手へ去ろうとするお里に、一瞬沢市がすがるのであるが、そのタイミングとその所作とそしてその表情とに、万感迫る沢市の思いがその瞬間に凝縮されて見えたのである。若い沢市なればこそ。そうなのである。今回簑太郎玉女のお里沢市は、この、生活に草臥れなどはしていない若夫婦の瑞々しく清新な姿を、その深くかつこまやかな愛情の表現とともに、我々に提示してくれたのだ。「吉田屋」での玉男簑助、「壷坂」での玉女簑太郎、人形陣の未来は、過去そして現在とともにまた、幸多いのである。
 

「団子売」

 いくら正月公演とはいえ、ここまでで万歳を三度も見せられ聞かされ、そしてダメ押しにまたまた寿景事など、とても堪えられなかった。寒夜も更けてきたし。昼夜入替時のついでに見ればよかろう、と考えていたところがインフルエンザである。シンの松香団七御両人をはじめ、誠に申し訳なかった。(しかしながら、夜の部追い出しでも付き合うときは付き合うのだ。やはりどう考えても、今回の昼夜赤姫折檻二本といい、三度の万歳といい、ここのところの建て方といい、ひょっとして企画制作側は人形浄瑠璃というものを知らないのではないか、といい加減頭をひねらざるを得ない。プログラム鑑賞ガイドを書いている「ふ」が、もしかしてFのことならば、やはりこの人物は人形浄瑠璃のことはわかっていないと言わざるを得ない。古典芸能の一ジャンル文楽としては理解していてもである。)