「封印切」
綱大夫清二郎。やはり近松物はこの両人に限る。近松物の名手先代綱大夫弥七の衣鉢を継ぐのは第一にこの人なのである。近松の浄瑠璃はいわゆる人形浄瑠璃最盛期のものとは異なっており、またその世話物のほとんどが新しく節付けされたものでもある。しかし、時代物とはいえ「甘輝館」をはじめ、今日まで伝承されている節付けからもわかるように、とりわけその地色を中心とする表現、音遣いに足取りの厳しさを体現するためには、正確な伝承とその深い理解、そしてそれを語り活かす芸格が必要とされるのである。芸力ではどうしても届かない芸格である。それは世話物においても、丸本に誠実に節付けを試みた諸作品ならば同様である。加えて、世話物の場合、近松心中物という一種のファッションのレベルでも消費されるものであるだけに、その真髄に到達することは意外に難しいのである。木を見て森を見ざる浄瑠璃如きではどうにもならない。現在でも録音によって聴くことができる先代綱大夫弥七の「河庄」「上田村」そして「甘輝館」等々、その究極の浄瑠璃こそが、近松物とはどういうものかを端的に示してくれているのである。至高の味わいと感動を伴って。
さて、綱清二郎は、初日は前半が抜群であったが後半に勢いすぎて細密な表現に欠けるところがあった。23日はその後半が丁寧にたどられたが前半に散漫な印象を受けたのである。ただこれは当日の観客の質にも拠るので、三世相での禿の三味線にあれほどいちいち嘆声を挙げられては、人形が巧みに人間の真似をすることが文楽の主題と化してしまったようなものである。あれでは梅川をはじめとする傾城の真情にパラレルすることなど不可能だ。とはいえこれはその若手の人形遣いを責めているのではない。清二郎の三味線を研究してそっくりそのままを人形の動作にしてみせたことは評価できるのであるから。初日はここに得も言われぬ情感があふれていて、その唄の意味が聴く者に染み渡り、直前の梅川のクドキ「泣きしみづきて語るにぞ」がまた利いていたこともあって、客席はしみじみと近松浄瑠璃の世界に浸ったのである。八右衛門の男気もよく通った。この八右衛門が単なる悪役としては書かれていないということはよく言われることであるが、ではこの八右衛門が梅川から「あのさんには会ひともない」と嫌われているのはなぜであろうか。もちろん横恋慕はしていないし、忠兵衛とは友達でもある。それはしかし「淡路町」での分析でもうお解りのことと思う。八右衛門は「若い者の習ひ」でこそ廓の座敷にも上がるが、「傾城に誠なし」という世の人の典型なのである。さて、毎回課題であるのが忠兵衛の狂気の表現、決して剛直になってはならないのであって、「身も有頂天」という地に足の付かぬ、上の空の描き方が難しい。「忠兵衛は世を忍ぶ心の氷三百両、身も懐も冷ゆる夜に」であったものが、「上り詰めて」瞬間に沸騰してしまう、そして口から湯気と共にピーピーとまくし立てる、そして冷めてみれば空焚きの底に大穴、もはや鋳掛け屋ではどうすることもできぬ。大鍋がグラグラ煮え立つのではなく、薬缶オヤジの蓋が踊るのでもない、そこのところの描出である。梅川も、「小判の上にはらはらと、涙は井手の山吹に露置き添ふるごとくなり」という形容を表現するのは大抵ではない。美しくも可憐で、底に情愛のある悲哀に満ちたクドキは至難の業である。前者は先代綱、後者は越路にその理想型を聞き取ることができるであろうものである。なお、清二郎は例えば「ハア何事やら気遣ひな」「ハアとばかりに怖気立ち、身を縮むれば」の三味線の音に、不気味な不安定感を漂わせ、後の梅川忠兵衛の転落をも感じさせたし、「金銀降らす邯鄲の夢の間の栄耀なり」に忠兵衛のいわゆる狂気が表面的な華やかさに文字通り儚さをもって表現されたこともまたすばらしかった。と、色々と書いてきたが、やはり「封印切」をはじめ近松物は綱大夫でなければ叶わぬところがある。それは正徳享保期の竹本座浄瑠璃に共通している、清潔さ清廉さとでもいうものの表現においてである。詞と地とが分離して芝居がかってたっぷりとやれば堪能できるというのではないからだ。また、「くわ」音や風の伝承という点から見ても、正統派大夫としてその存在価値はいわば芸術院会員とでもいったところであろうか。その浄瑠璃を白湯汲み場において聴く者がいないというのは、この上ない不幸と言わざるを得ない。なお、例の件(当HP「情報資料室」「列伝・逸話」FILE2を参照)は途中で全一音下がる行き方であった。
人形は、何と言っても玉男の忠兵衛である。世紀の源太かしら遣い、と言って過言ではない。「淡路町」「封印切」と述べてきた忠兵衛の性格造形についての考察も、玉男の忠兵衛なればこそ可能であったのだから。簑助の梅川も忠兵衛への愛と誠は言わずもがな、見世女郎としての庶民性もあり、その現代的センスはとりわけ女性の共感を呼んだに違いない。玉幸の八右衛門はあくまでも実に、大ぶりに遣って原作詞章の表現を崩すことがなかった。妙閑の紋豊代役は本役といって差し支えないし、儲け役下女まんの玉英も素朴でよかった。その他若手は、この人形浄瑠璃の場に同席できたことを貴重な経験としてもらいたい。
「道行相合かご」
詞章も節付けも演出も、近松原作詞章を台無しにした駄作である。この梅川忠兵衛に雪を降らせるほど近松は愚かではない。横殴りの時雨に、群烏が鳴いてこその道行であるのだ。両者の科白も大甘で堪えられない。よって、初日こそ床の出来を確認し、夜の部の時間繋ぎにと客席に座っていたが、23日は見聞きせず帰宅。これが罷り通るのは、いわゆる癒しの時代というものであるからか(とはいえ、別に近松原作がすべてであると言っているのではない。改作の方が受け容れられるのならば、それはそれでよいのである。ところが、表看板が近松でなければ観客は寄って来ない。そこが問題だと言っているのだ。その点、今回は道行の改悪を隠すことなく、近松原作という角書を掲げなかった。この大阪国立制作担当者の姿勢は評価したい)。そんな見せかけのロマンに安らいでいる瞬間にも、世界征服戦争への挑発爆撃が落とされているというのに。―属国の民には幇間精神がよく似合ふ。―
「菊畑」
本公演において初日、23日とも感嘆したもう一つがこの一段、咲富助の「菊畑」であった。しかも23日には一層磨き上げられていたのであるから、これはまさしく切語りと相三味線の床である。しかも浄瑠璃は二世義太夫播磨少掾の語り物、真西物。その、地味に聞こえるが、引き締まった浄瑠璃は、間と足取りと変化とを錬り込んで音遣いを以て征しなければならない。それが出来て初めて詞章にに込められた深遠な意味も浮かび上がってくるのだ。今回この咲富助の浄瑠璃を聴いていて、思い浮かんだことを以下に書き記してみることにする。まずマクラの三下り歌は、皆鶴の虎蔵への恋模様を表してもいようが、鬼一とその従者智恵内、虎蔵が、段切で天狗僧正坊、鬼三太、義経として身顕わしすることになる隠喩とも感じられた。これが二上り歌ではそう感じなかったであろう。マクラ一枚の重要さである。その歌が直って「今出川に名にし負ふ」からは、四君子の一である大輪の菊花が、高潔な鬼一と西風の清潔な節付けに響き合い、「白菊の目に立ててみる塵もなし」「黄菊白菊そのほかの名はなくもがな」の句も思い合わされて、実に清々しい凛とした情感を描出したのである。智恵内の奴詞に仲居女中の軽妙さ、そして鬼一の出と続き、その菊を愛でる詞「この花開いてのち、さらに花なしと思へば、取分け色香の身にぞしむ」には、自らの人生、運命をも淡々と受容する心持ちがある。娘皆鶴が六波羅へ呼ばれるに及んだ時から、こののちさらに生き長らえる命など持たぬという覚悟、というよりも行き着く先が現実のものとして目前に見えたことであろう。七百歳の齢云々とはもちろん誠の天狗となるという段切の伏線である。当然奉公人向けの日常会話になっているけれども。鬼一と智恵内との探り合いも面白く、その中で鬼一が父のことならびに源氏との関わりを話したのも、三歳で別れこの事情を知らぬ鬼三太に知らせるためのものである。我はまもなく世を去るのであるから。続く虎蔵すなわち義経の出は、智仁勇の若武者が、今は深く蔵して外面虚しきが如き有様も、内実ははちきれんばかりという人物像を活写。そしてついに鬼一が弟の詮議にまで及んだという事態にもかかわらず、のうのうと立ち帰った虎蔵への怒りの打擲はもっともである。「六波羅の玄関〜引掴まんと思ふ性根はなく」の詞に込められた意味は、この床ならば確かに感じ取れたはずである。以上、今回は実に収穫の多い床であったのだが、例えば、鬼一が病身であるということが、その咳きごもるという顕示的な方法以外に描出されれば(とはいえこれは鬼一かしらの厳しい性格表現を考え合わせると実に困難であるり、可能なのはやはり紋下格であろう)、ということ等、まだまだ期待すべき点も多々あることもまた事実ではある。
後を英燕二郎だが、さすがにこの真西物の前には力不足の感を強くした。まず鬼一が上手へ去ってからは、義経・鬼三太という主従表向きの姿に戻れるわけで、その点からも詞章からも、厳しく強く畳み掛けるように、いわば前場の鬱憤が解消される行き方になるのであるが、今一つ小振りに終わってしまった。続いて皆鶴のクドキであるが、「嫌ひならこのやうに」以下、三味線は高い音を辿って姫の心情を表現するが、大夫はずっと低い音で語り続けるという、この西風のクドキが応えなかったのは、英の一の音二の音が十分開いていないからである。湛海の登場と横死の後、義経が颯爽と高らかに語る「ヤアヤア鬼三太」以下もいささか開放感に乏しかった。鬼一が僧正坊として身顕ししてからは、段切までもっと面白くてもよいところだ。浄瑠璃における後半の構造という点から見ても、カタルシスに至るべきところであるのだから。「世に頼りなき天狗が娘」のところも、鬼一が唯一父親の真情を吐露するところであり、観客の胸に涙の玉を一粒浮かび上がらせるはずなのであるが、残念ながら至らなかった。とはいえ、正格正攻法で真っ正面から語り弾いたのは、西風の浄瑠璃であることとも重なって、十分評価できるところである。なお、燕二郎の三味線では、前述の皆鶴のクドキや、鬼一の物語「御公達もちりぢりに」のあたりの表現は、音(とりわけ左手)によって情景が目に浮かんでくるなど、感心するところも十分聞き取られた。
人形は、鬼一の文吾が前半の腹の探り合いは格別のこともなかったが、後半の心情吐露は、文吾からではの人間味あふれる遣い方で結構であった。ただやはり次代の座頭格としては、そこの克服が課題でもあるのだが。鬼三太の玉女は検非違使かしらでもあり、立役に至る前段階として肚のある遣い方は立派であった。兄の鬼一ならびに主の義経に対する苦悩の表現も十分であった。ただ、最初の奴詞のところなどは、もっと軽妙に、かしらも上向きに遣ってよいし、欲を言えばその鬼一と義経とでは神経の遣い方が異なるのであるから、そこのところも動きがあってもよかったと思う。しかしあくまでもサブキャラクターであるから、そこのわきまえぶりは感心するばかりであった。文雀が遣った義経は、源氏の貴公子として、また皆鶴に惚れられる若男として、その出から品格もありよかったのである。ただ、鬼三太に主人として振る舞う所など、より颯爽と形強くありたかった。湛海を切って捨て、鬼三太に血糊を拭い取らせる所など、源氏の若武者として格好よく極まればなあと感じられた(鬼三太が極まっているだけに惜しかったのである)。とはいえ、段切の「義理に引かるる牛若君、後を見捨てて出で給へば」と、泣かずに「われは出世」と御曹司の風格を見せたのは流石であった。清之助が皆鶴を遣うのはもう持ち役というものでもあるが、ともかくこの人の姫は品格もあり慎み深い情味も出る。ただ、湛海相手のところなど、よりキッパリと強さを出してよいのだし(鬼一の跡取り娘である)、虎蔵へのクドキはもう少し艶めかしくてもよかろう。これと決めた男には積極性と大胆さですべてを許すのがこのタイプの女性なのであるから。ここでの湛海玉輝も、もっとのさばってよいと思う。
「堀川猿廻し」
住大夫錦糸しかあるまい。弾出しからマクラ、三味線の稽古屋風景(ツレ清馗)、ああ、こうなくては叶わぬ。これはあの四世清六が弾いている古靱の名盤「堀川」を超えたのではないか。与次郎の誠実愚直、それ故の臆病滑稽味、母の哀切子を思う親心、お俊の女としての愛と母と兄への思い、そして夜が更けて、ここで突然の交替である。何としても一段丸々このままで聴きたかった。とにかく初日はもうもう堀川の侘住居に展開される人間模様に居合わせた自分を発見したという、希有な体験が出来たのである(もっとも、23日には例の住大夫錦糸に戻っていた。無論それでも至高の一品であることには違いない)。
後の千歳清介も、初日の猿廻しが絶品で、義太夫浄瑠璃「堀川」の猿廻しとして、底に哀感という通奏低音が流れる、それはそれは滋味深く、かつ与次郎のいい意味の若さが描出されていての、絶品であった。また、清介とツレの清志郎とのイキもぴったりで、技巧に溺れることなく、しかも鮮やかに弾いたものだから、「アヽよい女房ぢやに」でホロリと涙をこぼしたのは、これも劇場の椅子に座ってはかつてない経験であった(こちらも23日には、千歳は例の語りとなって、いわゆる「猿廻し」となり、清介も様々に替え手の技巧を見せ、おかげで清志郎と合わない箇所もあったが、これはまだまだ発展途上の三業としては勢いそうならざるをえないし、いい意味の遊び心でもあるのだろう)。ただ、そこに至るまでの千歳はやはり詞が明瞭すぎて芝居に傾き(これを新写実と呼ぶべきかどうか)強すぎるし、地合も耳に立ち過ぎるところがある。それに「そりや聞こえませぬ伝兵衛さん」をあんなにブチブチ切って息継ぎして(いるのがわかる)語ったのはよろしくない。綱大夫は8ミリ、越路大夫は16ミリと、それぞれ師匠の古靱太夫に比して言われたが、それはまさしく学ぶことが「真似ぶ」ことから始まることを体現したのであり(呂勢も故呂大夫の語る姿勢までそっくりになっていた。今になってもつくづく惜しみても余りある呂大夫の夭折である)、その基本習得の上に、それぞれの個性の花を咲かせ、見事な結実を見たのである。ここのところの千歳にはそれがない。いやむしろ住大夫の行き方を踏襲しているようにも聞こえる。それならそれでかまわないのだが、越路大夫から「真似ぶ」ならこの人だろうと思っていたものだから。が、稽古は師匠と真っ正面に向かい合って付けてもらうものであり、切場の住大夫に鍛えてもらっている証拠なのだろう。それならまさしく学んでいる千歳なのである。
人形はやはり簑太郎の与次郎に尽きる。軽薄に落ちずチャリめかず、正直者で母妹思いの誠実無比の人柄を温かく描き出した。もちろん猿廻しをはじめ、その遣い方はよく神経が行き届いている。例えば前半部で母の悔やみ言に対して、「哀れにもまたいぢらしヽ」で眉毛を下げて見せ、それだけで、ああまた例の愚痴、そう気を病んでは直る病も治るまい。もっともそれが母者人のいじらしいところだが。という思いが読み取れ、そして眉毛を戻すと、ここは一つ力を付けずばなるまいかい、と、あの羊羹饅頭生魚の軽口に至るのである。また日々工夫していることは、その後の母が娘に諭しているところで、与次郎は夕飯に取り掛かるのであるが、初日は、お櫃の蓋を開けてみて空と見るや、こういうこともあろうかと昼の握り飯二つのうち一つを食わずに取ってあるのを、浚えて飯椀に盛るという感じであったが、23日は、蓋を開けて食おうとするのだが、ここで首を傾けて考え、いやいやこれは朝飯にでも置いておき、昼飯で我慢して残しておいたのを食えばよいと浚えにかかる、と解釈できるような遣い方であった。蚤を捕るのも、伝兵衛を怖がって箒で渡すところ等々、23日はより動きが派手になっていたが、初日できっちりとした遣い方を見せたのだし、その動きで浄瑠璃を妨げるという愚劣な行為には陥っていないのだから、千秋楽間近の解放感と観客へのサービスだろうとしておく。さて、母親の玉英は映ると言う方がおかしいので、無難である。娘お俊の和生は師匠譲りのわきまえある遣い方で、しみじみとした情感の醸成に寄与したと思う。
以上、本公演は、とりわけ初日において、ミドリ建て狂言をそれぞれが特色を出して語り弾き遣ったので、実に充実した舞台であった。それはまた観客との相互作用の結果でもあるようで、通常は公演後半の方が入りもよく、好事家も客席に多いのであるが、今回は初日の魅力とでもいったようなものを享受できたことは望外の幸せであった。なお、これには劇場友の会や担当者の、心温まる配慮があったということに対し、感謝の言葉を申し述べておきたい。