少なくとも私は女性差別ではないと思います。
よく私も「文楽が好き」と話すと、特に外国人から(もちろん日本人からもです)
「日本の古典芸能の多く(文楽もそうですが)は女性の出演者は許されていない。
女性としてどうして憤りを感じないのか?」とか
「浄瑠璃、歌舞伎のストーリーは”(夫の浮気などで)耐える女性”の姿があり、その姿が美しいとされる。
女性に忍耐ばかり強いるとは女性差別ではないか?」と聞かれるんですが、私はちっとも思いません。
出演者に関して思うことは・・・自分でもなぜか説明しにくいけれど少なくとも文楽に関しては男性の出演者のみだからカッコいい。
あの力強く雄雄しく大夫が語るとき、力強く三味線の撥を弦に叩きつけ三味線さんが緊迫した音を作るとき、
また十数キロの人形を何十分も乱れなく操作する・・・
男の人のなせる技と思います。
”耐える女性”の姿、そうせねば生きていけぬ、女性には非常に過酷な時代背景だった、その事が現代に至っても人びとの涙を誘う。
話が外れましたが、それと同様、「男のロマン」という表現いいと思います。
実際、”時代物”には男の人が夢を追い求め、成功し、かたや敗れ去るってストーリーですから。
(その陰で泣く女性の姿も描かれているので、素晴らしいと思います)
ちょっと自分でも言いたいことが分からなくなってしまいましたが、
自分の”文楽”→”性差別?”に対する全般的な意見はこうです。
宝塚の舞台などは「女のロマン」と表現してもいいと思いますし、
宝塚に男優は禁物ですが、あれも立派な文化でありまして、
性差別云とは別の話だと存じます。(やや奇妙な論理でしょうか?)
ぐっと、稚拙な感想になりますが。
私は時代物の場合、とにかく英雄(ヒーロー)色が濃くデカイ!カッコ良い!という、見た目だけでも『イイナア』と思ってしまう単純さでして。
もちろん、話のちょっと非日常的な所や、スケールの大きさ(ここが男らしいのかな)も。
時代物に限らず『情・心』が、表現されていると思うんですけど、
その『心』を感じる時、そこに差別なんてないと思うのです。
昨今、何事においても「差別」と「区別」が、混同しているように感じます。
なんだかまとまりまらず、申し訳ないですが、色々と思った事でした。