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【 女義太夫 真打短評 三田野人 】
(2007.10.27)
女義太夫 真打短評
三田野人
趣味 5巻6号
小土佐。一風変つて嬉しい義太夫、声には錆もあり艶もあり、湿ひもある、哀切人の肺腑を刺すといふ様ななつかしい音調、甘味(うまみ)の多い、何とも云へない程巧い所がある。流石年輩だけに何を語つても確かなものだ、管四に於ける松王の病態など他には聞きえられない程に真相を写してゐる、いま東都に円熟した太夫を求めたら、先づ小土佐を措いて、誰に指を屈しられるだらふ。
相玉。熱心な語口と精細(こまか)い節廻しとが嬉しい。たゞ低音低調なる為め往々無理な節廻しも出来て耳障り、「夢が浮世か浮世が夢か」と語り出す中にも角ばつた節沢山で沁々(しみ/\)した所が更にない。それに彼の長所とも見るべき表情が折々仰山に過ぎて反つて当(たう)を逸したる人物を作つて仕舞ふ、例へば盲目の沢市にあまり元気がありすぎ、貞操なお里に巾着切の様な風情が見える、半兵衛でも合邦でも荒々しくて悪人とよりほか聞かれない。
併し乍ら彼がこの低音の中には他の企及(ききふ)すべからざる妙味を有してゐるから、相玉(あひぎよく)は巧者な太夫だとも讃へられる。「泣かねど親の慈悲心を聞く子や妻は内と外、顔と顔とは隔たれど」と彼が低調を聞けば、心の障(へだて)の中(うち)にも誠ある情が思はれて哀れが深い。元より相玉は円熟した太夫とはいへないが、何を語らせても相応に演(や)る。野崎、十種香を語る口より忠六の妙を聞かせる太夫はあまりあるまい。相玉信仰の徒ある竜また無理のない事だ。
かほる。田舎娘の様な無邪気な容貌誠に可愛らしい太夫、語振(かたりぶり)は勿論扇子の持ち方といひ使ひ方といひ、聴衆の快感となるまでに麗しい。早くから真打ちの看板を挙げてはゐたが、中途で研究のためか比助の切前(きりまへ)を語り、次で美光の切前(もたれ)にも出て其妙技を学び、綾之助再勤の時も一座に加名し、更に昇菊の三糸(いと)で立派な真打(とり)となつて出たこともある・彼では小磯、廿四孝、野崎の後半などが最も好い、悪僻のないので世間から有望々々と盛んに持噺されてゐたが、果して今日の熟達を見るに及んだ。今後幸ひ邪道へ隔(おち)いるなくんば必ず名を成すの秋(とき)が来ると予言して置く。
鶴菊 この太夫を聞いて何より嬉しいのは其語口が朝重(あさぢう)酷肖(そつくり)な所だ。而かもダレの弊に陥いらなかつた昔日の朝重を思ひ浮べる。鶴菊(つるぎく)の艶頬(えんけう)遙かに朝重を凌ぐに反し技芸は未だ彼の敵でない。元より朝重の如き豊富な音量と音色は望み難いが寂(さ)びの中にも艶の十分な彼の音調もまた中々に懐かしい。曽て彼の酒屋に讃歎したのも要するに此声調が其語物に適してゐたからであらう。
組春。「竹本組春(くみはる)。僕は何故か妙になつかしいこゝ地がした。夫から時々彼女の義太夫を聴くのが僕にとつては唯一の慰藉である。あの錆の中にも艶のある。そして調子の好い語口は僕をして・・・・・・」と誰やらの評を読んで僕は団司のことを思ひ浮べた。団司に対する僕の感想もまこと此通りである。そこで初めて彼が自称十八番の太十を聴いた時には、あまり期待しすぎた為めか少しも感じなかつた。其後野崎を聴いて中々捨て難い太夫だとまた思ひなほしてはゐる。いかにも、彼が声調は予想した通り団司に酷似してゐる。それで、団司十八番の酒屋は此人も巧(うま)からふと思ふ。
併し僕にとつては聞かぬも同様なこの太夫いま兎や角の評は出来ない。
時太郎。今年とつて十四の小娘。年はもゆかぬに中々の巧者、天才とでもいふベきだらふ。可愛らじいおかつぱさんが老人の素振りを見せて、「嬉しうござるが腹が立ちます」と孫右衛門らしい言葉づかひをすると聴衆は思はず顔見合せて嬉しそふに笑ふ。丁度小供芝居でも見てゐる様な気持だ。之れからは後見一つで随分偉い太夫にもなれよふ。いま彼が真打ちの株を持つてゐるのは反つて虫の毒だと気づかふ人もあるさうな。
彌之助。睦派の花形として小団昇と共に其名を知られた太夫で近頃真打に昇進したばかり、癖のない語口故少しも厭味がない。たゞ芸齢の弱いためか師の団昇に習つた通り其儘を無意識に語つてる様にも思はれる、善し悪しは今後の修養一つ。
大之助。一昨年の末、漸々(やう/\)横濱で初看板を挙(あ)げたが真打の資格は以前から備はつてゐた。太十が十八番で中々立派なものだ。艶もあり力もある彼の肉声にはいつもこゝ地よく聞かされる、大吉が秘蔵の門弟だとか。
呂清。まだ若い太夫だがしつかりしたものだ。澁い語口はよく小清に似てゐる、声が足りないため聴き苦しいが芸は中々の巧者だ。若手女義にしてこれ程澁い味を聞かせる太夫は他にあるまい。
東猿。かなり古い太夫流石齢だけに老練な節もあるが沁(しん)みりした所のない語口だ。彼の声調は高い低いの極端があつて、中音に乏しい。それが為め曖昧な節廻しが多くて流暢な所がない。先づ此太夫は過去の人とでも云ふべきだらふ。
島之助。調も節廻しも巧い。たゞ声が足りないので思ふ様に芸才を発揮する事が出来ないらしい。これがため発達の度の速かならざるは気の毒千万。
団年。熱心な太夫との噂。声に円みが足りないのと単調に流れるとがこの人の上達を妨げてゐる。殊に此頃は声をつぶしてゐる様で聞き苦しい、果して噂通りなら直(ぢ)きに巧くもなれませう。
文字之助。奥歯に物が狭(はさ)まつた様な声を出して非常に不楡快な語り振りを演る。調子もぶし/\段のついた癖だらけな義太夫、而もそれで得意然たる顔付鼻を蠢めかすに至つては誰しも胸を悪くするだらふ。
綾菊。花形といはれた鶴子時代は昔の夢。随分異議が多かつたにも係らず二洲亭に初看板を挙げた。が扨て声のつぶれた為め苦しまぎれか厭に頭を振る綾は綾之助、菊は菊五郎だとか、厭らしい太夫、たゞ昔の夢時代がなつかしい。
播之助。一名張子の虎といふ。体を振り廻す事では女義中第一、頸の振り様が所謂張子虎の称を得た所以(ゆゑん)だ云ふ、此太夫は義太夫を語るのではなく弄ぶのだ。それが為め語口が仰山となり、急調となつて聴衆の耳に何の印象も残しえないのだ。いま少し着実に沁(しん)みりと語つたら如何(どう)?
新吉。芸者上りの太夫、元より本職の語手ではない。綾之助と分離して見たり訴訟を起したり、修業する暇もあるまい。併し乍ら「技芸上の苦心談ですか、私なんかにそんな事いへません・・・・・だから黙つて考へてせつせと勉強してゐるんです」と言つた彼の言葉は、「最近義太夫界の傾向は衰微と申すほかないでせう」と放言(ほざ)いた綾之助が傲慢な僭越な空言に対して一種の異彩を放つてゐる。彼もまた嬉しい太夫だ。
瓢と小清。瓢(ひさご)は正義派の老將、小清(こせい)は睦派の巨魁此二人の語口を聴くと自ら其趣を異にしてゐる。瓢は、艶物を得意として普通の女義、小清は大物に妙を得て普通の男義。元より二者其採るべき途はかへても考練家たるに相違はない。勿論若手一輩の企及し能はざる妙所もあるが老ぼれの語りえた節も多い。
兎もあれ東都女義の二柱石として奉られたる太夫今更芸の巧拙を兎や角いふも益ない事だ。たゞ一言瓢のの声には力が足りない、小清の調には艶が薄い、甘味(うまみ)が少ないと云つておかう。
提供者:ね太郎