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 【 女義冗談 唐沢紅雪 】

(2007.10.27)
女義冗談
唐沢紅雪
趣味 4巻1号
 
さしもに盛んであつた女義太(たれぎだ)も堂摺連の悪戯(あくぎ)からそれらが世上より忌まるゝと共に其の飛ばツちりを受け、永らく沈衰の境界にあつたが、綾之助の再勤から、またも再び頭を持上ようとして居(を)る、己は所謂堂摺出現の前からの堂摺で今日でも女義(たれぎ)と来てはこたえられない。であるから、此の永い間女義に関していろ/\のことを見もし聞きもして居(を)る、実は此等の新旧の対照や又批評でもやつて見ようと思つたのではあるが、正月早々そんな小面倒臭いことをお聞き否(いな)お目にかけるも異なものと思つたから、此の女義(たれぎだ)冗談を書きつらぬる。冗談また戯談(じやうだん)に通ずるほんのお正月のお笑草てある。
▼先づ昨今大人気(おほにんき)ものゝ竹本綾之助(藤田その 三十三才)からいふ。丈がまだ十四五歳即はち前期の全盛時代に天然痘が大(おほい)に流行した。何うした訳か此の流行に対して八十才以上の老人に足の裏を舐めて貰うと伝染しないといふ馬鹿らしい迷信が行はれた。ところが綾之助のひゐきに麹町三丁目辺の菓子屋の老隠居で八十二三のものがあつた。ひゐきの余りにその迷信を実行してやらうといひ出した。客のことなりまた大のひゐきのことだから、綾之助も迷惑してこれを断つたが、老人少しも聞き入れない、それで綾之助も詮方なしにやつて貰つた。
▲綾之助の前期、旧いところをいふたから今度は最新はしり種を素破抜かう。竹本団昇(浅野くす 四十三才)は先日(このあひだ)産をした。商売人ではあるし、また四十以上で産でもあるまいと思つて白髪染を人知れずやつて居た。愈々産の時に当つて産婆にかぢりついて漸く分娩した。そして気がおちついて見ると、自分の白髪染が産婆の顔に真黒に着いて居(ゐ)る。まさか真実(ほんと)のこともいはれないので唯お婆さん、あなたの顔に黒いものが着いて居るから早くお拭きよといつてそれを濟まさして自分の白髪を染めて居るのを隠さうとした。ところが婆さんが団昇の顔を見て、あなたのお顔にも黒いものがついて居ますといつて、よく/\詮義すると此の婆さんも白髪染をやつて居たので、その両方の白髪染がかぢりついて居た間に互に着きツこをしたと分つて二人ともきまり悪げに大笑ひとなつた。
▲次は竹本愛子(内藤かね二十七才)の話、丈は頗るつきの美人ではあるが、文字(もんじ)の方には余り明るくない。或時丈が自宅の浅草八幡町て頼母子講が開かれた。此の時丈が他出先から帰宅(かへ)つて見ると、母親の側(わき)に天照皇大神宮様のお札があつた。丈は此れを見ると、おツ母、慾張て居やあがらア天理教のお札なんか持つててと天の字一字でやみくもにも天理教のお札と思ひこんで了つた。愛子の『天の字違ひ』といふて同業者間に一の愛嬌話となつて居る。
▲竹本新吉(増永小留二十九才)女義(たれぎ)から芸妓(げいしや)、芸妓からまた女義に戻つた人で、最早故人となつて了つたが、紅葉門下の谷活東といふ文士と味なことをやつて、活東が其の死の今はの際までも枕許に其の手拭ひをかけて居たといふことから一部の文士間に其の名が伝へられて居(を)るが、其の前期の女義の時分、芝の琴平で御所三を語つて其の三千世界に母親ばかりで出来る子があらうか…といふところで堂摺がこれに向つて勿論とやつたので、折角の後がめちや/\となつて了つた。
▼堂摺も果は手拍子を打ち或は奸計を用ゐて非常に女義に迷惑をかけたものではあるが、其の始は前にいつた様に芝居の大向然(おほむかふぜん)と何かきつかけて警句(?)をやつて困らせた位なものである。此れも其例の話竹本越子(桜井むら 三十五才) が三田の春日で寺子屋をやつて松王が言葉の女房喜こべ悴が・・・・・・といひかけると堂摺が其の隙をねらつて「毎晩」つとやつたので後がいへなくなつて了つた。
▲竹本小清(佐久間はる 四十七才)が本郷の若竹で真(しん)を語つてた時、高座に上つたものゝまだ語り始めぬ先で非常に澄しこんで居ると其の簾(みす)が上るや否や堂摺が紙屑籠と呶鳴つた。此れは小清の顔が長くそれに菊石(あばた)があるからで、其の適評には他の聴客も笑ひ出し、高座に澄まして居た小清もたまらず苦笑した。
▼豊竹越寿(小山せん 二十九才)が小川亭で三味線引の播志摩(早川しま 二十七才)と相並(あひならび)で高座に出るや、カルヽス煎餅にかき餅と呶鳴られた。それは越寿が色白の円顔であり播志摩(はりしま)の生毛際が富士額てないどころか恰かも四角形(しかくがた)の三辺の様であつて色が黒いからである。
▼竹本綾女(岡野みの 二十四才)が未だ十七八歳の花形であつた頃、東京亭の昼席で野崎を語つて、おみつがお染の来たのを、鼻でフヽンとあしらうのであつたが、此の時風邪をひいて居つた為に此れをやらうとして鼻から提灯が二本ぶら下つた。
▼女義婦人(たれぎだをんな)といへ随分、そゝつかしいものもある、竹本東菊(二十六歳)が或ひゐきの若い客に出遇(であつ)てあなたは大辺にお若いのね、未だ懲役は済みませんのといつた。客は此れを聞くや否や色を起(な)してフイと立つて行つて了つた。後で東菊は仲間の者に向かひあの客(ひと)は余程変な人ねえ。私があなたは懲役がまだ済みませんかと聞いたら怒つて了つたよといふから、其の側のものが、東菊さん、おまへさんは徴兵と懲役と間違へたのじやないの?といへば東菊平気で手を拍(う)ちて、あゝさう/\。
▼豊沢団光(赤塚みつ二十六才)本所の亀沢町の停留場で電車を降りやうとすると、後から大きな包みを背負た男が出て来て団光(だんくわう)を突き落して、降りて行つた。団光は此の男の不穏当な振舞から、くやしまぎれに直ぐ側の交番に駈け込み、いきせき、旦那彼(あ)の男を捕まへて下さい、彼の男ですと声もしどろに指さしたから其の男の包を背負てる様といひ団光の訴へ振といひテツキリ掏摸か泥棒の類(るゐ)と考へこんで、其の男を捕まへるやいきなり横面をなぐつたりなどして泥棒扱ひにして交番へつれて来ると、其の男は可怪(けげん)の顔色をして居る。そこで巡査は団光に向ひ、何を奪られたのかと訊くと、団光は何も奪られはしませんがと先の一部始終をいふと、巡査はそれにしては訴へ様が余り業々しかつたのではないかと、其の男の方を向いてきまり悪げに髭を捻つた。(をはり)
提供者:ね太郎