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 【 竹本大隅太夫 自分の事 】

(2007.10.27)
大隅と団平
自分の事
竹本大隅太夫
趣味 2巻9号
 
◎私の義太夫好き
 私は小供の時から義太夫が大好きで、遂に斯道(このみち)の人間になつて了つたので御座います。私が稽古を始めましたは、まだ十二三の小供の時分でありました。父も義太夫好きで、少々位語りましたが、母や兄などは、私の稽古をするのを甚(ひど)く嫌ひまして、真面目な商人(あきんど)には、そんなものは不可いと言つて、大層厳しく頻りと小言を言はれましたが、私の好き加減は其頃から随分甚しかつたもので。何ぼ小言を言はれても、却々(なか/\)止む所の段ではありません。併し小言を聞くのは煩(うるさ)いから、内々でこそ/\と師匠の処へ出掛けました。
斯う云ふ始末でありましたから、師匠へ充分心付けをする事などは、到底出来ません。夫れゆゑ能く教はりたくても、我儘は言へず、何時も恐る/\教はると云ふ有様で御座いました。夫れでも稽古に行くのが何よりの楽しみで、稽古をして貰つた時は、暑さの時分に冷い水でも浴びた様に、清々として何とも言へぬ好い気持でありました。
 
◎私の貧乏加減
 今でも貧乏はして居りますが、ツヒ近年までは、其れは何うも御話しにもならん程の貧乏で、季節の衣類なんか備へてあつた時は、先づ無かつたと申して可い位でありました。我々社会(なかま)の中にも、私位貧乏したものは恐らくあるまひと思ひます。併し好きな道と云ふものは、何うしても止(や)まりませんもので御座います。
 
◎私の舞台と工風
 人様が能く、毎日毎日同じ事を舞台で語つて飽きはせぬかなどゝ仰しやいますが、私はツヒぞ一度も面倒だとか飽いたとか申す様な事は、御座いません。何時でも、一ツ巧く語らう、昨日は何も面白く行かなかつたから、今日は彼所(あそこ)を斯う云ふ様にやつたら、と種々考へて、工風して演りますが、実地に臨むと、夫が却々(なか/\)思ふ様にまゐりません。だから何時も、今日こそは/\で、毎日巧く演らうと思つて一生懸命に語つて居りますから、少しも飽きるなんぞと云ふ様な事は御座いません。
 
◎私が平素の注意
 語るにも弾くにも、先づお腹に充分に力がなくてはかなひません。ですから、太夫も三味線弾でも、 各々第一飲食物にに注意して、精々養生をいたします。酒は人によつて、飲まなければ出来ぬと云ふものもありますが、私の思ふ処では、酒は何うも宜しくありません。夫れも少し位なら害も少なう御座いますが、お坐敷などに呼ばれまして、勤め酒などを致し無理に飲むと云ふと、其たゝりが覿面に現はれます。夫ゆゑ私は、平素酒を謹んで、身体を害はぬ様に注意して居るつもりで御座います。
 
◎私の壼坂の浄瑠璃
 壷坂の浄瑠璃は、御承知でも御座いませうが原本は古くからあつたものです。ですが誰の作と云ふ事も分らず、また文句も甚だ拙(まづ)いもので御座います。今広く知られて居ります壼坂の浄瑠璃は、先代団平の女房のおちかと云ふ人が、古くからあるのに手を入れたもので、之れに良人団平が節附けを致しましたから、如彼(あゝ)云ふ面白いものが出来たので御座います。
 此浄瑠璃を語り出した者は私で、壷坂はマァ私が家元と申しても可い位です。何処へまゐつて語りましても、此浄瑠璃ばかりは、妙に客受けがよろしく是迄一度も受けなかつたと云ふ事は御座いません。
 私が壺坂の浄瑠璃を語り出しで置きながら、其観音様へは、参詣いたさずに居りましたので、先年一度参詣をいたしまして、お山の有様を能く見てまゐりた処から、大きに悟る所も御座いました。乃(そこ)で早速二三人の道具方をも壷坂へ参詣をさせて、実地の模様を見て来させましたから、今度明治座で此浄瑠璃を出しますに就いても、舞台の書割や何かを従来のとは少し変へて、お目新らしい処を御覧に入れたのでございます。何にしましても、実際を知つて置かねば、何うも満足する事が出来ぬもので御座います。
提供者:ね太郎