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 【 大阪の女義太夫 豊竹呂昇 】

(2007.10.27)
大阪の女義太夫
豊竹呂昇
趣味 2巻11号
 
名古屋より現れ、大阪に乗り込み、瑠璃天狗の浪花人をして一時その嬌音に酔はしめた豊竹呂昇丈は未だ三十余の女盛り、技は円熟の域に近づき、人気は依然として落ちず、上町の松の亭を本城として、大阪女義の牛耳を把つてゐる、丈は愛想の好い、座談も明晰な、勝気らしい女である。
 
 私が大阪へ参つたのは明治二十五年で厶い升、其比は大阪の女義太夫といふものは大変世間から擯斥せられて居て、席は南に清津橋の播重、弁天座の西に金城ノ亭、天満の南歌久(なんかく)、こゝらが屈指の席で女義太夫が、それ/\出演致しましたのです、併し女義太夫が何分下品で叉御客も下層の方々許りで随分腐敗したもので厶いました、これは私の丁度上阪した時が此有様なので、その以前(まへ)は中々立派なものだつたさうです、私も修行の為めと思つて来て見て意外なのに驚きました、その上だん/\と内幕へ入ると益々汚い処が目に付きます位、夫が今日では御客も中流のお方が見えますし中には上流の方々のお顔も席で見受ける事も厶い升、又ある一部分の席を除いては手拍子だとかいふやうな下等な騒(さわぎ)をやるお客は殆どなくなりました、私は永く松の亭に居りますし、外の一座へは加らず私の一座計りでやつて居りますから、他の座の事はあまり精く存じません。
 語り口も文楽座と堀江座と少し宛変つた処があるやうに女義太夫の方でもその座によつて少し宛は変つて居り升、以前(いぜん)は女義太夫風と云つて擯斥されましたが、語る浄るりにはかはりはないのですがつまり不熱心でだん/\と語り崩して仕舞ひ、その崩れた浄るりを又其弟子から弟子にと教へて遂には本筋と遠い妙なものになつたのです、私の参(まゐつ)た時分は女義太夫といふ者はあまり劇しい修行はしなかつたのです、然し只今では旧(もと)へ回復し修行も励み、男太夫さんの宅(うち)、二三軒へは必ず稽古に廻ると云ふやうになりましたから、勢ひ客種も好くなつたのです。
 これは東京にも厶いませう、大阪のわれ/\仲間には因社(ちなみしや)といふ組合があるのです、後見、古老、中老といふ階級が厶いまして、此中(うち)に名が載つてゐぬ人々は平人(ひらびと)と唱へて居り升、仲間では此中(うち)へ名が載るのを役付(やくづき)したと申し升、平人が中老になるのには年限がありまして七ケ年勤めぬと中老になれません、古老になるには従来の古老の中の人が欠けると補欠に中老から引上げるのです、因社は年に一度、十二月に備一亭(びんいちてい)で総会を催します、私ですか、私は古老株で長広さんの次で厶います。
 私は呂太夫さんの弟子です、然し呂太夫さんは太い声、私は女の事ですからとてもあのやうな調子は出ませぬし、かた/\摂津さんの型を見習はうと心懸けて居るのです、師匠と稽古とは別です、師匠は呂太夫さんですが稽古−−別に口移しに習つたことは厶いませぬが稽古は摂津さんにしたのです、文楽座へは暇さへあれば毎日、もし忙しければ一興行中に五六度も参りまして摂津さんのお語りなさるのを一心に聴いて本に朱を入れて自分で稽古を致します、私は稽古道楽と云はれます位にあちらこちらの男太夫さんの処へ参つては稽古も致しました事が厶い升、私は別に私の工夫などは厶いません、只本筋通りに語らうと心懸て居り升。
 松の亭へは一昨年から出ました、始めは播重に五年、そこから北の新地の萬亭(まんてい)に暫く、こゝが火災の後はあちこちに居りましたのです、東京へは三十二年の時に四ヶ月も居りました、昨年も行つて新富座と東京座とへ出演致したのです、只今東京では昇之助が大層人気ださうで厶い升、あの人は兄弟とも私の弟子で、私がうつぼ舘に出ました比(ころ)弟子にしたのです、其後独立でやつて居て上京したのでせう。
 私の得意の語り物と申して別に厶いません、自分がやりたいものがあつてもお客がお受けなさらんければ致方がないので、只どなたにも受けのよい酒屋、太十、壼坂、堀川、仙台萩御殿などを語つて居る訳で厶い升、人は妙なもので自分があまりやらぬものが却つて語つて見たいと云ふ気になるものです、私は折には西風のさびた方をやりたいと思ふことが厶い升。
 もと女義太夫は弾語りのものであつたのです、女義太夫はこれが特色で、大坂ではあまり三絃ひきを用ゐなかつたのです、それにいつの程からか大坂も二人高座へ現れるやうになり今では大抵三絃弾と二人で勤めます、これはたぶん東京の方から入て来たのです、技よりは愛嬌の方で客を呼ぶ太夫達は弾き語が未熟ですから、やむを得ず三絃に年功な人を頼んで其人に弾て貰てお茶を濁すのです、その悪風に大坂迄が感化されたのは歎かはしい事で、私共の一座は前から決して三絃弾を用ひません、皆弾語をさせます、長広さんも弾語りです、東京の小清さんもたしか弾語だと申す事です。
 一人でやる訳には参りませんからいつも末虎さんなど話して居り升、早晩、是非斯ういふ会を設立したいものと思つてをります。(了)
提供者:ね太郎