編輯室の窓

文楽 2巻4号

  

 文楽を対象としての座談会にも語り会ふべき問題は多々あらうが、本誌ではその第一回として「文楽の若い人たち」を選んでみた。文楽の明日を双肩に担ふ栄誉と責任に在るこれら中堅級の人達の偽らぬ叫びから、伝統の芸苑に伸び行く新しい世代の息吹きを感じたかつたからである。このはげしい時代の怒濤にもまれては、明日の文楽も決して昨日の文楽そのまゝの姿ではあり得ないのだ。この座談会はさうした点にも、読者に多くの示唆を与へるものと信じてゐる。

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 別掲のとほり文楽座の櫓下、豊竹古靱太夫が近く秩父宮家から「山城少掾」の掾位を贈られることになつた。古靱としては昨年の芸術院入りに引続く大きな喜びで、まことに同慶に堪へないが、然も家庭人としての古靱の薄倖は春淺き去る二月十二日、多くの愛児に引続いてまたもや糟糠のしげ子老夫人を失つた深い悲しみである。夏の夜の流星のやうに交錯する大きな喜びと深い悲しみとは計り知れぬ人生のきびしい現実相だが、さらに老夫人逝去当日の古靱はその死期を知りつゝも敢然と舞台の人となり、その絶品「道明寺」に精魂を打込んでゐると同時刻に、京都の自邸では老夫人が静かにその最後の息を引き取つてゐたといふ−−かくも肉親の愛情をすら超えた古靱太夫の飽くなき芸道精神、その厳粛さにわれらは端然として襟を正さずにはをれない。謹んでお喜びと併せて深甚の弔意を表するものである。

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 今月は座談会に相当ぺージを割いたので、「芸能人のページ」を休載させて頂いた。なほ、先月号の「近ごろ感激したもの」は印刷上の手落から誤植が数ケ所そのまゝ通つてしまつた。これはなんといつても編輯者の失策で申訳がない。