編輯室の窓

文楽 2巻3号

  

 各地の本誌愛読者から創刊のお祝ひやら内容についてのお褒めやら御注文やら或はお叱りやら随分たくさんお便りをいたゞいた。これは本誌が意図してゐるわが古典芸能の正しい尊重と普及に対する一般の有難い反響を物語るもので、たとへ理想には遠くとも、それを目ざして進む本誌の真面目さが認められた欣びだと思つてゐる。お便りを頂いた方々に厚く御礼申上る次第である。特に兵庫県の山中義雄氏から頂いたものには細々と編輯上の具体的な御注文があつたが、いづれも名案で非常に参考にさせて頂くことが出来た。追次に紙上で実現して行きたいと思つてゐる。

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 回を重ねるに従つて、さらに各方面から多大の讃辞をいたゞいてゐる「梅玉芸談」は紙上発表のものに、なほ未発表の分をも加へて、本誌発行所誠光社から近く単行本として出版することに決定した。現在の予定では大体において今秋までに上梓の手筈だが、関西の生んだこの国宝的名優を永く後世に記念する意味においても、今日の絶望的な資材難を超へた出来る限りの豪華出版をお目にかけるべく目下着々企画を進めてゐる。右御報告を兼ねて読者諸兄の御期待を乞ふ次第である。

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 今月の随筆の欄にはいづれも大阪出身の藤澤桓夫、北條秀司の両氏に揃つて登場していたゞいた。

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 関西の若い作家織田作之助君が一月十日東京で急逝した。戦後あれほど四面楚歌的な悪評のなかで、あれほどバリ/\仕事してゐた。それが恐らく死期を早めた一因でもあらうが、同君としてはむしろせめてもの満足だつたかも知れない。絶筆に近い「可能性の文学」(改造十二月号)など、説の当否はとにかくとして思ひなしか死の予感を受けるやうな一種の“凄味”があつた。いづれにしても関西は惜しい人を失つた。近く本誌上にも登場して貰ふつもりでゐたのに…哀悼を表する。

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 北岸佑吉氏の“能樂界の人々”の(下)は編輯の都合で次号に延ばすことになりました。筆者並に読者にお詫び申上ます。

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 なほも一つ、御承知のとほり昨今の極端な電力飢饉のため本誌も印刷その他の工程に不可避の支障を来し、遂にこの号を三・四月合併号にせざるを得なくなつた、近ごろの諸雑誌は殆ど例外なく合併号の苦境にあるが、本誌だけは出来るだけこれを避けて読者の期待に添ひたいと百方努力して来たが、客観的状勢がかくも逼迫して来ては万策つきた形で、遺憾ながら合併号で甘んぜねばならなくなつた、この点十分御賢察の上お許し願ひたい。(C)