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【 石割松太郎 人形浄るりの新作について 】

(2023.04.01)
提供者:ね太郎
 
 人形浄るりの新作について
    石割松太郎
 太棹 40号 1932.10.25 pp.6-9
 
 
 人形浄るりの新作について、本誌から意見を求められましたが、私はこゝ十幾年、新作不可能を語り続け、書き続けて来ました今日でも、私の意見は訂正の必要を見ません。どちらかといへば、新作々々と言ひながら一つの新作上演にも接しなかつた数年前に比して、続々新作が試みらるゝ今日、尚且つ私の意見の訂正を必要としない事は、偶々新作不可能を有力に物語るものだと思つてゐる。が、私が人形浄るりの新作不可能だといふのは、無下に新作が詰らぬと申すのではない事を、この機会にハツキリと箇条書きにして申上げたいと思ひます。
 即ち、私の人形浄るり新作に対する意見を要約すると--
 (一)今日まで発達し切つた人形条るりに新作の余地がないと認める。
 (二)封建制度の残物である浄るりの内容に何の新味があるか、これに時代の思想を盛ればいゝといふのは、浄るりが音楽である事を忘れた議論。新思想新風俗新時代に伴ふ言葉の表現に制限さるゝ音楽--既成の音楽におけるリズムを考慮しない議論。これを破つて何が新作さるゝか?無駄な事だ。それが、よし新作されても元の音楽ではない筈だ。
 (三)この発達し成長し切つた今日の人形浄るりを根本的に変革して、今日の詞、今日の風俗、今日の思想を取容れる事が出来るとすると、ソレは、もう今日の人形浄るりではない別のものを創造しようといふなら、ソレは御勝手だ。
 (四)問題はこゝにある。--然らば今の人形浄るりは保存の価値はないか?私のいふのは、別な様式の人形浄るりの創作は別な問題だ。ソレを誰もが拒否しようとはいはない。今日保存の価値ある古典を破壊して、海のものとも山のものとも得体の判らぬものに変造する必要がどこにある?--といふのである。
 (五)今日文楽座に伝はる人形浄るりはそのまゝに保存すべし。あの封建時代の浄るりの内容に慊らぬならば別に人形浄かの形式をどうなりと創造すればいゝ。--といふのが私の結論。既成の伝統的の茶室をこはして、その木材や壁土で製産的な鶏小屋を造らうといふのが、新作論者のやり方。私は由緒深い茶室は、多少の修理をしてもソノまゝに保存せよ鶏小屋は別の木材で別にお建てなさい。米材を用ひてペンキで塗つてもいゝではないか。何も古いナレのある茶室の土を鶏小屋に使はなくてもいゝと主張する。
 (六)問題はこゝだ。--浄るりは音楽だよ。思想、事件が今日のモノであつても、音楽の形式が今日のでなくて何の新味があらう?時代の音律に耳をお開けなさい浄るりのリズム、メロヂーをどう変革して、例へば「鶏小屋」の壁土に用ひようとするか。
 (七)ホントに浄るりが解つてゐないからこんな結果になる木米乾山の筒茶碗、渋右衛門の赤絵皿に豚肉を盛り、スープを入れて何の風情があるか。豚肉を盛るには硬質陶器がある世の中だ。
 (八)--と、抽象的にいつても尽きない。早い話が、文楽座の「三勇士」引続いての「空閑少佐」など、あれが浄るりだと頂いてゐる手合なら文句はない。それにしてからが「三勇士」は面白かつたが、「空閑少佐」は判らぬといふ世評。テキストなしに筋さへも通せぬ新作。耳に訴ふるが本質でしかも、人形が動作をつゞけて、訳が判らぬといふ新作、新作曲--余興物といふ以外に何の価値があるか。
 (九)これらの余興的新作よりは、上物だといつていゝ十月の文楽座の高安月郊氏の、「桜時雨」にしてからが、どうだ。「桜時雨」程度の浄るりの新作は恐らく、近くまた生れようとは思へない程だと許していゝ佳作だが、人形浄るりに何ほどの貢献が予想さるかゞ疑問だ。
 (十)その所以は一つに作曲者の腕にある。早い話が、同じ明治の新作「壼坂」と「桜時雨」とを例にして比較せよ。作柄として「壼坂」の当つてゐる事、文事の蕪雑な事は、遠く「桜時雨」に及ばないが--音曲として数段の上にある「壺坂」の浄るりを聴けよ。これは何を語るか?
 (十一)「壷坂」は名人二代團平の作曲だ。「桜時雨」は三代団平の作曲だ。「名人」團平と私はいふが、三味線持たしての「名人」で、必ずしも作曲家としての「名人」でない事。文楽座の九月興行の「勧進帳」を聴いても「壷坂」が古名曲に劣る事に徴しても明かだ。--これは團平の功罪をいふのでなくして「時代」が然らしめてゐる。浄るりの寿命が然らしめてゐる。
 (十二)三代團平が「桜時雨」を作曲したといふが、十月興行の文楽座のソレが三代團平作曲ソノまゝであると誰が断言しえよう?「大門口」を語る綴太夫のあの浄るりを三代団平に聴かしてやりたい。地下に起せば三代團平は、恐らく綴太夫に叱言をいふだらう。「あれは誰の作曲た?俺の手を付けたのとは違ふよ」--と、ダメを押すだらう。三代團平の作曲の力にして既に撚りと予想さるゝのだ。
 (十三)佗住居のおとくのクドキを聴いて三代團平は小首を傾けるだらうと、私は想像する。土佐太夫の薄茶の味で、三郎兵衛の情意が盛られてゐる。恐らく作家月郊氏の三郎兵衛でもなく、三代團平の作曲でもなからう。--ソレを悪いとこゝで、出来栄を批判するのでなく、稀に見る新しい浄るりとしてまだ聴ける佳作の「桜時雨」でさへも、新作の値が作曲家を得ないでは無駄だといふ事をまざ〳〵と強調するのがこゝでの私の本意だ。
 (十四)もう一つ今日の発達し切つた、行つくとこまで行きついた浄るりの言廻はしとして「桜時雨」にも無理がある。--多くの無理がある。これは太夫の工風が足りないといふより浄るりの節の固定から来る約束だ。「ソレを破れ」といふなら、今日の浄るりの破壊であつて、別の様式の人形浄るりとならう第一歩だ。別の様式の浄るりを要求する事は別の問題である事前述縷説の如し。--例へば奥座敷の段で「ヱヽマア此人は気狂ひか、と、言へば笑うて懐より」の類だ。佗住居にもチヨイ〳〵例がある。
  (十五)これらの浄るりのマンネリズムを打こはして尚且つ立派な言廻はしと作曲とが可能である時に新作は可能だ。--が、ソレは文楽座の今日の人形浄るりでなくて、他の浄るりだ。ソレは私が今問題として取扱つてゐる人形浄るりとは別なものだから、私はこゝに問題にしない。
 (十六)『作家』よりも「作曲家」の天才の出現をまつ所以はこゝにあるが、然し天才は天から降つて来ない。よし降つて来ても、今日の人形浄るりを増減するものでないから、問題として取上げるのは別の話で、今日の場合は、古曲の復活に努力する保存事業以外に人形浄るり関係者の使命はない。--と私は断言する。
 「浄るり」から見て新作不可能十六ヶ条件の如し。「人形」の一面から、亦別に同じく新作不可能の十幾箇条を数へようが、それは他日に譲らう。(昭和七・十・六)