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【 石割松太郎 大阪者が東京で見た文楽座 】

(2023.04.01)
提供者:ね太郎
 
 大阪者が東京で見た文楽座
  ◆東京劇場・三の替り評◆
     石割松太郎
 太棹 37号 1932.4.25 pp.8-10
 
 
◆「大阪もの」が東京で見る人形浄るりはどうあらう。言葉を換ると「大阪の芸」が「東京の雰囲気」でどう観られるだらうか。更に言ひ更へると「舞台」と「見物」を一つにして「大阪もの」の立場から東劇の椅子に腰を下した。
◆一日の出し物に開幕に「菅原」の車場が、贅物として付いてゐる。東京の聴衆はこれを気にかけないのだらうか「みどり」といふ段物を並べる興行形式に慣れた、これも東京の聴衆の寛大さをまづこゝに見る。--私は「聴衆」といつたが、東京の文楽座のフワンは、恐らく「聴衆」でなくて「看客」だらう「看客」だとすると、まづ言ひたい事は大道具だ。
◆「梅忠」の淡路町はあれは大阪の三度飛脚の構へでない。下手のあの半間の格子は大阪の町家で見られない間だ。羽織落しになつて西横堀の背景だがあゝいふ風な材木屋は、見たくても大阪にはない。西横堀の堅気な店暖簾に蔦(?)の紋が付いてゐるなど、色街風景。浄るりが心中物でも米屋町に色街があるやうで羽織落しが利かない。これらは東京の大道具に託するにしτも、何とか聯絡をとれば訳もなく正しく出来る話。「文楽を御覧」になる東京の見物様に失礼だらうじやないか、古典物にこゝらの細心な注意かほしい。
◆これはホンの一例で可笑しいのはこれだけではない。大阪でもやる事だが、盛綱の首実験で道具を二杯にするから、「思案の扇」で盛綱は居処を換て改めて思案にふけるといふ不条理が出来る。これらは「歌舞伎」が「人形」に及ぼした悪影響を執拗に人形がやつてるのは自分を知らないものだ。この「盛綱」を語る紋下津太夫は、恐ろしく声を痛めてる。咽喉を痛めた紋下の浄るりは「音使ひ」に工夫がない人だけに聴かれたものでないから、浄るりに就いては敬意を表して何もいふまい。
◆次狂言もの、「梅忠」の淡路町は相生絃清二郎、東京風の相生だけに、この小屋でこの人を聴くとしつくりとする、が羽織落しは喰足らない、栄三の忠兵衛も大阪の舞台で見るよりも芸が纏らないのは、舞台の寸法のだゝ広いのが患ひをなしてゐるやうだ、淡路町にしてからが「表に馬の鈴の音」で「景気のいゝ「拍子が直つた」亀屋の店先きが見物には分るまい、しん閑としてゐるからいそ〳〵と堂島のお屋敷へ行く忠兵衛が丸ツきり見られないのは、舞台が広い故だ。この舞台でやるなら、人形にソノ用意と工夫とが肝要じやあるまいか。
◆浄るりは語呂をハツキリと語るべし。ムニヤ〳〵など太夫の恥辱だ。相生の八右衛門の言葉で、「いひ憎い事よう言ふた」を「み憎い」に聴こえるのはきゝ憎い。
◆封印切は土佐太夫、絃吉兵衛。土佐得意の世話もの、且近松の原作のまゝといふのが第一の味噌だが、節は後世のものである事いふまでもない。この分かり切つた事が相当の浄るり通にハツキリと認識されない--といふ不思議な現象がある。人形の遣ひ方が今の三人遣ひでない頃の浄るり、節が簡単であつたと想像さるゝ者の浄るりだけに、三味線の手がこんで、二階の「夕霧の昔を今に」の間、人形舞台が動かない。僅に三味線を弾く禿で胡麻化さねばならぬ近松の作品に、後世の改作でなくば行はれないといふ実際上の必要性をハツキリと見せてくれる作品だ。改作や歌舞伎と違つて、近松の原作の、読んだ味と、実際の舞台との破綻がこの封印切が見せてくれる。
◆土佐の得意の出し物だけに、世話味、花柳味がよいが、梅川の理智的な「なぜその様に上らんす……」をよく語つたが「それ見さんせ」の女の術ない情、艶が語れなかつた、八右衛門が最近大阪で語つたよりもよかつたが「丹波屋の八右衛門--殿」と語り、すぐ後の「八右衛門様、八右衛門--奴」が同巧だ。殿。様。奴。を同様に切らずに「殿」は直ぐに言ふべきで、「丹波屋の」の「の」があるから。この利き釘が締らない。忠兵衛では「ふつと金に」「地獄の上の一足飛」に老巧の土佐だ。もつと工夫がほしい。「ふつと」はアヽ軽薄でなく「地獄」はもつと〳〵肚と工夫とを要する。梅川の「アヽそふじや生きらるゝだけ」も「地獄」と共にこの一句は、梅川の心持の一転機の大切な一句だから、土佐のやうに語つては肚が無さすぎる。
◆新口村は淀治の口、切が古靱、絃清六、元来「新口村」は語るよりも唄ふ気分の浄るりとなつてゐる。その「新口」を--古靱の口にないのをどう語るかといふのが興味の中心だ、古靱は自ら知る事の深い太夫だ従来の美しく唄ふ「新口」を孫右衛門を掴まへてシンミリと語つて聴かさうとした。艶を捨てゝ当り節を唯の一ヶ所も用ひずに聴衆を忘れて語つた処に古靱の自ら知る明がある。
◆試に「あたゝめられつ、温めつ」「珠数屋町」など銀にイブシが掛つてゐる事を見遁がせない。然しこれは古靱の短所を長所に転換しただけだが、あの声を潰してゐながら孫右衛門を絶妙に語つた例の「休み〳〵」の孫右衛門の出は、ハツキリと孫右衛門が足取を時間的に語つた工夫は見上げたものだ「切株で足つくな届かぬ声も」の段切は蓋し、大阪で初役以来の大出来テクニツクとしてはこの段切ほど上出来の「新口村」を私は聴いた事がない。
◆人形では、栄三の忠兵衛、文五郎の梅川いつもながらよく遣つた。扇太郎の忠三女房は上出来、この人の将来を決して見落してはならぬ事を明示してゐる。「新口村」で忠三女房が出た跡で、梅川忠兵衛の二人が「後はかど口はたとしめ」と本文にありこゝが聴かせどこでもあり、駈落者の心持がこゝで十分に出ねばならぬのに、忠三の表口は開け放しはどうしたものだ(三の替り初日)風にも心をおく落人だ。
◆「三勇士」が切に出る三の替りで三度目だから何もいはぬがこの曲で大衆的の人気のあるのは作品の力でなくて、題材が国民の感激を呼んでゐるのだ、といふ事を、ハツキリと、その業者は認めて、混淆してはならぬ事を注意する。