竹本 東枝

   
   
 
本年六月上京の当時その初席(はつせき)なりける中橋祇園亭に於ける鰻谷の芸評に依りて初めて本誌に紹介されたる竹本東枝嬢は、爾来、喜よし、鶴仙、小金井、富竹、都の各席を打ち廻りて何時も流暢なる美音に喝采を博し居たりしが今や其亡母の年忌に当りて已むを得ず一と度帰阪の途に上るに至れり。嬢が素(も)と手ほどきの師といへる鶴澤仙八にして今の師なる竹本東猿の門に投じたるは今より九年前にして嬢が十一歳の頃なりし、又傍ら生島太夫、勝右衛門等に就て学ぶ所あり、嬢が初めて出席したるは坂地日本橋の澤の席にて其好評を得初めたるは宝席出席の当時にあり爾後五年以来上京するに至る迄は播重席にのみ出席し居れり其数ある語物の中尤も聴客の歓迎を受くるものは鳴門八ツ目、鰻谷、仙台御殿、八陣等なり、嬢や今将に東都を去らんとするは宛かも斯芸園裡一枝の花を失ふに似つれども他日一層修業の培養を経て重ねて上京の日は芳ばしき実の熟技を示す所あれ
【義太夫雑誌47:20評判】