竹本 友之助

   
   
 
友之助嬢は初め団玉に就き濱玉と名乗りしが団玉東都を去るに及んで今の師花友嬢に従ひ友玉と改め益々励みて一昨六月東橋亭に初看牌を揚げ、後ち昨年二月師と倶に修業の為め坂地に下り途すがら静岡、名古屋、西京等を興行廻(うちめぐ)り着阪後、同坂の女太夫と倶に宝生舘に出席し頗る好評喝采を博し、本年五月師と伴ふて帰京し翌六月再び神田小川亭に帰京の看牌を掲げぬ、嬢やいまだ齢二七、目下真打中の最も若齢なるもの、而て其伎芸の巧みなる、時に老練の婆義太を凌ぎ先輩をして舌を捲かしむるものあり、其最も得意なるものは阿波の鳴門にして、御殿、野崎、大文字屋、弁慶、壺阪など又是に次ぐものなり
【義太夫雑誌35:14-15評判】