竹本 東広

   
  
 
始め竹本律太夫に学び其師の前名なる一字を受けて松繁と名乗りしが後竹本東猿の門に入て東広と改名し師と共に坂地宝席(たからせき)その他の各席に出勤して好評ありしが一度斯道を休廃して中国辺に赴き居りしが昨年帰阪後再び斯芸に身を委ねて播重席に顕はれつゝありしに這回(こたび)長広上京の一座に加はりて出京する事とはなりたり、嬢が芸風は多く世話と時代の間に於て大いに聴くべきものあり
【義太夫雑誌 52:17-18面影抄】