豊澤 助三郎
丈は嘗て竹本大隅太夫豊沢団平の一座と倶に初めて上京し、後一と度帰坂し同座の一行と倶に春子太夫を弾きて暫らく地方を興行せしが、去る明治廿七年十二月源、阿蘇の太夫等と再び上京して、朝太夫の一座に加はり切三なる阿蘇太夫を弾きて此程まで出席し居たりしが目下は休席して素人連の稽古にのみ従事せり、丈は元来豊沢源吉の門人なるが其多く業を修めたるの師は先頃物故せし団平翁なりとぞ、丈は源吉の門中屈指の高弟なれば師は丈を阪地に呼戻して其名を襲しめんと勧めしこと屡々なれど辞して之を諾はず却つて源之助(広助の倅)の名を潜(ひそか)に望み居るとなん
【義太夫雑誌40:17評判】
新吉原京町二丁目三十五番地 名古助三郎事 豊澤助三郎