竹本 素竹

   
   
 
初め竹本永之助と呼ばれて昼席夜席の嫌ひなく口三四枚に顕はれ居りし頃は語り振り何となく落着ざりしが後ち暫らく阪地へ修業に赴き帰坂後竹本素行の門に入りし以来メキ/\と進み随つて沈着(おちつき)も出来、頗る大人びたる語り口とはなりぬ、殊に嬢は従前より弾語りの事とて此頃は倍々(ますま/\)絃に音艶を負び来りしは確かに修業の効の顕はれしものと謂ふべし、去乍ら未だ/\此等に安んずべき伎芸前(うでまへ)鳴らず須(すべか)らく今一息腕を磨き切前(もたれ)に満足する引込的の思案を止めて見事真打の看牌を上ぐるが肝心々々
【義太夫雑誌40:17-18評判】