鶴澤 三糸

   
   
 
嬢は竹本千歳の女(むすめ)にしてツイ先頃まで竹本亀千代と名乗り母の千歳を弾きて各席に愛嬌の花を咲しつゝ在りたるが此程鶴澤三生の門に入つて三糸と改名し倍々芸道修業に心掛け居るとは何より以て目出度ことゝ謂ふべし、嬢や齢未だ若く随つて伎芸の経歴に富まず之を記さんとすれば勢ひ千歳の経歴よりして叙せざるを得ず、限りあるの誌面を奈何せん、今その同嬢贔屓連が便宜の為めとして聊か紹介する所あらん、嬢は素(もと)阿波の産、去る明治十八年の四月母千歳と倶に上京し初席を東橋亭に出勤し同六月新柳亭を一と先名残興行として以後地方に趣き、二十年十月再び出京なし爾来止まりて各席に顕はれ、去る廿五年の暮よりは三絃専門となりて新造、大造、団八、三生、三吉等に漸次学ぶ所あり、その稍々得意ともいふべきものは逆櫓、志度寺、布四等なりと
【義太夫雑誌39:23評判】