竹本 三福

   
   
 
目下出席の女太夫中、尤も門人に富ねめる竹本素行の門中上位を占め常に同列に伍して師の座を佐(たす)けつゝある竹本三福嬢は其以前津賀蝶と名乗りたりしが、素行の前名を襲ぎて則ち現名の二代目竹本三福と改め、去る廿八年の夏小住の絃にて始めて看牌を挙たる以来、各席に好評を博し、去て暫く地方に赴きたりしが帰京後、昨秋再び看牌を上げたるが鳥居数をも潜り経たる事とて先年よりは稍々音声に寂の添ひしは芸に取りて甚だ喜ばしき事にて渋かり者流には賞めらるゝも如何せん語り振り少しく隠気に陥り所謂山のなき芸風なれば前受けに乏しきは一二割方の損といふべし、評判子過ぐる夜(よ)、久し振にて嬢の鳴八十郎兵衛住家を川竹亭に聴きしが、前半の巡礼歌を抜きて後半則ち十郎兵衛の帰家より語れり総じてお弓も十郎兵衛もグツト渋くコナされて得心、「何じや小判がたんと有アノ小判が」と驚きと喜びとを一ツに思はずハア/\/\と真底からの笑に顕はす気合などは実に旨ひもの、「お前も私もお尋ねの身分」と言はんとするお弓の詞を制して「コーリヤ、傍(あた)りに気を付け¥い」と声低に叱る旨さ、「お前も斯(こん)な事なら疾(とう)から其様(そう)と言ふたがよい人にいきせい揉ましてヱゝ■(たしな)ましやんせ」とお弓の詞真個に世話女房の調子間然する所なし流石に三福嬢と賞むると同時に一言申し度き事あり、■[そ]は十郎兵衛がお弓を叱り付て「おれにも知らさず追去(おいはな)すとは鬼でもそんな胴欲な事はせぬはい」の処萎れて涙気味に言ひしは甚だ宜(よろ)しからずコハ少しく小言めきし調子に強く角立て言ふ方、後の条の詞に反応して宜しからん、嬢の如く萎れ気味に遣(やつ)ては後(のち)の「もふ尋ねずとよしにせい娘は疾から戻つて居るに・・・ソレ其処の蒲団の内によふ寝入て居るわい」と極めて沈みて極めて萎れたる詞に価値(ねうち)なくなり随つて感情を責め来らず、三福嬢何と左様にあらずや、何は兎まれ素門随一の腕前この上ともに尚一層錬磨の程こそ望ましけれ
【義太夫雑誌27:15-16評判】